第3話 会話という非日常

 山と家の距離はそう遠いものではない。

 けれど町の外れにある僕の家からは田んぼ道だけで、代わり映えのしない景色だから道のりも結構長く感じてしまう。それでも不思議なことに退屈と感じたことは無かった。

 人が多いところよりも、こういった落ち着いた雰囲気が僕は好きなんだ。他人といると嫌でも見えてしまうから、虫や小動物と戯れている方が僕に似合っているのかもしれない。

 山の頂上広場へと続く階段は少し長い。子供なんかは数えながら登っていくが、大体走りながら数えるので途中で忘れてしまうというのがお約束だ。

 早く走って正しい数を言いながら登れたら勝ち、みたいなのをまだ現実が見えなかった当時の僕は無邪気に楽しんでいた。

 そういえば夏祭りの日も良くここに来てたっけ。

 懐かしいな。頂上の広場から見る花火は絶景だった。幼馴染のみーちゃんとおばあちゃんと三人で良く見ていた。

 そんな昔のことを思い出しながら僕は一歩一歩階段を登っていく。

 昨日はあんなに重かった足が、今日はどうしてか軽く感じた。


「ほら、やっぱりきた」


 頂上の広場。中央に植えられた大きな木を囲うベンチに彼女は1人座っていた。

 何気なく話しかけてきた彼女に僕は少し警戒しながら近寄っていく。


「ロープ、持ってきてないの? ここ飛び降り自殺には向かないと思うけど」

「別に、今日は死ににきたわけじゃない。逃げて来たんだよ現実から」

「そう、そっか、なら座りなよ。私もちょうど暇だったんだ。君がきてくれて助かったよ」

「そうかい、なら遠慮なく」


 そういって座る僕だが、彼女との間は大人二人分である。


「遠いなあ。けど、それが今の君と私の関係かなのかな」


 お互いを探り合っているという意味で、彼女の言葉に間違いはない。奇妙な出会い方をした僕たちにとっていきなり隣同士は当然気不味い。

 それが異性なら尚更、そして不思議な子ならもっとだ。これがお互い不思議なもんだから、困ったものである。


「結局、あれから私なりに考えて見たんだけどね」

「何を?」

「何をって……この世界から欠けてしまった物! 言ってたでしょ?」


 信じられないと言った表情の彼女は、ベンチに手をつきながら僕を睨む。


「意外だった。考えてくれてたなんて」

「言ったでしょ? 興味があるの。その何かにね」


 彼女はゴホンと言葉に挟み、改めて口を開く。


「考えて見たんだけど、少し情報が少なすぎると思うの。それが形あるものなのかそうで無いものなのか君には分かる?」

「分からないよ。僕だってそれが分かっていれば苦労してない」

「じゃあ、なんで君にだけその欠けてしまった感覚? っていう物があるんだろ……いつ頃ぐらいから?」

「小学二年の夏休み、おばあちゃんが目の前で死んだ日、かな」

「あ、その……ごめんなさい」

 何を察してか、彼女は僕にそう言った。

「いや、別にいいんだ。もう昔のことだし」


 記憶とは薄れていくものだ。

 もう、あの時のような涙は流れることはないだろう。


「そう、ならいいんだけど」彼女はそう言って話を続けた。

「やっぱり、その日が関係してそうだよね。それから何か変わったこととかはない? 欠けた感覚だけがずっとあるの?」


 彼女は感が良かった。

 あの日何かが欠けた感覚と共に僕が得たもの、それは本音を読む能力。何でも見える力。

 欠けたものと関係ないとは言い難い。直接的ではなくても何かしらの関係はあるはずで、同じ日、同じ時に得たそれはきっと無関係ではないだろう。

 だけど、この力によって何かが欠けてしまったとは僕はどうしても思えなかった。

 普通の人は思うだろう。欠けてしまったものは本音を隠すための言葉だと。

 僕も初めはそう思っていた。この死にたくなる感覚は相手の本音と心がどうしても見えてしまうせいだと。実際僕はここの力のせいでどうしようもない人生を送っている。

 けど、それは違うんだ。

 あの時、僕の目の前から、心の中から、頭に詰め込まれた記憶から、本当に何かが消えたんだ。

 内臓に突き立てられたナイフが、僕の一部をくり抜いていく感覚が襲ったんだ。

 具体的に何かというのが言い表せないけど、本当にこの世界から綺麗さっぱり何事もなかったかのようになくなってしまった。つまりこの力はもっと、別の何かで、この力によって何かが消えてしまったわけじゃないんだ。それだけは断言できる。だけど、それでも、全く無関係というわけではない。

 さっきも言ったが、同じ日、同じ時に得たこれは何らかの関係性があるはずだ。欠けたものについて追求する手がかりに十分なり得る。だから、彼女に手がかりとして本音を見る力のことを話さなければならない。

 ちゃんと、伝えなければならないんだろうけど……。


「特に変わったことは……ないかな」


 僕は彼女にこの力を伝えることが出来なかった。

 例え欠けたものと直接的に関係があったとしても口に出すことは出来ない。

 いや、許されないんだ。


「そっか……うーん」


 彼女は首を傾げて考え込んだ。

 そんな彼女を見て申し訳ない気持ちになる。

 能力を他人に押し言える事ができないという、現実に。

 あれは、おばあちゃんが無くなった後の話だ。母さんの本音が読めて、僕はその得体の知れない力について話そうとした。そしたら、言葉に出来ないほどの激しい頭痛と嘔吐を丸一日繰り返した。

 言葉にしようとしても、口がパクパクと空振りする。文字にしようてしても、デタラメな文字がノートを走った。

 僕にとって一生残るトラウマだ。

 能力の代償とも言える、誰にも言えない呪いのような物に僕は縛られている。

 もちろんそれ以外にも理由はある。

 もし、この能力が他人に伝えられるとして、それを真正面から真面目に話しても彼女はきっと信じてくれないだろう。彼女が信じてくれるなんて確信、今の僕には当然持てない。

 本音が見える、なんて非現実的な出来事。僕以外の誰が信じるっていうんだ。


「なあ、君は全てが僕の虚言だと疑わないのか?」


 もし、僕以外の人間がこの感覚を知らないのだとしたら、当然知っているのは僕だけだ。

 つまり全人類から見て僕はまともな人間として彼らの目に映ることはない。

 欠けてしまったものが分からず、さらに証明できないのであればそれは考えなくても分かることだった。

 なのに彼女はどうして純粋に僕の話を聞くことができるのだろうか。

 これが全部お芝居、というのなら至極真っ当な答えだと僕は思った。


「今更?」


 驚いた表情の彼女は、その後も言葉を連ねた。


「けどまあ、思わないかな。だって、君の言葉を信じてるから」


 そう言って笑う彼女とその奇妙な言葉に僕は頭を傾げた。

 やっぱり分からない。彼女の本音が。

 今ほどこの能力を使いたいと思ったことはない。

 本音が見えないって、こんなにもやもやすることだったんだなと実感する。


「あれ、もうこんな時間か」


 夕方の五時を知らせる音楽が僕らの街を覆っていく。


「もう少し話したかったけど私、そろそろ戻らないといけないから」


 ワンピースについた微かな汚れを払いのけると、彼女はそう言って僕が来た反対側の階段を見下ろした。


「また、明日も来る予定だけど。君は?」

「気が向いたら」

「死にに来るの?」

「死ぬのは、もう少し先でもいいかなって思ってる。少し、気が変わったんだ後少しくらい生きたって構わないかなって……」

「そう、じゃあその死ぬまでの間に早く見つけないとね」

「ああ、そうだな」


 午後五時の音がなり終わる頃、彼女の階段を降りる姿は米粒ほどに小さくなっていた。

 嫌なほど感じていた熱さは涼しさに変わって、それはまるで彼女と共に夏が過ぎ去っていく、そんな風に感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る