第34話 夢日記(2021-06-08)

もっと泣きたかったのかもしれないな

そんな事を、白いタオルを握りながら思うが、涙は出てこない。

悲しかったんだ、あれは悲しくて当然、なんて考えてはいるが、考えようとしているのだが、全然悲しい感情も涙も出てこない

そんな事を思いながら、目が覚めた。


そういえば、昨日は人類は狂っている、と思いながら目が覚めたっけな

一体、どんな夢を見ていたんだ?


起きて新聞に目を通すと、広告欄に大学で教える西洋美術の見かた、なんてのが目に入る

芸術に触れて感動する、その感動の仕方を教えるというのか?

なんとなく、フルメタル・ジャケットでハートマン軍曹が言っていた

泣いたり笑ったり出来なくしてやる!

というセリフを思い出す。

泣いたり笑ったりも教育の成果なのだろうか?



落語に、そば清というのがある。

有名な演目なので知っている人も多いと思うが

というか、ネタバレを恐れずに書いてしまうと


消化を助ける薬を手に入れた、と思って、そばの大食い勝負を持ちかけたそば清が勝負の最中にもうこれ以上食べられない、となって、さぁ消化薬を飲むか、と飲んでみたら、飲んだのは消化薬ではなくて人を溶かす薬だったので、そば清は溶けてしまって後には羽織りを羽織ったそばがのこっていました、という話。


で、初めてこの話を聞いた時、何が面白いのか分からなかった。

解説によると、話の初めの部分で、大蛇が人を飲み込んで、腹が膨れて苦しんでいたが、そこにあった草をなめて腹が元どおりになったのを見て、「消化を助ける薬なんだな」と、そば清が思い込んでむしったその草は実は人を溶かす〜という事で、その勘違いが面白い、という事らしいのだが、それが分からなかった訳ではない。

人が死んでいるのに、笑ってる場合なの?

という所だ。

ツイッターで馬鹿をやって炎上する、というのと似ているかもしれない。

馬鹿をした人だけが面白い、と思っていて、それを見ている周りの人が面白さを感じない、という構造と

落語の面白さが分かっている人たちが面白い、と感じていて、私が面白さを感じない、という構造、という対比という意味で。



文章を書く、という事も、毎日鍛えないと錆び付いてしまうんだなぁ、と実感する。

日々、色々思う事もあり、色々思った事やら考えた事なども書き留めているのだがまぁ、所詮はメモ程度。

それらを元に、ちょいと試しにどっかの自主企画に応募してみるか、と思ってまとめていたのだが、結局の所なかなか思い通りのものに仕上がらずに締め切りが過ぎてしまった。

書き上げたモノを自分で読んでみて、コレ面白いのかな?というか、こんなもの読ませられた読者の人は迷惑でないかな、などと思ってしまうともうダメだ。

まぁ、だいたいそんな事の繰り返しな訳で。


ちなみに、その作品の構想の元も落語つながりで、「もう半分」

これはまぁ、分かりやすくラノベ風に言ってしまえば、TS転生復讐モノといったところ

いや、かえって分かりにくいか。

老人が若夫婦を恨んで死んだ結果、その若夫婦の娘に生まれ変わって復讐する、という内容である。

調べてみると、中国の怪談(討債鬼故事)に似た内容の話があるとか。



去年まで毎月、自作の小説を更新していた方がいたのだが、少し休む、と近況に書いたっきり、ずっと音沙汰が無い。

とあるサイトで、ほほえましい?面白い?小説を書いている方がいるのだが、ある日、突然に公開停止してしまった。

その後、いろいろ悩んだ挙句にまた公開するようになったのだが、その経緯というのが、作品に対して重圧を感じていたらしい。

また、とある方は、作品に対してなんだか文句を言われたとか愚痴を書いていた。

自分もだが、なかなか気軽には書けないものなんだなぁ、と思う。

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