第五章 今度は前世と違うはず

第25話 目覚めてみれば

「リート君、あぁーん♡」

「ニアたんも、あぁーん♡」

「ああぁぁん、美味しいぃぃ、好きぃぃ」


 キャハっとほっぺを両手で押さえて、私は幸せに浸るのだった。

 リートと食べさせっこ。この至福の時。嗚呼バカップル、マジ最高。周りの白い目なんかホントどうでもいい。私とリートは、この甘々でベタベタな幸せをずっとずっと望んでいたんだから、これでいいの。

 お金なんか要らない。地位も名誉も要らない。互いを想いあい、慎ましやかに生きていく。それだけを望んでたんだから。これからもこのままで……。


 ドタドタドタ!

――え!? 何? 何事?


 突然、すぐ側で足音らしき音がして、心臓が飛び跳ねた。

 ぱちりと目を開けると、やたらに天井が高い。なんだなんだ、ここはどこだと勢いよくと起きあがると、ステングラスの宗教画が目に入った。朝日の差し込む聖堂に、ざわざわと人の声が響いている。

 そうだった、夜中に地震が起きて聖堂に避難してきたんだった。


「ああ、夢か……」

――いいところで目が覚めちゃった、残念。もう少しでリート君が頭をなでなでしてくれるところ……いやいやいや。


 ぼんやりと欠伸をしながら目をこすった。隣には祖母ちゃんが眠っている。固い床の上で寝たせいか身体がミシミシと軋んで、なんだか辛い。それに眠不足で頭がぼーっとする。

 深夜の聖堂は、避難してきた人たちでいっぱいだったことを思い出した。うつらうつらしたかと思うと物音で目覚め、また眠りかかっては起きるを何度も繰り返したのだったっけ。


 眠りに落ちるまでの間、私はリートのことを考えていた。

『もう大丈夫だ、俺が側にいるから』

 昼間は私を憎々し気に睨んでいたくせに、彼は私を助け出してくれた。生きててくれてよかった、なんて言って抱きしめて。

 彼は私を憎んでいるはずなのに、嫌っているはずなのに。いずれ離婚することになるのに。それなのに「側にいるから」だなんて。

 切なくてたまらなくて、どうか前世なんて全部夢でありますように、朝になれば元通りの幸せな日々に戻れますようにと祈りながら夜を過ごしたのだ。

 しかし残念ながら、前世は夢となって消えてはくれなかったようだ。


――そのかわりに、願望満載の夢を見ちゃったってわけね……。リートと食べさせっこだなんて。


 未練たらしいなとため息とつくと、近くで同時にため息が聞こえた。ギクリとしてそちらに顔を向けると、やっぱりそれはリートだった。

 出っ張った柱の向こうにいたから、気が付かなったじゃないの。


「……いつでもどこでも眠れるなんて、神経ぶっとくていいな。羨ましいぜ」


 リートは目の下に薄く隈をつくって、ぼそりと言いやがった。

 あれれ、なんかブチッときたぞ。

 こんちくしょう、自分の方がもっと眠不足なんだぞってアピールのつもりか、男のくせに繊細ぶってんじゃないわよ。大体、乙女に向かってぶっといとか失礼にも程がある。


――昨夜のあれは何だったのよ。気があるようなそぶりしないでよね!


 朝になったらこの態度ってことはやはり、突然の非常事態ゆえに人道的見地から救出しただけで、抱きしめたのもバカップル時代の名残というか単なるはずみで、他意は全く無かったのだ、とでもいうのだろうか。


――リートなんか……リートなんか! ちくしょう! バカにしないでよね!


 悔しくて、キッと睨み返した。

 するとリートは、口を尖らせてプイと横を向いてしまった。

 祖母ちゃんの向こう側にいるリートは、壁にもたれている。今起きたところなのか、もしかして寝てないのかよく分からない。

 ふと見ると、彼の膝を枕にピピが寝ていた。


「あれ?! ピピ?!」

「しっ!」


 いつの間に帰ってきてたんだろうと、思わず大きな声を出してしまったら、リートに静かにしろと目で威嚇されてしまった。

 なんか、いちいち攻撃的な感じがして腹が立つ。


「まだよく寝てる……」

「…………昨夜帰ってきてたの?」

「ああ。家が壊れてるの見てすげえ焦ったって。他の村人たちに付いてここまで来たらしくて、聖堂前でばったり出くわしたんだ。まあ、迷子にならなくて良かった」


 リートはピピの頭を優しく撫でる。おもむろに、ほっぺを指でぷにぷに突いては目を細めていた。

 そして、少しだけ口調が優しくなったような感じがしないでもない。


「……昨夜ピピと話したんだが、俺とお前の記憶の照らし合わせをしないか。情報はできるだけ共有した方がいい」

「そうね……。もしかしたら、今生でもまた悲劇に見舞われるかもしれないから、ってことでしょう?」

「そういうことだ。でも、ピピが起きてからにしよう。俺たちももう少し寝てから……あまり眠れなかったんだろう?」


 そう言うと、リートは大きな欠伸をした。腕を組み、壁にもたれたまま目を瞑るのだった。

 




 お昼過ぎ。明るくなってから見た我が家は、無残な状態だった。

 私たちが脱出したあとに更に歪んだらしく、斜めに傾いている。もうこれは修理するとかいうレベルを通り越しているのではないだろうか。


 ピピが目覚めると、同じく避難していた近所のベールさんに祖母ちゃんを預けて、私たちは家の様子を見に来たのだった。

 ある程度は覚悟はしていたのだが、惨状を目にするとやはり重いため息しかでてこない。

 ちなみに昨夜の祖母ちゃんはぐっすり寝ていただけで、気絶していたわけでもどこか具合が悪かったわけでもなかった。怪我もしていない。

 あの揺れに全く動じないなんて、さすが私の祖母ちゃん胆が据わっている。


 私の足はおしぼりで冷やしたのが効いたのか、腫れも少し収まってきている。でも歩くのはかなり辛い状態で、馬に乗って家に戻ってきた。

 一応包帯でぐるぐる巻きにして固定しているので、頑張ればゆっくり歩くくらいならできそうだ。なんとか気合をいれて、家を片付けなければ。

 お金や、貴重品なんかは何としても持ち出さなくてはならない。ああ、着替えもいるし化粧品も持って行きたいしアクセサリーだって、いやいや毛布とかお鍋や食器が先かな。

 そんな私の思考を、リートの一言がぶった切った。


「お前、邪魔だから、そこらへんで待っとけ」


 小憎たらしいことを言いながら、リートは私を馬から降ろした。邪魔とはなんだ、と言い返したくなったけど、ぐっと口を閉じる。

 家に着くなりリートはさっさと一人で中にはいり、引きちぎってきたカーテンをひきクッションも置いて、それから私を座らせたのだ。

 ムスッとして目も合わせないくせに、こんな気遣いを見せる。そう、リートは私を一歩も歩かせないのだ。ちんたら歩かれたら日が暮れるとか、憎まれ口をたたきながら、ちょっとの移動もお姫さま抱っこで運んでくれたのだ。そもそも包帯で固定してくれたものリートだ。


――言ってることとやってることが一致してないじゃない。なんなの? ツンデレ!? 今更、ツンデレ?!


 なんだか頬が熱くなって、胸がドキドキしてしまう。今朝みた夢が、私をちょっと切ない気分にさせるのだ。バカップルやってた頃がなんだか懐かしくてたまらなくて。と、そこまで思いかけて、ぶるぶると頭を振るのだった。

 リートがまた家に向かって歩き出すと、ピピが慌ててついて行った。


「ピピがお手伝いしゅるでしゅ!」

「待て」

「あう……」


 犬に待てをする手振り付きで止められてしまったピピは、すごすごと戻って来て私の隣に座ったのだった。

 リートは家の周囲を見て回ってから、家の中に入っていった。

 私とピピは顔を見合わせる。一人でやるつもりだったんなら初めから一人で来ればいいのにね、と嫌味ったらしく言うと、ピピは「まあまあそう言わずに」となんか苦労性のおばさんみたいな顔で笑うのだった。

 こんな小さな子に気を遣わせちゃだめだなと、ちょっと反省。

 そして、ピピに昨日の夜リートとどんな話してたのと質問していたら、返事を聞く前にリートが荷物を抱えてでてきた。


「とりあえず財布と毛布と、適当に着替えも持って来た。あとパンとジャム。まずは食おう。腹減った」


 毛布の上に鞄を放り投げ、パンの入ったバスケットを私の膝の上に置いた。


「……これ、ホコリかかってんじゃない?」

「だったら、喰うな!」


 バスケットは速攻でピピの膝に移動されてしまった。舌打ちばっかりしやがって短気な男だ。崩れかけた家の中にあったんだし、ジャムの瓶はいいとしても、パンはホコリ被ってたらヤダなって思うのは普通でしょうに。


「ま、ま、ま。とにかく食べましょう。ホコリなんか払えば大丈夫でしゅよ。ね。食べながら、お二人の記憶の話をしましょう。そのためにここに来たのでしゅから」


 そうだった。前世の話をするのに、人が多い聖堂だと誰に聞かれるか分からないし、祖母ちゃんにも絶対に知られるわけにはいかない。だから家の様子を見て来る、荷物を持ってくるという理由を作ってやって来たのだった。今後のためにも、話し合いが必要なのだから。

 ちょっとギスギスしながらも、私たちはまずは腹ごしらえからと、パンにジャムを塗って食べ始めたのだった。


 私の手作りキイチゴのジャムは、リートが一番好きなジャムだ。

 前はマーマレードやブドウのジャムも作っていたけど、彼がどれも美味しいけどキイチゴのジャムが一番いいって言ったから、今年はこればかりどっさり作ったのだっけ。リートの喜ぶ顔を想像しながら、何時間も鍋をかき混ぜて、いくつもの瓶詰めを作った。あの時は本当に楽しかったな。


 リートはたっぷりジャムを塗って、更に塗り重ねて、こんもり盛り上げて、大口開けてパンにかぶりついた。口の周りはジャムだらけだ。

 そのジャムの量に、ピピが呆気に取られていた。


「リート、パンよりジャムの方が多いでしゅよ?」

「パンなんか、このジャムを食べるための添えみたいなもんだろ」


 口についたジャムをぬぐいながら、当然といった口ぶりでバカなことを言う。

 そしてまたパンをちぎり、たっぷりジャムを乗せた。


「……いつもはそこまで塗らないじゃない」

「別にいいだろ。俺は好きなんだ」


 いきなり目を合わせてきてそんなことを言うもんだから、バクバクと心臓が鳴り始めてしまった。身体が強張って、全身が熱くなってくる。

 ほぼ同時に目を逸らし、リートはまたパンを口に放り込み、私は俯いた。


――な、なによ……好きだなんて。分かってるわよ、ジャムのことなんでしょ。そうなんでしょ。私のことなわけないじゃない。分かってる、ジャムが好きなだけだって。でも、でも、もしかして私が作ったジャムだから? だから好きなの? それとも、やっぱり私のこと……


 ドキドキとなる心臓の音が彼に届いてしまうんじゃないかと気がきでなかった。

 ちらりとリートを伺うと、目の前にジャムの瓶を突き出された。


「ほら、食えよ……」


 私の方を見ようとしないリートの耳が少し赤かった。


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