第24話 そして無残に散る

「お前か……」


 低く呟くアベール王と目が合った。

 次の瞬間、王の唇の両端が吊り上がり、ヒヒヒと笑い声が漏れだした。王は剣を持ち替えて垂直にし、勢いよくルッツの背に突き刺した。

 断末魔の叫びは、悲しくなるほど小さなものだった。


「そうか、お前か! 覚えているぞ! あの時は農園にいたのだったな。クズを三人まとめてぶちのめした、あのガキだ! はっはっは! お前だったのか!」


 これでもかというほど目を見開いて、王は俺を凝視していた。

 怒りが高じると笑いが止まらくなるのだろうか、王はルッツの背を剣で何度も突きながら笑っていた。本当に刺したいのは俺なのだろう。

 王は突き刺した剣にぐっと体重を乗せ、ルッツの死体を地面に縫い付けた。その間もずっと俺を睨んでいた。


「ガキのくせに、クズとはいえ三人の兵士を一瞬で倒したとはな。未だ腕は衰えずといったところか……さすがと言うしかないな。ああ、あの時気付いていれば、殺しておけば! そうすれば、お前とニアが近づくこともなかったろうに……己が甘さが口惜しいわ!」


 ニアの名前が出て、俺はビクンと身体を震わせた。

 未だ腕は衰えずという言葉に、嫌な引っかかりを覚えた。だが、それ以上にニアのことが気にかかった。

 まさか逃亡に加担していたことがバレて、彼女は今頃酷い目にあっているのではないだろうかと、不安がこみ上げてくるのだ。

 いくらこの残虐な王でも、自分の娘に非道はすまいと思っていたが、もうそんな希望に縋るのは愚かなことなのかもしれない。


「ニ、ニアは、どこにいる……」


 乾ききった喉がヒリヒリと痛む。掠れる声を懸命に振り絞った。

 そして、周囲の兵士の配置を頭に叩き込み、王との間合いを計る。

 王の腕は確かだ。一刀で首を落とせる正確無比な剣技、簡単に人を串刺しにできる剛力。彼はとんでもなく強い。

 王が剣を手放した今しかチャンスはないだろう。一撃で決める。それしか無い。

 袖の内に隠していた短刀をストンと手のひらに落とし柄を握った。腕は後ろ手のままだったが、既に緩ませている縄は腕の一振りで解けるだろう。


「ニアを連れて逃げるつもりだっただと? はっ! させるものか。いやいや、本当にニアが付いて行くと信じていたのか? おめでたいヤツだ。なぜルッツの謀反が失敗したと思っている。なぜ、お前たちが大門で・ ・ ・捕まったんだと思っているんだ?」

「…………なに?」


 これ以上激しくなることはないのでは思う程に、鼓動は早まっていたというのに、まるで乱れ打つ太鼓のように心臓が暴れ出した。

 大門を出た途端、兵士に取り囲まれた時の疑念が、再度浮上してくる。いいやあり得ない、認めるものかと思うと同時に、やはりニアに裏切られたのだという恐ろしい考えが頭に沁み込んでくる。

 胸苦しくて、まともに息ができなかった。短刀を握る指先が痺れる。


「親孝行な娘だ。私のためにすべて教えてくれたのだから」

「違う! 嘘だ!」

「愚かな。奴隷に落ちたお前についてゆくついてゆく女などいるものか! 本気で心を通じ合わせるものか」

「いいや、俺たちは愛を誓いあった! 今度こそ・ ・ ・ ・必ず添い遂げると約束したんだ」

「黙れ! ゴミ屑が!」


 王は獣のように吠えた。

 彼が飛びかかってくる速さは、俺の予想を超えていた。

 迎え討った俺の短刀は、僅かに王の首の皮を引っ掻いただけで弾き飛ばされ、強烈な拳を頭に腹に叩きこまれていた。







「リート、どうしたのでしゅか! 死にゃにゃいでリート、リートぉ!」


 揺さぶられて我に返ったが、一瞬どこにいるのか分からなかった。殴られた頭が割れるようで、アベール王は何処だと周囲を伺う。

 だが、今自分は聖堂の壁にもたれていて、隣にはピピがいることを確認すると、過去を回想していたのだったと安堵の息をついた。強い頭痛は続いていたが。

 心配そうに俺を見上げている天使は、目をウルウルとさせていた。


「ああ、すまん。一瞬、意識が飛んだみたいだな……」

「頭、痛いのでしゅか……」

「ああ、今のは結構きつかったかな……」

「ニアの時と同じでしゅ。どうして、過去の記憶を話すとそうなるのでしょう」


 ピピは泣くまいと懸命に我慢しているのだろう、唇が尖がってしまっていて、なんか可愛い。思わず髪の毛をわしゃわしゃと撫でまわしてしまうじゃないか。


「……さあな。でも、ちょっと分かったことがあるぞ。話すことで、更に詳細を思い出したこともあるし、まだ思い出せていない部分もあるんだってことをな……」


 ついさっき思い出した「今度こそ・ ・ ・ ・必ず添い遂げると約束したんだ」という台詞。

 これは確かに言った。俺が言った台詞に間違いない。だが、その約束をした場面は全く覚えていないのだ。これは記憶に欠落があるということだ。

 それに「今度こそ・ ・ ・ ・」ということは、添い遂げられなかった「前世」があるということになる。それも覚えていない。

 このアベールを舞台にした前世で、俺はその「添い遂げられなかった前世」を思い出し、今度こそとニアと約束したのだろうが、今生の俺はその「前世の前世」をまるで覚えていないのだ。


「ん? 待てよ……ニアの記憶、俺の記憶、覚えてない添い遂げられなかった前世、そして今生……。今、俺は四度目の人生を生き直してるってことか?」

「そう、かもでしゅ」

「いやいやいや、覚えてない添い遂げられなかった前世が、ニアが思い出した前世と同一という可能性も……」

「あうぅぅ……」

「………ったく、なんてややこしい輪廻転生なんだ。時系列も分からん!」

「あい……本当にややこしくなってしまいました……」

「とにかくだ。もう、アベール王も転生者で間違いない。「前世の前世」の俺を知っている口ぶりだったからな。……嫌だな、今生で出会ったりしたら……」


 もしも出会ってしまったら、その瞬間、殺しにくるんじゃないだろうかと本気で思う。アイツだと気付けなかったら、一巻の終わりかもしれない。

 俺とニア、アベール王それからミランは、確実に何度も転生を繰り返して出会っているのだ。そして恐らくその度に、俺とニアは無残に引き裂かれてきたのだろう。


 くらくらと眩暈し、また頭痛が酷くなってくる。目の前がチカチカと点滅する。

 あの夜の記憶が頭に流れ込んでくる。夥しい量の血が流された、暴虐と絶望と憤怒にまみれた夜だった。







 俺を殴り倒した後、王はまた新しい剣を握った。そして、すぐ近くにいた仲間斬りかかり、一振りで二人を絶命させてしまった。


「……止めろ! 仲間に手をだすな!」


 だが、俺の声など届かず、王は狂ったように剣を振るい続ける。

 彼を止めようと飛びかかろうとした俺は、何人もの兵士に押さえつけられ地べたに張り付けられてしまった。

 美しく手入れされていたはずの中庭は、血臭が立ち込め悲鳴の止まぬ殺戮の舞台になり下がった。

 仲間は縛られたまま何の抵抗もできずに、次々と殺されていったのだ。


「いいか! これは貴様の罪だ! 貴様が殺したのだ! よく見ているがいい!」

「止めろー!」

「己が犯した罪をその目に刻め! これは私が殺すのではない。貴様が殺すのだ! 己の所業がこの結果を導いたのだと思い知れ!」

「止めてくれ! 殺さないでくれ!」


 俺がどんな罪を犯したというのだ。ここを逃げようとしたことか。ニアと連れて行こうとしたことか。それならば、圧政を敷き暴虐を働いた王の罪こそ問われるべきではないか。

 だが、俺は情けなく懇願するしかなかった。例え王の耳に届かなくて、訴えるしかなかった。仲間が殺されるをもう見ていられなかった。

 うわごとのように、止めてくれと俺は繰り返していた。


「貴様が手に入らぬものを欲したがために、どれだけの人間の命が消えたか! どれだけの人間が不幸になったか! 貴様はそれを知ろうともしなかった! ニアは渡さん! 貴様がニアに出会ったことが、全ての過ちの始まりだった! 今度こそ、私があるべき形に正してやる!」

「止めろ! 頼むから……頼むから止めてくれ!」


 王は仲間を次々に斬り倒してゆく。男も女も子どもも関係なかった。休むことなく次々と。一方的に。

 兵士に押さえつけられ、俺はそれを見ているしかなかった。

 他のアベールの兵士たちも、青ざめた顔で呆然と王の行状を見つめるばかりだった。王の命令だったのかもしれないが、誰も非道な殺戮に加わらなかった。

 王だけが、ひたすらに俺の仲間たちを斬っていた。

 その時、ようやく縄を解いたレイが、俺を押さえつけていた兵士に体当たりして叫んだ。


「逃げるんだ! 大事な約束があるんだろう!」


 叫びながら、レイは兵士の剣を奪いとる。拘束から抜け出した俺も、王に気を取られていた別の兵士に飛びかかる。彼を殴り倒し剣を奪うのは簡単だった。

 仲間の縄を解いてまわり、そこから乱闘が始まった。

 だが、多勢に無勢だ。剣を取り立ち向かった仲間も、どんどん数を減らしてゆく。

 レイは敵と切り結びながらも、俺に逃げろと何度も叫んでいた。なぜレイは俺を逃がそうとするのか。むしろ俺が戦っている間に、仲間を連れて逃げて欲しいというのに。ただ、この囲みを突破するのは、至難の業なのだが。


 目の前でまた仲間の一人が殺された。アベール王がニタリと笑う。

 怒りで、頭が沸騰しそうだった。コイツだけは絶対に斬ると、それしか考えられなかった。

 俺は雄たけびを上げて、王に突進していった。行く手を阻もうとする兵士をなぎ倒して、仇の首に近づいてゆく。

 だが、俺の反撃は王の鋭い一声ですぐに止むことになってしまった。

 

「ニアはあそこにいるぞ!」


 王が指さしたのは王宮の二階。

 窓の先、カーテンの向こう側にニアはいた。遠くても、灯りが少なくとも彼女だと俺には分かる。決して見間違えたりはしない。

 彼女は無事だった。

 ただ、一人ではなかった。ニアは男にしなだれかかっていて、男はそれを抱いていたのだ。

 息を呑んだ。寒気を覚えた。

 腕から、全身から力が抜けていく気がした。

 ニアは男に髪を撫でられながら、俺たちが殺されるのを眺めていたのだ。


――ニア……どうして。


 彼女の姿を見さえしなければ、アベール王が何を言おうがニアを信じていられただろうに。内通者は他にいるのだと。

 ガラガラと足元が崩れていくようだった。

 取り乱すこともなく静かに、いや冷酷に中庭を見下ろしているニアは、まさしく悪逆の王の血をひく娘だった。


――なぜ裏切った……。いや、初めからこうするつもりだったのか?


 俺は一体彼女の何を見ていたというのだろうと愕然とする。

 恐怖と当惑が俺の身体に取り付き、自由を奪う。重くなり痺れる手から剣は落ち、指の一本も動かせない。

 見たくないと思うのに、俺はニアから視線を外せなかった。

 男がニアのあごを指でつまむのを、呆然と見ていた。

 遠目でカーテン越しだからよく分からないが、男は多分ミラン王子だろう。ニアは完全に身を任せていた。ミランのキスを受け入れ、抱き合っていた。

 二人は婚約しているのだ。数日後にはニアはセデールに嫁いでいくのだ。キスすることに何の不思議があろうか。

 だが、俺を絶望させるには十分すぎる光景だった。


――なぜなんだ。全部嘘だったのか? 愛していると言ったのも、共に生きようと約束したのも……。なぜなんだニア! 俺をピエロにして陰で笑っていたのか! バカにしていたのか!


 ガクリと膝をついた俺の髪を、王が掴んだ。


「ニアと結ばれようなどと愚かな考えを抱かねば、誰も死なずに済んだものを! 今も、昔も、未来でも! 罪の贖いを忘れた大罪人め! ニアは絶対に渡さん! 私のものだ!」


 引き倒され、踏みつけられた。

 そして、俺を助けようと王に斬りかかったレイだったが、王の刃にかかり倒れてしまった。

 レイの死に顔が目の前にある。

 みんな死んでしまった。

 きっと今俺は、死に際のルッツのような顔をしていることだろう。


「許せるものか……。私から全てを奪っておいて、自分だけ愛を得ようとするなんて……。犯した罪の自覚もないなんて!」


 呆然と王宮を見上げた。

 二階の窓には、相変わらずニアとミランの姿。

 彼女はやはり俺を見下ろしているだけだった。何か声を発する訳でも無く。何か手振りで示す訳でも無く。俺たちが殺されるのを、ただ眺めていた。


――ニア!  ニア! どうして……! 何も思わないのか。これがお前が望んだものなのか! お前に恋したことが罪だというのか?!


「ニアーー!」

「黙れ! その名を口にするな!」


 王の絶叫が俺の胸を貫いた。

 重い衝撃の後、熱い滴りが身体を濡らしてゆき、急速に身体が冷えてゆく。ニアに捧げたはずの愛も一緒に零れて落ちてゆく。

 大罪人と呼ばれた俺は、一体どんな罪を犯したというのか。


「ニアはお前を愛しはしない。追ってくるなら、殺してやる! 私が貴様を何度でも殺す!」


 それが、俺が聞いた最後の言葉だった。

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