第22話 そして転がり始め
うん、まあ、もう予想はついてると思うけど、っていうかニアに裏切られたって初めに結論言ってたから分かるよな。
そう、脱出計画は失敗したんだ。
俺たちの行動は、全てアベール王に筒抜けになってたんだから失敗するのも当然だよな。まあ冷静に考えれば、情報を流したのがニアかどうか、本当のところは分からないんだけど……な。でも、スパイがいたのは確かだと思う。
急遽セデールの王子がやって来たのだって、俺たちを翻弄して嘲笑う為だったかもしれない。っていうかあの王子、アベール王とグルだったんじゃないかって思うよ。
あのミラン王子……婚約者だか何だか知らないが、馴れ馴れしくニアに近づきやがって。
ん? どうした? 王子の名前がなんだって? そうさ、確かにミランっていってたぞ。
え、ニアの記憶の中にもミランってヤツがいたって……? あの、舞踏会で火事がって言ってた……。マジか! そのミランはニアの従兄で、婚約者!
おいピピ、まさか同一人物だっていうのか?
どちらも婚約者……確かに共通してるけども……。いやいや、偶然の一致なんじゃないか。たまたま、同じ名前だっただけかもしれないし。
でも、可能性はある、のか? うーん……。
そりゃ、生まれ変わってる人間がいるのは分かるし、実際レイは今生では俺の弟だと思うし、エマもそうだって聞いたけど……。
でもさ、俺とニアの名前は便宜上今生の名で話したけど、前世では違う名前だったぞ。レイもだ。
なんであの王子だけ同じ名前なんだよ。しかもいつも婚約者って! つーか、俺より先にニアと知り合ってんじゃねえぇぇぇ!!
いや、ゴホン。大丈夫だ、落ち着いた。
今生でミランと出会ったかって? いいや、知らねえ。心当たりもない。
俺たちを邪魔する運命を持っているのかも、そう言いたいのか? まあ、ピピがそう言うんのなら、そういうこともあるのかもなあ……クソ、やっぱムカつく。
いやいや、邪魔してるといえばミランよりもアイツだ。あのアベール王だと思うんだが。
なんでって、そりゃ……ああ、そうだな。とにかく続きを話さないとな。
*
ミラン王子歓迎の宴が開かれたあの夜、俺とレイは王宮の広間に面した中庭に潜んでいた。植栽の陰から、密かに様子を伺うために。ルッツ伯爵が行動にでるところまでは、作戦通りだった。
彼が謀反の決定的な行動にでた瞬間、レイは仲間への脱出の合図を送る為に中庭を抜けて城外へと走る。
一方俺は中庭から
「……ニア、本当に後悔しないか? 二度とこの国には戻れなくなるんだぞ」
「リート、あなたは私に二度と会えなくなってもいいの? 私はもう、行くって決めたの。迷ってなんかいないの。だからあなたもさっさと覚悟を決めてちょうだい」
何とも勇ましい言葉だった。見つかれば、王女とて罪に問われかねないというのに、命をかけて父に逆らうことに微塵も尻ごみしていないのだ。無鉄砲な勇気に、思わず苦笑してしまった。
そして俺は彼女に負けじと、この先の未来を掴みとるのだと決意を新たにしたのだった。俺が彼女を守るのだと。
「さあ、リート。これが合い鍵よ。先に開けておいた方がいいわ」
宴が始まる少し前、俺とニアは最後の密会をしていた。そして書物庫に潜んでいた俺にニアは二つの鍵を握らせた。人目を忍び扉の内と外に隠れて、そっと。
一つは厨のすぐ近くにある、使用人たちが使う通用門の鍵。ここから俺とニアは王宮を脱出する。もう一つの鍵は、搬入用の門の鍵だ。レイが農園の仲間のもとへ向かうときに使うのだ。
予め開けておき、すぐに逃げられるようにしておけということだ。この鍵があれば随分逃げやすくなる。ニアには感謝しかない。
「厨へは迷わずに行けるんだな?」
「もちろんよ」
「反乱の成否は確認しないぞ。お前が来たらすぐに逃げる」
「ええ……それでいいわ。でも、もしも……もしもよ、厨に私がいなかったら先に逃げてね」
「何言ってるんだ、待つよ」
「だめよ、危険だから。必ず後から行くわ。だからお願い、先に行って」
「無理だ。一緒に逃げなければ、二度と会えなくなる! 後から君が一人で追ってこれるはずがない!」
「大丈夫よリート、ルッツ伯爵たちが助けてくれるから。それにこれは「もしも」の話よ。ちゃんと厨に行くわ」
「ああ頼むから、そうしてくれ」
「ええ。でも忘れないで。「もしも」の時は先に逃げて。私は後から絶対に行くから……。ね、リート」
つぶらな瞳に涙を貯めて、ニアが俺を見つめていた。
彼女は俺の身ばかり案じているのだ。健気を通り越して、彼女の献身は俺を苦しめさえする。恋人を守りたいと思うのは、俺だって同じだというのに。
どこまで俺は彼女の愛情に甘えていいのだろう。
「ああ……」
俺は小さく頷くしかなかった。押し問答をしている暇はなく、「もしも」の時がこないことを祈るばかりだった。
ニアは俺の返事を聞いて満足してくれた。そして宴の準備のために、戻っていったのだった。
彼女が立ち去り充分な時間をおいてから、俺も持ち場に戻るべく書物庫の扉に手をかけた。その時、地下の部屋にある振り子時計がボーンと大きな音を鳴らし、俺は一瞬動きを止めた。
――ゆらりゆらゆら振り子のように……
かすかに歌が聞こえたような気がした。それは女の声だった。
ニアとの密会を見られたかと緊張し、気配を探ったが誰もいなかった。だが、言いようのない不安に駆られて、俺は足早にその場を去ったのだった。
宴が行われている広間では、多くの貴族がにこやかに歓談している。それを一望できる一段高い場所に、王とニアそしてセデールのミラン王子が座していた。その周囲にセデール側の従者とアベール王の従者が並んでいる。
賑やかな楽の音が響き、華やかな踊り子が舞いを披露する。人々は笑いさんざめいていた。続いて音楽はワルツに変わりダンスタイムとなった。
ここでニアはミラン王子に声をかけるのだ。少し踊りませんか、と。
俺は固唾をのんでその様子を見つめる。
王は行っておいでとばかりにフロアを指さし、二人は微笑みをかわすと、手を取りあってフロアに降りた。予定通りだ。
そして楽し気にワルツを踊り始めるのだった。
忌々しさに歯噛みしたが、ここはぐっと堪えるしかない。
俺とレイが息を殺して見守る中、宴は順調に進みルッツ伯爵は、アベール王の前へと進み出た。
重臣たちは高位の者から順番に王に酒を捧げるのが、宴での慣習だ。ルッツは従順に穏やかに王を称える口上を述べる。
アベール王はうっすらと笑い、それに鷹揚に頷いていた。彼は既に杯を重ねていて、かなり酔っているように見えた。
王は捧げられた酒には必ず口をつけなければならないが、残してもよい。だが今回の宴に限っては全て飲み干していた。余程、娘の婚約披露が嬉しいのだろうか。終始、彼はにこやかだった。
酒を捧げる際、重臣は自らグラスに酒を注ぎ一口飲んで毒見をし、そのまま王に手渡す。衆人監視の中であり、すり替えは不可能だ。それ故に、普段から毒見を怠らず用心深いアベール王も、気を緩めているようだった。
王はひざまずくルッツ伯爵の前に立つ。かなり機嫌の良い様子だ。
俺は、一瞬ニアに視線を移した。彼女は踊りながら王から離れゆく。そして、口実をつくってミランからも離れて、厨へと移動するはずなのだ。
これから後に起こることは、できれば彼女には見せたくない。早く広間を出てくれることを祈った。
そして、予定通り広間を後にする彼女の背中が見えたことに安堵した。
俺はレイに農園のみんなに合図をするように指示を出した。彼は即座に動き、ここから俺たちは別行動となった。
ルッツはグラスを顔の前まで掲げ持ち、そして毒見をする。そして、王の治世の永遠ならんことを、と乾杯の常套句を述べた。
それが合図だった。いや、合図のはずだった。
ルッツの配下は既に彼の周囲にいる。いつでも王に斬りかかれる距離に。しかし、誰も動けなかった。
それもそのはずだ。彼らのリーダーであるルッツが、突然唇から血をこぼして膝をついたのだから。
一瞬、何が起きたのか、俺にも分からなかった。毒をあおるのは王のはずだったのに。ゾクリと背筋に冷たいものが流れ、俺は後退った。ここを離れるべきだと、直感が命じていた。
広間に動揺が走る。ざわつきの中からルッツの必死な叫びが聞こえた。
「ひ、怯む、な……!」
ルッツの仲間は慌てて抜刀したが、その時にはもう王の護衛兵たちに取り囲まれていた。アベール王は先程までと変わらず、うっすらと笑っていた。いや、うっとりと、と言うべきか。
広間はあっという間に戦場となり、悲鳴と怒号に溢れた。
目も当てられなかった。この先にあるのは、無様な敗北だけだろう。順調に進んでいると思っていたのに、一瞬で奈落へと転がり落ちていくようだった。
俺は歯噛みしながら中庭を走った。ニアとの待ち合わせの場所、厨へと。
反乱は失敗だ。こうなっては一刻の猶予もない。即座に、彼女をつれて逃げ出さなければならない。ルッツらの起こす反乱に乗じて逃げるはずだったのに、これでは時間稼ぎにもならない。農園の仲間たちも逃げきれるか心配だった。
計画はアベール王に漏れていたのだ。そうとしか考えられない。王に盛るはずだった毒を、ルッツ自身があおってしまうなんて。
ルッツが用意したのは普通の酒だ。毒はグラスの縁に塗ったのだ。彼は毒のない一部分から飲んでみせ、王にグラスを渡すはずだったのだ。
――裏切り者がいたんだ。
そうとしか考えられなかった。裏切り者が酒に毒を混ぜたに違いない、と。
一体誰がと、悔しさに歯噛みした。そして、ニアはちゃんと厨にたどり着いているだろうか、と不安が増して来る。裏切り者が何処まで計画をぶち壊しにしたのか、全く分からないのだから。とにかく急がなければと、俺は焦っていた。
幸い追ってくる足音は聞こえず、隠れながらの走りだったが俺はなんなく待ち合わせの場所につくことができた。
用心しつつ厨の扉の前に立ち、ニアは来ているだろうかと聞き耳を立てる。少しして扉がほんの少しだけ開き、女の細い指が見えた。ニアだ。良かった、間に合ったと、俺はホッと息を吐いた。
書物庫の時のように、扉の内と外で俺たちは小声で話した。
「ニア、急いで逃げるぞ」
「……先に行って」
ニアの押し殺した声は緊張しているのか、震え上ずっていた。なぜ出てこないのかと、急速にまた不安が襲ってくる。
「どうした? 何かまずい事でも起きたのか?」
「大丈夫。すぐに行くから……」
「何を言ってるんだ。一緒に行こう」
「ダメ。今私が行ったら見つかってしまう……お願い、行って……」
口に手を当てているのか、少し聞き取りにくい。今にも泣きだしそうなくぐもった声。彼女もまた不安に駆られているように思えた。
俺は一体何があったのかと困惑した。悠長に話していられないし、後からニアが追いついてこれるとも思えなかった。ルッツは倒れてしまったのだ。
俺は扉を開けて、ニアがなんと言おうとも連れて逃げようと思った。
だが、その瞬間扉は閉ざされてしまった。ガチャリと鍵の締まる音までして。
そして、バタバタと誰かの足音が聞こえた。
「……行って」
微かな、本当に微かな声が聞こえた。お願い、と。
俺は唇が裂けるほど噛みしめて、扉を睨んだ。
「さあ、姫。あちらでミラン王子がお待ちですよ」
女中の声に続き、なにやら小声で話した声が聞こえる。そして、部屋を去っていく足音も。
俺は愕然と、目の前の木戸を睨み続けた。ニアを連れ出すのに失敗してしまった。
――ニアは俺を逃がす為に、時間を稼ぐために、先に行けと言ったんだ……。でも、俺はどうすればいい……。一人で逃げるなんてできない。どうすればニアを連れて行ける?
動揺し、頭は混乱して考えがまとまらない。
項垂れてふと足元に目を落とすと、封筒が目に入った。いつの間にか扉の下から出されていたようだ。
――ニアから?
俺は封筒を手にとった。
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