第21話 そして時は狂い

 国境警備から戻された仲間の大半は農場に連れて行かれ、幾つかの小屋に分かれて暮らすことになった。俺がこのアベールに来た時、馬方の仕事をくれると騙され眠らされ、気が付いたときにいた地下室があるのもその小屋の一つだった。

 そこに何十人もの仲間が押し込められることになったのだが、元から農園で働かせられていた子どもや年とった者たちも沢山もいるわけで、人数が増えたことで環境は劣悪なものになってしまった。


 それとは別に俺を含む数人は、雑務要員として王宮の隅にある下働きの奴隷用の部屋に放り込まれることとなった。これまた環境は劣悪だったが、それでも王宮の一角に住めるので、脱出計画を進めるのには都合がいい。何よりニアに会いやすいのだから、俺個人としては全く不服は無かった。

 俺とニアは密会を重ね、少しづつ脱出準備を進めていったのだった。


 深夜、俺は灯りも持たずに部屋を抜け出すと、王宮の離れにある書庫に忍び込んだ。とある貴族との秘密の会合のためだ。誰にも見つかってはならなかった。

 俺は書庫の地階へと侵入してゆく。ニアとの密会にも、この書庫をよく使っていたから、勝手知ったるものだ。

 この時の密会の相手は、アベール王国内の不満分子の代表ルッツ伯爵だった。彼は反乱を起こそうとしているのだ。

 対して、俺は脱走を目論む奴隷の代表であり、どちらもアベール王に歯向かおうとする者同士ではあるが、立場は全く違う。通常なら、決して同志にはなり得ない関係だ。

 だが、利害の一致をみれば協力し合うことはできる。すなわち害はアベール王の圧政であり、利は害を排除すれば得られる自由だった。

 ニアの協力と口利きのもと、俺たち流浪の民は王暗殺を画策する反王派と協定を結ぶことになったのだ。


 地下の部屋に到着すると、既にルッツ伯爵が待ち構えていた。かび臭い部屋の中は重い空気に包まれ、伯爵の背後の柱時計は振り子が揺れる度に小さくギシギシと音を鳴らしていた。

 この秘密の会合が、緊張した雰囲気になるのはいつものことなのだが、この日は特にピリピリしていた。

 ようやく練り上げた計画を、急遽変更せざるを得なくなってしまったのだから。その焦りと不安が、部屋の空気を一層重くしていたのだ。


 計画の要となるニアの到着が遅れていることを確認し、ルッツ伯爵が俺にそっと耳打ちしてきた。


「姫には王を軟禁し御退位頂くと申し上げているが……我らは討つつもりだ。あの王を甘くみてはいけない」


 厳しい目をしていた。

 俺はやはりなと思った。この男が王を捕えると言った時の方が意外だったくらいなのだ。ニアの手前、殺すとは言えなかったのだろう。


「俺も……そう思う」


 同じ考えだった。ニアに言えなかったもの彼と同じだ。

 俺や反王派にとっては害悪でしかない彼だが、彼女にとってはたった一人肉親である父親なのだから。

 ルッツは軽く頷き、言葉を続けた。


「父親が殺されると知れば、姫のお心は我らから離れるやもしれん。だからお前も決して口外はするな。それから、我らは祖国の為に立った。激しい戦いになると思う。想定外の事情も加わってしまったからな。だから、お前たちの命の保証や脱出の手伝いまではせんぞ。むしろ我らの邪魔になるようなら、切って捨てる。せいぜい、混乱に乗じて上手く逃げ切ることだ」

「ああ、分かっている」


 なかなかに厳しい言いようだが、前もって言ってくれるだけマシだ。それだけ、いざ事が始まれば城内は混乱することになると教えてくれているのだから。

 俺たちは、内乱に関わることなく仲間と脱出することに専念すればいいのだ。





 初め、ニアは流浪の民の解放を、信頼できる護衛騎士でもあるルッツに相談したのだが、その為にはアベール王を倒さねばならない、国を変革しなければならないという話にすり替わっていたらしい。確かに彼の言う通りなのだが。

 思わず頷いてしまったニアは、いつの間にか反乱分子の旗印に祭り上げられてしまっていた。

 元々反乱の機運が芽吹いていただけに、王女を得たルッツらの勢いは驚く程強かった。俺やレイなどまったくお呼びではなかった。というより俺たちの脱出など、彼らにとっては暗殺計画のついでのようなものだったのだ。

 そしてそんなルッツ伯爵らの熱気に当てられたのか、健気にもニアは王女として国を立て直すのだと、決死の覚悟を持つに至ってしまった。父の犯した過ちを許してはならないと。


「もっと早くに気付くべきでした。父を諫めるのは私の役目だったのに……。しかし悔いてばかりはいられないわね。私は私の務めを果たさなければ……」


 俺はここで彼女とお別れになるのかと、胸の苦しさや寂しさを感じていた。だが、そもそも奴隷に落とされた身と、お転婆とは言え姫君では釣り合うものでは無い。おまけに、気持ちをちゃんと伝えた訳でも、ニアが俺をどう思っているのか確かめたわけでもない。

 父に逆らって国の為に立ち上がろうとしているニアに、一緒に逃げてくれなんて言えやしなかったのだ。

 計画も練りあがり、俺はニアと会える一日一日を噛みしめながら、脱出に向けて仲間と連絡を取り合い、慎重に準備を進めていったのだった。


 しかし、突然事情が変わってしまった。

 隣国セデールの王子がアべールにやって来るというのだ。寝耳に水な話だった。この王子の来訪により、俺たちの計画はガタガタと崩れてしまったのだ。


 当初の予定では、この二ヶ月後のニアの誕生祝いの宴の夜、貴族たちは決起し俺たちはその混乱に乗じて逃げ出すはずだった。

 アベール兵は反乱を鎮めることを優先するだろうから、多少の交戦はあっても深追いされることもないだろうと考えた。

 だが時期を早めなくてはならなくなったのだ。一週間後のセデールの王子の歓迎の宴の夜に。

 ルッツらの準備が整うのか怪しいにも関わらず計画を早めたのには、訳がある。

 それはセデールの王子とニアの婚約が発表されたからだ。そして王子は帰国の際に、ニアを祖国に連れ帰るというのだ。


 つまり、二ヶ月後のニアの誕生日に彼女はアベールにいないのだ。当然、祝いの宴は行われない。当初の計画は破綻したのだ。

 ニアがアベールを離れてしまったら、何もかもが終わりだ。ルッツは王女を擁して反乱を起こそうとしていたのだから。

 絶対にニアをセデールに渡してはならないと、ルッツは息巻いていた。

 そして俺もそれには強く賛同した。かなり個人的な感情が絡んでいたのだが。

 ニアと二人で話した時、彼女もひどく取り乱していた。三者三様ではあるが、ニアをセデールに行かせないことは一致していた。


「いや。いやよ。セデールになんて行きたくないわ! 結婚なんてしたくないわ! お父様はもう十年も前から婚約済みだなんて言うけど、私は全く聞かされていなかったのよ! 嫌よ結婚なんて。だって私は…………ああ、違う……私ったらバカね、そんな我がままを言ってる場合じゃないのに……。私がセデールに行ってしまったら、この国は変えられないわ……みんなは、リートは奴隷のままになってしまう! ああ、リート、今すぐ逃げて! みんなと逃げて!」


 ニアは俺の腕に縋って泣きじゃくっていた。

 結婚を拒む気持ちと、計画に狂いがでた焦りや、そもそも反乱を首謀することへの恐怖心もあり、彼女は酷く動揺していた。

 セデールの王子との面識はあるらしい。けれどそれは幼い子どものころの話で、今ではその記憶もおぼろなのだという。その王子は、ニアの二つ年上で俺と同い年。思い出の中でぼやけた王子は未だ子どものままで、現在の姿などまるで分からないそうだ。


 どう彼女を慰めればいいのか、分からなかった。

 俺自身が、彼女をセデールの王子に彼女を奪われるのかと動揺して泣きたいくらいだったのから。

 それでも何とか気を持ち直し、計画を成功させるのだと誓いあったのだった。


 俺たちの脱出の手順自体は変更はない。

 城詰の俺とレイは、宴の最中ルッツらが事を起こしたら即座にのろしを上げて、農場の仲間に脱出の合図をする。すると仲間たちは一斉に、城壁を目指して走ることになっている。もちろん俺たちも騒ぎに乗じて城をでる。

 城壁に到着する頃には、門番や壁を警護する兵士たちも城の異変に気付き慌てふためいているだろう。彼らのスキをついて壁を乗り越えるのだ。その為の準備はもう整っていた。


 ただ、ルッツらの方は事情が違っていた。毎年恒例のニアの誕生祝いの席とセデールの王子の歓迎の宴では、出席者が違う。セデール王国の人間の動きが最大の懸案だった。

 王子は傷つけずに、アベール王だけを倒さねばならない。でなければ、首尾よく王を倒せてもセデールとの間で争いがおきるだろうから。

 ただし、それはアベール貴族の問題だ。俺たち流浪の民には関係のないことだ。

 しかし、俺はニアの身を護る為にも、決起するからには必ず成功させてくれと祈らずにはいられなかった。





 遅れて書庫にやってきたニアと、俺たちは計画の最終確認をし、その後ルッツ伯爵は去っていった。

 ニアと会えるのも、もうあと僅かしかないのに、俺は何を言えばいいのかもわからず黙り込み、彼女のドレスの裾を飾るレースをぼんやりと見つめるばかりだった。

 先に動いたのはニアだった。ゆっくりと目の前まで来て、俺の手を取った。

 ドキリとして、俺は顔をあげた。

 涙を目にいっぱいに溜めて、彼女は俺を見つめていた。俺もじっと見つめ返した。彼女は何も言わなかったし、俺も何も言わなかった。

 ただ、気が付けば彼女を抱きしめていた。


――連れて逃げたい……


 このまま彼女と別れて生きていける気がしなかった。

 ニアの耳元にそっと唇を近づけた。前もって用意していた言葉ではなかった。言ってはいけない、そう思っていた。それなのに思いは易々と唇を割ってしまう。


「ニア、君に会う為に俺はアベールに来たんだと思う」


 俺の胸に頬を寄せるニア。その髪の匂いを吸い込むと、ジンと胸が震えた。


「どんな苦しみも、君と出会うために必要なことだったんだって分かったんだ。だからもう後悔しないし、恨みも忘れる。ニア、ずっと一緒に居たい。君を連れて行きたい。離したくなんだ。やっともう一度・ ・ ・ ・会えたんだから……」


 ぐっと彼女を抱きしめた時、ボーンと柱時計が鳴った。正時でもないのに突然と。

 なぜ、もう一度会えたなどと口をついたのか、分からない。でもずっとずっと昔から彼女を知っていたような気がしてならなかったし、二度と離していけない相手なのだと強く確信していた。

 柱時計が、狂った時を報せ続ける。まるで、急かされているようだった。抗えない大きな力が、俺たちに決断を迫っているような気がした。

 ニアが震える声で囁いた。


「リート、私ついていっていいのね……」

「ああ。でも、この国を捨てることになる……」

「ええ、構わないわ。全部捨ててもいい。私も、貴方に会う為に生まれたんだって分かったの。決めたわ! もう、この心は引き返せないんだもの! 裏切り者と罵られてもいい。父が滅んでもいい!」


 彼女の激しい言葉に、不思議な懐かしさを感じながら、俺は夢中で抱きしめ何度も口づけていた。決してニアを離すものかと、この時覚悟を決めたのだった。

 ニアを連れて遠い異国に逃げるのだ。仲間に迷惑をかけないように、まだ見たこともない遠い国を目指すのだ。

 どんな困難も乗り越えて見せると決意し、ニアと夫婦になろうと約束を交わしたのだった。



 しかし、今思えば、アベール王は何もかもお見通しだったのかもしれない。


 

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