第20話 そして信じたが

 翌日もニアは、非正規隊の詰め所にやって来た。

 ちなみに今度は上からではなく、外からだ。どこで見ていたのか、俺が一人になるのを見計らって、彼女はひょこっと窓から顔を出したのだ。

 俺は呆れつつもまた会えたことが嬉しくて、招かれざる客を招きいれたのだった。

 ニアは、昨日あの後で教師に叱られてしまっただとか、夕食は美味しかったけどスイーツがなかったのが残念だったとか、わざわざ人の目をかいくぐって来たくせにそんな他愛のない話ばかりして笑っていた。

 でも、俺もロープを片付けていたらアベール兵に見つかって、誤魔化すのが大変だったんだぞ、と笑いながら真剣みのない恨み言を言っていた。


「それにしても不思議なんだけど、どうして国境警備兵にはあなたのような外国の方が多いの? 傭兵だと聞いたけど、きっと遠い国から来たのでしょう? どうしてまた、こんな辺鄙な国へ?」


 ひとしきり戯言を言い合った後、ニアは小首をかしげて問いかけてきた。

 やっぱり、この姫は何も知らないのだ。自分の父親が何をしているのかを。無邪気にも俺たちが自ら傭兵に志願してきたと信じているのだから。

 俺は騙されて兵士になった経緯や、アベール王の行いを彼女に話してやった。一応気遣ってなるべく残酷シーンは省いたし、個人的な感情は加えず出来事のみを淡々と語ったのだ。

 それでも処刑いう単語を使う度に、ニアは恐ろし気に眉をひそめだんだんと元気をなくし、仕舞いにはすっかり項垂れてしまった


「だから、ここにいる非正規兵も、農園で働かされている奴隷もみな攫われてきた流浪の民だってことさ……」


 ニアは事実を知るべきだと思った。

 アベール王の罪はニアの罪ではない。しかし、無知なままでは父王と同罪になってしまうような気がしたのだ。たとえ故意に知らされなかったのだとしても。

 俺の勝手な願望かもしれないが、きっとニアは父王の行いは正義ではないと理解してくれるはずだと思った。彼女の心根は純真なものだと俺は信じたのだ。

 そして事実を知った彼女にこそ、この国の「間違いを正す」ことができるのではないかと。


「なんて言えばいいの……。つらかったでしょう? ごめんなさい」


 ニアの頬に涙が伝った。

 チクチクと胸が痛かった。昨日、彼女が上の階から降りて来る前は、父王の悪行をぶちまけて彼女の傷つく顔を見てみたいなどと意地の悪いことを考えていたのに、実際に目の当たりにするとなんだか胸が悪かった。

 悪いのは彼女じゃない。アベール王なのだ。


「姫さんが謝ることじゃないし……」

「でも私の父がしたことなのに、私はなんにも知らなくて……。何も知らずアベールは平和で豊かな国だと信じて……ああ、なんてバカなのかしら」


 いや、反対だ。十分聡明だ。俺はそう思った。

 彼女は今まで感じた僅かな違和感の数々、例えば女中や護衛がころころ代わることや、この数年農園を見せてもらえなかったこと、つい最近まで非正規隊の存在を知らされていなかったことなどを、即座に父王の暴虐と結び付けることができた。その暴虐こそが、今宮廷を支配している重苦しい空気の原因なのだと理解したのだ。

 そして更に、このままでは廷臣らが謀反を起こすだろうことまで予測してみせたのだ。

 彼女には理由を知らされなかった大臣の罷免や更迭が幾度もあり、廷臣たちの間には不安や不満が鬱積しているように見えるという。何かきっかけがあれば、その不満は一気に爆発するだろうと。

 俺にはうかがい知れない宮廷でのやり取りから、彼女はそう考えた。


「もしもそうなったら、きっと私にはどうすることもできない。あなた方も巻き込まれるわ。理不尽に奴隷にされた挙句に、もっと酷いことに……。リート、逃げるべきよ。内乱が起きる前に」

「そうは言っても、姫さん……」

「ニアって呼んで。こんなこと、あってはならないわ。奴隷だなんて、人が人を踏みにじるなんて……どう償えばいいのか分からないけど、私あなた方がここから出られるように協力する」


 ニアの目は真剣だった。嬉しい言葉だった。

 俺やこの砦にいる仲間だけなら、実を言えばいつでも逃げられたのだ。このところ、正規兵たちの監視は緩んでいたのだから。

 夜の闇に乗じて北方民族の領土に入り、大きく東に迂回してから南を目指せばいい。北方民族は西に都を移してしまったから、敵地はいまや伽藍洞になっているのだから。難なく通り抜けられるだろう。

 だがそれをしなかったのは、農場で働かされている仲間の存在があったからだ。俺たちだけが逃げれば、彼らはきっと殺されてしまうに違いない。仲間を見捨てるなんてできやしない。


 と、足音が聞こえてきた。音の主がアベール正規兵だったら、ニアと一緒に居る所を見られただけで首が飛ぶ。

 慌てて俺はニアを抱え上げ、窓の外へと出した。隠れるようにいい、外を眺めていたフリしながら扉を振り返ると、やって来たのはレイだった。ふうと息を吐く。


「どうした、リート?」

「いや……今、とんでもない闖入者がいたもんだから」


 窓を外を示すと、レイは不思議そうな顔で覗き込み、そして固まってしまった。

 アベールの姫がポリポリと頭を掻きながら照れ笑いしているのを見てしまったら当然だろう。


「リートォォ! 今すぐこの部屋を出るんだ! 俺たちは何も見てない、何も聞いてない! そう、何も知らない。いいな! 俺たちは誰も見てないっ!!」

「レイ、落ち着けよ。大丈夫だって」


 化け物でも見たかのように、顔面蒼白になって部屋から逃げ出そうとするレイを捕まえ、苦笑しながらも懸命に宥めたのだった。逃げたり恐れたりする必要はないのだと。

 俺にとってニアはもう、警戒する相手でも無ければ、無関係でいられる相手でもなくなっていた。信じ心を開ける、そして胸を甘くときめかせるただ一人の女性になっていた。

 必死に説明する俺の切実な気持ちが伝わったのか、レイはあきれ顔をしながらも、最後には信じるよと言って笑ってくれた。




 その日から俺とニアとレイ、三人の秘密の企みが始まったんだ。その脱走計画は、主にニアの情報に頼ったものだったのだが。

 囚われた仲間たち全員でアベールから逃げるために、俺たちは何度も語り合った。アベール兵に見つかれば即処刑されてもおかしくない、とても危険な行動だったのに、むしろあの日々は楽しい記憶として残っている。ニアと会う度に、彼女への思いが強まっていたのだ。そしてニアも俺の思いに応えるように、熱いまなざしを向けてくれるようになっていったのだ。

 恋に溺れてよい状況ではないと、重々承知してたのに、俺はニアを連れて逃げたいという思いと、いやそれはできないと揺れる心を抱えていた。

 それでも、今思えばあの頃が一番幸せだったのだと思う。


 その後王宮へ戻ったニアの働きかけで、非正規隊は解散され国境警備から解放されることになった。そして全員、農園に戻されたのだった。俺たちの脱走計画はここから本格的に動き始めることになるのだ。

 だが、あの計画は本当に実現可能だったのだろうか。隠された意図があったのではないか。何者かが裏で糸を引いていたのではないか。

 記憶が甦った今、そんな疑問が湧いてきている。







「ニアは優しいから、リートたちが奴隷にされてるなんて許せなかったんでしゅね。大好きなリートを守ろうと! ああ、なんて素敵なのでしょう」

「……いや、好きとは言われてねえし」

「照れちゃって、このこの。言わなくったって、ちゃんと分かってるくせにぃ」


 肘でわき腹をグリグリしてくるピピは、近所の噂好きなおばさんみたいにムフフと笑っていやがる。もっと幼児らしく可愛らしく笑って欲しいものだ。


「あ、リートから告白したのでしゅね!」

「…………っていうか、それは今は関係ない。脱走計画の話してんだ!」

「しょうでした。リートはどうして疑問に思うのでしゅか?」

「あの計画はニアの発案で、しかもニアのせいで破綻したからだよ」

「え……?」

「肝心なところで裏切ったんだ、あいつは。……いや、初めから陥れるつもりだったのかもしれない」


 言葉を吐き捨てる俺の服を、ピピがぐいと引っ張った。そしてブンブンと頭を振る。


「で、でも、それはきっと誤解なのでしゅ! これは手違いなのでしゅ。さっきリートが、火事が起きているのにニアを見捨てるはずがないと言ったように、ニアだってリートを陥れたりなんて絶対、絶対しないでしゅ!」


 ピピが俺の顔を覗き込んでくる。

 彼女の潤んだ目は、なんだかニアに似ているような気がした。王宮から脱出する間際、後で落ち合おうと約束して別れた時のニアの目にとても似ているのだ。


「昼間は離婚しゅるって言ってたけど、リートは歩けないニアを連れて一緒に避難してるでしゅ! リートはニアを見捨てたりできないのでしゅ! ニアも一緒なのでしゅ! リートを裏切ったりしないでしゅよ!」

「確かに何か手違いがあったんだろうよ。俺だって、なんであいつが手のひらを返したのか分からないんだ。手違いだって信じたいさ……でも」


 俺はピピを引き離し、目を逸らした。


「……あいつは、あいつは俺じゃない男の腕の中に……婚約者に抱かれていたんだ。俺たちがアベール兵に捕らえられ、次々と首を落とされている時に!」

「…………」

「見間違いなんかじゃない! あれはニアだった。カーテンの向こう側、男と抱き合ってたんだ!!」


 あの光景を思い出すだけで、喉が詰まり息が止まりそうだ。嫉妬というよりも、絶望によって。

 仲間を目の前で殺され自身にも刃が襲ってくる。共に逃げようと約束した女は、別の男の腕の中。

 一体、あの時何があったのか知りたくてたまらない、と同時に恐ろしくもある。始めから俺たちを一掃するための罠だったと、初めから愛してなんかいなかったと、そんな言葉が返ってくるのが怖いのだ。


 ピピの小さな手が、強く握った俺の拳にそっと重なった。


「神しゃまのところにもどって、運命の書をちゃんと読んできたのでしゅ。詳しい成り行きは分かりましぇんでしたが、お二人は祖国を離れて遠い異国で幸せに暮らしたと書かれていたのでしゅ。それが本来の運命だったのでしゅよ。それが、どういうわけか……。だから、どうかニアを信じてくだしゃい」


 つぶらな瞳に涙をいっぱいに溜めて、ピピは俺を見上げていた。


「どんな手違いが起きたのかを知るために、リートは今お話をしているのでしょう? どうか、先入観やネガティブな感情は抑えて、思い出したことを話してくだしゃい。願いいましゅ。ピピはお二人の味方でしゅ。お二人を幸せにしたいのでしゅから……」


 ピピに見つめられて、そうだったと、俺は苦笑を浮かべる。

 何処でどんな手違いがあったかを、真実を知るために話をしようと思ったのだ。感情に揺さぶられてはいけない。

 ピピの頭をそっと撫で、ありがとうと呟くのだった。


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