第19話 そして突然に
兵士になった俺は、幸運なことになんとか生き抜いていた。囚われてから三年が過ぎ、その間にレイも農場から戦地へと配置転換されて再び会うこともできた。
俺たちは、絶対に生きて仲間のもとに帰ろうなと誓いあって懸命に戦った。忌々しいアベールの繁栄の為なんかじゃない、自分たちの自由の為にだ。
動機はともかく、俺たちアベール非正規隊――と呼ばれていたが、飾らずに言えば奴隷軍団――は勇敢に戦い、遂には敵の砦を落とすことに成功したのだ。
そして、北方民族は都を遥か西方に移し、逃げるようにアベールから遠ざかった。これで国境での戦闘は終わった。
アベール側から仕掛けなければもう戦は起きないはずだ。逃げた北方民族を追って進軍する必要はもうないだろう。
だから俺は、直に解放されるされるかもしれないと期待し始めていた。
ニアに出会ったのはそんな頃だった。
夏の熱い日差しを避けて、俺は泉のある林へと向かった。国境警備を交代し休憩時間になると、泉で汗を流すのが日課だった。
アベールは北国だが、やはり夏はそれなりに暑い。じりじりと焼けた肌に冷たい湧き水を浴びて、俺はホッと息をつくのだった。
この頃は、戦果を挙げた直後ということもあり、気をよくしたアベール正規隊との関係も平穏だった。
俺たちは決して気を許さなかったし心の中では舌を出していたが、彼らに従順に従ってやったので信頼を得られたようなのだ。監視の目も、行動の制限も緩くなっていた。
だから、俺は一人で泉で水浴びなんてこともできたのだった。
裸になって泉に飛び込み、頭の先まで浸かって涼を楽しむ。
手足がジンジンしてくるまで、たっぷりと冷水を堪能するのだ。そして、岸に上がって寝ころび全身に日の光を浴びてから、また水に飛び込む。それをいつもなら二、三度繰り返していた。
しかしこの日は、王城からの視察を迎える為に、早めに砦に戻らなければならなかった。のんびり甲羅干ししている時間はない。
――ったく、視察だかなんだか知らないが、アベール人同士で勝手にやってりゃいいのに。なんで俺らまでお出迎えしなきゃならねぇんだよ。
俺はブツブツとこぼしながら、泉の縁の岩に手をかけザバっと水を割って身体を持ち上げる。
と、立ち上がった瞬間、俺は固まってしまった。心臓が口から出るかという程驚いていたが、声は全くでなかった。
何故か、目の前に女が居たのだ。アベール人の若い娘だ。
彼女もカチンコチンになって俺の顔をじっと見つめていたが、ススッと視線が下がっていった。
「キ、キャーーー! イヤーーー!!」
俺の代りに彼女が叫んだ。全裸を見られたのは俺なのに何故だ。
先に言うと、この女がニアだったんだ。ニアの奴、俺の股間を見て悲鳴を上げやがったのだ。俺が見せたんじゃないし、そんなに凶悪なモノは付いてないってのに。
俺は思わず横っ飛びに飛んで、岩陰に隠れた。心臓が暴れまわって、目が回る。一体何が起きた、なぜここに女がいる、砦に女なんかいないはずなのに、いやそれより冷静に考えるんだ、と自分に言い聞かせた。
ここは慌てず騒がず、自分はただ水浴びをしていただけだと説明して、さっさと立ち去るのが得策だろう。脱走兵と思われて捕えられてはたまらない。
しかし厄介なことに、駆け足でやって来る複数の足音が聞こえてきたのだ。
「姫っ! どうされました! 曲者ですか!?」
姫という単語に「ああ詰んだな、短い人生だった」と俺は泣き笑いをしたものだ。どうか素っ裸で殺されるのだけは勘弁して欲しいと、神に祈るのだった。
隠れているのが見つかったら、悪ければ姫を襲おうとした強姦犯に仕立て上げらるだろうし、良くても変態だろう。
死ぬ思いで息を潜めていたら、意外にも落ち着いた声が聞こえてきた。
「いいえ、大丈夫です。いきなりヘビがでてきたので、びっくりしただけなの」
――誰がヘビだ!
「あちらの草むらに逃げたようですので、見に行ってちょうだい」
彼女がそういうと、俺が隠れている岩の前を通り過ぎて、バタバタと足音が走っていった。残ろうとした男にも、いいからヘビを捕まえてと言って彼女は追い払ってしまった。
そして、小さな声で言った。
「……あの、ごめんなさい。今のうちに着替えられますか?」
「お、おう……」
「すぐに立ち去りますから……」
しばらくして、草むらの奥からヘビを仕留めたぞと男の声が聞こえてきた。
そして、ここは危ないからということで、彼女たち一行は早々に去っていった。
どうやら、俺は彼女の機転で救われたらしい。というか、彼女の悲鳴が俺を窮地に陥れたのだから、責任とって助けて当然ともいえるのだが。
それにしても、本当にヘビがいてくれて良かった。居なかったら、あちこち探し回られていたかもしれない。
とにかく、これがニアとの出会いだった。
彼女の名前を知ったのは、王都からやってきた視察団の前に整列して挨拶をさせられた時だ。要するにニアが視察人だったのだ。王の遣いで来たくせに、砦に直行せずに寄り道してやがったのだ。
ニアは父である王からの手紙を堂々と読み上げ、これからも国境の守りをよろしくお願いしますと結んだ後、俺を見つけたらしく一瞬ポカンとした顔になった。
こっちは、まずい見つかってしまったと青ざめそうだったのに、ニアは少し頬を赤らめていた。そして視線を俺の顔から徐々に下すもんだから、止めろそこを見るな思い出すなと叫びたくてたまらなくなった。
ため息をつきながら、俺は詰め所の窓から外を眺めていた。見えるのは砦を囲む壁だけで目を楽しませるものは何もなく、俺はただぼんやりとしていただけだった。
非正規軍の解散は無かった。視察が来ると聞いた時、僅かながらに期待したのだが、やはり国境警備は続けなければならないようだ。
一体いつになれば解放されるのだろうか、もしかしたら一生のこのままなのだろうかと憂鬱になる。
王の言葉を代弁する王女の姿を思い出し、チッと舌を打った。あの誇らかな顔は、きっと父親の悪魔の所業を知らずに育ってきたからこそだろう。まるで純真無垢に見えたのだ。
――あのアベール王も、娘の前では良い父親面してんのかなあ。最低最悪な王のくせに……。奴隷を攫ってきているとか、逆らった者は即座に処刑だとか、本当のことを教えてやったら、あの姫さん、どんな顔す
「うおっ!?」
意地の悪いことを考えていたら、窓の外に突然ばさりとロープが垂れ下がってきた。抜き打ちの訓練かと慌てて顔を覗かせると、頭上に兵士らしからぬ人影が、というか女の生足が二本ぶら下がっていた。
驚いたなんてもんじゃない。心臓が止まるかと思った。こんな角度で女の足を見たことなんてなかったのだ。いや、そこじゃなく。
その人物はスカートをたくし上げて腰で結んでいるようで、むき出しの白い太ももが目に眩しかった。
「……何をしてるんだ?」
「た、た……助け……て」
足をジタバタさせ、懸命にロープにつかまっているのは、今正に考えていた王女だった。なんで、王女がロープにつかまって窓の外にいるのか、意味が分らない。
呆然と見つめているうちに、ズルズルとずり落ちてきた。もう握力と腕力の限界のようだ。俺のほぼ目の前まできている。力み過ぎたか顔が真っ赤で、涙目になっていた。
「助けてって言ってるでしょ! バカァ!」
罵られたので、脇腹をくすぐってやった。案の定、ロープを掴む手が緩んだので、即座に抱きかかえて部屋に引きずり込む。
俺が居たのは一階で、要するにここで落ちたところで、尻もちつく程度なのだが一応要望に応えて助けてやったというわけだ。
「……また、あんたか。いきなり俺の目の前にでてきて驚かせるの、止めてくれよな」
ニアは腰が抜けてしまったのか、床にへたりこんでいた。それを眺め下ろして俺はため息をついた。今回は裸じゃないので余裕アリだ。
相手は姫様なので、ここは恭しく膝をつくべきなのだが、どうしてもそこらの小娘にしか見えない。腕組みしながらお転婆するんじゃない、大けがしたかもしれないんだぞと大胆にも説教を垂れてやった。
「あう……だって、だって……」
眉を下げてしょぼくれる顔は、かなり可愛かった。太ももをガン見していたのに気付かれたようで、スカートを直しながら睨みつけてきた顔も、かなり可愛かった。
ニアが言うには、お付き女中が居なくなったスキに部屋を抜け出そうとして、たまたま目についたロープを使ってみたらしい。丁度俺のいた部屋の二つ上の部屋から、地面に降りようとしていたのだ。
彼女の予定では、スルスルと華麗に降りるはずだったらしい。が全然思うようにいかなかったと、ド素人は愚痴っていた。手袋を付けたのに、ずり落ちてこすれて手のひらがヒリヒリと痛むのだと。
能天気すぎる。できなくて当たり前だ。懸垂下降が得意なお姫さまがいてたまるか。
「ねえあなた、上手なロープの使い方知ってる? 私に教え」
「誰が教えるか! お転婆するなってさっき言ったところだぞ!」
全然、気取ったところのない姫様だった。呆れながらも、俺は話すのが楽しくてたまらなくなっていた。
彼女は初めてこの砦にきて、景色の美しさに感動したらしい。視察の挨拶も終わったことだし、あの泉の周りをもっと散策しようと思ったのだという。だが、先程のヘビの一件のせいで外に出してもらえなかった。で、ロープで降下だ。
お転婆な上に、多分脳内に少し花が咲いている。まあ、こういうのも嫌いではないが。
俺がクスリと笑うと、彼女もフフフと笑った。なぜかずっと前から知っている笑顔のような気がした。
「泉では、あの、そのごめんなさい。まさか人が居ると思わなくて」
「ん、あ、いや……」
「裸なんて……」
「み、水あびしてたんだ! べ、別に脱ぐのが趣味とかじゃなくて」
「…………びっくりしちゃった。初めて見たの」
ポッと頬を染めるニア。おい、何を初めて見ただって。
別にそんなこと教えてくれなくていい、もうその話題は止めろ。俺の裸を思い出されているのかと思うと、変な気分になってしまう。
「水浴びくらい誰でもするだろ。別に珍しくもないし……」
「ううん。だってアベール人はみんな白い肌だもの、あなたのような褐色の肌をした人をみたのは初めてよ」
「あ? あ、ああぁ。……肌の色のことか」
「それ、日焼けなの?」
「んなわけない。元からだ」
「とっても素敵だわ。力強くて、生きてるって感じがする。泉からあふれ出した命そのもの、そんな風に思ったの。……私もあなたみたいになりたいわ」
俺を見上げるニアのキラキラとした瞳こそ、生き生きと輝いていると思った。
肌の色を褒めらるなんて初めてだった。今までは差別されこそすれ、こんな肌になりたいなんて言われたことなどなかった。
うっとりと彼女は続ける。
「あんまり美しくて、見惚れてしまったの」
それは男が女性に贈る賛美なのではないか、と言おうとするのに声がかすれて出てこない。くすぐったくて、目を逸らしてしまった。彼女は素直過ぎる。
あの時、見惚れていたのは俺も同じだったのだ。
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