第18話 そして逃れられず

 執事と馬方の仕事について話した覚えは確かにある。しかしその後、部屋をでた記憶は無くぷっつりと途絶えていた。

 俺はなぜか眠ってしまったか気を失ったかしたようで、頬をペシペシと叩かれ、何度も俺の名を呼ぶ声に気付いた頃、ようやく重い瞼を開けることができた。

 俺は薄暗い部屋の冷たい床に転がっていた。

 

「気が付いたか……ああリート、なんでお前までここに来てしまったんだ……」


 怒ったような泣きだしそうな顔で俺を見下ろしていたのは、親友のレイだった。

 髪は伸び放題でもつれて頬はこけ、もともと褐色の肌なのだが汚れて更に黒っぽくなっていた、ボロをまとい、見る影もなく惨めな姿だった。だが、瞳だけはギラギラとしていた。

 俺は驚いて起き上がり、レイの肩を掴んだ。


「レイ! どうしたんだよ、その恰好は?! 物取りにでもあったのか、病気なのか?!」


 やっと親友に会えた喜びよりも、彼の変わり果てた姿にショックを受けていた。

 レイはすっと目を逸らし、ため息をついた。


「リート、俺の心配をしている場合じゃないんだぞ。騙されたんだよ。俺も、お前も……」

「え?」


 騙されたという意味がよく分からなかった。レイが誰かに騙されてひどい目にあったというのなら、その姿からなんとなく納得できるが、自分までもがというのが身に覚えが無さすぎて理解できない。寝起きでまだ頭が回っていないのだろうか。

 レイは子どもに噛んでふくめるように、ゆっくりと話し始めた。


「いいか、このアベールは平和でも豊かでもない。北方民族との戦はまだ続いているし、一歩路地裏に踏み混めばスラム同然だ。外面だけを取り繕った腐った国なんだ。……お前も、城で働かないかと誘われたんだろう? でも奴らは使用人を探してたんじゃない、奴隷兵士を集めていたんだ」

「ど、奴隷?」

「最前線で戦わせる為の奴隷、さ。自国民をこれ以上、戦で減らしたくないんだろうさ。だから俺たちに目を付けた。……流浪の民は国を持たない。いつも旅をしているから、一つのグループが丸ごと消えても、他のグループには分からない。攫うには、俺たちは格好の獲物だったんだ」


 油の切れた歯車みたいに、俺はぎこちなく部屋の中を見回した。見知った顔が何人かいた。レイのグループの大人たちだ。他にもアベール人ではなく、恐らく流浪の民だろうと思われる褐色の肌の者たちが壁にもたれて座っていた。皆、一様に疲れ諦めきった顔をしていた。

 彼らは憐れむように俺を見ていた。

 ここに至って、俺はようやく今いる場所が地下室であり、閉じ込められているのだということに気付いたのだった。己の迂闊さに頭を掻きむしった。


 レイの話によると、多くの流浪の民が攫われてきていて、年齢や性別で様々な仕事が割り振られているらしい。

 女性に関してはレイはあまり多くは語らなかったが、何となく察することはできた。今いる部屋に若い女性はいなかったし、女性にだけできる仕事があることを俺は知っていた。

 大人の男は簡単な訓練の後、すぐに戦場に送られる。子どもは男女共に農場で働かされる。二、三年は朝から晩まで農場でこき使われ、その後訓練を経て戦場に出されるらしい。レイは今農場で働かされていて、多分俺もそうなるだろうとのことだった。





 え? ピピどうした、そんな顔して? 怖いのか?

 うーん、そんなに怖がってたら、この先が話しにくいんだけどなあ。あ、怖いんじゃなくて同情してくれてるのか、ありがとうな。

 ホント酷い話さ。俺らを同じ人間と思ってないんだぜ、奴らは。いや、アベール王は、かな。

 ニアと出会うのはまだ先なんだけど、薄気味悪いアベール王に先に会うことになっちまって、その娘もきっといけ好かない女なんだろうなって思ってたよ。会う前から敵認定してたもんな。

 ん? 出会ってからはどう思ったって? ……それはまあ、想像とは違ってたというか……大違いというか……姫様には見えなかったというか。

 いやいや、その前にまずはクソなアベール王の話からするよ。あれは捕まってから、確か一年後くらいで……。





 俺はアベール王の前に引きずり出されていた。

 広間には、廷臣たちや大勢の兵士がいて、皆殺気立った目で俺を睨んでいた。そして一段高い場所にある玉座から、アベール王が俺を見下ろしていた。

 彼は五十近い年齢だというのに、妙に若々しくそして美しい男だった。その美しさは軟弱なものではなくて、いかにも賢王といった知的な力強さがあった。しかしそれが上辺だけのものであることを、俺はもう知っている。

 彼は流浪の民や他国の人間を攫って、奴隷にするような人間なのだから。そして逆らう者には容赦なく死を与える男なのだから。


 俺は断罪されるために、王の前に出されたのだった。罪状はアベール兵三名に対する暴行だ。

 怪我を負った三人の上官に当たる軍人が、偉そうに罪状を読み上げる。俺が暴力をふるったのは事実だが、犯行の説明はでっちあげでムカつく内容だった。

 軍人と王を睨みつけて、この嘘つき野郎と怒鳴ろうとした時、玉座から王の声が降ってきた。


「一人で、三人を倒したのか?」


 王はうっすらと笑っていた。

 軍人が居住まいを正して答えた。


「そうであります! 陛下の兵士に重傷を負わせるとは言語ど」

「お前に聞いてない。そこの、まだ子どものように見えるが年は幾つだ」


 王は軍人をあごで下がらせ、玉座から立ち上がった。そして俺の目の前まで近づいてきた。


「……十六」

「ほう……三人は兵士として経験を積んできた猛者ということだが、たった十六の小僧一人にやられたのか」


 ちらと軍人に視線を送る王の笑みが、とても恐ろしく見えた。俺はすくみ上がりそうになるのを歯を食いしばって耐え、負けるものかと目を逸らさずに王を睨み上げていた。


「俺は悪くない! 仕事をさぼってたなんて嘘だ。アイツらが言いがかりをつけて来たんだ!」

「黙れ! 王の御前だぞ!」

「お前が黙れ。小僧、話せ」


 王に一喝され、軍人は苦々しい顔を作った。

 先ほど、彼が読み上げた報告はこうだった。

 農作業中の奴隷たちの見張りをしていた三人は、俺がさぼっているのを見つけて注意をした。だが、悪びれもせず反抗するので見張り小屋に連行し、教育的指導を施そうとしたことろ、不意をつかれて反撃されてしまった。

 ちゃんちゃら可笑しい。


「アイツらは三人がかりでカマ掘ろうとしたんだ。小屋にはすでに嬲られて気を失ってる新入りもいた。俺はあんな卑怯なクソ野郎どもに絶対に負けたくなかった。今までにも何人も被害にあってたんだ! これ以上、踏みにじられてたまるか!」


 俺は襲い掛かってきた三人を返り討ちにしたのだ。

 初めはしおらしく連行されてやったから、アイツら油断してたんだろう。鼻の下を伸ばしヘラヘラ笑いながら剣をテーブルに置き、服を脱ぎ始めた。反撃してくれと言わんばかりだなと、俺は心の中で笑いながら剣に手を伸ばした。

 幼い頃から剣技を教え込まれていた。見世物として、試し斬りなんかはしょっちゅうやっていたし、模擬刀での試合もしていた。その経験があれ程までに役に立つとは思いもしなかったが。ほんの数分で、俺は三人を戦闘不能にしていた。

 初めて人を斬った感触にぶるぶると震え、吐き気がこみ上げたが、斬ったことを後悔はしなかった。特にこの三人は、俺たちを理不尽に踏みつけてきた奴らだったから。

 この件で処刑されるとしても、アイツらに辱めを受けるよりは遥かにマシだと思ったのだ。


「なるほど、それは卑劣であるな」


 王は、うむと頷いた。


「しかも弱い。弱すぎる。その者どもは、先の戦ではそれぞれ小隊を率いていたということだが、たった一人の少年に倒されるとは、部下を率いる器では無かったということだ。少年よ、間違いを気付かせてくれたことに感謝する。皆の者良く聞け。彼らに小隊を任せたのは、間違いであった」


 王がそう言った途端、広間の空気が凍り付いたような気がした。

 ゆっくりと、王は軍人に向き直った。


「大隊長、そなたの剣をわしに渡せ」


 軍人は肩をビクリと跳ねさせ、そしてガタガタと震えだした。顔は一瞬で真っ青になる。呼吸も荒くなっていた。


「へ、陛下……わ、私は……」

「あの三人を登用したのはお前であろう。さあ」


 肩を激しく上下させ、軍人は周りに助けを求めるように視線を送るが、誰も動かず言葉も発しない。ピリピリと空気が緊張していた。


「渡せと言っている。間違いを放置して良いのか?」


 王の声は静かだったが、恐ろしい程の迫力があり、俺も身動き一つできなくなっていた。一体、何が起きているのか。言いようのない不安に襲われていた。

 そして観念したのだろうか、急に軍人はにへらと場違いな笑みを浮かべて、剣を王に差し出した。目の焦点は合わず、壊れたような笑みだった。

 王は受け取り、鞘から剣を引きだす。ギラリと刃が光ったかと思うと、軍人の首が飛び、嫌な音を立てて床を転がった。


「間違いは正さねばならない」


 首が転がるのを止めた頃、軍人の胴が仰向けに倒れていった。

 王はその亡骸の上に剣を放り投げたが、視線は少し上を向いていて死者などどこにもいないというように涼し気な顔をしていた。


「副長、今からそなたが大隊長だ。三人のもとへ行き、即座に間違いを正してこい」

「は、はい!」


 一人の男が引き攣った顔で敬礼して、広間を飛び出していった。

 不気味でたまらなかった。俺は跪いた状態のまま少しづつ少しづつ後退るのだった。もう目を逸らしたいのに、王から目を逸らすのが恐ろしくもあった。

 次は俺の番だろうかと、息をするのも苦しかった。


 不意にゴンと鈍い音が響いた。

 王が自分の頬を拳で思い切り殴ったのだ。「ふんんんっ!」と鼻息荒く、反対の拳でもう一発。


「ふうんんん!」

 ゴツ!

「ふふうんんん!」

 ガツ!


 誰も王を止めようとはしない。頬を殴る音は何度も続いた。

 王の己への鉄拳は都合十発となり、両の頬は赤く腫れあがり唇が切れて血が滴っていた。

 広間はシンと静まり返っていた。


「……これで間違いは正された」


 そう言って、王は誰に向けるでもなくにっこりと笑った。





 大丈夫か? エグい話でごめんな。

 どういうことかって? それは多分、処刑した軍人を大隊長に任命したのは、アベール王だったからだと思うぞ。

 俺が返り討ちにした三人の兵士、彼らに小隊を預けたのは大隊長の「間違い」だった。だから処刑した。で、そんな間違いを犯すようなヤツを大隊長に任命したのは王自身。

 「間違い」を犯した者は殺すのが王のやり方なんだけど、自分は死ぬわけにいかない。死ぬ気もない。ってことで、王は自分で自分をしこたまぶん殴ったんだろう。もちろん、あの三人もガキにやられる能無しってことで処刑されたしな。

 そんで「これで間違いは正された」だもんな。ヤバいよな。イカレてるよな。マジで寒気したし。

 アイツは「間違い」を犯した部下を全員殺して、自分を殴って、それで全て無かったことにしたんだ。そうやって、強引に何も無かったってことにしたから、この後この事件に触れるような奴は一人もいなかった。みんな王を恐れてたからな。


 俺はどうなったかって言うと、間違いを正すきっかけになったってことで、とりあえず処刑は免れたんだよ、これが。

 でも、それで終わりじゃなかったんだ。

 お前は強いから兵士になって、明日から最前線に行けって命令されちまって……実質処刑じゃねぇかって思ったもんさ。

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