第10話 そして密かに

 私が蚊の鳴くような声でダンスの申し込みを受け入れると、リートは信じられないくらい真っ赤になってはにかんでいた。私も顔が熱くなってしまって、まともに彼を見れなくなってしまった。二人してもじもじと俯いていた。

 でもリートはすぐに咳ばらいをするとともにスッと顔を上げて、大胆にも秘密の逢引を提案してきたのだった。


 毎朝、学園に到着すると私は玄関ホールでミランと別れて女子部の学舎へ行くのだが、彼が男子部に行くのを見計らって戻って来てくれというのだ。ホールの奥にある中庭で待ってるからと。

 中庭はたくさんの木々が植わっていて少し迷路のようになっている。その中に大小いくつかの東屋もあって、こっそり会うのに丁度良いだという。


「名残惜しいけど、今日はそろそろ退散するよ。友人にミランを引き止めてもらってるんだけどもう限界だろうし。明日の朝、また話そう。来てくれるよね? 待ってるよ、君がくるまで」


 リートの顔は真剣で、必死そのものだった。誰にも邪魔されずに私に会いたいのだと、臆面もなく言うのだ。そして名残惜しそうにしながら、その場を立ち去っていったのだった。

 思いがけない展開に私の思考は追いつかず、頭の中がクツクツと煮えているような気がした。全身が熱くてたまらない。ただ頷くばかりで何も言えなかった。

 この後すぐにミランがやってきたのだが、ぼーっとしたままの私は、学長のことを愚痴ろうと思っていたこともすっかり忘れて、ただただぼんやりしていたのだった。


 翌日、私はリートに言われた通りに行動していた。震える胸を押さえて中庭へ忍んでいったのだ。

 いつもの学園で朝のほんの十数分。でもそれは私にとって、物凄い大冒険だった。今まで父の言いつけに従ってきた私が、初めての自分の想いで行動したのだ。

 リートは悪い人じゃない。そう信じられたから、私は彼に会いたいと思った。

 エマの言葉が後押しになって、友人も恋人も自分の意思で選ぶのだとも思っていた。リートの、大人たちの都合に振り回されたくないという言葉も、私に勇気をくれていた。

 彼に会いたい。その思いで頭も胸もいっぱいだった。


 中庭の木々の迷路を通り抜け、小さな東屋に到着した。そこには、待ちかねたように微笑むリートがいた。軽く腕を広げる彼に、私は駆け寄る。もう世界は二人だけのものになったような気がした。

 舞踏会までの一週間、私たちはそうやって毎日こっそりと会ったのだった。彼との密会は今までで一番私を華やいだ気分にさせてくれた。心から楽しかった。

 私たちは毎日、色んな話をした。中庭の木々に隠れてひっそりと。学園内の対立のこと、父たちのこと、そして私の肌の色や舞踏会のことを。




「まあ、確かにシベリウスが学園を牛耳ってるって言われればそうかもしれない。生徒自治会の会長は俺だし。でも、考えてみてよ。カルナとシベリウスのどちらが会長をやるかなんて争い続けていたら、学園祭も舞踏会もまともに開催できなくなる。会長職争いなんて無意味だよ」

「だからってカルナを蔑ろにしていい理由にならないわ」

「待って。自治会にはカルナ派の生徒もちゃんといるよ。ミランだって委員じゃないか。アイツは俺が気に喰わなくて何かと噛みついてくるし、俺の意見にケチつけてくるけど、ちゃんと代案も上げてくれる。しかも悔しいことにそれがいい案だったするんだ。だからそれも取り入れて、結果よりよい方向に話が進んで、学園の為になってるって思ってたんだけど」

「ということは、ミランや他のカルナ派の話も、ちゃんと聞いてるの?」

「もちろん。だって自治会の会議なんだから当たり前だろ。そりゃ仲良しこよしではないさ。でも、嫌がらせに嫌がらせで対抗するのはもう止めようって話もいつも言って……え? もしかしてミランの奴、俺のことを人の話も聞かない暴君みたいに君に話してたのか? 一方的にカルナ派を虐めてるとか?」

「う、うん、ちょっとね……。シベリウスに非ざる者に出世の道は無し……みたいな」

「なんなんだよそれ……俺にそこまで人をどうこうできる力なんかねえよ、まったく。……ミランに言われるんだ。人を見下したように笑うなって。そんなつもりは無いんだけどなぁ。ニア、君もそう思う?」

「……初めて声をかけられた時は」

「ええぇぇ! そんな!」

「だって名乗らなかったし、ポケットに手突っ込んだままだったし、じろじろ見て来るし……」

「え……ごめん。緊張してて、なんか色々無礼してたみたいだね。ホントごめん。その、なんていうか、君を目に焼き付けたくて……」


 真っ赤になったリートの顔が、私の目に焼き付いてしまった。

 この時も彼はポケットに手を突っ込んでいたのだけど、すっと抜いて私に手のひらを見せてくれた。緊張すると手汗が酷いんだって、恥ずかしそうに笑っていた。




「俺、学園を変えていきたいんだ。シベリウスに有利なようにって意味じゃなくて。いつか俺が伯爵を継ぐ頃には、カルナ家との対立を解消したいと思ってるんだ。学園はその手始めで」

「私だって、対立なんて無くなればいいと思ってるわ。でも、どうして学園からなの。まず、あなたのお父様を止めてくれればいいじゃない」

「ニア、そんな単純な話じゃないんだ。君が自分の父親を信じたいのは分かるけどね、カルナ伯爵だって相当なものなんだよ。宮廷ではカルナ伯爵のほうが発言力が強いじゃないか。今、父が抵抗を止めたら潰されるよ」

「え?」

「俺が学園を変えようとしているのはね、シベリウスとカルナは協力し合えるんだってことを、次代を背負っていく友人たちに分ってもらいたいからなんだ。対立の負の連鎖を断ち切りたいんだよ。とても難しいし、まだまだこれからなんだけどね。これは両家の為でもあるし、この国の為でもあるんだ。だってそうだろ、大貴族が睨み合いばかりしているより、協力した方が国を発展させていけるはずなんだ。例えば、カルナの領地で栽培されている良質な綿花。シベリウスの海運事業を使えば、交易でこの国に富をもたらせるんだ」


 リートは滔々と夢を語った。父親からカルナへの恨みつらみを聞かされて育っただろうに、視野を狭めることもなく。

 自分はなんて世間知らずだったのだろうと、恥ずかしくなる。

 そして、私には彼が輝いて見えた。彼が語る未来も輝いて見えた。




「どうして私と踊りたいと思ったの? 他に可愛い女の子はいくらでもいるのに」

「君より魅力的な子なんていないよ」

「うそよ、お世辞なんて要らないわ。私は醜いもの……こんな肌……」

「…………え? ニア? 本気で言ってるのか? 驚いたな、肌の色を気にしてたなんて。いいかい。君はちっとも醜くない。むしろとても美しいよ。その肌は君のお母様ゆずりだろう? 遠い南西の帝国の姫君の血を引いているんだ。誇るべきだよ。それに気が付いていないの? 男子はみんな、君のエキゾチックな魅力にやられちゃってて、ミランが必死で野郎どもを牽制してるってこと。まあ、俺も同じことしてるんだけどね……」


 リートは頭を掻きながら笑った。そして自信もてよと、私の肩を抱いた。彼の笑みを傲慢だなんて、もう二度と思わなかった。






 ミランからカードを貰ったのは、リートから誘いを受けた後だった。

 もしもミランが先に誘ってくれていたら、多分私はリートからの申し込みは断っていたんじゃないかと思う。もうパートナーがいるのだからと。

 絶妙なタイミングでリートはミランよりも先に誘ってくれたことに、私は確かに運命のようなものを感じた。

 ミランはと言えば、私のパートナーになるのは、カードを贈るまでもなく当然と思っていたようなのだ。

 でも、私は彼に焦らされたような気分になっていたし、カードも慣例だから一応渡しておくねというおざなりな感じだったし、ちょっとムッとしていた。

 私は舞踏会は恥ずかしいから欠席しようかなどうしようかな、なんて言ってはぐらかして返事をしないでいた。

 実を言えば、もうリートと踊るのだと心は決まっていたのだが。


 そしていよいよ、舞踏会が翌日に迫ってきた。

 いつも通り、私は女子部の学舎へ行きかけてからロビーへと戻り、人目につかぬように中庭へと出ていった。しかしその日、リートの姿が見えなかった。いつもなら先に東屋に来ていたのに。

 もしも人に見られてしまったときは、中庭の更に奥にある小さな東屋で待っていると言われていた。だから、私はその言葉に従って庭を進んでいった。

 刈り込まれた植栽は壁のようで、庭を見渡すことはできない。本当に迷路のようになっている。私はリートに会えるのかしらと、少し不安になりながら歩いていった。

 そして植栽の角を曲がると、一本の太い柱に傘のような屋根がついた、小さな東屋が現れた。柱の陰に誰かいるのが見える。

 私の不安は吹き飛び、急いで駆け寄っていった。

 声をかけようとした時、柱の陰から思いもよらぬ人が現れた。


「おや、ニアさん、おはようございます」


 それは学長だった。心臓が止まるかと思った。

 慌ててお辞儀をしつつも、一体どうしてと頭の中は混乱していた。どうしてここに学長がいるのか。素早く周囲を伺ったが、やはりリートはいなかった。

 

「朝の散策ですか? 私も時々、中庭を歩くのですよ。ここは落ち着きますからね。しかしそろそろ授業の時間ですから、学舎に戻った方がいいでしょう」

「は、はい……」


 リートも学長に見つかってしまったのかもしれない。そして男子部の学舎へ帰されてしまったのだろう。待ち合わせをしていたのだと、気づかれていなければいいのだけれど。

 私は動揺を悟られないように、平静を装いながら学舎へ向かって歩き出した。


「あ、そうそう」


 学長が柱にもたれたまま、語りかけてくる。


「定期試験では惜しかったですね。あと少しで学年首位を取れるところでした」

「いえ、そんな。首位だなんて……私なんてとても……」


 私は振り返り、首を振る。十位にも入らなかったというのに、なんて大げさな事言うのだろうと、眉をしかめてしまった。

 しかし、学長は嫌味を言っているふうでもなく、にこやかに続ける。


「上位はみんな僅差ですから、ニアさんも十分狙えますよ? 『私なんて』と卑下なさるのはあまり褒められませんね。どうぞ自信をもって頑張って下さい」

「はい」

「前回間違えた問題も、あなたならすぐに正解に辿りつくことができるはずです。慎重に考えれば、間違いもすぐに正せるでしょう」

「は、はい……」


 少し目を細める学長。その顔はいつも通り優しく微笑んでいる。


「実は私も問題を解いてみました。一つ、間違ってしまいましてね、今、それを修正中なのです。間違いは正さねばなりませんからねえ……」


 試験の話をしているのだと分かっているのに、なぜか別の話をされているようにも聞こえて、でもそれが何の話か分からなくて私は不安になってきた。

 学長に見つめられて、気まずくて落ち着かない。早くここを立ち去りたい。もうすぐ授業だから学舎に戻れと言ったくせに、なかなか解放してくれない学長を恨めしく思っていた。


「ところで明日の舞踏会ですが、私と踊っていただけませんか。こんな年寄で申し訳ありませんが。あなたのパートナーのミラン君にも許可は取っていますので、一曲だけ、ぜひ」

「……あ、はい、一曲なら……」

「ありがとう。とても光栄です」


 学長は笑っていた。父よりも十も年上の彼が、まるで少年のようにはにかんで笑っていた。

 私の背がゾクリと震えた。

 この後、私は逃げるように学舎へと走っていった。結局リートには会えないまま、翌日の舞踏会を迎えることになったのだった。

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