第11話 そして焼け落ちた

「そして舞踏会当日、二人は仲良く踊ったのでしゅね。ヒューヒュー」


 ピピはやたら嬉しそうに言うんだけど、いやいや違うんだって。そうじゃないんだって。期待させちゃって悪いけど。

 私は頭を押さえながら溜息をつく。さっきからなんだか頭が痛くてたまらない。


「踊ってないわよ」

「え?」

「だって、あの日……あ、ツ……イタタ……」

「大丈夫でしゅか?」

「……うん大丈夫。あのね、舞踏会の日に、舞踏会が始まる前に……私は死んだの」

「……え?」

「痛っ……」


 急にガンガンと脈打つような痛みが襲ってきた。

 前世の記憶を辿っているうちに、だんだんと頭が重苦しくなってきていたのだけど、あの日のことを考えた途端に殴りつけるような痛みが襲い掛かってきた。

 死の恐怖が、痛みを呼び込んでいるんだろうか。それとも裏切られた悲しみのせいだろうか。

 心配げにピピが私を見つめている。私の話が核心に近づいてきたことと、頭痛を訴えたこと両方に驚いているのだろう。オロオロとしながらも、横になって休んで下さいと気付かってくれた。

 私はベッドに寝ころび、痛みで混濁してくる記憶を探り探り語るのだった。





 舞踏会当日の朝、私は屋敷の門の外へと向かった。リートとの打ち合わせ通りに。

 いつもの登校時は、屋敷前の馬車寄せから迎えにきたミランの馬車に乗るため、女中たちはなぜわざわざ門の外に出るのかと不思議そうな顔をしていた。

 だから私は、舞踏会が楽しみすぎてたまらないという事にして誤魔化したのだった。家の者たちはみんな、ミランが迎えにくるものと思っていたようだけど、私が心待ちにしていたのはリートだった。

 シベリウス家の息子であるリートは、カルナ家の門はくぐれない。だから私の方から外にでたのだ。

 私が門の外に出るとすぐ、リートの馬車が現れた。既に彼は近くまで来ていたようだ。

 その馬車が止まるやいなや扉が開き、リートが手を差し出した。


「おいで、ニア!」

「ええ!」


 女中が驚きの声を上げていたけど、私は構わず彼の手を取り馬車に乗った。リートが満面の笑みで迎えてくれた。胸が早鐘を打っていた。

 即座に馬車は走り出す。女中たちの悲鳴が聞こえたけど、それはすぐに遠くなっていった。

 彼女たちが驚くのは無理もない。シベリウスの家紋の付いた馬車が私をさらうがごとく連れ去ってしまったのだから。


 私たちの秘密の企みが始まった。学園の一大イベントである舞踏会で二人で踊る。その為だけに、父や家の者を欺いた。きっと大騒ぎになるだろう。後でひどく叱られるだろう。それでも、構わないと思った。

 私は、自分の友人や恋人は自分で決めるのだと、決心していた。エマやリートの受け売りだけど、大人の都合を押し付けられるのは御免だと思ったのだ。

 きっと私とリートが手に手を取り合って踊れば、争うことの無意味さをみなに伝えられると思うのだ。カルナ家とシベリウス家の関係だって、変えていけるかもしれない。


「ニア、なんだか俺、なんでもできそうな気がしてきたよ。君が側にいてくれたら、きっとどんな困難も乗り越えられるような気がするんだ」

「リート、私もよ。舞踏会が終わったら、私も父と話し合うわ」


 二人の力で両家を一つにしていこう、この学園をこの国を改革しよう、そんな身の程知らずな夢を語りあった。でも、高い理想を掲げながらも、本当に望んでいたのは二人の恋を阻むものを取り除きたい、という我がままな思いだったのだけど。

 手を握り合い、きっと幸せを掴むのだと、私たちは胸を高鳴らせていた。


「昨日一日会えなかっただけなのに、もう何十年も経ったような感じがするよ。会いたかった」

「私も会いたかったわ。昨日はあなたじゃなくて学長がいたんだもの、この世の終わりかと思ったわ」

「そうなんだ、中庭から追い払われてしまってさ。それに、俺たちが会っていたことに気付いてたみたいで、二度と君に近寄るなって言われたよ」


 リートはいたずらな顔でクスリと笑っていた。絶対に学長の言う事なんか聞くもんか、という彼の心の声が聞こえてくるようだった。そしてリートは熱い瞳で見つめてくる。


「俺、分かったんだ。ずっと君を探してたんだって。生まれる前からずっと……」


 リートの腕の中に抱きしめられた。

 くらくらと目眩がするほど、幸せを感じた。





 学園に到着すると皆の目から隠れるようにして、私たちは舞踏会の会場である大ホールのある建物に向かい、素早く三階の小部屋に入った。ほとんど使われていない、物置のような部屋だった。とはいえ、予めリートが準備してくれていたようで、埃っぽさもなくきれいに整えられていた。

 舞踏会が始まる直前まで、ここに二人で隠れるのだ。でないと、どうして私たち二人が一緒にいるのだと騒がれてしまうから。


 私はこの小部屋でリートが戻ってくるのを待っていた。

 退屈しのぎにリートと優雅に踊る自分を想像して、一人フフフと笑っていた。本当はダンスはあまり得意ではないけど、妄想の中の私とリートはキラキラ輝く王子様とお姫様だった。


――あれ、変よ? 急に場面が飛んでる……。二人で隠れたはずなのに、どうして私は一人で待つことになったんだったっけ……。朝から学園に向かって、まだ誰もいなくて、舞踏会までたっぷり時間があったはずだし……。


――あっ、くっ、……なんでこんなに頭が痛いの。あの部屋で二人きりの時間を過ごしたような気もするんだけど……。なんだろう、大切なことだったような気がするんだけど。私、まだ全部思い出せてないの?


――そうだ、少し思い出した。しばらくしてから、リートはミランと話してくるって言って出ていったんだった。きっとミランが私を探して大騒ぎしてるだろうから、二人のことをちゃんと説明してくるって言って……。


 私は言う通り大人しく彼を待っていた。

 なかなか戻ってこないことに少し不安になってきたけど、彼が戻ってくることを信じて疑わなかった。柱時計の振り子が揺れるのを見ているうちに、うつらうつらしてきていつの間にか眠ってしまったようだった。


 最初に感じた異変は匂いだった。焦げ臭い匂いがしてきたのだ。目が覚めた私は、この時やっと外の騒がしさや異常な熱さに気付いたのだ。

 扉の隙間から煙がどんどんと入ってくる。

 慌てて窓を開けたら、逃げてゆく生徒の姿が見えた。そしてすぐ隣の部屋を見て驚いた。ゴウゴウと真っ赤な炎が噴き出していたのだ。


 館から逃げる人に向かって私は助けてと叫んだ。ガタガタと震えて、自分の身体を抱きしめながら、何度も叫んだ。

 扉を振り返ると、隙間からチラチラと赤い炎が入り込もうとしているのが見えた。恐ろしさでいっぱいだった。

 リートはどこにいるんだろう。彼もまだこの中にいるのだろうか。助けに来てくれるんだろうか。もしかしたら彼も炎の中に取り残されているのだろうか。

 私の叫びに振り返ってくれる人もいたけど、皆ただ立ち止まって呆然と見上げるばかり。その中で、一人こちらに向かって走ってくる人がいた。ミランだ。


「ニア! ああ、ニア、そんなところに居たなんて……は、早く降りて来るんだ!」


 きっと私を探しまわってくれていたのだろう。真っ青な顔で息を切らしていた。でも、降りてこいと言われても、もう時すでに遅しだったのだ。


「ミ、ミラン。無理よ。煙でいっぱいなの。扉も燃えだしてるの……」

「ああ、なんてことだ。……じゃあ、飛び降りておいで! ちゃんと僕が受け止めるから!」


 私のいる窓のすぐ下まできて、ミランはそう言った。

 私は泣きながら首を振った。ここは三階なのだ。受け止めようとすれば、ミランだって大怪我するかもしれない。


「そんな、怖いわ」

「怖がってる場合じゃないだろ!」

「リートは?」

「え……」

「リートはどこ? 彼と話をしたのでしょ。私リートを待ってるの。きっと彼が迎えにきてくれるわ! 約束したのよ!」


 そこへ、血相かえた学長が走ってきた。恐ろしい剣幕で彼は怒鳴った。


「ニアさん! あなたは何を言ってるんだ! ミラン君を見なさい! 彼が怪我をしているのが分からないのか。これはリートにやられたんですよ。リートがミラン君を斬ったんですよ!」


 見れば確かにミランは左腕を押さえている。指先から赤いものが滴っていた。そのミランは、学長の様子にひどく驚いている様子だった。

 学長は、ミランを押しのけて怒鳴り続けた。


「あなたを返すように言ったミラン君に、リートは斬りかかってきたのです! そうでしょう、ミラン君! それにこの火事。誰がやったと思ってるんですか。リートが火を放ったんですよ!」

「嘘……」

「嘘じゃありません。なんならミラン君に証言してもらいましょうか!?」


 私は信じられずに首を振った。

 大声で怒鳴り出した学長に驚き呆気に取られていたミランが、我に返ったのかギリギリと歯を食いしばって、苦々しく顔を歪めている。いつもは穏やかに笑っている彼が、怒りをむき出しにしているのをはじめてみた。


「そうさ、僕はリートに斬られた」

「そんな……そんなことする人じゃないわ……優しくて誠実な人よ」

「君は騙されてたんだよ。現にアイツは君を誘拐した!」

「違うわ! 私はダンスの申し込みを受けたのよ! 私が自分の意思でついていったの!」

「君には僕という婚約者がいるのに、申し込む方がどうかしている! しかも僕に斬りつけてきて、君をそんなところに閉じ込めて!」


 ミランの言っていることか理解できなかった。婚約した覚えなんてない。リートは私を誘拐したり閉じ込めたりなんかしていない。


「違うわ、ミラン! 私は自分からここに来たのよ。自分で決めたのよ。彼と踊ろうって! 二人手を取り合おうって! カルナとシベリウスを一つにしようって!」

「何をバカな! アイツがそんなこと言うはずがない!」

「そうです。火を放ったのはリートなのですよ! あなたがこの建物にいるって分かっていながら!」


 学長の顔も憎々し気に歪んでいた。リートの名を口にする度に憎悪を募らせているようだった。


「嘘よ……。リートがそんなことするはずないわ」

「彼の言葉に惑わされてはなりません。彼はシベリウスです。あなたの敵なのですよ! さあニアさん、飛び降りていらっしゃい。ちゃんと私が受け止めます。私があなたを守りますから!」

「彼はどこなの……?」

「まだそんなことを! 彼なら、とっくに逃げてしまいましたよ! ええ! 卑劣にもあなたを炎の中においてね! もう分かったでしょう?! あなたは間違えてしまったのです! しかし、今なら間違いを正せます! さあ早く飛び降りていらっしゃい! 絶対にあなたを守りますから!!」


 恐ろしい剣幕で叫ぶ学長の顔は、醜く歪んでいた。引きつった悪魔の笑みにも見えた。

 私は自分の身体を抱きしめて震えていた。ミランでさえ、学長を恐ろし気に見ていた。


「ねえミラン……本当にリートがあなたを斬ったの?」


 呟くような問いに返事は無かった。ミランは何度も飛び降りてこいと、繰り返すばかりだった。




 どうしてこんなことになったのか。

 一緒に踊るはずだった。

 素敵な夜になるはずだった。

 それなのに。


 リートが火を放った? 私を置いて逃げた?


 私は窓から乗り出していた身体を、部屋の中に戻しミランに背を向けた。ずるずるとしゃがみ込み、燃える扉を見つめていた。

 ミランと学長の、飛び降りろという悲鳴のような声が聞こえていたけど、私の身体は動かなかった。心に穴が開くってこういうことなのかと、ぼんやりと考えていた。

 ミシミシ、バチバチと建物の焼ける音が大きくなってくる。煙が目に沁みて、息が苦しくて。熱くて。


――そうだった……私、自ら生きることを放棄したんだった……。懸命にリートを信用しようとしたけど、腕から血を流すミランの姿はリートの裏切りの象徴にしか見えなくて……。学長の言葉に心をズタズタにされて……。


 リート、どうしてミランを斬ったの? どうして火をつけたの? どうして戻ってこないの?

 今度こそ幸せになるんだって言ったじゃない。

 私と踊るんだって言ったじゃない。


―――……まって、今度こそ・ ・ ・ ・って? あああ! 頭が痛い!! 痛い痛い痛い!!


 大きな音がして、壁が焼け崩れた。

 巨大な猛獣の舌ように炎が噴き出してきた。

 ボーンと最後の時を告げて、振り子時計が倒れた。


 ああ、信じてたのに!

 リート。リート。リート!

 どうしてなの! なぜ私をどうして裏切るの!


 あなたの真実はどこにあったの?

 やっぱりカルナがそんなに憎いの……?


 ああ、リート!

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