第三章 変わるもの 変わらないもの

第12話 食い違う記憶=恐るべき腐れ縁

 誰かに呼ばれた気がした。何度も繰り返し呼ばれているようだ。だんだんとその声が大きくなってきて、私は目を開けた。

 天井が見える。その次に、泣きそうになってるピピの顔。ゆっくりと彼女が頼りなげな笑みを浮かべるのを、私はぼんやりと見つめていた。


「よ、良かった……目を覚まさなかったらどうしようかと思ったでしゅ……」


 どうやら気絶してたらしい。

 ポロリと涙をこぼして、ピピが抱きついてきた。ヒックヒックしゃくりあげながら、何度も良かったと繰り返した。

 まだ心臓がドキドキと鳴っている。身体が冷え切っていて、だるくてたまらなかった。生々しい死の記憶に震えて声も出せなかったのだが、ピピの温かい体温を感じているうちに、気持ちが落ち着いてきて息が整ってきた。

 ああ、柔らかくて温かくてマジで天使の癒しだわと、感動するのだった。

 心配かけちゃって悪かったなあと、ピピの頭を撫でていたら、部屋の隅に嫌なものを見つけてしまった。黒光りするあの虫が出た時みたいに、身体がビクリとした。

 リートがいたのだ。壁にもたれてギロリと横目で睨んでいるのだ。軽蔑しきったような顔で。


――なんなのよ、その態度! こっちはショック状態からやっと浮上してきたことろだっていうのに! 畑仕事にいったんじゃないのか! あの時、私を迎えに来なかったくせに。火をつけて一人で逃げたくせに。つーか、私の陣地に入るな! 箪笥の向こうに行きやがれ!


 前世の死を追体験した直後に、リートの顔を見るのはめちゃくちゃキツイ。頭の中は、今生と過去の記憶とでごちゃごちゃになりそうだ。

 取りあえず、私はヨロヨロと起き上がりリートを睨み返した。負けられない。


「ニア、まだ寝てた方がいいでしゅ」

「もう平気よ。ありがとうねピピ」


 ピピに感謝の言葉を告げつつも、目はリートを睨みつけている。

 こいつは大嘘つきだ。舞踏会に向かう馬車の中では、ずっと私の手を握ってシベリウスとカルナを一つにしようなんて言ってたくせに、やったことはむしろ正反対だったのだから。

 ピピは私がリートを睨んでいるのに気付くと、慌てて説明した。


「ニアが急に気を失ってしまって、ベッドから落ちてしまったので……びっくりしてしまって。ベッドに戻してあげたかったけど、ピピには無理だったのでリートを呼んできたのでしゅ」


 なんてこった。リートにベッドに寝かされたなんて。

 くそ、奴は私をベッドに連れて行くとき必ずお姫様抱っこするのだ。まさか今も、同じように……吐き気がしてきたので、ぶるぶると頭を振って考えないようにした。

 なんだか無性に腹が立ってくる。顔が熱いような気がするのは、きっと怒りのせいだ。絶対そのはずだ。


「ねえ……どうして火事を起こしたの……」


 ついに訊いてしまった。

 記憶を取り戻した直後から、胸にあった疑問だった。でも、その答えを知りたい思いと知りたくない思いに揺れていたのだけど。

 殺したいほど憎んでたから、そんな答えが返ってくるのが怖かったのかもしれない。だから怒りで誤魔化していたんだ。

 私は歯を食いしばって、リートを睨んだ。


「はあぁぁぁぁ?」


 思いっきりバカにした声を出すリート。

 なんでそんな反応になるんだ、このクソ野郎。


「舞踏会の会場に火を放ったんでしょう?! 私はそのせいで死んだのよ! あんた、一人で逃げたんでしょ?!」


 リートはズカズカと側まで歩いてくると、ケッと悪態をついて嘲笑った。


「馬鹿じゃねぇの? お前さあ、ピピに前世で死んだときのこと話してたんだってなぁ。都合のいい作り話してんじゃねえぞ! お前がどんな死に方したかなんて、俺が知るわけねえだろ。確実にお前より先に死んだんだからな。つーか殺されたんだぞ! お前の親父に!」

「え? 舞踏会にうちのお父さん来てたの?」

「舞踏会なんか知るか! なんだよ火事って。お前まさか、わけわからんこと言って、自分の罪を誤魔化そうとしてんのか?」


 めっちゃ怖い目で睨んできた。

 リートの方こそ何いってるのか分からない。私の罪ってなんの話よ。


「お前は俺たちを、奴隷を自由にしてやるって言って騙したじゃねえか! 俺は……お前を信じたばっかりに……」


 悔しそうに吐き捨てて、リートは下を向いた。腕が振るえるくらいグッと拳を握っていた。


――待って! ちょっと待って! はぁ? 奴隷? 何それ、あんた貴族の跡取り息子でしょうが!


 心の中でおいおいと突っ込んでいるうちにも、リートは溢れ出すものがもう止められないといった感じで話し続けた。


「お前のせいで仲間もみんな殺された! お前らにしてみりゃ、奴隷なんて虫けら以下なんだろう! 同じ人間だなんて思ったこともねえんだろ! 蟻を踏みつぶすみたいに平気な顔で殺しやがって! あれは全部お前の仕組んだ罠だったんだろう?!」

「待ってリート! なんの話よ! あんたはシベリウス伯爵の息子でしょ、奴隷なわけない。何言ってんの。私もあんたも貴族だったじゃない」

「なんじゃそりゃ? そっちこそ、何言ってるんだ。俺は流浪の民だったし、お前は小国といえど一国の姫様だっただろう!」


――なんと私がお姫様! マジか!


 あまりにもぶっ飛んでいる。理解できない。あり得ない。全くと言っていい程の話のかみ合わなさに、ラリってんのかコイツと思ってしまう。鬼気迫るリートの顔がマジで怖いのだ。

 私がお姫様だったことなんて、子どもの頃のお姫様ごっこの時でさえ一度も無かった。いつも姫の友達か乳母の役をやらされていたのだから。悔しいことに、お姫様はいつだってエマだった。


「す、すみましぇん! 待ってくだしゃい! ……あの、その、一つ言い忘れていたことが……」


 怒鳴り合う私たちをピピが止めて、ペコペコと頭を下げるのだった。

 もうイヤな予感しかしない。


「本当にすみましぇん。えっと、その、じ、実はお二人は何回も生まれ変わっているのでしゅ……生まれ変わる度に、再び出会っているのでしゅ」

「…………」


 ああ、やっぱり。

 私たちの前世は、一つじゃなかったんだ。

 ということは、私が思い出した前世の記憶と、リートが思い出した前世の記憶は、全く別の過去世だったいうことだ。生まれや境遇も全然違う人生の記憶を思い出していたのだ。どちらが先で後かは知らないが。

 これじゃ、食い違うのも無理はない。


 私の記憶ではリートが裏切り者だったけど、どうやら彼の記憶では私が裏切り者になっているようだ。不本意な話だし、当然ながら身に覚えは全くないのだけど。

 しかし、前世を思い出してからのリートにずっと睨みつけられていた理由だけは、これでやっと分った。私と同じように被害者的感情で睨んでいたのだ。


――ってことは……私って、リートを死に追いやったくせに反省も後悔もしてない、とんでもないサイコパスって思われていた、ということに……。まあ、私もリートをそう思ってたんだけどさ……。


 どっと身体が重くなり目眩もして、私はまたベッドにふらふらと倒れ込むのだった。


「奴隷……お姫様……罠とか殺したとか……。全く、心当たりないんですけど?」


 かたったるくて、枕に顔を押し付けて呟いた。凶悪な顔して睨んでいるだろうリートなんて、もう見たくなかった。身に覚えのないことで責められるなんて堪らない。

 思った通り、チッと大きな舌打ちが聞こえてくる。


「俺だって、貴族だの舞踏会だの火事だの言われても、何のことかさっぱりわからねえよ……」


 そして大きなため息をついた。

 リートも理解したのだろう。どれだけ自分の記憶の語ったところで、相手にはその記憶がなく全く話しが通じないということを。もう私への文句は言わずに、どうなってるんだと呟きながら部屋を出て行った。

 部屋がシンと静まり返ると、ピピが申し訳なさそうに口を開いた。


「あの、なんと申し上げればいいのか……ご、ごめんなしゃい」

「……なんで謝ってるの?」

「ややこしいことになってしまったので……」

「それはピピのせいじゃないんでしょ? ああ、まさか前世がいくつもあったなんて……。神様って一体何回生まれ変わらせれば気が済むのよ……」


 私は起き上がって、頭を掻きむしった。

 少なくとも、私は二回生まれ変わっているらしい。今生と、私が思い出した前世と、リートが思い出した前世で、三回の人生を生きているということになる。

 その三回ともリートと出会っているなんて、確かに何か運命的なもので結ばれていると思えてしまう。


――恐るべき腐れ縁……


 もやもやしてたまらない。

 どの人生でも幸せに寿命を全うしたならまだしも、どうやら悲劇を繰り返しているようなのに、それでいてハートマーク五つだなんて。


「ああ、もう……何がなにやら……」


 ピピは眉毛を思い切り八の字にして、うーんうーんと唸っていた。腕組みのつもりなのだろうが、腕が短くてうまくできずにお腹を抱いてるみたいで、なんか可愛い。ピピを見ていると少し癒されてきた。

 彼女はポンと膝を叩いた。


「決めました! ピピは今から一度天界に戻って神しゃまに聞いてきましゅ。一体どうなっているのかと」

「え? そんなことできるの?」

「あい。普通はお仕事完了するまで戻れないのでしゅけど、どうしても困った時は、一回だけなら戻ってきてもいいと言われてましゅ」

「今日天界から降りてきたばかりなのに、こんなにすぐ帰ってもいいの? 初仕事なのに?」

「…………い、一回ならいいと言われたでしゅから……」


 誤魔化すように笑ってから、ピピは俯いてしまった。

 そりゃ、神様に聞いてもらえたら、何がどうなっているのか手っ取り早く分かるのかもしれないけど、ピピの天使としての立場的に拙くはないのだろうかと思う。ダメ天使の烙印を押されちゃったりしないかと心配になる。


「でも、今日来て今日帰るって……まだ一日も経ってないのに……本当に、叱られたりしない? 大丈夫?」

「心配してくれて嬉しいでしゅ。でも大丈夫でしゅよ。神しゃまはそんなことで怒ったりしないでしゅよ……た、多分」


 なんだか頼りない大丈夫で、返って心配。


「でも、神様に聞きに行くのはもう少し後でもいいんじゃない? あ、そうだ、リートの頭をぶん殴ってみようよ。思い出すかもよ! そしたら火事の真相も聞き出せるし」

「殴っちゃだめでしゅよぉ! ピピが神しゃまにちゃんと聞いてきましゅから。手遅れにならないうちに行動した方がいいんでしゅ!」


 ピピは決断力のある幼児だった。キリリとした目で私を見つめて頷くのだった。自分に任せておけというように。彼女を引き止めることは諦めるしかないようだ。

 でも、胸をはるピピが豪快にお腹を鳴らすもんだから、お昼ごはんだけは食べてから行くようにと勧めたのだった。

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