第13話 記念日ディナー=愛し合う方がどうかしている

「とっても美味しいでしゅ~~」


 ピピはパンプキンスープとトロトロのオムレツを交互に口に運び、目をキラキラ輝かせていた。


「そりゃあ良かった。どんどんお食べ。その卵はねえ、ベールさんちのよ。毎日うちの野菜と交換してもらってるの。それに今日は鶏も」


 祖母ちゃんはさあどうぞと、チキンローストの皿をどんとテーブルの真ん中に置いた。芳ばしいスパイスの香り、まんべんなくこんがりとしたつやのある焼き色、とても美味しそうだ。ピピは声も出せずに涎をたらして見つめていた。


 これは、ベールさんの奥さんから頂いたお料理だ。祖母ちゃんが、私とリートの結婚記念日なのだと数日前から話していたものだから、気を使ってくれたのかもしれない。

 いや違うな。祝い半分、好奇心半分で様子を見に来たのだ。というのも、私とリートが喧嘩してるって、エマたちは本当に村中に吹聴して回ったようで、ベールさんが来る前にも「夫婦喧嘩だなんて一体全体どうしたんだい」ってわざわざ訊きにくる人が何人もいたのだ。祖母ちゃんの手前、その都度バカップル演技で乗り越えはしたが、精神的ダメージは大きかった。

 チキンを持って来た時のベールの奥さんは、やたらと私たちをじろじろみて、オホホホこれからも仲良くお幸せにね、なんて愛想笑いしていた。扉の外には旦那さんと子ども達もいて、隙間から目を爛々とさせてのぞいていたのだ。

 後でエマに文句言ってやらねば。

 

 それはともかく、ピピは心から美味しそうに食べていた。祖母ちゃんは今日はめでたい日だと嬉しそうに、そして私とリートは表面上だけ和やかに豪華な昼食を頂くのだった。


「ニア、夜は二人でディナーに出かけるんだろ? 楽しんでおいで。ピピちゃんは泊まっていくのかい? 祖母ちゃんとお留守番するかい?」

「あ、いえ、ピピは一度お家に帰りましゅ。また遊びに来てもいいでしゅか?」

「はいはいはい、いつでもいらっしゃいね」


 ピピは本当に頭が良くて空気の読める子で、祖母ちゃんとすっかり打ちとけ、リートの親戚の子になりきっていた。

 この後彼女は、一旦天界に戻ることになっている。それはもうリートにも伝えていた。

 ピピはぽんぽこになったお腹をさすってテヘヘと笑った。


「お腹いっぱい。とっても美味しかったでしゅ。ニアたちは夜もご馳走食べるんでしゅよね。羨ましいでしゅ」

「うーん、でもそんな贅沢してたら、太っちゃいそう。もう大満足だし、私は家でスープ飲むくらいでいいけどね」


 リートと二人っきりでディナーなんて、もう今となっては罰ゲームでしかない。

 ディナーキャンセルにリートが同意すれば、夜は出かけなくて済むはずだ。まあ百パーセント同意すると確信しているけど。リートが私と二人で出かけたいなどと、思っているはずがないのだし。ちらりと横目で反応を伺ってみた。


「そうだな。無駄な金使っても仕方ないし、ぶくぶく太られちゃ堪らないしな」


 無駄とかぶくぶくとか、カチンと来て頬を引きつらせたが、一応行かない方向に話を持っていったので、ひとまず許しておいてやる。

 だがしかし……。


「あ、あ、あなたたち……ど、ど、どうしたの……」


 フォークを落とし、顔面蒼白になった祖母ちゃんがブルブル震え出した。

 まずい、発作だ。ぶっ倒れそうだ。


「あ、あんなに楽しみにしてたのに、結婚一周年だって。記念日ディナーだって。ああ、やっぱりまだ喧嘩して……り、りこ……りこ、ん……ひひひぃぃぃぃ!」


 私とリートは同時に立ち上がり、祖母ちゃんの両脇を支えた。椅子ごとひっくり返るんじゃないかと思ったのだ。


「いやいやいや! 待って祖母ちゃん! 大丈夫、大丈夫だからぁ!」

「そそそそ。喧嘩じゃないから! 腹いっぱいっていうだけの話でさ!」

「私たちだけ食事に行くなんて、なんか祖母ちゃんに悪いかなって思っただけで」

「こうやって、祖母ちゃんも一緒に乾杯できたからそんでいいかなあって思っただけだよな」

「んねー♡」

「ねー♡」


 二人ともアハハと必死で誤魔化す。

 が、祖母ちゃんはジト目で見つめるばかりだった。


「気なんか使わなくていいの。行ってきてちょうだい。私に心配させないでちょうだい」

「そうなのでしゅ。折角の記念日なのでしゅから」


 ピピと祖母ちゃんの圧力に負け、結局、記念日ディナーは予定通り出かけることになってしまった。

 リートの目が死んだ魚みたいだった。多分私も同じようなもんだろう。





 記念日ディナーは、はっきり言って苦痛でしかなかった。不快で憂鬱でたまらないのだ。目の前にいるのはリートではなく、カボチャだジャガイモだと何度も心に言い聞かせたのだが、あまり効果はなかった。


 聖堂へ婚姻の届け出をしにいったのは、二人が出会った翌日だった。結婚式はお金が溜まってからにしようという事で、二人でちょっぴり贅沢な食事をしたのがこのレストランだ。いわゆる、思い出のレストランってやつで。ちなみに結婚式はまだ挙げていない。

 あの時は、一年後にこんなお葬式みたいな食事をすることになるとは夢にも思わなかった。リートと一対一で向かい合って座っていることが、こんなに息苦しく感じる日がくるとは思わず、ため息が止まらない。


 お昼ごはんの後、ピピは天に帰っていった。

 彼女は家の裏に回るとそっと羽根を広げ、空に向かって飛んでいく……のかと思ったら、ぽわんと柔らかな光の玉に変身して、それからふわふわと空に昇っていったのだった。そして光がほとんど見えなくなったころ、すぐ戻って来ましゅからね、と言う微かな声が空から降って来たのだった。

 本当にすぐ帰って来て、真相を教えてもらいたいものだ。


「……こちらは旬のアスパラガスを使った冷製ポタージュでございます……」

「ん」


 給仕がめっちゃじろじろと私たちを見ている。きっと本当は料理の説明をするよりも「バカップルがなんで喧嘩してるの? ねえ、なんでなんで? 離婚するってホント? ウケるわぁ! マジ、ねえ、マジ?」と訊きたくて仕方がないのだろう。目が好奇心で爛々としている。

 だが、私はツンとそっぽをむき取り合わない。もちろんリートも「ん」の一言に、とっとと向こうに行きやがれの圧を込めている。

 そして、目の前に置かれたスープを私たちは無言で飲み干すのだった。所要時間は一分程。ほとんどやけ食いだ。さっさと食事を済ませて立ち去るに限る。

 スプーンを置くと待ち構えていたように、料理を持った給仕がやってくる。


「……こちらは子羊のローストハーブ風味でございます。バルサミコ酢のソースでお召し上がりください」

「ん!」

「こちらのワインはシェフからのプレゼントで……」

「ん!!」


 さっさと置いて消えろと、リートが思い切り睨みつけていた。

 まったく懲りない給仕だった。一旦引っ込んでも、お水をお持ちしましょうかとか、お味はいかがでしょうかと、あからさまに絡んでくるのだ。

 以前来たときは、私たちのアツアツぶりを見て「死ねや、ゴラァ」と目を淀ませていたくせに、今日はキラッキラの笑顔で生き生きしてやがる。


――人の幸せを妬んで、不幸の笑うとか、ロクなもんじゃないわ! だぁーから彼女できてもすぐフラれんのよ、あんた!


 心の中でアッカンベーと舌を出して、ふと「そうか、私は今不幸なんだ」とドキリとした。

 もうリートと私は、仲良し夫婦ではなくなってしまった。これからは仮面夫婦だ。まだ全然、上手く仮面かぶれてないけど……。

 私はまだ未練があるんだろうか。いや、無い。無いはずだ。あってたまるか。私たちは、いくつかの前世で互いを裏切った者どうしなのだ。愛し合う方がどうかしているんだから。

 もう今生ではキレイさっぱり縁を切った方が、お互いの為なのだ。きっと、そうなんだ……。


 また近寄ってこようとしている給仕に、リートが思い切りガンを飛ばして、ナイフを逆手で持って構えた。すると、さすがに給仕のヤツ、青い顔して奥に引っ込んだのだった。


――うわ、ナイフって。マジ凶暴。そりゃあ、ミランに斬りかかるようなヤツだもんね。


 そう思ったはずなのに、私の胸には新たな疑問が浮かんできている。

 リートは本当に裏切ったのだろうか、と。

 彼がミランに斬りつけたり、火を放ったりしたというのは、学長とミランに聞かされたのであって、私自身が目撃したのではない。第三者であるピピに話したことで、私はそれに気付いたのだ。すっかりリートが火をつけたと思い込んでいたけど。

 「なぜ裏切ったのか」よりも「本当に裏切ったのか」が知りたくなっているのだ。


 死の間際の「今度こそ幸せになろう」という謎ワード。

 もしかしたらこれは、自分たちが何度も生まれ変わりめぐり逢い、惹かれ合いながらも結ばれなかった、と前世の私たちは自覚していたということなのだろうか。

 全てはピピの言った通りで、運命の絆で結ばれながらも何かの手違いで結ばれなかったのだろうか。


――じゃあ、手違いって何なの?


『あなたは間違えてしまったのです! しかし、今なら間違いを正せます!』


 学長の言葉が不意に思い出されて、ゾクリとした。私が何かを間違えてしまったせいなのだろうか。

 あの時は炎の真っ只中にいて、冷静に考える余裕もなく簡単に絶望してしまったけど、もしも飛び降りて命が助かっていれば、リートに事の真相を聞けたかもしれない。

 それは、彼が私を憎んで殺そうとしたという恐ろしい真実かもしれないし、もしかしたらとんでもない誤解があったのかもしれない。

 これは、リートが記憶を取り戻せば、全てが明るみにでるはずだ。


 反対にリートにも疑問があるはずだ。彼の記憶では、私が彼を裏切ったらしいのだから、何故と思うのは当然だろう。私が思い出しさえすればよいのだろうけど……。


――リートが奴隷だったとかいう記憶の内容……やっぱり聞いておいた方がいいのかな。聞いたら思い出すのかな……。私がリートを騙して殺したなんて信じられないけど……でも、でも、もしもリートが言ってることが本当だったらどうしよう……。聞くの、怖いなあ……ヤだなあ。うーん…………し、知らんぷりしとこう、かな……?


 はっきり言って、ここでディナーしながらする話題じゃないから、と心の中で言い訳してリートの記憶の聞くことを、私は先延ばしにしたのだった。

 そして終始無言、ものの二十分で食事を終えた。給仕や他の客の好奇の目にされされ、居心地の悪さに料理の味なんてちっとも分らなかった。

 店を出て、大きく息を吸い込んだ。もう二度と来るかと、思い切り吐き出す。


「俺は飲み直してから帰る。お前もどっかで時間潰してから帰れ」

「命令しないで、ムカつくから」


 なぜリートがこんなことを言うのか、理由は分かっている。祖母ちゃんを心配させないためだ。あんまり早くに帰ったら、一体何があったの、喧嘩したの、とまた心配のあまりひっくり返るかもしれないからだ。


「別々に帰ったことを知られても拙いから、祖母ちゃんが寝るいつもの時間よりも遅く帰るようにしてよね」

「お前に言われなくても、分かってる」


 チッと大きく舌を打ってリートはくるりと背を向けた。そしてスタスタと歩いて行ってしまった。いちいち、ムカつくヤツだ。

 私は、リートが角を曲がるところまで見送ってから、彼とは反対方向に歩き出した。別に名残惜しくて見ていたわけじゃない。今から行かなければならない所があるのだが、それを奴には絶対に知られたくなかったからだ。

 まさかのまさかで、リートがついてきてやしないかと、時々後ろを振り返りながら、村のメインストリートから外れる。

 私はこの村で一番古くからある、時計店に向かっていた。


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