第14話 無用のプレゼント=一人寝のベッド

 時計店の前で、私は大きなため息をついた。なんだか虚しくてならない。

 私は一月前この店で、懐中時計を注文していたのだ。リートへの贈り物として。結婚一周年の記念に。

 時計の裏には「愛するリートへ」なんて彫ってもらったりなんかしたりして。

 当初の予定ではディナーの前にこっそり受け取って、レストランでプレゼントするつもりだったのだけど。


 全くもって虚しい。

 前世を思い出してしまった私たちには、もう必要がないのだから。いずれは離婚するっていうのに、無意味すぎる。リートの方でも、私からのプレゼントなんて欲しくもないだろう。嫌な顔をされるくらいなら、あげない方がマシだ。

 とは言え、注文してしまったからには買い取らなければならない。箪笥に仕舞い込むためだけに、お金を払わなければならないなんてバカバカしすぎて、本当に溜息しか出ない。


――ああ、もうニアたんのバカ! バカ!


 安くもないのに、無駄な買い物をしてしまった過去のおバカな自分を呪う。このお金があれば、新しい服だって靴だって買えたのに、きぃーと唇を噛んだ。いくら悔やんだところで後の祭りでしかないのだが。


 店に入ると、時計店のご主人はこれでもかと愛想よく笑いかけて来た。そして、懐中時計の裏の言葉はこれでよろしいですか、と確認のために見せてくれた。

 別に誤って「さよならリート」と刻まれていたところで構やしないので、チラリと見ただけで、オッケーでーすと余所行きの笑顔で頷くのだった。ちなみに、残念ながら間違ってはいなかった。


「いやあ、いつも仲が良くて羨ましいよ。昼間、あんた達が別れるって変な噂を聞いたんだけど、こんなに愛のこもったプレゼントをするくらいだ、あれはデマなんだろう?」


 ギクリとして、私の頬が引きつった。エマだ。あのドSめ、噂を否定して回る私を想像して、今頃高笑いしているに違いない。


「ええぇ、やだぁ。そんな噂、信じないでくださいね」

「もちろんさ、そんなわけないだろうって言っておいたよ」

「ありがとうございますぅ」


 作り笑いでぶりっ子して誤魔化した。こんな噂が祖母ちゃんの耳に入ったら厄介だからね。

 すると店主の興味は、私とリートから逸れ持っていた懐中時計へと移ったらしい。この時計はとっておきの品でね、とニコニコと説明しながら箱に仕舞いラッピングしはじめた。

 私にはよく分からないのだけど、多分中の仕組みが凝っていて時間がズレることがないとかそんな事のようだ。店主の熱弁は私の右耳から左耳へと抜けていってしまったけど、時計愛好家同士で語り合えば盛り上がるのかもしれない。装飾が美しいということだけは、私にもわかるのだけどね。

 店主のおしゃべりは止まらず、しかももの凄く丁寧に丁寧にゆっくりと箱を包むので、思わず適当でいいですよと言いそうになるのをぐっと堪えるのだった。


 なんだか手持無沙汰で店をぐるりと見まわすと、大小色々な時計が所狭しと置かれていて、店の奥には大きな振り子の柱時計がカチコチと時を刻んでいた。

 私の視線は振り子に吸い付けられた。

 揺れる振り子を見ていると、ぞわぞわと不安が湧いてきた。あの火事の時、一人でリートを待っていた部屋を不意に思い出してしまったのだ。急に胸も息苦しくなってきた。

 と、針がカチリと動き、午後八時丁度を差した。

 背筋が冷え、私は大きく身震いして目を閉じた。時計が鳴るのが、何故かとても怖いと思ったのだ。

 時計は鳴らなかった。しかし――


――ゆらりゆらゆら振り子のように


「え?!」


 突然、振り子時計の歌が聞こえた。女性の声だ。私はキョロキョロと店の中を見回してしまった。他に人はいないし、蓄音機もない。外で誰かが歌っていたにしては、すぐ近くで囁いているように聞こえたのだ。

 時を報せるはずの音は聞こえず、二人しか人が居ない店内で聞こえるはずのない声が聞こえて、私はゾクリと震えた。

 店主は目をぱちくりして首をかしげている。


「どうしたんだい?」

「今、振り子時計の歌が聞こえて……」

「歌? んー、聞こえなかったけどなあ。おじさん、耳が遠くなっちゃったかな」


 ハハハと笑って、店主は包み終わった箱を差し出した。全然、相手にされてないようだ。こっちはビクついているというのに。ちゃんと話を聞いて欲しい。

 空耳にしてははっきり聞こえたものだがら、なんだか胸がざわつく。でも、やっぱり外で誰かが歌っただけかもしれないしと、自分に言い聞かせるのだった。

 店主にもそうだねと言って欲しいのだけど、聞こえなかった人に同意を求めても仕方ないだろう。開きかけていた口を、しっかりと閉じたのだった。

 店主は振り子時計という言葉に反応したのか、店の奥に向かった。


「そういや今日はこの振り子時計、全然音が鳴らないんだよね。困ったね、修理しないとねぇ……」


 店主は嬉しそうに時計を撫でた。全然困っている様子ではない。むしろ時計がいじれるぞ、と嬉しそうだ。

 私はさっきの声がまだ気になっていたし、無用のプレゼントの買い受けという憂鬱な仕事をさっさと済ませたくて、全力で愛想笑いしつつお金を払った。そして時計の入った箱を鞄にしまうと、そそくさと店を出たのだった。


 虚しさと徒労感が半端ない。

 リートは口に出したことはないけど、懐中時計を欲しいと思っていたはずだ。店の前の通るたびに、ショーウインドウに飾られていたこの懐中時計に熱い視線を送っていたし、村長さんがポケットから時計を取り出すのを羨ましそうに見ていたから。

 うちは金持ちではない。畑の野菜を売って得る収入と、村から支払われる自警団の薄給を合わせれば、食べるのには困らないけど、余裕がある訳ではないのだ。贅沢は敵なのだ。

 でも、リートが喜ぶと思えばこそ、懸命に節約してやっとお金を貯めたのだ。その努力が、全てが無に帰した。なにやってんだかとため息しかない。

 がっくりと肩を落として、私はトボトボと歩いていく。教会でお祈りしてから、少し遠回りをして祖母ちゃんが眠る頃合いに家に帰ることにしよう。





 そっと家の中に入ると、中は真っ暗で静まり返っていて祖母ちゃんはもう寝ているようだった。良かった、今夜のところは無事に乗り切れそうだ。

 リビングのランタンに明かりを灯し、リートも寝ているのかとドキドキしながら寝室をドアを開けたが、彼の姿はなかった。まだ飲んでいるのかもしれない。

 私はホッと息を吐く。

 リートの顔を見なくて済んで、心底良かったと思う。なんだかぐったり疲れてしまっていて、こんな夜更けにリートとまた火花を散らす気力は残っていなかったのだ。いや、どんなに睨まれたって無視すればいいだけの話かもしれないのだけど。

 とにかく彼が帰ってくる前に寝てしまおうと、急いで顔を洗い着替えを済ませ、懐中時計の入ったプレゼントボックスを箪笥の奥に仕舞い込んだ。

 そして灯りを消し、私は自分のベッドに潜り込むのだった。


 枕元にうっすらと月明かりが差し込んでいた。

 目が闇に慣れて来ると、いつもと違うベッドの配置に物凄く違和感を感じてしまう。隣に自分以外の体温や寝息が無いことにも。耳元で囁く声が無いことや、髪を撫でる腕がないことにも。それに、ベッドがこんなに広いなんて知らなかった。

 一年前までは当たり前だったのに、今は一人で寝ることに心細さや落ち着かない気分を感じるなんて、なんてこったと私は頭を抱えた。

 眠ろうと、ギュッと目を閉じても、全然眠くならない。一人では眠れそうになくて、枕にぎゅっとしがみついた。


――だからって、奴を抱き枕に使おうなんて思わないけどさ……


 無性に悔しくて、頭からシーツを被って背を丸めた。

 羊が一匹羊が二匹と数えてみるのだが、気が付くとリートは一体いつまで飲んだくれるつもりなんだろう遅すぎるんじゃないの、などと考えていて、私はペシペシと自分の頬を叩いた。

 リートがどこで何しようが、もう関係ないのだ。そう、何をしてたとしても。路地裏に立ってる色っぽい女の人と、安宿に入っていったりなんかしても。


――……ウン、関係ナイヨ。好キニスレバイイヨ。……でも一応まだ別れていない妻としては…………仕方がない、殺そう。


 妄想の中で、思い切りリートにビンタとケリを入れるのだった。そして妄想の彼に、ごめんなさいやっぱり僕には君しかいない、と言わせてちょっとだけ満足するのだった。




 ギギギと何かが軋む音がした。何度も聞いたことのある音だけど、どこか遠い世界の物音のような気もする。

 私はうつらうつらと夢の世界に片足突っ込んでいるようだけど、ドアの開く音でうつつに引き戻されそうにもなっている。


――リートが帰ってきたんだ……。


 ぼんやりとそう思った。目を開けるのも、もちろん起き上がるのも億劫で、このまま寝ていようと、無視を決め込む。というか身体はちっとも動かなかった。もしかしたら耳だけが起きているのかもしれない。

 足音が部屋に入ってきて、仕切りになっている箪笥の向こうに移動していくのが分った。ベッドの軋む音。靴を脱ぎ捨てる音。服を床に投げ捨てたらしい音。もっと静かにしろよと思う。

 もう寝るんだろうと思っていたら、また小さく足音が聞こえる。裸足の足音だ。なんのつもりだ。こっちに回ってくるのか。

 足音が止まった。ベッドの足元あたりだろうか。

 

――なによ、用があるなら明日にして……


 あっちに行けと言ったつもりだったのだが、頭の中だけでしゃべってたのかもしれない。口が動いたような気がしないのだ。


「ニア……」


 低い呟きと深いため息が聞こえて来てドキリとした。意外と近かったのだ。

 そして、煙草と汗の匂いが漂ってくる。お酒の匂いや女の香水の匂いがしないことに、ちょっと安心した。っていうか、今まで何してたんだろうか。

 起き上がろうとしたが、上手く動けずに身をよじっていると、足音と匂いが去っていった。そしてまたベッドの軋む音。

 こんどこそリートも寝るようだ。

 彼と別々のベッドで寝る初めての夜だった。

 もしも前世なんて思い出さなかったら、素敵な記念日ディナーをして、懐中時計をプレゼントして、甘く熱い夜を過ごしたことだろうに。それがまさかの一人寝になるとは。いや、別に今更ラブラブしたいなんて思ってないけどね。


 結婚一周年の記念日は、波乱を呼ぶゴッツンコで始まり、怒涛の展開を見せ、そして切なく終わっていくのだった。

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