第15話 激震=揺れる胸の裡
突然、背中をドンと突き上げられた。
一瞬身体が浮いたかと思ったほどだ。私はベッドの上で目を開けたが、起き上がることはできなかった。怖いからというのもあるけど、激しく揺さぶられて、ベッドにしがみついているのがやっとだったのだ。
ガタガタと大きな音をたてて家具が揺れ、気味の悪い振動に胃が縮みあがった。
――な、なに、地震? やだ、揺れすぎ! 早く止まって!
私の思いとは裏腹に、揺れは激しくなってるような気がする。ギシギシと壁や天井が音を立て、壁にかけていた額縁が落ちて来た。鏡台の上の小瓶は全て落ちて転がってしまった。
そして、なんとベッドが私を乗せたまま左右にズレるように動き出していた。動くベッド、まさかこんなことがあるなんて。まあ私って細身だし軽いからね、このまま空も飛んじゃったりして、と現実から目を逸らそうとしたけど、ぴしぴしと窓ガラスにヒビが入るのを見て、慌ててシーツを頭からかぶった。
こんな大きな揺れは体験したことがない。
ガタガタミシミシと家は揺れ続け、私は声も出せずにベッドの木枠を握り締めていた。
「ニア!」
リートの声に、パッと顔を上げる。家中でガシャンゴトンと不穏な物音がしまっくっている中で、リートの声だけは一際力強く私の耳に届いた。
「頭守ってじっとしてろ! すぐ行くから!」
リートはそう言ったが、言ったはしからドスンと転んだような音が聞こえる。こんな揺れまくってる中、まともに歩けるものではないだろう。私は起き上がるのさえ、ままならないのだから。
――なんで、私の所に来ようとするのよ……
私を心配するような言葉をかけて、リートは駆けつけようとしてくれている。どうしてなのかと思うと、胸がギュッと苦しくなった。私は、リートの記憶の中では彼を死なせた酷い裏切者のはずなのに。
揺れは全然収まらない。
危ないからそっちもじっとしててと言おうと思ったのに、喉がカラカラに乾いて思うように声が出せない。
「リ、リート……」
「おい! どうした、大丈夫なのか!?」
私が弱々しい声を出してしまったせいで勘違いしたらしい。リートは四つん這いになって、ズダダダとこちら側に回り込んできた。チラリと顔が見える。
「だいじょ……」
大丈夫と言いかけたところで、バキバキと物凄く大きな嫌な音が私に被さってきた。感じたのは重さというより圧迫感だった。
――ああ、ヤバい。これは本当にヤバい。
「ニアーーーー!!」
何がどうなったのかよく分からない。
少し気を失っていたようだ。私の名を何度も呼ぶリートの声でうっすらと目が開き、それから揺れが止まっていることに気付いた。
良かった。これ以上揺れたら家が潰れてしまうような気がしてたから。
ゴソゴソガタガタと近くで音が聞こえる。リートが倒れた家具を動かしているようだ。
顔を上げようとしたら、ゴツンと後頭部をぶつけた。
――あれ……もしかして私なんかの下敷きになってる?
手探りで確認すると、私はベッドから落ちて床にうつ伏せになっているようだ。ベッドが倒れてきた箪笥のつっかえになり、狭い空間を作り出していて、私はそこに挟まれているのだ。足に何か乗っかっていて凄く重くて動けない。それに痛い。多分飛び出した引き出しじゃないだろうか。
暗くて何が何だか分からないが、多分家の中はめちゃくちゃになっているんだろう。
「ニア! 返事しろ!」
「は、はい!」
リートの大声にドキリとして、また頭をぶつけてしまった。
彼は箪笥をどかせようとしてくれていたようだ。返事をすると、一瞬その動きが止まり、すぐまたガタゴトと倒れているものを動かし始めた。
ズズズッと大きな音がして、箪笥が一台起き上がったようだ。月明かりが床を照らすのを見て、私はホッと息を漏らした。
リートの足も見える。膝をついて、私がいる隙間を覗き込んできた。
「這って出て来れるか?」
「……うん、な、なんとか……」
私を見つめるリートの顔は、夢にうなされていた私を心配した時と同じだった。眉が思い切り下がっていて今にも泣きそうで。
あの時と同じように、私の胸を撃ち抜いてしまう。
――やめて……そんな顔しないでよ。ずるいよ、リート。
私は唇を噛んで俯き、それからほふく前進を試みた。
今はとにかくここから脱出しなければならない。
「痛っ……」
「怪我してるのか?」
「分かんない……足が痛いの。挟まれてるのかも」
するとわずかに見えていた隙間からリートが消えた。少し移動して、私に被さっている箪笥を持ち上げようとしているようだ。
ウググと呻くリートの声が聞こえる。そこまで重い箪笥とは思えないのに、どうしたのだろう。気合いを入れるように呼気を発して、足を踏ん張る。ようやく苦悶の表情のリートが肩に担ぐように箪笥を持ち上げて、私に手を差し出した。
「掴まれ!」
私の足を捕まえていたものが少し軽くなった。縋るようにリートの手を掴むと、ぐいと引っ張られた。私は懸命に這い、狭い隙間から脱出したのだった。
私が出ると同時にドスンと箪笥はまた倒れた。
振り返ると、箪笥の上に太い柱が倒れていた。これは重いはずだ。なかなか動かないのも道理だ。危機一髪。一歩間違えば、死んでたかもしれない。
壁は妙な角度に歪んでいて、天井も低くなっている。というか、屋根が半分落ちているような気がする。
あまりの惨状に思わずポカンと口が開き、崩れた漆喰や壊れた家具の散乱する床に、私はへたり込んでいた。さっきは夢中で這いずったけど、今は完全に脱力してしまって、腰も抜けてるような気がする。
ぜえぜえと肩で息をしながら、リートが私に向き直った。頭の先からつま先まで、無事を確かめるように私の全身に何度も視線を送っている。
「あ、ありがとう……」
「ん……」
リートは目を伏せた。まだ息は荒い。落ち着かない様子で頭を掻き、ドスンと私の前に座り込んだ。眉は下がったままで、目が泳いでいる。
そんなリートの様子に、私の胸はドキドキと高鳴り始めた。私は今、ありがとうの次に何を言うべきなのだろう。
「……そ、それにしても、よく持ち上げられたね。こんなに力持ちだったなんて知らなかったなあ」
――いや! 私ぃ! 多分、それは違うんじゃないかなあ!
じとっとリートに睨まれてしまった。
「もう無理だ。二度と持ち上げられないだろうよ」
ため息をついたリートが、膝でにじり寄ってきた。じっと私の顔を覗き込み、乱れた前髪を指で直し、それから肩に手を置いた。
「……柱が倒れてきた時……死んだかと思ったんだ……」
私は抱きしめられていた。
「良かった……生きててくれて」
ぎゅっと腕に力が籠る。
強く強く抱きしめられて、でも首筋にかかる彼の息は震えていて、私の胸まで震えてしまう。そっとリートの腰に腕を回し、彼のシャツを掴んだ。
――ああ、どうして。どうして、そんなこと言うの。私のこと、恨んでるんでしょ? もう嫌いになったんでしょう?
もしかしたら、まだ私のことを好きでいてくれるんだろうかと、都合のいいことを考えてしまう。
――ああ、どうしよう。好き。私、リートが好き。やっぱりリートが大好き。ねえ、どうしたらいいの。
リートにしがみついて、私は小さな子どもみたいに、わあわあと声を上げて泣いていた。
突然泣きだした私の背を、リートはよしよしと撫でてくれていた。「怖かったな、もう大丈夫だ、俺が側にいるから」そう囁きながら。
そう、リートは優しいというかクサイというか、こういうことが平気で言えてしかも様になる奴なのだ。女の子を怒鳴りつけたり凶悪な顔で睨みつけるなんて、キャラじゃないのだ。私が知っているリートが戻ってきたようで、嬉しいような切ないような気持になって、余計に涙が止まらなくなってしまう。
が、唐突に私は顔を上げた。大事なことを思い出したのだ。
「ば、祖母ちゃん?!」
まさか祖母ちゃん、何かの下敷きになってたりしないだろうか。
リートもピクリと身体を強張らせる。そしてサッと立ち上がり、私の手を引いて立ち上がらせようとしてくれたが、捻挫したみたいで私は立ち上がれなかった。
するとリートは何も言わずに私を横抱きにして、家の外へと向かったのだった。
外は満月が煌々と輝いていた。
「祖母ちゃん連れて来る」
リートはそっと庭に私を降ろし、即座に家の中へと戻っていった。
祖母ちゃんを助けにいくことに頭が回らなかったなんて、なんて不孝な孫なんだろうと自己嫌悪しているうちに、リートが祖母ちゃんを抱えて出て来た。
「祖母ちゃん!」
「気を失ってる。怪我しているのかどうかもよく分からない……」
「どうしよう……」
「とりあえず、聖堂に行ってみよう。あそこなら人が集まっているだろうし、自警団本部も近いし……」
「うん」
頷いたもののどうしたものかと途方にくれる。私は足が痛くて歩けそうにないし、祖母ちゃんを抱っこしているリートにおんぶしてくれとは言えないし。
やはり足を引きずってでも歩くしかないのか、と情けなく見上げると、リートがクスリと笑っていた。
久々に見た笑顔だ。ちくしょう、カッコイイじゃないか。
「ちょっと、ここで待ってて。祖母ちゃんを預けたらすぐに戻ってくるから」
リートはニッコリと笑ってそう言ったが、その瞬間私はゾクリと冷水を浴びたような気がした。
胸がギュッと苦しくなってくる。心臓がまたドクドクと鳴り始め、身体が震えてしまう。
リートは祖母ちゃんを抱いて、私に背を向け歩き出してしまった。
理性では分かっている。私も祖母ちゃんも歩けないのだから、彼が一人づつ運ぶしかないのだ。でも、置いて行かないで欲しい。怖くてたまらないのだ。
「リ、リート! 待って! 置いて行かないで!」
私は叫んでいた。
振り返ったリートの顔が驚きに引きつっているように見える。何をバカなことを言ってるんだろうと呆れているのかもしれない。自分でもそう思う。気絶している祖母ちゃんを優先するのは当然だし、私自身、祖母ちゃんをここに置いて先に連れて行って欲しいと思っているわけではないのだ。
ただ、リートに置いていかれることが怖いのだ。一人で彼を待つことが怖いのだ。あの日の記憶が、恐怖が、私の息を乱し理不尽な言葉を吐かせる。
「いやよ、行かないで! 一人にしないで!」
「ニア……大丈夫、すぐに戻るから」
「いや! いや! あの時だって、そう言った! でも、戻ってこなかった! 行かないでよ、一人にしないでよ」
きっとリートが以前のような優しい顔に戻ったせいだ。私を憎々し気に睨んでいた昼間の彼にだったら、こんなことは言えなかったと思う。
リートのズボンを握って、ブンブンと頭を振って、私は叫び続けてしまう。
「ずっと待っていたのに、戻ってこなかったじゃない! どうしてなの。私が邪魔だったの?! ねえ、今も私が邪魔なの?! 行かないで、置いて行かないで。もう待つのはいや、一人はいや。怖いのよ!」
「邪魔だなんて思ってない。本当にすぐ戻って来る。走って帰ってくるから……」
リートの声はひどく震えていた。
「ああ! あなたは戻ってこないわ! もう戻ってこないわ! どんなに待ち続けても、戻ってこないのよ! 私は取り残されるの。一人で死んでいくのよ!」
自分の叫ぶ声で絶望してしまいそうだった。
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