第8話 そして戸惑い
突然、馴れ馴れしい態度で名前を呼び、まるで自分のことは誰もが知っていて当然とばかりに名乗りもしない。胸元にある首席を示すピンで、己を主張しているのだろうか。
ニッと笑うその男子生徒こそが、シベリウス伯爵家の跡取り息子リートだった。手はポケットに突っ込んだままだし、唇にわざとらしい笑みを張り付けている。想像通りの傲慢な態度だと思った。
彼は、私の足の先から頭のてっぺんまで、何度も往復しながらじろじろと見つめてくるのだ。不躾としかいいようがない。
なのに彼がキラキラと眩しく見えて、キュッと胸が苦しくなった。
一体、彼は何のために近づいてきたのだろう。
「もう踊らないの? さっきはとても注目を集めていたからね、カルナここにありって示せてもう満足したのかな?」
なんだか嫌味だなと、私は眉をしかめた。
「私、ミランを待っているの……」
「ああ、彼なら向こうでパメラに捕まっていたよ。いつも彼女をパートナーにしていたのに、今日は君と踊っていたから怒らせたみたいだね」
「………」
早くミランが戻ってきてこの男を追っ払って欲しいと思うのだけど、私のせいで彼女と喧嘩しちゃったのなら、これ以上彼に迷惑をかけられないとも思う。ここはがんばって、一人でどうにかしなければならないようだ。
ぐっとお腹に力を込めて、声を振り絞った。
「あなたにもパートナーがいらしたでしょう? あんなきれいな人を一人で放っておくなんて良くないわ。私なんかに関わってないで、早くお戻りになったらどうかしら」
リートは目をパチパチと瞬いた。
「へぇ……俺のこと見てたんだ……。彼女とは一曲だけ踊るって約束だったから、もういいんだ。皆を驚かせるのも成功したし」
ニマっと笑って頭を掻いた。そしてにゅっと顔を近づけてきて、笑いながら私を覗き込む。なんだか挑発的な顔だと思った。
私はドギマギと後ずさる。
「驚かせるって、何のことですか」
「だって彼女は……。ああ、君は入学したてでまだ何も知らないのか。じゃあ教えてあげるから、ちょっと向こ」
その時、物凄い勢いでミランが走ってきた。
「おい! リート・シベリウス! 何している!」
私とリートの間に立ちふさがった時には、両手に持っていたドリンクのグラスはすっかりに空になっていた。
ミランはグラスを放り投げ、リートに喰ってかかった。
「何のつもりだ、ニアに近づくな! もしも何かやったらただじゃおかない!」
「なんだよいきなり……なにもしてねーよ」
ムッと口を歪めちらりと私を見つめた後、リートはあっさり背を向けて去っていった。後ろ手に手を振って、またねと言って。
これが彼との出会いだった。
その後ミランに連れられて、休憩用の談話室に移動した。
なんだかどっと疲れてしまい、ソファに倒れ込むようにして座ると、隣に座ったミランが心配げに頭を撫でてくれた。
「ごめんね、ニア。君を一人にするんじゃなかったよ……」
ミランはひどく気落ちした様子だった。私のことを心配してくれたのは嬉しいけど、そんなに責任を感じなくてもいいのにと思う。
それともやっぱりパメラのことで落ち込んでいるのだろうか。
「ううん。大丈夫よ。私こそごめんなさい。私のお守りを言いつけられたせいで、パメラと踊れなくなったのでしょう? 彼女と喧嘩になっちゃったのなら、本当にごめんなさい」
「え? 何、それ? パメラとは別に……。なんでそんなことを?」
「さっき、シベリウスが言ってたの。ミランがパメラに怒られてるって」
「なんなんだ、あいつ! 大嘘つき野郎め!」
ミランはドリンクバーで、たまたまパメラと少し立ち話をしていただけらしい。もちろん喧嘩などしていなかったそうだ。
私は、傲慢で嫌なヤツというリートの印象に、嘘つきをプラスしたのだった。
私の全身を舐めまわすように見つめてきたリートの視線が、むず痒く思い出されてくる。彼の栗色の瞳が、私をじりじりと落ち着かなくさせる。
ミランが駆けつけて来る直前、リートは私を誘いだそうとしていた。どうするつもりだったのだろうか。
カルナ家なんて自分の代でぶっ潰してやるとか言って、宣戦布告しようとしていたのだろうか。それとも、私を学園から追い出してやるとかだろうか。
いや、多分違う。
私は自分の手を見つめ、ふうと息を吐く。少し浅黒い肌。白く美しいみんなの中で、私だけが醜い色をしている。私には母親譲りの異国の血が流れているのだ。
リートは、私をじろじろと物珍し気に見つめ、挑発的な笑みを浮かべて覗き込んできた。きっと、なんて醜いんだと嘲笑っていたのだろう。
彼も彼のパートナーも美しい白い肌をしている。醜い私が彼女と同じ赤いドレスを着ていたことが滑稽に見えて、それを笑いにきたのだろう。
今まで、面と向かって醜いと言われたことは無かったけど、好奇の視線に晒されてきた。だから慣れっこのはずだった。
それなのに、たった一度リートに笑われただけで、私の胸はひどくえぐられてしまったのだ。他にも私をあざ笑っている人はいるだろうに、彼に笑われたことだけが辛かった。
赤いドレスなんて、着なければよかった。
部屋の隅っこで壁の葉っぱになっていればよかった。
学園に入らなければ良かったとさえ思った。
リートの視線がまだ肌に突き刺さっているようで、涙が零れそうだった。
どうして、彼だけが私の心をかき乱してしまうのか……。
その後の学園生活は、意外にも平和だった。
女子部には派閥というほどの強固な垣根は無かったのだ。男子部と違って両派に属さない中立グループも存在していたし、家名よりも気の合う者同士が集まってグループを作っていたのだ。女子は卒業後の出世の心配はしなくていいからかもしれない。
とは言え、確かにシベリウスに連なる家の女の子たちとはぎこちなかった。だけど正面切って喧嘩するわけでもないし、嫌がらせをされることもなかった。当たらず障らずの関係だった。特に無視しあうでもなく自然な距離をとり、互いに近づきすぎないように気を付けていればそれでよかった。
学園にも慣れ、穏やかな日々が過ぎていった。
勉強は楽しかったし、友だちとの仲も深まって、入学前に父が心配していたのが冗談に思えるほどだった。
もしかしたらリートが何か仕掛けてくるのだろうかと、初めは身構えていたが何も無かった。
いや、正確には無くは無い。馬車寄せでミランがシベリウス派の男子生徒と言い争いをしているのを何度か見たことがあったのだ。でも、ミランに尋ねても「ニアは気にしなくていいよ」と言って、詳しいことは話してくれなかった。
ミランが降りかかる火の粉を払ってくれていたのか、本当に大したことではなかったのか、今となってはもう分からないが。
パーティの翌日には、リートと踊っていた赤いドレスの美少女と知り合うこともできた。一つ年上で女子部の首席という才色兼備。下級生の面倒見もよく話題も豊富で、一本芯の通った態度は凛々しくもあり、女子生徒の憧れの的だった。
そして何より、父が私の
リートがみんなを驚かせるのに成功したと言っていたことに、大いに納得した。あのざわつきは、二人が美男美女カップルだったからではなく、シベリウスとカルナでカップルになっていたからだったのだ。
皆が驚くのも道理だと思った。しかし、なぜという疑問も同時にわいてくる。
美少女は自分から誘って、リートと踊ることに成功したらしい。通常は男子が女子に申し込むのだが、リートに関しては逆もあるらしい。かなりモテるようで、なんだか鼻につく話だ。
彼女程の美人なら言い寄る男子生徒は山ほどいるだろうに、なぜリートなのか。ミランが何やってるんだと舌を打っていたのも、今なら分かる。
もしかして、リートに焦がれてのことだったのだろうか。
「一度踊っておきかったのよ。彼とてもリードが上手いし素敵だものね。恋する対象ではないけど。それに、社交界に出たとき、私があのシベリウス家のリートと踊ったことがあると言えば、いい話のネタになるでしょう」
あっけらかんと、オホホホと笑う様子は余裕に溢れていた。彼女はリートに執着があった訳ではないようだ。
何故かホッとしてる自分に気付き、私は内心狼狽えてしまった。
「彼も意外と悪戯好きよね。まさかシベリウスとカルナがって、みんなびっくりしたでしょう? ドッキリ大成功ってわけ。私としては、あれでシベリウスはこれからカルナに融和姿勢をとるんだって、全生徒が思ってくれれば万々歳ってところ。そして、私の目論見を察した上でリートは受けてくれた。頭も良いし度胸もあるんだって関心したわ」
度胸があるのは貴女でしょうと、思わず心の中で突っ込んでしまったけど、彼女の行動は私の為だったのかもと思うと余計なことは言えない。
シベリウス派のトップであるリートと、私が入学するまでカルナ派の女子のトップだった彼女がともに踊ることで、対立を緩めようとしてくれたのだ。私への攻撃を防ぐために。
「あら、あなたの為ではなくてよ。伯爵の御意向でもないし。あなたは可愛いからお友達になりたいと思ったのだし、リートは素敵だから踊っただけ。そして学園のギスギスが薄まれば良いなと思っただけよ。私、思うの。友達も恋人も自分の目で見極めて選ぶべきだって。大人の都合を押し付けられるのは御免だわ。だから、今は知識を貯め人を見る目を養うの。もちろん、私だってバカじゃないから、世の中の流れに真っ向から逆らう気はないけどね」
彼女は、両家の対立や自身の立場など関係なく他の生徒たちと接する。大人の争いと、自分たちは関係はないのだと言って。父や兄弟や恋人に隷属する必要はないのだと。女も自分の考えを持つべきなのだと。
社交界に出た時は、世の風を感じとって賢く生き抜いていかなければならないけど、この学園にいる間くらいはすべての束縛から自由になっていいんだと。
女子部が平和なのは、彼女のおかげだったのだとこの時知った。なんてカッコイイんだろうと、私は思わずキュンとしてしまった。
しかも彼女は私だけに一言付け加えてくれた。
「肌の色を気にしているようだけど、なぜなの? そんなにきれいなのに。ニア、あなたは自分自身からもっと自由にならなきゃね。醜いなんて思ってるのあなただけよ。おバカさんね、笑っちゃうわ」
*
あ! あのねピピ。今すごいことに気が付いたんだけど、彼女、きっとエマよ! 間違いないわ! 彼女も優しいけどすんごく気が強かったの! 私が気にしていることずけずけ指摘して、バカねって言って笑うの! もちろん今のエマからじゃ考えられないくらいずっとお上品にだけどね。彼女、絶対エマよ! エマも生まれ変わっていたのよ。
うん、そうなのね、あり得るのね。家族や友人とかが、生まれ変わっても身近にいるって。
ねえ、他にも前世での知り合いが、生まれ変わってたりするのかな? うんうん、可能性はあると。
ああ、でもエマみたいにピンとくる人はいないなあ。まだ出会ってないのかなあ。誰に会いたいかって? うん、お父さんとかミラン、かな。
ほら、今生のお父さんはもう死んじゃったでしょ。それに前世のお父さんとは、別の魂って感じがするのよね。だから、生まれ変わったお父さんに会えたらいいかなあって。
べ、別にファザコンじゃないし、今生のお父さんの代りしようとかいうんじゃないからね!
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