第二章 ニアは語る
第7話 そして出会い
私は父に溺愛されて育ったわ。亡くなった母の分までね。でも、甘やかされてばかりじゃないわよ。父は優しさと厳しさをわきまえている人だったから。
それから、女の子に勉強は必要ないって考える人が多い中で、父は誰にでも教育は必要だと言って学園に入ることを勧めてくれたの。ゆくゆくは婿をとって伯爵家を継ぐのだし、しっかりと知識と教養を身に付けなさいって。まあ、社交界に出る前の準備期間といった意味合いもあったのだけどね。
でも父は、いざ入学が決まると急に心配になったのか、自ら送り迎えをするなんて言いだしちゃったの。ちょっと親ばかよね。
実際には伯爵である父には山ほど仕事があって、送り迎えなどできるはずなかったんだけど。
そこで父は、従兄のミランに頼んだの。彼は学園の上級生だったから、私のナイト役にも丁度よいと思ったんじゃないかしら。
私を妹のようにかわいがってくれていたミランは、快く共に登下校することを承諾してくれたそうよ。
父がなぜそんなに心配したかというとね、カルナ家とシベリウス家の対立のせいなの。宮廷だけでなく学園内も、カルナ派とシベリウス派、真っ二つに分かれていたの。
しかも困ったことに敵であるシベリウス派の方が優勢で、学園カーストの上位はシベリウス派が占めていたのよ。人数も圧倒的に多いし、シベリウス伯爵の跡取り息子が首席として君臨していたのだから、悔しいけど当然かもしれないわね。
シベリウスの影響は、学園全体に及んでいたわ。彼らが、黒と言えば白も黒くなってしまうくらいにね。
学園は男子部と女子部に分れているんだけど、男子部は特に殺伐としていたみたい。陰湿な嫌がらせも横行していたらしいわ。学園での成績は卒業後の官位に直結してくるから、激しい蹴落とし合いなんかもあって、目をつけられたカルナ派の人は心を病んで中途退学してしまったり……。男の人って本当に大変って思ったものよ。
シベリウスに非ざる者に出世の道は無し、といった具合よ。酷い話よね。
時々ミランがとても沈んだ顔でため息をつくことがあって、そんな時私はなんと声をかければいいのか困ってしまったわ。
そんな状況に父は不安を抱いていたのよ。カルナ家の娘なんて、嫌がらせの格好の的だものね。だから父は、親交の深い家のご令嬢が一年前に入学していると聞くや、私の側についていて欲しいって頼んだらしいわ。だってミランは女子部には入れないから。
男子部と女子部は学舎もカリキュラムも別々で、朝学園の玄関ホールで左右に分れると、もう帰りまで顔を合わせることはできないのよ。
ミランはナイト役といっても、行き帰りを共にするだけ。学園内では父が頼んでくれた上級生の女の子が、私のお守役ってことになったの。
学園に通うだけで色んな人の手を煩わせてしまって、なんだが気が引けて仕方がなかったわ。
前置きが長くなってしまったけど、そろそろリートの話に入るね。
リートはシベリウス伯爵家の跡取り息子なの。学園内のシベリウス派の頂点にいる人物。ミランを悩ませている最大の敵ってわけ。
彼は言葉一つで、周りの人間を自由に動かせたらしいわ。シベリウスにとって有利なように。カルナを排除するように。
私は学園に入るまで彼に会ったことは無かったけど、ミランから聞いた話だけで、大嫌いになってたわ。なんて傲慢で嫌なヤツなんだろうって。
*
「ニア! とても素敵だよ! 君は本当に赤がよく似合うね」
ミランは私を見た途端、おろしたてのドレスを褒めてくれた。満面の笑みを浮かべて言うものだから、嘘よ似合ってなんかないまるでピエロよ、という卑屈な台詞はぐっと飲みこんだ。
夏の終わり、入学二日目。
新入生歓迎パーティの為に普段より着飾った私を、迎えにきたミランは学園に向かう馬車の中でずっと褒め称えたのだ。
本当はこんな真っ赤なドレスは着たくなかった。目立ちたくなかったのだ。父が張り切って用意してくれたものだし、胸元を飾るルビーのネックレスは母の形見だったから仕方なく着ただけ。私は壁の花、いや葉っぱになりたいのに。
「ねえ、ミラン。いっぱい人がいるのでしょう? どうしよう、緊張しちゃう」
「大丈夫さ、僕がずっと側にいてあげるから」
普段は男女別々に学園生活を送るわけだが、歓迎ダンスパーティが開かれるこの日は全生徒が一堂に集まるのだ。
父の頼みで、私と
「シベリウスの人たちも沢山いるのでしょう。ちょっと怖いわ」
「……そうだね。だけど所詮は烏合の衆さ。学園を出ればカルナの叔父様には近づくこともできないような小者の集まりだよ。怖がることなんてない。それにきっと奴ら君の美しさに目が眩むだろうな。みんなひれ伏せばいい。大丈夫、ニア、君には指一本触れさせないよ」
ミランはそういって笑った。
彼は普段、誰にもお世辞なんて言わないのに、やたらと私を持ち上げるから、なんだか居心地が悪い。皮肉を言っている訳じゃなくて、どうも本気っぽいから余計に始末が悪いと思うのだ。
私はちっとも美人じゃないし、面白い話もできないし、誰にも相手にされる訳ないのに、どうして父もミランも褒めそやすのかいつも不思議だった。
パーティは学長の長い祝辞ではじまった。
私はミランの陰に隠れ、とにかく誰の視線にも触れないようにとそればかり気にして、学長話はろくすっぽ聞いていなかった。だから突然自分の名が聞こえてきた時は、酷く驚いた。
「今年度はカルナ伯爵家のニア嬢がご入学され、この学園もますます華やかになることと、喜ばしく思う次第です」
途端に周囲の注目が集まった。
私はドキリとして、俯くばかりだった。なんて余計なこという学長なんだと、苦々しく思っていると更に、私を困らせる言葉が続いた。
「おや、ニアさんどうしましたか? 皆さん、彼女はとても繊細な女性ですので優しく接してあげて下さい。くれぐれも」
恐る恐る顔を上げると、学長が私を見つめてにっこりと笑っていた。優しい笑顔だったけど、迷惑以外のなにものでもなかった。私は全生徒の注目を浴びてしまったのだから。
そして、ああそうかと悟った。学長も父から、私を宜しくと言われているのだろう。シベリウスに牽制をかけてくれたのだ。私に手出しするなと。
ため息がでてしまった。
ミランは満足そうにうんうんと頷いている。でもやっぱり私は、一人だけ浮いていしまったこの状況が嫌で堪らなかった。
その後軽食を摘まみながらの歓談となり、ミランはカルナ派の男の子たちに私を紹介してくれた。早くお友達になってくれる女の子に合わせて欲しいのに、彼らに取り囲まれてしまった。しかもダンスのパートナーになって欲しいと申し込まれ、声も出ない程びっくりした。
後から聞いたのだけど、女子生徒は男子の五分の一くらいしかいないから、パーティではいつもパートナーの争奪戦になるんだそうだ。それなら私でも声がかかるのは無理もない。
それにここでも父の名が影響しているのだと実感した。カルナ伯爵の娘と親しいとなれば社交上有利になるだろうから。本当はもっと可愛い子の方がいいだろうに、男の人ってやっぱり大変だなって思ったものだ。まだ学生だというのにね。
みんな口々に自分をアピールしてくるのだけど、なんて返事をすればいいのか分からない。とにかく名前だけでも覚えなきゃと、焦るばかりだった。
「失礼」
ミランが私を囲む男子生徒の輪に割り込んできた。
「ニアはまだこういう場に慣れていないからね。今日は僕がお相手することになってるんだ」
そう言って私の手を取り、にっこりと微笑んだ。そんな話聞いてないけどな、とクスリと笑いつつ、私は頷いた。
ずっと側にいるって約束を守ってくれているのだと嬉しかった。
しばらくしてカルテットの生演奏が始まり、私たちは踊り始めた。この時まで、誰がシベリウスの人間なのか、私には全く分からなかった。ミランが彼らを避けて、カルナ派の生徒たちを紹介してくれていたからだろう。
でもダンスの途中から、会場がざわつき始めた。とてもきれいな女子生徒を連れた、背の高い男子生徒が現れ、一瞬で注目を集めたのだ。とても華やかなカップルだった。
その周囲にも何組かのカップルがいて、先程まで私とミランの側にいた先輩男子生徒たちと無言で火花を散らしはじめた。見えない深い溝がそこにあるような気がした。更にざわつきが大きくなる。私はなんだか不安になってきた。
踊りながらミランは、少しづつ彼らから遠ざかるように私を誘導していった。だから私は、あの人たちがシベリウス派の中心人物たちなのだと察することができた。
ちらりと覗うと、背の高い男子は女子生徒に恭しくお辞儀をして、それから彼女の手を取り優雅に踊り始めた。二人の立ち振る舞いもその姿も、まるで計算つくされた絵画のように美しかった。男子生徒の堂々とした横顔に、私は目を奪われてしまった。
女の子は真っ赤なドレスを着ていて、それは白雪のような肌によく映えて、とてもきれいだった。輝くような淡いブロンドの髪も、誰よりもきれいだと思った。
同じように赤いドレスを着ていても、私は彼女とは大違いだった。思わずため息が漏れてしまう。
するとミランは小さく舌打ちをして「あいつ何考えてるんだ……」と呟いた。それから彼らから私を隠すようにして、踊りながら沢山のカップルの間をすり抜けていった。
「さあ、僕らは僕らで楽しもう」
「……うん」
私は、再び自分に集まる視線に気づいていた。パーティ会場に入った時から、ずっといくつもの視線を浴びていたのだ。そして、あのシベリウスのカップルとは違う意味で注目を浴びていることも、ちゃんと分かっていた。だって私は美しくないから。
こうなることは予想していた。だから、壁の葉っぱでよかったのにと泣きそうな気分だった。
ほんの少し踊っただけなのになんだか疲れてしまって、テラスで休憩することにした。
飲み物を取りに行ってくれたミランを待つ間、私はテラスの手すりにもたれて、ダンス会場をぼんやり見つめていた。
こういう華やかな場は、私には向かないのだと心底思うのだった。
すると遠くから一人の男子生徒が近づいてきた。軽く手を振ってくるのだけど、私ではなく他に人に振っているのではないかと、思わずキョロキョロとしてしまった。
テラスに出て、私の側までやってきたのは、さっきの背の高いシベリウスの男子だった。
「初めまして。ニアだね? よろしく」
ニッと笑ったその男子生徒こそが、シベリウス伯爵家の跡取り息子リートだったのだ。
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