第52話 誓ったからこそ

 その後、僕らが連行された研究室は、十四年前のあの家に比べて進化していた。


 まず、乱雑に散らばった本の数が格段に増えている。この部屋だけで、書庫として開くことができそうなほどの冊数だ。英語にラテン語、それにこっちのはアラビア語か? 


 次に、パソコン。十四年前よりもずっと高級そうなものが、三台も並んでいる。この十四年の間にどれだけパソコン業界が進化したのか、僕にはさっぱり分からない。だが、これはかなりの上等な代物で、マシンスペックも相当に高いのだろう。


 さらに人間が三、四人は軽く入れるほどの、大きな籠。その中には、十数羽ものオウムが入っている。


 そして、一番目を引くのが、部屋の奥にある大きな機械だ。横から、大人一人分だけ中に入れるような空洞がある。まるで病院にあるMRIのような代物だった。その端に、極太のケーブルに繋げられたヘルメットが供えられている。警察の目を逃れ、アジトを替えながら、よくもこんなに設備を整えられたものだ。


 おまけに、空となった乳酸菌飲料の瓶があちらこちらに散乱している。その光景は、まるでボーリングのピンが倒れているように見えた。


「さて、さっそく実験を開始や。まずは男のガキからマシンに設置せえ」

「……はい」


 父さんの傍らに控えていた守岡が、僕の頭にヘルメットを被せる。そして、大きな機械の空洞にあるシートに寝かせられた。暴れようとするが、僕を取り押さえる守岡の、巨人のごとき強さには敵わない。せめて両手が自由なら、いや無理か。この屈強な男を出しぬくのは、至難の業だ。


「ま、待て、父さん!」


 今にもマシンのスイッチを入れようとする父さんを、僕は制止させる。できる限りの時間稼ぎをしなければいけない。父さんは不機嫌そうに、横目で睨んで来た。


「あん? 何や。ワシの大事な実験を邪魔するつもりか」

「父さん、いつまでこんなことを続けるつもりだ。警察だって馬鹿じゃない。これ以上罪を重ねれば、きっとこの場所を突き止めるはずだ」


 すると父さんはまた、耳にねっとりと残る嫌な笑い声をあげた。


「いつまで、やと? はん、愚問やな。人の魂がどこから来てどこへ向かうんか、それを突き止めるまで、や。過去を知り、未来を知る。全てを解き明かす。ワシがガキのころから知りとうてたまらんかった謎に、もう手が届いとるんや」

「そのために、大勢の人が死んでいるんだぞ!」

「それが何や? ワシの実験のためなら、死んでいった者達も喜んどるやろ。お前のように、再びサンプルとして生まれ変わる者もおるからなぁっ!」


 父さんの哄笑が研究室内に響く。その姿は、まさに悪意の塊だった。その裂けんばかりに開かれた口から、涎の代わりに狂気がこぼれ落ちる。


「そんなに研究をしたいなら、ここにいる連中を使って勝手にやってろっ。関係のない他人を巻き込むんじゃねえ!」


 法衣の男に押さえつけられながら、由香が怒鳴った。それも父さんは塵屑でも見るかのような目で受け流す。自分の研究の素晴らしさを理解できない哀れな奴、とでも考えているのだろう。


「前世の記憶を思い出すことまでは、確実に実現できるようになった。今は、自分の望み通りの来世に転生できるかの研究や。これが想像以上に難しくてな。やけど十四年の間、研究に研究を重ね、ようやく光明が見えてきたわい。その証がこいつや」


 そう言って、父さんは大きな籠を遠慮なしに叩く。そのショックに、オウム達が驚いて一斉に籠の中を飛んだ。


『ココカラ出シテ!』

『気ガ狂イソウダ!』

『モウ、ヒト思イニ殺セ!』


 オウム達が絶叫を奏でる。どれも恐怖と絶望の言葉ばかりだ。もしかして、父さんが覚えさせたのか? そう考えかけ、間違いだと直感する。


「かかかかっ。こいつらはな、前世で人間だったヤツらや。ワシの実験のサンプルになって、死んだ。今は無事に転生し、こうして貴重な被検体として生まれ変わったわけやな」


『人間ニ戻リタイ!』

『家に帰シテ!』

『オ母サンニ会ワセテ!』


 なおも悲痛な鳴き声を叫ぶオウム達。これら全羽の鳥達の前世が、人間だった? つまり、この十四年の間で『螺旋の会』に拉致された、人間のなれの果てだと? 今朝、公園で発見された死体の発見現場が、脳裏を過ぎる。あれは、魂を無理やり鳥に転生させられ、いらなくなって棄てられた残りカスだというのか。


「そんな、そんな馬鹿なことがあってたまるかよっ!」


 あまりの非情な話に、由香が悲鳴に似た声をあげた。


 もちろん父さんの言葉が、全て嘘っぱちだという可能性は十分にありえる。実験にのめり込んでいくうちに、妄想と現実の狭間が分からなくなっただけなのかもしれない。いや、そう考えた方が自然だろう。


 だが仮に、もしもこれが真実だとするなら。


「分かるか? ワシは、人間の来世にまで干渉できるようになったんや。対象を望み通りの生物に転生させることができる。まあ、ここまで来るのに、かなりの年月がかかったし、使い捨てた被検体は大勢おったがな。やけど、その甲斐はあった」


 これはもはや、神か悪魔の所業だ。人間の領分を遥かに超えてしまっている。


「く、狂ってる」

「狂う? 阿呆が、とうに狂っとるわ。やけどな、狂気こそが探究心の原動力になる。狂わなかったら、真実には辿りつけへん、ということや」


 僕の呟きに、父さんは嬉々として歯を見せる。腐りきって、蠅も集らないゴミ屑のような笑み。それとは対照的な甘ったるい口臭。それら全てが醜い。


「母さん達を誘拐したのも、そのためなのか!」

「おう、そうや。人工授精した受精卵に、転生させることができるか。それが、今の課題や。母体は、ワシを崇拝しとる信者どもの中から選べばええやろ。あるいは、どこかから適当にさらってくるのも手やな。これが成功すれば、人間から人間に転生することができるわけや。素晴らしいとは思わへんか?」


 嬉々として語る父さんは、自分の行動に対して、一切の疑問を抱いていないようだ。先ほど別の部屋へ連れて行かれた茂木夫妻は、その実験のサンプルに選ばれたわけか。僕は戦慄と共に、沸々と怒りが煮えたぎってきた。命を何だと思っているのだ、この男は!


「かかかっ、もうすぐや。もうすぐ研究は完成する。人類が長年夢想するだけやった、この謎が解き放たれるんや!」


 父さんは天井を仰ぎ、両手を掲げた。天の理をも、その手に収めようとするかのごとく。


「過去も、未来も、全てが暴かれ、永遠を手中に収められる。それこそが、ワシの人生をかけた望みっ。そして、人の行きつく果てなんや!」

「違うっ!」


 考えるよりも先に、僕は叫んでいた。輪廻の流れを経験した魂が、輪廻の謎を暴こうとする人間に向かって吠える。


「人が生きるのは、前世の記憶でも来世の未来でもない。今だ! 目の前の現実を、必死に足掻きながら生きるんだ!」


 父さんや先ほどの茂木夫妻の言動は、まるで僕自身の愚かさを直視しているかのようだ。僕の場合は、過ぎ去った前世の記憶に怯え、立ち止まっていた。


 輪廻は流転する。それは身を持って味わった。だからこそ、言える。遠い過去に怯え、まだ見えない未来を案じてばかりではいけない。人は今を生きる。月夜にこの身体の主導権を返しても、その事実だけは変わらないっ!


「はっ、やかましいわ、何も分かっとらへんガキが」


 父さんはせせら笑い、鼻であしらう。乳酸菌飲料の瓶に口をつけ、下品な音を立てて中身を飲み干していく。


「お前は昔のように、俯いてワシの指示に従っとればええんや」

「っ!」


 今度は自分の愚かな過去を直視させられ、僕は思わず後ずさりしそうになった。だが、どうにか食いしばって踏ん張る。確かに「朝斗」だったころは、父さんの指示に従い、父さんを告発することから逃げていた。そのせいで、たくさんの人を不幸にしてしまったのだ。あまりに自業自得で、後悔と絶望の沼に沈み込んだ。


(朝斗)

(おとーさん)


 胸の奥にしっかりと刻みつけられた声。


 もう逃げない。逃げないと誓った。夕奈や皆の励ましと支えがあるから、今の僕がある。こんな僕でも立ち上がることができるのだ。だからこそ、決意したばかりではないか。自分を卑下し、ずっと立ち止まる自分と決別すると。そうでなければ、夕奈と月夜を支え、見守る資格なんてない。あいつらのためにも、僕は変わるんだ!


「父さんは、現実を見ていない。直視するのが怖くて、誰にも耳を貸さず、誰の邪魔が入らない研究室の中に籠る。そんなのは、ただの逃避だ!」

「何やと」


 僕の話のどこかに、苛立たせる言葉があったのだろうか。父さんの顔が少し引きつった。よし、このままどんどん押してやる。


「父さんは結局のところ、前世と来世に怯えているだけなんだ。現実を生きることに耐えられないから、研究に逃げた。自分の手で直接未来を切り開く勇気がなくて、ちっぽけな自分を誤魔化したいんだろ!」


 一気にまくし立てた僕に対し、父さんの顔から余裕が消えた。その代わりに、黒い怒りを爆発させる。


「こんっのモルモットごときがぁぁっ!」


 父さんは、僕の腹に上から何度も拳をめり込ませる。幼児の腹筋では防ぐことなどできるはずがなく、僕は思わず顔を苦痛で歪ませた。両手を封じられているせいで、腹を押さえることもできない。


「こっちが黙って聞いとったら、ええ気になってベラベラしゃべりよってっ! そういえば、お前は昔、守岡のガキやったときも、ワシに口答えしよったな。何が『目の前の現実』や。ワシの輪廻転生への執念を、青臭いガキの理想なんぞに否定されてたまるかっ!」


 この研究を愚弄されるのは、自分の人生を否定されるようなものなのだろう。だが、そんなことは知ったことか。この男の鼻っ柱なんて、粉々に砕いてやる。


 それをよそに、僕の傍で次の指令を待っていた守岡が、話に食いついてきた。


「守岡……? 博士、それはどういう意味ですか?」


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