第51話 諸悪の根源

 それから程なくして。とうとう、その人物が姿を現した。


「おい、そろそろ次のサンプルをよこせや」


 白い扉を乱暴に開け、部屋の中に入って来る。その手には、瓶が握られていた。

 身に纏う、よれよれの白衣。皮肉げに釣り上がった目。ボサボサの髪。思わず顔をしかめたくなるほどの、甘ったるい体臭。年月を経て外見はさらに老けたが、根本は変わっていない。


 僕はこの男を知っている。忘れてたまるものか。


「おお、博士だ」

「白鷺博士っ」


 信者達がざわめきながら男、白河幸太郎を取り囲む。彼らの目はもはや、崇拝の域に達しているといってもよい。それに対し、父さんは煙たそうに手を払った。苛立たしげにボサボサの髪を掻く。しゃがれた声も、僕の記憶の中にあるものと同じだ。


「ええい、やかましい。それで、例の連中はどこや?」

「こちらに」


 そう言って、白い法衣を着た別の若い女が指し示す。扉の外から、白衣をまとった五人の男女が連行されてきた。ただし全員、布で口を塞がれ、両手を縄で縛られている状態だ。彼らは自分達を連れてきた法衣の男達に、乱暴に背中を押されて床に転がされる。そのうちの一人は、母さんだ。母さんは僕を見つめながら、何かを叫ぼうとしているようだった。


 その中で母さんの傍に立つ別の法衣の男が、母さんの口を塞ぐ布を外した。母さんは涙をいっぱいに流しながら、僕の名前を叫ぶ。


「月夜! ああっ、どうして、あなたまでここに!」


 不快とばかりに、法衣の男が母さんの顎を乱暴に掴んだ。


「うるさいぞ、女。お前はただ、博士の質問に答えればいい」


 父さんは母さんの目の前に立ち、ゴミ屑を見るかのような目を向けた。対する母さんは、父さんの顔を睨むように見上げる。


「こ、幸太郎さんっ!」

「よう、久しぶりやなぁ、恵美」


 相変わらずの、聞いているだけで吐き気を催す声。そんなこちらの嫌悪感など知る由もない父さんは、転がされた白衣の大人達を順に見やる。


「用件だけ言おか。お前らには、ワシの研究に協力してもらう」

「研究ですって?」

「聞くところによれば、お前らはこの国でも有数の、人工受精の研究者らしいやないか。どうや、ワシに協力すれば、命だけは助けたる。もし断るんなら、実験のサンプルになってもらうしかないなぁ。サンプルってことは、一言でいえば死ぬっつぅこっちゃな。さて、どっちを選ぶ?」

「お断りよ。私達の研究は、命を繋ぐためのもの。命を弄ぶためじゃないわ」


 父さんの汚れた誘いを、母さんは切って捨てる。その目からは、科学者としての矜持が感じられた。父さんの言葉は、何十年もの自分の研究を虚仮にされたようなものだろう。


「それに今の研究成果があるのは、私の愛する息子が残してくれたおかげなの。それなのに、あの子を殺したあなたに協力することは、あの子に対する冒涜よ」

「息子ぉ? ああ、朝斗のことか。殺したっつぅのは、人聞きが悪いなぁ。あいつには、ワシの研究の礎になってもらったんや。あいつのおかげで、ワシの研究に貴重な芽が出たんやで。感謝しとるよ、ホンマに。ホンマになぁ、かかかかっ!」


 こちらの耳が腐りそうな笑い声だ。どうやら「朝斗」を殺した罪悪感など、微塵もないらしい。しかし、父さんが僕のことを覚えていたのは、正直言って意外だった。十四年も昔に死んだ人間のことなど、この男はとうに忘れ去っていたと思っていたからだ。おそらく、研究の芽とやらが出たから、覚えているだけなのだろう。


「……こちらで転がっているガキは、お前の孫だろう……それをよく考えて、発言することだ」


 守岡がこれ見よがしに僕の髪を掴み上げ、母さんを恫喝する。強力なカードを見せつけられた母さんは、悔しそうに唇を噛みしめた。つまり僕を拉致したのは、母さんを脅すためか。どうせ用が済んだら、簡単に殺すのだろうが。


「月夜と由香ちゃんは関係ないでしょうっ。解放してあげて!」

「ドアホ、断るに決まっとるやろ」


 母さんの願いを、父さんはにべもなく切り捨てる。


「さて、恵美の意見は置いといて。他の者はどうなんや。死ぬか、ワシに協力するか」


 父さんは、傍らに控える別の法衣の男に手を振る。男はその意味を察したようで、目の前に転がる白衣の大人達(どうやら、一緒に誘拐された母さんの同僚達のようだ)の口を塞ぐ布を、順番に外していった。すると母さんの同僚達は血相を変えて叫ぶ。


「お、お願いしますっ。何でも協力します!」

「ですから、どうか命だけは助けて下さいっ!」


 同僚達とのあまりの温度差に、母さんは目を剥いた。


「あ、あなた達、それでも科学者なの!」

「教授、俺達だって人間です。生きたいと願っても、罰は当たらないでしょう」

「人工受精でこれから生まれる命と、今ある命。どちらが大事かと言われたら、後者であるのが普通です」

「それに教授、あなたにもご家族がいらっしゃるから、分かっていただけるでしょう。我々にだって帰りを待ってくれている人間がいるんです」


 家族という単語を出され、母さんは苦渋に満ちた瞳で、僕の方に視線を向けた。唇を噛みしめ、童女のような顔をクシャクシャにしている。


「つ、月夜」


 母さんにとって、月夜は朝斗の忘れ形見だ。昨晩の誕生日祝いでのやり取りでも、その溺愛ぶりが感じ取れた。だから、母さんの科学者としての信念が大きく揺らいでいるのが、手に取るように分かる。


 だが母さん達の口論を聞くのに飽いたのか、父さんは苛立った様子で話に割って入る。


「よぅし、分かったわ。恵美、お前にはサンプルになってもらう。ワシの研究に協力してもらうんは、他の連中だけでええ。お前ら、恵美がおらんでも大丈夫なんやろな?」

「は、はいっ、もちろんです!」


 命惜しさに、同じ志を持った人間をあっさりと捨てる。そんな同僚達の答えに、母さんは絶句した。毎日顔を合わせ、研究していた母さんは彼らに仲間意識があっただろうに。


 そんな中、守岡が父さんに小声で苦言を呈す。危険を冒して僕を拉致したのだから、簡単に母さんを切り捨てることには反対なのだろう。


「よろしいのですか、博士……この女は、例の研究の中心人物です……この女を抜いてしまえば、博士の研究に遅れが生じるでしょう」

「アホ、よぅ見てみ。こんな反抗的な目をしとるんやで。生かしといても、うだうだぬかして、ワシの研究の足を引っ張るだけやろ。そんなら、早いとこ始末しといた方がええ」


 かつて妻だった女に対する慈悲など、微塵も感じられない。そんな歪みきった父さんの足元に、母さんが必死に身体を捻ってにじり寄る。その目から流れる涙が、父さんの靴にこぼれ落ちた。


「お願い、幸太郎さんっ。私の命はどうなってもいい、だからあの子達は解放して!」

「あの子? ああ、あそこで転がっているガキどものことか。アホぬかすな、せっかくのサンプルやぞ。それに、お前のお願いなんぞ聞いたる価値もないわ」


 父さんは母さんの願いを一蹴。歳の割に皺だらけの手で、乱暴に母さんの頬に触れた。


「やけど、そこまで頼むんなら。よし、決めたわ。まずはお前を実験に使ったる。かかかっ、安心せえ。あのガキどもも、後でちゃんと実験に使ったるからな。どうや、ワシは平等で優しいやろ? カカカッ」

「いやぁぁぁぁぁっ!」


 母さんの慟哭が部屋中に響き渡る。だがその周りを囲む法衣の信者達は、せせら笑うだけだった。


「連れてけ」

「はっ」


 別の男に指示をし、母さんが抱えあげられる。母さんはもがこうとするが、男の力の方があきらかに強い。まずい、このままでは母さんが実験の被験体にされてしまう。どうすればいいんだ、どうすれば! 幼い脳を猛回転させ、案を練る。


(頼んだよ)


 ふと、虹の中で守岡信太と交わした約束を思い出した。同時に、僕は叫ぶ。


「待てっ!」


 幼い子ども独特の、高い声。当然ながら、無視されるかと思われた。だが、父さんが侮蔑の目でこちらを見やる。


「何や、お前を実験に使うんは、まだ後や。待っとれ」

「僕を先に、実験に使え!」


 僕は真っすぐに父さんを睨みつけた。守岡が、僕を抑えつける力をさらに強めたが、かまうものか。とっておきのフレーズを発する。


「僕は白鷺朝斗、あんたの実の息子だ!」


 僕の叫びに、さすがの父さんも顔を呆けさせた。白髪の増えた眉を寄せ、珍獣と遭遇したかのように口を間抜けに開ける。


「何やと?」


 よし、食いついたっ。手ごたえを内心覚えつつ、次の台詞を放つ。


「僕は何百回もの輪廻転生を繰り返し、生まれ変わった。被験体とするには、これ以上ない存在だろ」


「月夜、何を言っているの?」


 男に抱えられた母さんが、呆然と僕を見つめる。昨晩、誕生日を祝ってくれたときの言葉を思い出し、胸の奥で罪悪感がざわめいた。


「すまない、母さん。騙していた。だが、今の僕の精神は『神楽崎月夜』じゃない。『白鷺朝斗』なんだ」

「そんなはずがないわ。だって、朝斗は確かに死んだのよ! 夕奈が言っていたわ。月夜は、朝斗の記憶をうっすらと覚えているだけだって」

「僕が『白鷺朝斗』の記憶を完全に思い出したのは、つい昨日のことだ。それまでこの身体は、確かに『神楽崎月夜』のものだった。本当に母さんの孫だったんだ」

「そんな、そんな」


 あまりの事実を、母さんは受け止めきれないようだ。身体の自由を奪われながら、僕の話を拒絶するように首を左右に振る。


「かっかかかかかっかかかかかっ!」


 話を断ち切るように、父さんが奇怪な笑い声をあげる。極上のサーロインステーキを目の前にした獣のような、歓喜の叫びだ。


「お前が朝斗かっ。かかかっ、どうやら、天はワシに味方をしとるな! よし、まずは朝斗、お前からサンプルにしよう。おい」


 顎でしゃくる父さん。僕を押さえつけている守岡が、僕を軽々と持ち上げた。


「月夜っ!」


 母さんの「月夜」を呼ぶ叫びが、心の芯に響く。すまない、母さん。


 もちろん、僕は考えなしに言ったわけではない。夕奈が『魂の絆』を辿ってここまで駆けつければ、助かる可能性はある。少なくとも、母さんと由香は。

 夕奈、頼む。早くこの場所を突き止めてくれ。僕はそれまでの時間稼ぎをする。父さんは喜んで飛びついてくれた。後は僕が実験で死ぬのが先か、夕奈達が来るのが先か。


「待てって、月夜君っ。ああ、もうっ!」


 傍らで黙って話を聞いていた由香が、耐え切れないといわんばかりに大声をあげた。そして、父さんを睨む。


「おい、白鷺教授! オレも前世の記憶を思い出しているぜ。オレは長瀬隼人! 十四年前、大学であんたの実験に参加した男だ!」

「ほう?」


 父さんが予想外に面白い獲物を見つけた、という目で由香に視線を這わせた。


「大学にいたころの人間の名前なんぞ、いちいち名前も顔も覚えてへんが。あのときの実験に参加していた人間か。なるほど、なるほど! 一夜で二人も、こんな貴重なサンプルを見つけて来るとはな! 守岡、お前の鼻は随分と利くやないか」

「……もったいなきお言葉です」


 陰鬱な声はそのままに、守岡が丁寧に頭を下げる。だが、僕はそれどころではない。


「由香、どうしてっ!」

「放っておけるはずがねえだろ! 君が身体を張っているのに、今回巻き込んだオレが何もしないわけにはいかねえよ!」


 そう叫びつつ、由香は僕を見つめる。その目はけっして、やけっぱちではない。

 由香も、僕が時間稼ぎをしようとしていることには、気付いているはずだ。もちろん彼は、僕と夕奈の『魂の絆』の存在までは知らないに違いない。それでも、今できることはこれだけだ、と考えたのだろう。とにかく、助けが来るのを信じるしかない。


 それに、守岡信太から授かった策(といえるのかどうか、定かではないほどの代物だが)も一応ある。それを上手いタイミングで使えば、事態を切り抜けられるかもしれない。


 全ては、僕にかかっている。

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