第53話 狂気の果てに

 そうだ、守岡誠には言わなければならないことがある。守岡信太からのメッセージを伝えられるチャンスは、今しかない。腹の痛みに耐え、僕は真っすぐに守岡を見上げた。


「僕はかつて、守岡信太だった。あんたの息子だった! だから、知っている。守岡信太と守岡雅美を実験のために利用し、自殺に追い込んだのは、今あんたの目の前にいる、この男だ!」

「っ! ……嘘を言うな、ガキ」

「嘘だと思うなら、当人に直接聞いてみればいい!」


 ガキの戯言と無視されるのかと思ったが、守岡には効果てき面だったようだ。鉄面皮の顔に大きなヒビが入る。その奥から阿修羅のごとき表情が現れた。


「……博士だけでなく、俺の家族まで愚弄するつもりか、このクソガキがっ!」


 守岡は驚くほどに声を荒げ、僕を無理やりシートから引きずり出した。そうして、僕の顔を床に叩きつける。


「……前世と来世を自在に操れれば、俺は死んだ家族の魂を世界中からかき集めることができる。なくした家族と、もう一度会えるんだ。俺が長年追い求めてきた悲願を否定する気か、このガキっ!」


 何度も何度も床と顔を激突させられ、僕の脳裏に火花が散っていく。鼻骨が折れたのか、血がこぼれ出てきた。それでも意識の線を意地で繋ぎ止め、僕は説得を続ける。


「守岡信太が自殺する際、残した遺書にはこう書かれていたはずだ。『二人でこの家に生まれてきて、ごめんなさい』って」


 そのキーワードが心臓を深く貫いたのだろうか。守岡の攻撃の手がピタリと止まる。


「……それをなぜ、お前が知っている」

「守岡、あんたは家族を愛していたんだろう。なら、確かめろっ。あんたの子ども達が自殺した、その真相を!」

「ぐ……っ」


 守岡はわなわなと全身を震わせながら、父さんに詰め寄る。おかげで、こちらの身体が自由になった。


「……博士、お聞かせ下さい。このガキの言っていることは、本当なのですか?」

「あん? 何や、お前までワシの邪魔をするんかい」

「お願いします、博士……真実をお教え下さい!」


 守岡からすれば、忠誠心に関わる重大な問題のようだ。息子と娘の自殺の動機とは、それほどのものなのだろう。だが、腹の虫ががおさまっていない様子の父さんは、煙たそうに眉をしかめた。


「ったく、やかましいのう。そんなにホンマのことが知りたいんかい」

「……はい」

「事実や」


 苛立たしげに鼻を鳴らしながら、父さんはあっさりと言い捨てる。守岡の顔が一瞬で凍りついた。それを見た父さんは、怒りのはけ口を見つけたとばかりに唇を吊り上げた。


「あの姉弟が乳繰り合っとるんを、この目で見てな。少しばかり脅したら、実験のモルモットになってくれたわ。やけど、すぐに音をあげよって。あげくの果てには、勝手に自殺までしよった。まったく、それから何年もの間、まともなモルモットが見つからんと、研究すんのに苦労したんやぞ。やけど、今度はワシの息子に生まれ変わった。このガキは、ワシのモルモットになる運命にあるんや」


 息子と娘の死の真実を聞かされ、守岡は愕然と肩を落とす。それを見ても、父さんは嘲笑するだけだった。僕の挑発による苛立ちを、守岡にぶつけているのだろう。だが、八つ当たりに心を任せたせいで、守岡の精神がどうなるのかまでは考えていないようだ。


「そんな……では、俺が長年やってきたことは……」

「守岡。お前とは、ワシがガキのころからの付き合いやからな。お前がワシにあの連中を紹介してくれたから、ワシは警察から隠れることができた。感謝しとるで、ホンマに。親子そろって、ワシのために働いてくれるんやからな」


 そこで話は無理やり打ち切られた。突然、部屋の外から、銃を放つ音がいくつも重なって聞こえて来たのだ。どうしたのだと振り向くよりも先に、複数の信者達が血相を変えて研究室内に入って来た。


「け、警察が乗り込んで来ました!」


 その慌てぶりを見て、僕は心の内でガッツポーズを取った。『魂の絆』を通じて、夕奈の気配が近づいているのを感じる。よし、予想通り彼女がナビをして、このアジトまで警察を上手く導いてくれたようだ。


「くそっ、なぜここが分かったんだ。応戦に行きましょう、守岡さん!」

「……」

「守岡さん? 何をしているんですか。早く行きましょう!」


 由香を取り押さえていた男が、守岡を呼ぶ。だが、守岡は放心したように、その場から動こうとしない。その様子に苛立った男は、守岡を捨てて研究室を出て行く。


 一方、追い込まれた父さんは、大きく舌打ちをした。


「もう諦めろ、父さん!」

「アホ言うな、まだ手は残っとるわ!」


 父さんは急いで僕からヘルメットを奪い、被る。まさか、自分が来世へ飛ぶつもりか!


「そうはさせるかよ!」


 僕と由香は、両手を前で縛られながらも、父さんにしがみ付く。だが、いくら父さんが痩せっぽちとはいえ、大人と子どもだ。僕らは軽くあしらわれてしまう。


 そこへ、何人かの信者が血相を変えて、研究室へ入って来る。彼らも父さんの様子を見て、何をしようとしているのか気付いたようだ。父さんに駆け寄り、懇願する。


「博士、我らをお見捨てになるのですか!」

「博士!」


 だが、父さんはうっとうしそうに、それらを跳ね除ける。


「ワシはワシの研究を、思う存分するだけのことや。そのための場所と設備を用意する、と持ちかけて来たのは、お前達の方やろうが。ワシは、輪廻転生の謎を解き明かす。警察になぞ捕まっている時間はないんや!」


 この期に及んで、まだそんなことを言うかっ。


「父さん、諦めろ!」

「やかましいっ、黙れモルモットが!」


 僕と由香が両手を縛られながらも、しつこくしがみ付くのに対し、業を煮やした様子の父さん。机の引き出しから、鈍く光る物を取りだした。拳銃だ、そう思う暇もなく、僕は撃ち抜かれる。


「ぐぁっ!」


 右腕が熱い。まるで、焼きごてを押さえつけられたかのようだ。だが、撃たれたのが頭や心臓でなくて良かった。痛みを堪え、僕は父さんの腕に食らいつく。


「ぐっ……父さんっ!」

「おのれ、ワシの息子のくせに、最後までワシの邪魔をするんか!」

「都合のいいときだけ、息子呼ばわりするなっ。あんたは今、ここで止めてみせる!」


 ここで逃したら、また悪夢のような研究が続けられてしまう。来世に飛ばれたら、僕には何もできない。だが、僕の意志を阻むかのごとく、腕の痛みが段々と強くなって来た。幼い身体では、銃創は耐えられないか。父さんの身体を掴む力が弱まる。


 と、大きな影が僕らの間に割って入って来た。守岡だ。


「守岡、このガキどもをどうにかせえ!」


 しかし、守岡は返事をしない。幽鬼のようにフラフラと、こちらへ近づいて来る。そして、次の瞬間。彼は父さんの首に手刀を叩きこんだ。


「ぐっ、守岡、裏ぎ――」


 恨みの言葉を満足に残すこともできず、父さんはその場に倒れ伏す。それを見た守岡も、がっくりと膝を落とした。その目には慟哭の涙が溜まっている。


「信太……本当に信太なのか?」

「守岡信太は、確かに僕の前世だ。彼の心は、僕の中で眠っている」


 焼けるように痛む銃創を手で押さえながら、僕は守岡と向き合う。守岡の顔には、絶望と後悔が色濃く塗られていた。


「俺は……家族を取り戻したかった……三人の笑顔がまた見たかった。それだけを望みにして、生きてきた」


 失った家族。娘と息子は自殺し、妻は精神を病んで病死。幸せな家庭が突然、壊れたのだ。この男にとって、どれほどの無念だっただろうか。


「……それなのに俺は、何のためにこの手を汚してきたんだ……あんなに会いたかった家族を、苦しめ傷つけるだけだったのか……俺の三十年間は、何だったんだ。俺はこれから、どうすればいいんだ。教えてくれ、信太……っ!」


 慙愧を堪えられないように、守岡は床に顔を埋める。だが、僕はどう声をかけたら良いのか、分からなかった。


 家族を失ったことによる喪失感を、宗教で埋めようとした男。かつて守岡信太だった者として、僕は彼をどうやって癒してあげればよいのだろうか。この身を一時的に守岡信太と代われるのなら、代わってあげたい。だが、あの夢の中で彼は、「残念ながらできない」と言っていた。


 なあ守岡信太、魂の奥からこの様子を見ているんだろう? これで本当に良かったのか? 三十年前から始まった、彼と父さんの因縁は、哀しい結末を迎えてしまった。犠牲は、あまりに大きい。


 だが次の瞬間、それどころではなくなる。父さんが落とした拳銃を、由香が縛られた手で拾おうとしていることに気付いたのだ。


「由香、何をするつもりだ」

「決まってんだろ、こいつに止めを刺すんだよ!」


 由香は、幼い手には重いであろう凶器を、震える手で構えた。


「警察に捕まっても、数十年で出所して来る。そしたら、また研究を再開する。それを止めるには、殺すしかねえ。それにこいつは、オレや妹の人生を狂わせた仇なんだ!」


 由香の目は、憎悪で色濃く染まっていた。このままでは、まずい。由香が重い引き金を引こうとするその前に、僕は立ち塞がった。殺意が暴発しないよう、彼女と身体を密着させる。右腕の傷が悲鳴を上げるが、それどころではない。前世の記憶のせいで、現世を不幸にしてしまう人間は、もうたくさんなのだ。


「邪魔すんな、月夜君!」

「あんたには、確かに復讐する権利がある」

「ああ、だから今すぐに終わらせてやるよっ」


 僕の言葉に対し、由香は美しい栗色の髪を振り乱した。白く光る幼い歯をむき出しにして、僕に向かって叫び散らす。


「だが、それよりも、あんたには待ってくれているヤツがいる。長瀬はこの十四年間、あんたと会いたいと願っていたんだぞ! こんなクズの男よりもあいつを優先しろっ」

「今更、綺麗事をぬかすんじゃねえっ。死ぬべき人間を殺して、何が悪いんだ!」


 額と額、身体と身体がぶつかり合う。両手を縛られた幼児同士の押し合い。これは、怪我をしている僕の方が不利だ。しかし、それでも僕は退くわけにはいかない。


「くっ、させる、かっ!」


 そこへ研究室に、数人のスーツ姿の人間が入って来た。その中には、長瀬の顔もある。先ほどのマンションでの怪我は、どうやら手当をしたようだ。彼女達がここまで来られたということは、警察がこのアジトを掌握することに成功したのだろう。


「兄さん、白鷺君!」

「紗枝っ」


 長瀬は僕達の間に割って入り、由香を強く抱きしめる。由香は嗚咽を漏らしながら、悔しそうに歯ぎしりした。


「……オレ、殺せなかった。お前の仇を討てなかった」

「いいんです、それで。兄さんはその手を汚してはいけません」


 長瀬が、由香の手に握られた拳銃を、優しく取り上げる。由香は、その幼い顔を手で押さえ、泣き叫んだ。


 それから長瀬は、僕の方に視線を向ける。そして、その細い目を見開いた。


「白鷺君、その血は!」

「ああ……もう、そろそろ限界、だ」


 僕の存在に気付いた他の刑事が、僕の傍に駆け寄った。この人には見覚えがある。確か、今朝会った長瀬の上司だ。彼は僕の腕の傷を見ると、血相を変えた。


「誰か、早く救急車を呼んでくれ!」


 そんな声を他人事のように聞きながら、僕の意識は遠のいていった。

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