幕間

第49話 焦燥を積んだ急行

「神楽崎さん。目的地まで、あとどれくらいかかりそうですか」

「だいたい、十キロほどだと思うよ」


 車の運転席から問いかけてくる長瀬さんに対し、後部座席に腰掛けるボク――神楽崎夕奈は言葉を返した。お互い、声は硬い。彼女も内心はボクと同じく、焦りが嵐のように渦巻いているだろう。それでも少なくとも表面上は、長瀬さんの方が比較的冷静だ。刑事としての経験が、彼女を落ち着かせているのか。


 それに比べてボクは苛立ちを持て余していた。今にも喚き散らしそうになるのを堪えるために、手の甲の皮を千切れそうになるほど強く噛んだ。


「しかし、本人の前でこう言っては何ですがね。俺はやはり信用できませんや。自分の息子と見えない糸で繋がっていて、互いがどこにいるのか分かる、なんて。そんな漫画みたいな話を信じろ、っていう方がおかしいでしょう」

「俺もそう思います。拉致された被害者の救出は、一刻を争うんですよ。ただでさえ手が足りないっていうのに」


 ボクの両隣の席に座る男性刑事の二人が、抗議の声を漏らす。文句を言いたくなるのも当然だろう。『魂の絆』は、普通の人から見れば非現実的なものだ。


「だがな。『螺旋の会』の足取りを掴み損ねたんだ。やつらについての情報が足りない現状では、藁にもすがるしかないだろ」


 そう宥めるのは、助手席に座る刑事の男性。今朝も会ったばかりの、長瀬さんの上司の警部さんだ。


 警部さんには一年ほど前に、『魂の絆』について話したことがあった。もちろん、最初は胡散臭そうな顔をされたけど、月夜と二人で証明してみせると、どうにか信じてくれたのだ。あのときの行動が今に活きてくるとは、夢にも思わなかったけど。


「神楽崎さん、寒いですか? 冷房を利かせすぎていますか」

「ううん、大丈夫。ありがとう、長瀬さん」


 焦燥感を無理やり飲み込み、ボクは礼を返す。


 パトカーという代物に乗車した経験は、これで二度目。一度目は十四年前、朝斗が死んだときだった。あのとき、ボクは大切な存在を亡くし。今、再び失いそうになっている。


 月夜、朝斗、お母さん、それに由香ちゃん。


 今はまだ、『糸』の感覚が残ってくれている。だから、月夜と朝斗については、生きているはずだ。……ただし、「今はまだ」というしかない。一秒後に『糸』が消えてしまう恐れは、十分にあり得る。十四年前のように。


 一方でお母さんと由香ちゃんの安否は、残念ながら分からない。特にお母さんの場合、拉致されてから、既に二時間以上経過している。『螺旋の会』が、いや、お父さんがいつまでも生かしてくれる保障など、どこにもないのだ。お母さんと一緒に拉致されたという、同僚の人達のことも気がかりだった。


「それならいいんですけど。神楽崎さん、あなたは暴行を受けたばかりなんです。身体の調子が優れないと感じたら、すぐに言って下さい」


 長瀬さんは、バックミラー越しに心配そうな眼差しを送ってくる。


 一時間ほど前、マンションの廊下で気絶していたボクを、長瀬さんや警察の人達が発見した。目を覚ましたボクは、朝斗や由香ちゃんの姿がどこにもいないことを知り、愕然とした。そのまま泣き崩れそうになるのを我慢できたのは、『糸』のおかげだった。おそらく襲撃してきた男達が、朝斗と由香ちゃんを逃走用の車に乗せたのだろう、朝斗との距離はかなり遠ざかっている。


 それでも、『糸』はまだ途切れていない。望みは絶たれていないのだ。


「反応があるのは、ここからもう少し北東だよ」

「分かりました」


 すぐ先の道にある信号が、ちょうど青に替わった。長瀬さんはハンドルを回し、十字路を右の道へと曲がっていく。


「各班、こちらの後に続け。くれぐれも逸れるなよ」


 助手席の警部さんが、携帯無線機で他の仲間の人達に連絡を入れる。


 ボク達が乗るパトカーの後ろには、十台以上ものパトカー達が付いて走っている。長瀬さんが警部さんに報告し、警部さんが皆に掛け合ってくれたおかげだ。これらの応援があれば、『螺旋の会』を掃討し、皆を救出できるかもしれない。


「……だから」


 どうか、無事でいてほしい。どうか――

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