第48話 三つの人格、一つの魂
意識が深く、深く沈んでいく。辿りついたのは何度も来た場所、虹が一面に広がる世界だった。
「ここは、月夜と会った場所か」
となると肉体は今、眠っているのか。夕奈の話では、僕が眠ればここに来られる可能性がある、とのことだった。あくまでも推論だが。今の僕の身体は、どうやら昨晩と同じく成長した姿。つまり、死んだ「白鷺朝斗」の状態だ。
「どうなったんだ、一体。確か、あの男達に気絶させられて……」
そのまま、あの男――守岡誠に殺されたのか。いや、ヤツは僕と由香をどこかへ連れていく、というような話をしていた。夕奈についても、とどめを刺さない、と言っていたはずだ。だが、実際の全員の安否をこの目で確かめなければ、不安を拭えない。
「くそっ、早く目覚める手段はないのか!」
この虹の世界を脱出しようにも、どれくらいの距離があるのかも分からない。遠くの方まで見渡しても、建造物一つ見つからないのだ。
焦る心を静めるために深呼吸をする。落ち着け、前回はどうやって目覚めたんだ。月夜と会話をしていたら、遥か上から無数の光る手が降ってきたんだったよな。
「だが、今は月夜がいない」
前回は、僕の近くで泣いていたのだが。ざっと見渡したが、辺りに人影はない。もしや、あの子に何か異変があったのだろうか。
「月夜、どこだ? おーい!」
「月夜には、席を外してもらっているよ」
不意に後ろからの声。慌てて振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。つい先ほどまで、誰もいなかったのに。どこから現れたんだ?
「誰だあんたは。月夜を知っているのか。月夜は無事なのか?」
「大丈夫、落ち着いて。あの子は今、ちょっとお昼寝をしているだけだよ」
そう言う少年の歳は十五、六といったところだろうか。落ち着いた雰囲気の持ち主だ。顔つきは彫りが深く、どこか東欧系の人にも見える。
「ん? んん?」
はて、どこかで見たことのある顔。だが、会ったことはない、気がする。訝る僕がおかしいのか、少年は苦笑いを浮かべる。
「君がそんな顔をするのは無理もない。こんな場がなければ、永遠に会うことができなかっただろうね。自己紹介をしよう。ぼくの名前は守岡信太だ」
守岡? 守岡信太って、僕の知っている中では一人しかいないが……いや、待てよ。「朝斗」のころに思い出した、前世の記憶。その中にいたのは、この声と雰囲気を持っている少年だった。間違いない、あの守岡信太と合致する。
「だが、あんたは死んだはずじゃ」
「それを言ったら、君も一度死んでいる身だよ、『白鷺朝斗』君」
まあ、確かにその通りだ。今は「月夜」の身体を、勝手に借りている身だが。
「ここは、魂の根底ともいうべき精神世界。ぼくらは人格が違えども、結局のところは一つの魂なのだから、ここに集まることができるのさ。少なくとも、ぼくこと守岡信太、白鷺朝斗、神楽崎月夜の三人の人格は存在しているよ」
そういえば、夕奈も言っていたな。退行催眠をしなくても、眠るだけで他の人格と会うことができるかもしれない、と。
「あの黒い塊は?」
「ああ、ぼく達のさらに前世だった人格達のことだね? 大丈夫、今は現れないよ。肉体の主導権を、今は君が握っているからね。でももしも、その手綱を放してしまったら、彼らは肉体を乗っ取ろうとしてくるだろう」
それを聞いて、僕はとりあえず安堵の息を吐いた。あれに襲われるのは、もうたくさんだ。ん、待てよ。そこまで詳しいのなら、僕達の現状を把握しているのではないのか!?
「あんたなら分かるのか。今、この肉体がどうなっているのか。夕奈や母さん、由香がどうなったのか!」
僕は声を荒げて守岡信太に詰め寄り、彼の両肩を乱暴に掴む。初対面の相手に失礼極まりないが、それどころではない。まずは、夕奈達の安否が知りたかった。だが、守岡信太は冷静な表情を崩さず、静かに首を振る。
「残念だが、君が気絶してからのことは、ぼくも分からないんだ。肉体の主導権を握る君が見たり感じたりしたことだけしか、ぼく達は情報として得ることができない」
「そう、なのか」
「君も、とりあえず落ち着きなさい。どのみち身体が目覚めるまでは、ここから出られないんだ」
そうなると、ここにいる限り、僕には何もできないのか。今は一刻も早く、この虹の世界を出て行きたいのに。行き場のない苛立ちを抑えることができず、皮に爪が食い込むほどに拳を握りしめた。
「前回、君がここに来たときに、ぼくも会いたかったんだけどね。親子の対面の方が大事だと判断して、月夜と二人きりにしたんだ。……でも先ほど、君に襲いかかった事件を思えば、失策だったよ。先にぼくの方から、君に必要な情報を渡すべきだった」
そう言うと守岡信太は地面に膝をつき、深々と土下座をした。
「こうして顔を合わせることができたからには、まずは一言謝らなければならない。……申し訳ないことをした」
「……は?」
こちらとしては、訳が分からない。思考の大部分を占めていた焦燥が吹き飛び、代わりに混乱してしまう。謝るといっても、外の状況が分からないことに対して、ではないよな。
「え、な、どうしてあんたが謝る必要があるんだ?」
「君や月夜君達がこんなことになっているのは、全てぼくの責任だ。今から三十年前、ぼくが自殺せず、君の父である白鷺幸太郎を警察に突き出していれば、こんな事態にはならなかった」
額を虹色の地に擦りつけたまま、守岡信太は言う。
彼が言っていることは正しいといえる。三十年前に父さんを止めていれば、現在はないはずだった。全ての始まりは、三十年前。
だが、そんなことを言うなら、僕だって同罪だ。この事態の決定的な引き金を引いたのは、まぎれもなく十四年前。夕奈を守るため、などと言って、父さんの実験に付き合っていた。それが、大きな悲劇を巻き起こすきっかけになったのだから。本来なら、地獄に落ちてもおかしくはないのだ。
「お願いだから、顔を上げてくれ」
「……すまない」
僕も守岡信太も、父さんを中心とする事件の原因の一端を担っている。いくら謝罪をしても足りないくらいだ。
だが、罪を感じ、下を向いてばかりいてはいけない。今を生きる月夜のために。夕奈や長瀬にそう教わった。現実を生きる者に、何をしてあげられるのか。それを考えるのが、前世の人格の責務であるはずだ。だから僕は、罪と向き合いながらも、前へ進む。
「僕に用があるんだろ? 何だ?」
僕に肩を掴まれ、ようやく守岡信太は起き上がる。その目は、悲壮な決意に満ちていた。
「ぼくの父、守岡誠のことだ」
「守岡誠?」
先程、僕を気絶させたあの男の顔を思い出す。冷たい鋼のごとき顔つきだった。目の前の優男と親子であるとは、到底思えない。それとも家族を失ったことで、人柄が変わってしまったのだろうか。
「君が起きているときの情報は、ここからぼく達にも見ることができる。父は六十歳を超えて、なおも新興宗教にしがみ付いているんだろう?」
「ああ」
ということは、昨日の長瀬との話も聞いていたのか。先ほど、守岡誠が僕らを襲ったことも知っている、と。守岡信太は、両拳を強く握り締める。
「ぼくと姉のせいで、父は狂ってしまった。せめて、これ以上他の犠牲者が出ないよう、止めてあげたいんだ」
「どうすればいいんだ?」
「本当は、ぼくがこの肉体の主導権を一時的に借りて、父と話ができればいいんだけれど。どうやら無理のようだ。だから、君が伝えてくれ。白鷺幸太郎が、ぼくと姉を被検体としていたことを。家族を犠牲にしていたことを知れば、さすがの父の心にも変化が起こるかもしれない」
それしかない、か。今更ながら、自分達の無力さを思い知らされるな。だが、そうすると、守岡信太と守岡雅美の裏の関係まで話す必要がある。彼らは自殺の際、遺書にそのことを書かなかった。理由は、両親に関係を知られ、悲しませたくなかったからだろう。それなのに、事実を明かすのは気が進まない。
「大丈夫、ぼく達のことは気にしないでいいよ」
守岡信太は肩をすくめて微笑む。その辺りについては、彼も覚悟を決めているようだ。
しかし暴露話一つで、あの屈強な男の洗脳が解けるとは、正直言って非常に考えにくい。父さんの口から、そのネタを白状させられるのなら、話は別だが。さすがにそれは無理だろう。それでも、動揺させることくらいなら、できるかもしれないな。その隙に逃げるか。もちろん成功する可能性は限りなく低いし、目覚めたら僕が処刑される寸前という事態もあり得る。まあ、その案をこちらの手札の一枚にするくらいなら、別にかまわないか。
全ては、この虹の世界を出たときの勝負だ。
「……分かった。あんたの想いを、無駄にはしない」
僕らは手を交わす。前世の自分と、意志が繋がった気がした。
「ありがとう。君の成功を、ここから祈るよ」
そこへ、どこからか声が聞こえて来た。
「おとーさん、おかーさん、どこ?」
あの不安げな、子猫のような声。聞き間違えない、月夜だ。
「こんな物騒な話を聞かせるのも、情操教育上良くないと思ったので、離れたところで寝かせておいたんだけどね。どうやら君の気配を感じて、起きてしまったようだ」
守岡信太が苦笑する。どうやら彼は月夜のことも知っているらしい。
「月夜、おいで。僕はここだ!」
僕が大声で呼ぶ。すると遠くの方から、小さな影が見えてきた。
「お、おとーさぁん!」
とてとて、と転びかけながらの走り。幼子とは、こうも可愛らしいものだろうか。それとも、僕の贔屓目か? いや、そんなことはないはずだ。
やがて月夜はこちらにたどり着き、同時に僕の胸に飛び込んできた。
「お、おとーさん、みつけた」
「ああ、見つかった」
月夜を抱きしめながら、僕は頭を撫でる。
「見てろよ、月夜。お父さん、強くなるからな。必ずお前をお母さんに会わせてやるからな」
「? よくわからないけど。が、がんばって、おとーさん」
僕の話の意味など、月夜には理解できるはずがない。だが、僕が何やら決意したことだけは、何となく分かったようだ。抱きしめられながら僕を見上げ、小春のような笑顔を見せてくれた。
この子をずっと見守りたい。この子の成長を見届けたい。夕奈との約束を思い出し、月夜を抱く腕の力が強くなる。
「お、おとーさん、いたいよ」
「あ、すまん」
そんな僕らの隣で、守岡信太が愛おしげに深い笑みを浮かべる。
「やっぱり可愛いね」
「僕と、僕の妹の息子だからな」
「おやおや。親馬鹿だよ、その言葉は」
くっくっく、と喉の奥で音を立てて笑う守岡信太。何とでも言え。
「この子のためにも、頑張ってくれよ」
「もちろんだ。前世でも来世でもなく、今を生きるこの子のために、な」
「そして、夕奈もだね」
そう言うと、守岡信太は、切なげに目を細める。
「ぼくにとって彼女は、雅美姉さんなんだけどね。君達が『魂の絆』と呼んでいるこの繋がりは、ぼくも感じているよ」
「守岡雅美は死んだのに、あんたは夕奈とも『糸』を感じ取ることができるのか?」
「うん。何度生まれ変わろうとも、姿や名前を変えようとも、ぼくにとって彼女は最愛の女性なのさ。この『糸』はここにいる、ぼくら『三人』と彼女を結んでいる。何しろ、ぼくら三人は一つの魂、一人の人間なのだから」
夕奈との絆は、時を超え、輪廻転生を超えても存在し続ける。それを、この『糸』が証明してくれているんだな。そう考えると、この『糸』は不思議だ。遥か昔から『僕』と『彼女』を繋いでいたのかもしれない。
そんな僕の胸中を読んだらしく、守岡信太は柔らかく微笑む。
「この『魂の絆』というのは、実に不思議なものだ。『ぼく達』と『彼女』は、お互いに引かれ合う。ぼくと雅美姉さん、君と夕奈、そしてこの子と夕奈。まるで磁石のようだね。命ある存在は全て、輪廻の中を流転し続ける。それなのに『僕ら』と『彼女達』はこうして何度も、互いに密接な関係として生まれ変わる。まるで魂の一片まで、互いの存在を刻みつけられているかのようだ。これを運命と呼ばずして、他に何と呼ぶのかな」
「運命……」
「そう。この『魂の絆』は、運命という見えない事象を通して、『ぼく達』を結び付けているんだろう。そのおかげで、何度生まれ変わろうとも、何十、何百億もの命の中に埋もれようとも、互いを探し当てることができるんじゃないかな。永遠のパートナーとしてね」
確かに、運命としか表現しようがない。何億、何兆もの命がこの地球上にあるのに、分かっているだけでも三度、僕と夕奈は巡り合えた。あいつの傍がこの世で一番、心の落ち着く居場所。そこへ戻って来るために、僕は何十回も生まれ変わったのだから。
「運命に感謝、か」
「ああ、そうだね」
そう言われてみて、僕の中で思い出が紐解かれた。あれは、父さんと母さんの離婚当日。別れたくないと泣く夕奈に、僕は言い聞かせた。いや、あれは自分自身に対しての言葉でもあったはずだ。
(僕はいつだって、お前に勇気をもらっていた。お前はたった一人の、大事な妹だからな。僕にとっては、相棒みたいなものだ)
(相棒?)
(そう。世界で一番大事なやつってことだ)
運命。永遠のパートナー。そして、『魂の絆』。
……そうか。長年もやもやしていた感情が、ようやく形となった。
僕にとって夕奈は、男と女の関係ではない。そうかと言って、ただの兄妹でもない。
男と女、という完全な「他者」として、あいつと僕を分けることができない。僕はあいつの半身であり、あいつは僕の半身。だから、あいつのことを女として見ることは、どうしても不可能だった。もちろん、ひどく勝手な考え方であることは、自覚しているつもりだ。
だが同時に、あいつは完全な「もう一人の僕自身」でもなかった。あいつが見せる様々な表情に、僕は驚き、呆れ、怒り、泣き、そして笑った。生まれたときからあいつと過ごしてきた、たくさんの思い出は、一人だけでは体験できない。あいつは誰よりも身近な隣人だ。だから、自己愛というのは当てはまらない。他者と自分、その境界線上にいる存在だった。
あるいは、どちらか一方に傾けてあいつを見ていたら、もっとシンプルに考えることができていたのだろう。しかし、不安定で複雑だからこそ、僕にとっての夕奈は唯一無二の存在なのだ。そんな複雑な感情を向けるために、僕達は単なる「兄妹」という次元ではない。それを超えた先にある関係だった。
だから、この大きな問題の答えは、「相棒」。肩を並べ、誰よりも信頼する相手。それ以外に表現できる言葉を、僕は持っていない。
この気持ちをもっと早く言葉にしていれば、もう少し違った未来があったかもしれない。
そんな物想いに耽る僕の肩を、守岡信太が優しく叩く。心を見透かされたらしい。
「君が今、この肉体をコントロールしているのは奇跡のようなものだ。だから、伝えられるうちに伝えるべきじゃないかな」
「……伝えられるうちに、か」
長年背負っていたことから、ようやく吹っ切れることができた。僕はもう一度、月夜の頭を撫でる。
この答えに気付くための大きな鍵は、間違いなく月夜だった。
月夜は、そんな僕と夕奈の間に生まれた子だ。夕奈が守りたいと願うこの子のために、僕が何をしてあげられるのか。そう強く思ったことで僕は、夕奈のことを愛しているのだと改めて気付かされたのだ。
「ありがとうな、月夜。お前のおかげで、本当の気持ちに気付くことができた」
「? ぼく、おとーさんの、おてつだいしたの?」
「ああ。お前がいてくれなかったら、ずっと悩んでいただろう」
もしも、母として頑張って生きる夕奈と再会していなかったら。
もしも、健気に生きる月夜と邂逅していなかったら。
そのどちらかが欠けても、僕は自分の中の真実にたどり着くことができなかった。
「おっと。意識を回復させたら、やらなければいけないことが、君にはあるよ」
親子の触れ合いの中に、守岡信太が苦笑しながら割って入ってくる。
と、そこへ前回と同じように、天から光が腕となって降り注いできた。僕は月夜から引き剥がされ、掴まれたまま天へと昇っていく。どうやら、肉体が目覚めようとしているらしい。
「お、おとーさん!」
「大丈夫だ、月夜。僕らはいつでも、お前の傍にいる」
涙ぐみながら、こちらを見上げる月夜。それを宥めつつ、守岡信太が手を振った。
「頼んだよ」
「ああ」
最後にそんな言葉を交わし、僕は光の中に溶けていく。
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