第47話 その男の名は

 そのまま二十分ほど経ったが、今のところ事態に変化はなかった。


 重い場の雰囲気を取り繕うべく、僕は居間の隣にある台所に向かい、冷蔵庫を覗く。お、あったあった、お茶入りのガラスポット。外側に触れてみると、どうやら十分に冷えているようだ。続いて食器棚からガラスコップを二つ取り出し、順にお茶を注いだ。


「麦茶で良かったら、飲むか?」

「ああ、すまねえな。勝手に押し掛けてきたのに」


 ガラスコップを渡されると、由香はすぐに飲み干した。よほど喉が渇いていたのか、実に豪快な飲みっぷりだ。こんなに可愛らしい外見の幼児だが、「やはり中身は成人男子なんだな」と感じさせられる。それを眺めてから、僕も自分の分のお茶に口をつけた。


 ベランダの窓を開け、外の景色を見下ろす。日が完全に沈んでしまったが、マンションの一階の敷地は、照明灯のおかげで全くの暗闇というわけではない。その中で、夕奈らしき人影が動き回っているのが見えた。由香を探す演技を続けているようだ。


 長瀬の姿は見えないが、まあ当然か。警察の応援を呼ぶといっても、それなりの時間がかかるだろう。このマンション近くに戻って来ていたとしても、姿を晒すはずがない。


 では、由香の両親はどこにいるのか……そう思いかけた矢先、夕奈のもとに二人の人影が近づいていくのが確認できた。三人は何やら言葉を交わすと、マンションの中に入っていく。


「……何を話しているんだ?」


 警察に捜索願でも出そうというのだろうか。


 しばらくして、玄関の扉が開く音が聞こえてきた。『糸』の反応から、入って来たのが夕奈であることは確実だ。


「ただいま」


 居間に戻って来た夕奈の額には、珠のような汗が滲んでいる。昼間に比べれば涼しくなったとはいえ、外はまだまだ蒸し暑いはずだ。僕はお茶を新しいコップに注ぎ、夕奈に差し出す。


「ありがとう、朝斗」


 夕奈は受け取り、コップの半分くらいまでお茶を飲む。それから気合いを入れなおすためか、深く息を吐いた。


「由香ちゃんのご両親が、もうすぐこの家に来る」

「何のためだ?」

「当然だけど、由香ちゃんが見つからない。近所の人に話を聞いても、有力な目撃情報を得られない。だから、月夜から何か情報を得られないか、という話になったんだ。この近所で、由香ちゃんと一番仲がいいのは月夜だからね。朝斗と由香ちゃんのことがバレると危険だから、どうにかして回避しようとしたんだけど、『玄関の扉を壊してでも押しかけて、月夜から情報を聞き出す』って言って、こちらの話を聞いてくれなかったんだ」


 そうなると、僕も一芝居打つ必要があるな。


「そういうわけで、由香ちゃん。悪いけどしばらくの間、寝室で隠れていてもらえるかい」

「ああ、分かった。二人とも、後は頼むぜ」


 由香は厳しい顔つきのまま、素直に頷く。彼女が寝室へ入っていくのを確認してから、夕奈は僕の肩をそっと抱いた。


「長瀬さんには、メールでこのことを伝えておいた。すぐに『警察の応援と一緒に、もうすぐこちらに着く』と返信が来たよ」


 警察からしても、茂木夫妻が自宅にいるときに訪問するのが普通なのだろう。だが、彼らが「螺旋の会」と連絡を取って、どう動くか分からない。そのため、こちらの家で足止めしておく方が確実、と踏んだということか。


「それまでの間、どうにか嘘で誤魔化すわけか」

「うん。由香ちゃんとは、回覧板をウチに届けに来て、すぐに別れた。そういう嘘になっている。だから朝斗は、知らぬ存ぜぬを貫き通してほしい。できるだけボクもフォローするから」

「すまんが、アテにしているぞ。何しろ僕は、月夜と由香の普段の様子を、全然知らないからな」

「朝斗も分かっているだろうけど、茂木さん達は村上さんの一件にも関わっていると思う。どんな理由があっても、自分達の目的のために関係のない人間を犠牲にするのは、許されることじゃない」


 今朝の事件のことか。やはりまだ割り切れていないようだ。


「でも、今は何よりも、お母さんについての手掛かりが重要だ。茂木さん達が、情報を握っていればいいんだけれど」


 そこへチャイムが鳴り、夕奈が玄関口へ向かう。夕奈が交わす会話に、僕は居間から聞き耳を立てた。


「それで神楽崎さん。月夜君はどこにいるんだ?」

「居間で待っていますよ。どうぞ、お入りください」


 夕奈の声と重なるようにして、切羽詰まった足音が廊下を駆けて来る。そうして居間に現れたのは、一組の男女だ。女の方は、昨日会ったから知っている。その隣にいるのは、三十代に差し掛かろうかという、神経質そうな男。よほど慌てているのか、スーツがかなり乱れている。


「月夜君、ウチの由香はどこなんだ!」

「早く教えなさい、月夜君!」


 茂木夫は僕に駆け寄ると、いきなり肩を掴んで来た。肩の肉が、えぐり取られそうなほどに痛い。その隣で妻も鬼気迫った表情で、こちらを覗き込んで来る。


「どうなんだっ。知っているのか、知らないのか!」

「グズグズしないで、はっきりしなさい!」


 身体も頭も派手に揺らされる僕は、返事をするどころではない。さすがに見かねた夕奈が間に入る。


「茂木さん、落ち着いてください。それでは答えられるものも、答えられません」

「あ、ああ。すまん」


 頭に昇っていた血が少しは落ち着いたのか、茂木夫は僕の肩から手を離す。まあ、娘が行方不明なのだから、この焦りようは無理もないか。


「ねえ、あなた。由香を『捧げる』のは今週中のはずでしょう。もし、あの子が本当にいなくなったら……」

「しっ! 分かっている」


 茂木妻が話を滑らせかけ、茂木夫がそれを制する。捧げる? どういう意味だろうか。何か不穏な予感がするな。そんな僕の視線に気づいたのだろう。茂木妻が誤魔化すように、咳払いを一つする。だが、硬い表情は崩れていない。


「月夜君。由香が行きそうな場所とか分かるかしら? ほら、よく二人で近所を探検とかしていたでしょう」


 探検か。本来の由香がどのような性格だったのかは分からない。だが、月夜の気性から予想すると、由香が月夜の手を引っ張っていたのだろう。しかし、行きそうな場所と言われてもな。


「最近は公園によく行っていたよね、月夜」


 僕の胸中を読んだ夕奈が、助け船を出す。それに乗って、僕は何度も頷いた。


「公園か。だがあそこは今朝、村上さんの死体が発見されて、まだ立ち入り禁止だったはずだぞ」

「もしかしたら、柵を通り抜けて中に入ったのかもしれないわね」


 どうやら茂木夫妻は、こちらの話を見事に信じたようだ。二人とも苛立ちを隠せないらしく、夫は派手に舌打ちをし、妻の方は親指の爪を削るように噛んでいる。


「やっぱり一度、警察に連絡を入れてはいかがでしょうか。公園の中を探してもらえるかもしれませんし。それに何よりも、今は何かと物騒です」


 下手に刺激しないよう、夕奈がやんわりとした口調で提案する。確かに、この辺りの地域は物騒だ。今朝、公園で発見された遺体と、母さんの拉致事件。両方とも、被害者がこのマンションの住人なのだ。その原因として、この二人が『螺旋の会』の指令を受けて、関わっている可能性が十分にある。


 夕奈の話に対し、茂木夫妻は露骨に顔色を変えた。


「け、警察はダメだ。し、信用できない!」

「そ、そうよ。警察に頼むくらいなら、死んだ方がマシよ」


 その「死んだ方がマシ」というのが、自分達のことを言っているのか、それとも実の娘を指すのか。どちらにしろ、よほど後ろめたいことがあるようだ。まあ、『螺旋の会』の関係者であるのなら、当然か、


 そんな茂木夫妻の焦りが呼んだのか、再び玄関のチャイムが鳴り響いた。夕奈がインターフォンの受話器を取る。


「はい、神楽崎です。……そうですか、今玄関を開けますので」


 少し話をし、夕奈はすぐに受話器を戻す。


「宅急便が来たみたいです。失礼します」


 何だ、長瀬達ではないのか。夕奈が軽く会釈して居間を出て行き、僕と茂木夫妻が残された。夕奈というストッパーがいなくなったので、二人はこちらを睨みつけながら詰め寄ってくる。


「月夜君。正直に教えなさい。あなた、由香の居場所を知っているんでしょう」

「そうだ。君が由香をどこかに隠しているんだろう」


 まあ実際その通りではあるのだが、正直に白状するわけにもいかない。僕はおどおどとした幼児の表情を作り、時間を稼ぐ。


「あの、えっと」

「早く言いなさいっ。いつも思っていたけど、あなたのその態度、見ていてイライラするのよ」

「まったく、親の躾がなっていないんだな」


 いくら切羽詰まっているからといって、幼児に怒りの矛先を向けるのは筋違いだと思うのだが。どうしたものかと困っていると、玄関の方から何か重い物が落ちる音が聞こえてきた。何となく嫌な予感がして、僕は茂木夫妻を振り切って居間を飛び出す。


「おか――夕奈!」


 夕奈は、玄関の下駄箱の前で膝を折り、前かがみになって倒れていた。顔を蒼白に染め、腹を押さえて悶絶している。


「……神楽崎夕奈を確保した」


 そこに、ボソボソと小さな低音が降って来る。見上げると、玄関の前には山のごとき巨躯の男が立ちはだかっていた。泥沼の戦争を生き残った古兵のように精悍な顔つきが、底知れない威圧感を放つ。歳は六十代に差し掛かったくらいだろうか。眉の間には彫られているのは、傷のような深いシワ。さらに本物の刀傷らしき痕が、頬に刻まれていた。白で統一されたTシャツとズボン姿は、爽やかさよりも異様さが勝っている。

 そして何よりも、闇と同じくらいに暗く濁り切った眼が、男を物語っていた。


 だが、なぜだろうか。その顔に、とても懐かしい影を感じた。


「……面倒なことをさせる」

「はい」


 壮年の男の隣には、若い男が立っている。こちらは縦じま模様の制服姿であり、どこから見ても宅急便の配達人だ。その恰好で、インターフォンのカメラ越しに夕奈を騙したのか。いや、今はそれどころではない。


「夕奈、しっかりしろ、夕奈!」


 僕は、男の視線など無視して必死に呼びかけるが、夕奈の返事はなかった。どうやら腹部に叩き込まれた痛みにより、意識が飛びかけているようだ。僕は茂木夫妻に助けを求めようと、僕は廊下の方に振り返る。ちょうど、遅れて二人がやって来た。


「守岡さん!」


 だが、二人は驚くどころか安心した表情を浮かべ、強面の男の前に立つ。


「命令通り、神楽崎親子を足止めしておきましたよ」


 足止め? どういうことだ。こいつらはグルなのか。ということは、この男達も「螺旋の会」の一員か?


「神楽崎恵美を拉致している間、下手にこいつらに動かれるわけにはいきませんでしたからね。上手くいきました」

「ええ。警察に知り合いがいるって話だったもの。警察に保護されて、厄介なことになるかもしれなかったわ」


 作戦通り、とばかりに茂木夫妻が声を躍らせる。なるほど、ネズミ捕りをするつもりだったのに、逆にこっちが罠にかかったようだ。由香の情報を聞くためと言って、わざわざこの家に入って来たのは、僕達を監視するためだったのか。二人の真意を見抜けなかった自分に腹が立つ。


「俺達が来るまでに……スタンガンか何かで気絶させておけ……という指示を送っておいたはずだが?」


 壮年の男の声は聞き取りづらいが、聞くだけで底冷えする響きを放っていた。


「ええ、マンションの外にいる間、何度かチャンスを狙っていたんですけどね。この女、意外と用心深いんですよ。なかなか隙を見せてくれませんでした」


 当然だ、ど阿呆っ。


「ですが、心配しましたよ。神楽崎恵美を拉致した、って話を電話で聞いてから、けっこう時間が経っていましたからね。てっきり、警察とひと騒動あったのかと」

「こちらにも……いろいろと事情がある」

「ひっ、すみません!」


 壮年の男の視線に胸を射抜かれ、茂木夫妻は大げさなほどに肩を震わせた。その様子は出来の悪い新人と、クビをちらつかせる鬼上司という関係にも見える。


 そんな露骨な怯えように対して、壮年の男は特に関心を持たないようだった。鉄面皮を崩さず、話を先に進める。


「まあ、いい……お前達の娘はどこにいる? 電話では、行方が知れない……という話だったな」

「そ、そ、そうです。あの娘ったら、どこにいったのかしら。絶対にこのガキが知っているはずなんです」


 声を引きつらせながら、茂木妻が僕の腕を引きちぎるように掴む。


「言いなさいっ。由香はどこにいるの。白状しないと、痛い目に合わせるわよ!」


 僕は悲鳴をどうにかして噛み砕こうとするが、到底我慢できない。幼児の小さな腕など、大人の力にかかれば簡単に壊れてしまうだろう。


 すると、猛毒を孕んだ声が、足元から聞こえてきた。


「その手を、離せ」


 腕の痛みを堪えながら向けた視線の先には、床を這う夕奈がいた。まだ痛みのせいで肉体の力が復旧できていないだろうに、黒曜石の瞳は烈火の光を放っている。これほどまでに怒りを剥き出しにする夕奈を、僕は初めて見た。


「な、何よ。あんたには用はないの。だから、その薄汚い手を離しなさい!」


 茂木妻はもう片方の足で、夕奈の腕を何度も踏みつける。だが、夕奈は歯を食いしばり、死ぬ物狂いで手を離そうとしない。その姿は、まるで外敵の喉元に食らいつく、手負いの獣のようだ。いったい、どこにそんな力が残っているのだろうか?


「その子はボクの、たった一人の息子だ。傷つけさせてたまるかっ!」


 痛みで顔を歪ませながら、夕奈は迷いなくそう言い放った。母として、身を投げ出してでも子を守る。その強い意志が、茂木妻に背筋に戦慄を走らせたらしい。僕の腕を掴む茂木妻の手の指が震え、力が弱まっていく。


 しかし。


「――なら、お前から先に眠れ」


 鋼を纏った声と共に、牛刀のごとき手が振り下ろされる。鋭くも力強い一撃が、夕奈の首元に叩き込まれた。


「が……っ」


 夕奈はうめき声すらろくに出せず、今度こそ力なく崩れ落ちる。まさか首の骨が折れたのではないか、と僕は背筋が凍った。その思考を読み取ったのだろう、壮年の男はつまらなさそうに鼻息を吐く。


「気絶させただけだ……まだ生かしておく価値があるからな」

「『まだ』? 用が済んだら、まとめて殺すってことか」

「……小賢しいガキは嫌いだ」

「僕も、あんた達に好かれようなんて思っちゃいない」


 僕はそう吐き捨て、壮年の男を睨みつける。正直言って、滅茶苦茶怖い。この男にかかれば、僕達を殺すなんて息をするように簡単なことなのだろう。


 だが同時に血管を流れる血が沸騰し、全身を駆け巡っていた。僕は心を火にして、大人達に向かって吠える。


「大事な家族を二人とも傷つけられて、黙ってなんかいられるかっ!」


 許さない。絶対に許してたまるか!


「な、何、この子。月夜君じゃ、ないの?」


 いつもの月夜とまるで違う態度に、茂木夫妻は怪訝そうな顔を見せる。一方の壮年の男とその部下らしき男は、鉄面皮を全く微動だにさせない。


「これ以上、騒がれると厄介だな。五月蠅い口を封じるか」


 そう言って、僕の口に手を伸ばそうとする。そこへ、奥の寝室のドアが強く開け放たれる音が遮った。


「おばさん、月夜君!」


 中から現れた由香の眼は、悔しさと憤怒で燃えていた。その手には、台所から手似れたと思われる、包丁が握られている。馬鹿な、今こちらに来たところで、こいつらの餌食になるだけだ。全員が拉致されてしまったら、長瀬にこの事態を説明する者がいなくなる。


「由香、なぜ出てきたんだ!」

「こんな状況で、自分の身を第一に考えるなんて、オレにはできねえよ。今回のことは、オレが言い出したことなんだからな」


 自分の矜持と良心に突き動かされての行動か。だが、幼児が一人増えたところで、事態が好転するとは到底思えなかった。情けない話だが、長瀬達が一秒でも早く駆けつけてくれるのを、祈ることしかできない。


「こいつらがお前達の娘を隠していたのか。どうやら、こちらをハメるつもりだった、というわけだな」


 僕達のやり取りを聞いて、壮年の男はこちらの狙いを察した様子だ。嘲笑することもなく、あくまでも淡々とした口調だった。一方の茂木夫妻は、飼い犬に手を噛まれたような表情で、声を荒げる。


「由香、そんな危ない物を置いて、私達と一緒に来なさい。あなたには、大切な役目があるのよ」

「パパ、ママ。いい加減にしろよ。『螺旋の会』のせいで、大勢の人が犠牲になっているんだ。パパとママは、その犯罪の片棒を担いでるんだぜ? 罪の意識はねえのかよ」


 由香の男っぽい話しぶりに、茂木夫妻はその顔の色を怒りから困惑へと変える。


「由香? あなた、本当に由香なの? 一か月くらい前から、何だか様子がおかしいと思っていたけど」

「さてね。生憎だが、てめえで考えなっ」


 憎々しげに由香が両親を睨みつけ、包丁を突きだす。彼女が放つ猛禽類のごとき迫力に、茂木夫妻は共に足を退かせた。だが壮年の男は相変わらず動じず、あくまでも冷静に由香を観察している。


 そこへ玄関の外から、先ほどの若い男が顔を出して来た。


「守岡さん。警察らしき連中が下にいます。こちらの動きが気付かれたのでしょうか」

「……いや、おそらくこの女が呼んであったんだろう」


 そう言いながら壮年の男は、夕奈の頭を踏みつける。だが、夕奈の反応はまるでなかった。相当深いところまで、意識が沈んでしまったらしい。


「仕方があるまい……この女は置いていく。神楽崎恵美との交渉材料は、こっちのガキ一人で十分だ……どの道、実験のサンプルのためにガキが何人か必要だったからな。丁度いい。成人した女も、近々行われる実験に必要だが。欲張って警察に捕まるよりはマシだ」

「この女にとどめを刺しておきますか」

「いや、生かしておけ……この女が、警察と個人的に知り合いだという情報があったな。泳がせておけば……後で別の取引にも使えるかもしれん……このガキを餌にな」


 男達が冷静な会話をしている中に、茂木夫が困り切った表情を浮かべながら入り込む。


「ですが、この女を生かしておくと、私達の素性がバレてしまいます」

「……下で警察がお前達を捕まえようとしているのに……随分と余裕のあることを言うな……どの道、お前達はもう表の世界にいられんよ」


 あくまでも自分のことを心配する茂木夫妻に対し、壮年の男は鼻で笑う。彼の言葉にショックを受けたのか、茂木妻が夫の腕に縋りついた。


「あなた、私達どうなるの」

「大丈夫だ。俺達には、輝かしい来世がある」


 茂木夫の口調は、妻に、というよりは自分に言い聞かせているようだった。


「エレベータは危険です。裏の非常用階段を使いましょう、守岡さん」


 守岡だと? その名は、先ほどから何度か話に出ていた。


 僕は、壮年の男を改めて睨みつける。会ったことがないが、見知った顔。その頬の傷、間違いない。どうして、すぐに気付かなかったのか。


「あ、あんたは、守岡誠か!」

「……こんなガキにまで顔を知られているとはな」


 壮年の男が、侮蔑の目を向けてくる。間違いない。守岡誠、つまり守岡信太の実父だ。『螺旋の会』の拉致実行部隊の一員だという、あの!


「聞いてくれっ。僕はあんたの――」

「……うるさいガキだな」


 僕の必死の言葉を遮り、守岡は僕の首に手刀を叩きこむ。鈍痛を感じるとともに、僕の意識は途絶えた。

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