第42話 奇跡は続くべきではなく
そうだ。昨晩の夢のことを話しておこう。
「なあ、夕奈」
「うん? 何だい」
「昨日の夜、僕は月夜と会った」
僕が告白するのとほぼ同時に、自転車の急ブレーキがかけられた。それから夕奈が、険しい目でこちらを振り返る。
「どういうことだい?」
「何て話せばいいのか分からないが、夢の中に月夜が現れたんだ」
夕奈は最寄りのコンビニの駐車場の隅に、自転車を停めた。広めの駐車場には運送のトラックが数台駐車されており、ドライバーのおっさんが運転席で朝食を食べている。
それを尻目に僕は、昨晩の夢について説明した。自分の中でも整理できていないので、説明下手であることは自覚している。それでも夕奈は、呆れることも茶化すこともせずに、最後まで耳を傾けてくれた。それから考え込むように、細い顎に指を置く。
「前世の人格と夢の中で会う、という例は実際に存在するよ。前世療法、つまり退行催眠によるものだけどね。前世療法が、デジャヴと違って意図的に潜在記憶を呼び起こす行為、という話は昨日もしただろう?」
「確か、fMRIと一緒に使用することがある、って話だったか」
「うん。前世療法の研究者いわく、精神を退行させることで、夢の中に沈んだ意識が潜在記憶と混線して、前世の人格と邂逅することがあるそうなんだ。それと同じように、君が夢で会った『月夜』が本物である可能性は、ありえなくはないと思う。現在は『朝斗』が肉体の主導権を握っていて、『月夜』の人格はあくまでも眠っているだけ。かといって、昨日も言ったようにとても不安定な状態だ。椅子取りゲームはまだ続いていて、おそらく『月夜』もそれに参加しているだろう。前世での君は、守岡信太の記憶と混ざり合って混乱していた。けれど、今は『月夜』と混ざり合おうとしている」
そう言われ、改めて昨晩の夢を思い出す。夕奈の話が本当なら、月夜は自分の椅子、つまり肉体を泣きながら探していたことになる。そうして、居座っている僕と会った、と。
「って、信じるのか、こんな与太話を?」
「君のような例は、現時点ではかなり珍しいケースだからね。あらゆる可能性を見逃さないためには、君の身に何が起こっても、まずは詳しく吟味する必要がある」
夕奈は茶化す様子もなく、真面目に僕の話を租借しているようだった。
僕自身、信じ切れていない話なのに。てっきり「夢と現実の区別はしっかりしろ」と一蹴されるかと思っていた。
「昨日、何度か月夜の記憶の欠片を見たことを思い出してごらん。あれは、人格が混ざり合おうとしているからこそ、可能なことなのさ。人格同士が干渉し合う状態は、退行催眠よりもずっと簡単に、潜在意識で眠る他の人格達とシンクロできる可能性がある。この仮定が正しいとするなら、君が見た夢はただの夢じゃない」
「分かったような、分からないような」
「要は、今の君は夢の中ならいつでも、『月夜』と会えるかもしれない、ってことさ。あるいは、他の人格ともね」
夕奈が予想外にも話を受け入れてくれたことに、僕は正直言って拍子抜けしてしまった。と、夕奈が苦渋に満ちた面持ちで見つめてくる。
「つい一昨日までは、『朝斗』の人格を完全に封じておかなければいけない、と思っていた。でも、月夜があんなにも願っていた、君との邂逅が実現できたかもしれないんだ。それなら、月夜に肉体の主導権を戻しつつ、夢の中で月夜と君が会えるようにできるかもしれない」
「だが、それは」
「うん、分かっているよ。昨日も話したように、そんな不安定な魂の状態では、君の人格と月夜の人格が完全に混ざり合ってしまう恐れがある。それに、二つの人格が存在し続けていると、精神に負担がかかって壊れてしまうかもしれない。それらの事態は、絶対に避けなければいけないんだ」
ひび割れた石のような声。おそらく夕奈は、死刑宣告をするような気持ちでいるのだろう。「朝斗」の人格を今度こそ封印するつもりだ、と言っているのだから。だが、それは僕も昨日から分かっていたことだ。小さな肩をすくめ、夕奈を見つめ返す。
「昨晩も言っただろ? 僕はもうどこにもいかない、って。この魂の中で、お前や月夜と一緒にいる。月夜の人格が戻ったら、僕は月夜のすぐ傍でお前達をずっと見守るさ」
「ごめん……でも、本当に君はそれでいいのかい?」
気がつくと夕奈の黒曜石の瞳は、切なげに震えている。「朝斗」の人格を消すことに対する躊躇が、彼女を苦しめているのだ。何しろ、僕がこうして夕奈と話すことができるのは、奇跡のようなものなのだから。
だが、奇跡はいつまでも続かない。そして、続くべきではないのだ。
いつまでもバトンを占有せず、次の者に渡す。それが、僕の責務であるはずだ。
「いいも悪いもない。あの子の人生は、僕の人生でもある。それにもしも仮に、僕と月夜が一緒に存在できる手段があったとしても。それは世界の理に反するだろうし、何よりもあの子のためにならない。僕も、あの子を救ってあげたい。お前達親子に笑顔で生活してほしいんだ」
「ボクの母親としてのエゴだってことは、分かっているつもりだよ。それでも君には、あの子と一緒の時間を、ほんの少しでいいから過ごしてあげてほしいんだ……っ!」
夕奈は、痛みと哀しみの声を溢れ出させた。
その姿を見て、僕は昨日の話を思い出す。月夜は、父親のいる家族を、羨ましそうに、寂しそうに眺めていたのだという。夕奈が心配すると気丈に振舞っていたらしいが、本音では父親をずっと求めていたのは想像に難くない。
夕奈は、自分のエゴで月夜を人工的に産み、シングルマザーとしての道を選んだ、その結果、月夜が寂しさを患うことを悔いている。母として、月夜のために何がしてあげられるか、それを何よりも一番に置いて生きてきた。月夜を想うがゆえに、現状に迷っているのだ。僕という過去が、夕奈の過去だけでなく現在までもを縛っているせいで。
それでも僕達には、月夜を助け出すという目標がある。
「月夜からの伝言がある。『ぼくを、うんでくれて、ありがとう』だとさ」
「え?」
さすがに虚を突かれたのか、夕奈は目を丸くさせた。
僕は昨晩の夢について、さらに詳しく掘り下げて話す。次第に、夕奈の皮肉げに釣り上がった眦が下がり、泣き笑いのような顔を浮かべていく。単なる僕の夢である可能性の方が高いのに。それほどまでに、月夜が話しそうな内容だったのだろう。
「本当にあの子は……お礼を言うのは、こっちの方なのに。あの子にどれほど救われて、どれほど生きる勇気をもらったか」
夕奈は溢れ出しそうな涙を堪えるためか、自転車の手すりを強く握りしめる。
「だから、早くお前達には再会してほしいんだ。あの子の誕生日を祝ってあげてくれ」
僕の言葉を、夕奈がどう受け止めたのかは分からない。彼女は前に向き直り、自転車のペダルを漕ぐ。そうしてスピードに乗ったころ、小さな呟きを風に乗せた。
「ごめんね、朝斗、月夜。ありがとう」
その背を見つめながら、僕は今更ながら改めて気付かされる。……僕は、夕奈を心の底から愛しているのだ、と。
だからこそ、改めて思うのだ。昔から変わらず僕を慕ってくれる夕奈と、彼女がお腹を痛めて産んだ僕との子。奇跡が終わるまでに、僕はこの母子に対して何をしてあげられるのだろうか。その答えを導き出せたなら。
それこそが、あの日の夕奈の告白に対する、僕なりの返事なのかもしれない。
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