第31話 旧友との再会
「こちらの都合に合わせていただいて、すみません。神楽崎さん」
女性は凛とした鋭い声で夕奈に話しかける。
歳は、今の夕奈と同じくらいだろうか。漆黒色のショートヘアに、髪と同じ色のスーツを着ている。背筋を伸ばして歩み寄ってくるその物腰には、隙が見当たらない。最前線を突き進む武者と見間違うほどの威圧感だった。
そして、何よりも目立つのが、豊満な胸。スーツのボタンが今にもはじけ飛びそうなほどの、圧倒的な存在感だ。その凶暴なまでにムッチリとしたボリュームは、腕を組んで隠そうとしても隠しきれないようだった。
この人が、さっき夕奈が言っていた、待ち合わせをしているという友人なのか?
「ううん、気にしないで。ボクの方も、研究室に用があったんだ」
「そうですか」
女武者が纏うのは、虎の牙のごとき尖った気迫だ。幼児である僕との身長差が激しいこともあり、同じ空間にいるだけでも気圧されてしまう。それなのに、夕奈は親しげに女武者に笑いかけている。
そうして女武者は、ビビる僕の方に視線を移した。目を合わせたら、即座に拳が飛んできそうだ。
「こんにちは、月夜君」
「こ、こんにちは」
「今日はいつもよりも、さらに内気というか、怯えた様子ですね。大丈夫です、怖くないですよ。今日は月夜君の誕生日のお祝いに、プレゼントも用意しました」
ベッドの上で後ずさりする僕。どうやら女武者は微笑んでいるつもりらしいが、剃刀以上に細く切れ味たっぷりの双眸のせいで、とてもそうは見えない。ビビる僕のことなどお構いなしに、女武者が僕の頭に手を伸ばし、乱暴に撫でる。その様子を眺める夕奈は、なぜか笑いを堪え切れないようだ。
「ふふっ、朝斗。この人が誰か、分かるかい?」
僕に分かるはずがないだろう。「月夜」とは顔見知りだったようだが。対する女武者は、怪訝そうに眉根を寄せる。
「神楽崎さん。今、月夜君のことを『朝斗』と呼びませんでしたか?」
「うん、呼んだよ」
「あなたが白鷺君のことを、ずっと想っていることは私も知っています。ですが、実の息子さんのことをそう呼ぶのは、月夜君のためにもやめた方がよいのではないですか。白鷺君の記憶を多少覚えているとはいっても、月夜君は月夜君なんですから」
そう言って女武者は、殺気の入り混じった視線を投げる。だが、夕奈はケロリとした表情を崩さない。彼女はミュージカルのような大げさな身振りで、目の前の女性を指差した。
「朝斗、紹介するね。こちら、長瀬紗枝さん。君も知っての通り、ボクらの元同級生だよ。そして、今はボクの大切な友人だ」
「へ?」
思わず僕は目が点になる。
長瀬紗枝って、まさかクラスメイトだったあの長瀬? だが記憶の中にある長瀬と、目の前の女武者が一致しない。長瀬はもっと線が細く、清楚で、大和撫子を体現した少女だったはずだ。
「おい、夕奈。僕をからかっているのか」
「いーや。からかってなんかいないさ。あの長瀬さんだよ」
「いや、だが。長瀬はメガネをかけてて、もっとこう……優しい雰囲気の人だっただろ」
後半は、目の前の女武者に聞こえないよう、小さな声で囁く。すると、夕奈は腹をかかえて笑い出した。研究室内に声が反響する。
「確かに、あのころの長瀬さんはそうだったね。今の彼女は、コンタクトをつけているんだ。それに、今の彼女は怒らせると怖いよ。ボクも以前、自宅で酒盛りをした際、調子に乗りすぎてぶん殴られたからね。いやあ、あのときは鼻血が止まらなかったなぁ」
爽やかに血みどろの思い出を語る夕奈。ますます疑わしい。いや、だが三つ編みの髪を短く切れば、こんな印象にならないことも……ねえよ。怖いよ。街で会ったら、道を譲ってしまうほどだよ。
事態を上手く飲み込めない様子の長瀬らしき女武者は、苛立ちを隠せない表情で夕奈に詰め寄る。
「神楽崎さん、からかうのは、いい加減にして下さい。月夜君も、無理して大人っぽい話し方をしなくても、いいんですよ。お母さんの冗談に付き合う必要はありません」
「いやいや、長瀬さん。からかってなんかいないよ。百パーセント大マジさ」
そう言うと、夕奈は突然真顔に切り替える。
「以前君にも話したように、月夜は朝斗の生まれ変わりだ。月夜は時折朝斗の記憶を夢として見ていた」
「ですが月夜君は、白鷺君の記憶をぼんやりとしか覚えていない。あなたがそう言っていたでしょう。それが、今朝になって急に全てを思い出したとでも?」
「思い出した、というのは正確ではないね。朝斗が肉体の主導権を握ったんだ。今は朝斗そのものだよ」
夕奈が説明をすると、長瀬らしき人の視線がこちらへと向けられる。その厳しい視線に身震いした僕は、思わずベッドの上で正座した。
「私には信じられません。では、試しに質問をしましょう。月夜君。中学二年生のとき、私達のクラスの担任だった先生は誰ですか?」
「糸井先生だ」
糸井先生は、当時まだ二十代後半の若さだったが、授業がとても分かりやすかった。生徒の相談に対しても、熱心に聞いてくれた良い先生だ。
「ぐっ……では、第二問。私達が二年生のときの、私達のクラスの学級委員は誰ですか?」
「えっと、谷口だったっけ。硬派な性格だけど、文化祭のときとかのノリは、けっこう良かったよな」
谷口は三年生のとき、野球部の主将を務めていた。男気があって、多くの仲間から信頼を寄せられていた好漢だ。
「ぐぐっ……では第三問。私達が三年生の十月に起きた、『里崎事件』の詳細は?」
「生活指導の三村先生が、生徒に内申書をチラつかせて、我が物顔でいたんだっけ。十月、女子バスケ部の吉田が三村先生に脅迫されて、肉体関係を迫られた。そこへ同じバスケ部の里崎が現れて、三村先生をボコボコにしたんだ。ボロ雑巾になった三村先生を、さらに校長室に連れて行った。結果、三村先生は懲戒免職。里崎は教師に暴力を振るったってことで、謹慎を食らった」
里崎は、全校生徒に「姐御」と呼ばれるほどのカリスマ性を持った女生徒だった。男子だけでなく、女子にまでファンは大勢いた。「里崎事件」後は、全校生徒が里崎を英雄扱いしていたのだ。
みんな、今頃どうしているのだろうか。そう思うと、時の流れに自分だけ取り残されたような感覚に襲われる。
「ぐぐぐ……では、第四問ですっ! 私が中学二年生のとき、創作ダンスの練習に付き合ってくれたことを覚えていますか」
「あ、ああ。覚えている」
長瀬らしき女性は、僕の前に一歩踏み寄った。距離が近くなった分、オーラというか見えない圧力が一層増し、僕は圧し潰されそうになる。
「そのとき、白鷺君がかけてくれた言葉は?」
「え、あ、えっと『できるまで練習付き合ってやるから、諦めるな』……だっけ」
記憶を魂の奥からほじくり返す。どうやら正解だったらしく、長瀬らしき女性は真剣な面持ちで、僕の両肩を掴んだ。握力がいくつあるのか知らないが、こちらとしてはかなり痛くて、思わずうめき声が出てしまう。
「ほ、本当に白鷺君なんですか?」
「あ、ああ、一応な。まだ僕も混乱しているが」
正直を言えば、この長瀬らしき女武者に、タメ口で話すのは怖い。だが、僕が「白鷺朝斗」であることを証明するために、勇気を込める。
すると長瀬らしき人は、空気が抜けた風船のように、床に倒れかけた。同時に、左右の豊満な柔肉同士がぶつかって揺れる。
「おい。大丈夫か」
「え、ええ。突拍子のない展開に、ちょっと驚いてしまっただけですから」
本当は「ちょっと」ではなく、「かなり」だろう。その気持ちは分かる。僕自身、まだ完全に事態を飲み込めたわけではないのだ。
「まあ、仕方がないね。今朝のボクも、驚きのあまり腰を抜かしそうになったほどさ」
夕奈はアルカイック・スマイルを広げ、棚の上に置かれたコーヒーメーカーを操作する。
「はい、長瀬さん。コーヒーを飲んで落ち着くといい」
「あ、ありがとうございます」
長瀬(もう、認めるしかないか)にコーヒーカップを手渡すと、夕奈は自分の分のコーヒーを入れる。まるで執事のように優雅な手つきだ。
「夕奈、僕の分も入れてくれ」
「何を言っているんだい、朝斗。今の君は五歳児だよ? コーヒーなんて苦いものを飲めるほど、舌が発達していないだろう」
まったくもって言う通りなので、僕はぐっと押し黙るしかない。一方の長瀬は、眩暈に襲われているのか、フラフラと頭を押さえていた。まあ、普通はそうだよな。
「ええと、神楽崎さん。もう一度整理させて下さい。……つまり月夜君の心はなくなって、今は白鷺君の心が肉体を操っている。そう考えていいんですか?」
「なくなったわけではないと思いたいけど。それは、あくまでも確たる証拠もない推論に過ぎないからね。君の認識でいいさ」
なにせ月夜の人格がどうなったかについては、現時点では確かめようのない問題だ。
「月夜君が白鷺君、月夜君が白鷺君……」
ぶつぶつと呪文のように繰り返し呟く長瀬。どうやら、自分を納得させることに苦労しているらしい。それから突然、凛々しい顔に恥じらいをパッと咲かせた。よく見ると、目元まで赤くなる様子は、十四年前と変わっていないようだ。
「待ってください、神楽崎さん。以前、何度か私が月夜君と一緒に、お風呂に入ったことがありましたよね。あのときの記憶を、今の白鷺君が覚えているんですか!?」
「いや、どうやら朝斗は、月夜の記憶を持っていないようだけれど。どうなんだい、朝斗」
胸倉を掴みそうなほどに、夕奈との顔の距離を近づける長瀬。だが、夕奈は平然とした様子で、こちらに話を振る。
「いや、昨日まで月夜が何をしていたのか、そもそも月夜がどんな子なのか、僕には全く分からない」
「そういうことらしいよ。おそらく、月夜の人格が起きていた間は、朝斗の人格はずっと眠っていたんだろうね。ボクと月夜の、砂糖たっぷりのショートケーキのような、あまーい親子の生活は、残念ながら記憶にないわけか。だからね、長瀬さん。君の素晴らしい裸体の記憶もないってことさ。残念ながら、というべきか」
夕奈がそう言うと、長瀬は押し黙る。仕方なく、といった風だが、どうにか納得していてもらえたようだ。
ちなみに夕奈は、僕が月夜の記憶の欠片を映像として見ることは、長瀬に話していない。長瀬と一緒に風呂に入った記憶も見るかもしれないのだが、それは教えない方が良いだろう。
一方の僕は、横目でこっそりと長瀬の胸を盗み見る。……やっぱり、でかい。直に触れたら、さぞや柔らかくも弾力のある感触が返ってくることだろう。まったくもって、けしからん。長瀬のやつ、高校時代よりもさらに成長したんだな。我が妹、もとい今は我が母の、痩せて枯れた畑のような胸とは大違いだ。かなり失礼な例えだが。
などと頭の中で比べていると突然、夕奈に頬を思い切りつねられた。
「いふぁいっ!?」
「こら、朝斗。今、とても失礼なことを考えていただろう」
「ふぉ、ふぉんふぁふぉふぉふぁい(そ、そんなことない)」
「いいや、嘘は良くないよ。君は幼児とは思えない、イヤラシイ目で長瀬さんを見ていたからね。純真な『月夜』とは大違いの、実に邪な目だ」
夕奈がジト目で指摘すると、長瀬が慌てて自分の胸を両手で隠した。それでも大きすぎて、腕からはみ出ている。しまった。夕奈にバレていたか。
「まったく君は、前世から変わらずむっつりスケベだね。『朝斗』の遺品整理をしているときに、いかがわしい本が机の引き出しから出て来たよ。それも、大きな胸を持った女性ばかりが写っている本が。ああいう女性がタイプなんだね、君は」
う。あの本を見つけられたのか。死ぬ前に捨てておきたかった、と思うが、さすがに今更どうしようもない。
「悪かったね、ボクの胸は慎ましくて。言っておくけどね、この胸で『月夜』を育てたんだよ。それに出産直後は胸が張っていたおかげで、AカップからBカップにまで大きくなっていたんだ。……何だい、その疑うような目は。本当なんだぞ!」
さらに夕奈の手につねる力が入り、僕の頬が持ち上げられた。思った以上に「月夜」の頬は柔らかくて、どんどん伸びる。
「い、いふぁい、いふぁいっふぇ!(い、痛い、痛いって!)」
「ええいっ、うるさい! 泣き言なんて聞く耳持たないね! ボクの、心の痛みの方がずっと痛いんだよ!」
今までに見たことがないほどに、荒ぶる夕奈。髪飾りの銀猫も、牙を見せて怒り狂っている。
「神楽崎さん。その辺で許してあげてください」
「む」
頬を赤く染めた長瀬の仲裁のおかげで、ようやく夕奈は手を離した。
「大丈夫ですか、月夜く――いえ、えっと白鷺君」
「頬がねじ切れるかと思った」
「ふんっ」
鼻息を一つ吐き、夕奈が僕に背を向ける。すっかりご機嫌斜めになってしまったようだ。よほど気にしていたんだな。
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