十四年後編

転生を重ねた先で

第27話 目覚めたのは、小さな身体

 ここは……どこだ? 僕は誰だ?


 かろうじて、「白鷺朝斗」の意識が残っている。だが、もう限界だった。僕の自我は擦り切れる寸前だ。


 もう何十回、いや何百回になるだろうか。あれから、数多くの生と死を体感した。小鳥になったり、蟻になったり。果てはアオミドロにまでなった。それら全てが、他の大きな生物によって蹂躙され、殺される形で幕を閉じた。


 この地獄は、いつまで続くのだろうか。終わりはあるのだろうか。誰か、この円環から救い出してくれ。夢なら、早く覚めてほしい。虹の広がる世界の中で、僕はただただ懇願していた。もう、ここにいたくない。


 すると、何か強い力に引っ張られた。海底に沈んだダイバーのように引き上げられる。


 誰だ、誰に引き寄せられているのだろうか。いや、誰でもいい。助けてくれ。

 そんな願いとともに、僕はまた生まれ変わる。





 ……。

 …………。

 ………………。





 肉体の重みを感じる。今度はどんな生物になったのだろうか。恐る恐る瞼を開ける。


 まず視界に映ったのは、白い天井だった。ここは、どこだ。どうやら、ベッドの中にいるようだが。掛け布団に触れようとすると、幼い人間の手が伸びた。これが僕の手? 


 次にその手を、自分の顔に触れる。柔らかい。マシュマロのような頬だ。ということは、この身体は人間なのか? 頬を引っ張ると、痛みがある。


 今まで僕は、長い夢を見ていたのだろうか。今まで何度となく生まれ死んだ、あの体験は偽物だったのか。やけにリアルだったが。


「……そうか、夢だよな」


 ありえるはずがないのだ。魚になったり、雑草になったりするなど、幻でしかない。ほっと胸をなで下ろす。やはり人間の身体が一番落ち着くな。

 それにしても長い、長い夢だった。起き上がろうとするが、身体が鉛のように重い。


「やあ、起きたかい」


 すると、女性の顔が眼前に飛び込んで来た。まず目に入るのは、皮肉げに釣り上がった目と、その奥で輝く黒曜石の瞳。小さく丸めの輪郭の顔に、整ったパーツが乗っている。それらに彩りを添えるために、黒絹のような髪が肩の辺りで切りそろえられていた。髪に添えられている銀猫の髪飾りは少々子どもっぽいが、なぜか自然とこの女性に似合っていると思わせられた。


 歳は二十代後半といったところだろうか。はっきり言って、かなりの美人だ。街中ですれ違えば、百人のうち少なくとも九十人は振り返るほどの、華やかな美しさがあった。


 だが、どこかで見たような覚えがあるぞ。記憶の中で、いつだって大きく場所を占めている少女。彼女と似ているのだ。そして何よりも、この女性に『糸』で引っ張られているのを感じる。見えない、だが確かな繋がり。あたたかく、安心する感覚だった。


「おはよう、月夜」


 太陽の光を吸った柔らかい布団で、そっと包みこむような囁き。懐かしいこの声を、聞き間違えようがない。


「ゆう、な?」


 そうだ、確かに夕奈だ。髪型も変わり、外見がぐっと大人っぽくなっているが、間違いない。僕の双子の妹だ。僕ら二人を繋ぐ『魂の絆』が、何よりも証明している。


 だが、夕奈は僕の呼びかけに対し、苦笑で答えた。その表情一つを取って見ても、艶やかな大人の美しさがある。まるで苗木の新人女優から、美しい花を咲かせた大女優に成長したかのようだ。


「こーら。フレンドリーなのは良いことだけれど、さすがに呼び捨ては良くないぞ。ボクは君のお母さんなんだからね」

「え」


 お母、さん? 


「何を言って――」

「おやおや? どうしたんだい、呆けた顔に仏頂面を混ぜた、奇妙な表情を浮かべたりして。こう言っては何だけど、君のお父さんも同じ顔をしていたよ」


 お父さん? 意味が分からない。僕らの父、白鷺幸太郎のことを指しているのか?


「さあ、君のお父さんに挨拶をしよう」


 そう言って、夕奈は僕の手を握る。ベッドから出て、どこへ向かうのかと思いきや、すぐ傍にある机の前だ。机が高いからか、僕の背が足りないからなのか、机上に置かれた物がよく見えない。すると夕奈が僕を抱き上げる。え、夕奈が僕を軽々と持ち上げている? 慌てて自分の両手を見ると、小さな紅葉のように小さかった。


 一方で机上には、一枚の写真が立てかけられている。


「間違いない、僕だ」


 それは、高校の入学式の日に、二人で撮った写真だった。校門前で新しい制服を着て、二人並んでいる。少し不機嫌そうに、カメラから視線を外す僕。その傍らで、夕奈が嬉しそうに僕と腕を組んでいた。同じクラスになったからといって、夕奈が飛び跳ねるほどにはしゃいでいたんだっけ。


「確かに、お父さんと君は本当によく似ているね。さすがは親子だ」


 親子って。何を訳の分からない言っているんだ、夕奈は。僕が「お父さん」だって? まるで意味が分からない。僕は、写真に写っている白鷺朝斗は、ここにいるではないか。


 夕奈は写真の中の「僕」とこちらを見比べ、慈愛の目を向けてくる。そのせいで僕は、思わず抗議の言葉を飲み込んでしまった。何だ、こいつのこんな表情を今まで見たことがない。これでは、息子の成長を喜ぶ母親ではないか。


「ほら、ごらん。よく似ているだろう?」


 夕奈が手鏡を差し出す。そこに映る僕の顔は、間違いなく子どもそのものだった。釣り上がった目。幼さでいっぱいの丸い顔。短く切った黒髪。これは四、五歳のときの僕と全く同じ顔だ。だが、どうして子どもになっているのだろうか?


「朝斗。おはよう」


 こちらの混乱に気付いていない様子の夕奈は、写真の中の「僕」に語りかけた。それから、腕の中の「僕」に話しかける。


「月夜。今日は記念すべき、君の五歳の誕生日だ。生まれて来てくれて、本当にありがとう」


 夕奈は僕を後ろから、そっと抱きすくめた。

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