第24話 いくつもの死

 ……。

 …………。

 ………………。


 次に気付くと、僕は水中にいた。ほど良く冷たい水の感触が、全身を包んでいる。どこまで見渡しても、冷たく蒼い世界が広がっていた。


 もしかして、ここは海か? だが、どうして海にいるのだろうか。先ほどの虹の世界と光は一体――


『おい、こっちだぞ』

『え』


 不意に声をかけられ、振り向く。そこには、半透明の魚が大量にいた。そのうちの一匹が、僕に向かって子犬のように尾を振る。


『こっちで群れの皆が待っている。俺達も合流するぞ』

『え、あの、ちょっと』


 まるで目の前の状況についていけない。どうして、僕は魚の言葉が分かるんだ?


『あんた、魚の格好をしてるが、仮装だよな?』

『何言ってんだ。お前だって魚だろうが』

『へ?』


 そう言われてみて、自分に手足がないことに初めて気付く。その代わりに、ヒレや尻尾が生えていた。それに、水中で呼吸もできている。


 は? え? いったい、何がどうなってるんだ? 


『ど、どうして、僕が魚になっているんだ?』

『どうしてって。俺達、つい数日前に卵から産まれたばかりの稚魚だろうが』

『卵?』


 混乱のあまり、急激な目眩に襲われる。確かに僕は、さっきまで父さんの研究室にいたはずだ。そして、前世を思い出す実験をさせられて。


 それなのに何がどうなって、いきなり稚魚になっているのだろうか? 無茶苦茶だ。もちろん、これは夢だよな? そう結論付けたいが、この肉体を包む海水の感触は、あまりにリアルすぎる。まさか、これも父さんの実験によって見せられている映像なのか?


『おい、行くぞ』

『あ、ああ』


 稚魚の仲間に連れられて、僕は海を泳ぐ。水をかくための手がないせいで、泳ぎが我ながらぎこちない。


『おい、早くしろよ。置いていくぞ』

『す、すまん』


 そう言われても、魚の泳ぎ方など経験したことがない。おかげで完全に、他の稚魚達の足を引っ張っている。

『おい、お母さんだ』


 仲間の一匹が喜びの声をあげる。他の仲間も嬉しそうに尻尾を揺らした。

 見ると、遠くの方から大きな魚が泳いで来ていた。その圧倒的な存在感に、僕は呆然と口を開けてしまう。あれが、今の僕の「母親」ということなのか?


『お母さん!』


 喜び勇んで母魚に寄っていく仲間達。だが、次の瞬間、甘えた声は悲鳴へと変わった。母魚が、その大きな口を開けて、稚魚達を飲み込み始めたのだ。


『餌がたぁくさん、美味しそぉぉっ!』


 暴虐を始めた母に、稚魚達は慌てふためく。当然だろう、自分の母に食われるなど、彼らからすれば狂気の沙汰だ。


『お、お母さんっ。俺達です、あなたの卵から産まれた子ども達です!』

『私達が分からないんですか』


 必死に呼びかける稚魚達だが、母魚は聞こえた様子を見せない。掃除機で吸うように、次々と飲み込んでいく。

 そういえば、聞いたことがある。飼育容器内で産卵した親魚を放っておくと、自分で卵を食べてしまう、と。運良く孵化できた稚魚達も、成長するまでにほとんどが親魚に食べられてしまうらしい。共食いをする親魚達は、稚魚達が自分の産んだ子だという感覚がない。ただ目の前においしそうな獲物がいる、という意識しかないそうだ。


 ということは、つまり。


『逃げろ、早く逃げるんだ!』


 僕は一刻も早く親魚から逃げようと、慣れない身体でどうにかUターンをした。


『え、でも、あれはお母さんだぞ』

『そんなの関係ないっ。このままじゃ皆食べられるぞ!』


 そう言い合っている間にも、稚魚達が母魚に次々と飲み込まれていく。生き残った稚魚達は四方八方へ散らばっていった。その中に、逃げ遅れた稚魚がいる。最初に、僕に話しかけてくれた奴だ。その後ろに、親魚が迫る。


 ああ、もうっ。


 無駄だと分かりつつ、僕は親魚の鼻面に体当たりをした。泳ぎにも慣れず、産まれたばかりのこの身体では、ほとんど威力はない。親魚からすれば、砂粒をぶつけられたようなものだろう。だが、それで十分。向こうの注意がこちらへ向く。


『バカ、早く逃げろ!』

『す、すまん』


 稚魚が慌てて逃げていく。となると当然、親魚の次のターゲットは。


『美味しそおおおっ!』


 親魚は唸り声とともに巨大な口を開け、僕に迫る。僕は迎撃も逃走も許されず、あっけなく飲み込まれた。







 ……死の香りに包まれながら、再び虹の中に戻って来る。あまりのショックのせいで、動悸が激しい。


「はぁ、はぁ……さっきのは一体、何だったんだ?」


 夢? 幻覚? どちらにしろ、あまりにリアルだった。


 何だ、何が起こっているんだ?


 だが、息をつく暇もなく、またあの化け物のような黒い塊が襲いかかってくる。


(今度コソ、肉体ヲ手ニ入レルンダ!)

(生キタイ!)

(死ニタクナイ!)


 嘆きと苦痛に満ちた叫び声。あんなのに飲み込まれるわけにはいかない。もしも捕まれば、僕もあの一部になるかもしれないのだ。


「くそっ、捕まってたまるか!」


 ほとんどやけっぱちで逃走する。だがその先に待っていたのは、再び虹の中から現れた無数の腕だ。巨大な手が覆いかぶさるようにして、僕を捕縛する。逃げようと必死にもがくが、腕の力は魔人のごとき強さ。無慈悲に引っ張られていく。

 そうして僕は、無理やり光の中に飲み込まれた。







 ……。

 …………。

 ………………。


 次に気がつくと、僕は海ではなく陸にいた。燦々と照る太陽。ここはどうやら、どこか土の上であるようだが。どこだ、我が家の庭ではなさそうだな。


『起きなさい。まったく、寝坊よ』

『え?』

『ふふ、私は隣にいるわよ』


 そう言われ、声のした方角へ振り返ろうとする。だが、目を動かすことも、首を回すこともできない。全身が拘束されているかのようだった。


『どういうことだ、動けないぞっ』

『それはそうよ。私達は草だもの』


 え、草? 魚ではなく? 言われてみて、体中に神経を巡らせる。土の中に這っている根を、確かに感じた。まだ小さいが、天へ向かって二枚の瑞々しい葉も生えている。


『ふふ、運が良かったわね。どうやら、ここは人間達の畑みたい。ここなら、養分に困ることもないわ』

『え、え、草って本当に草!? 嘘、だよな』

『嘘じゃないわ。私達はつい先日、お母さんの中から種で風に乗って、ここまで飛ばされて来たの。まだ生まれたばかりの小さな草だけれども、ここなら大きくなれるわ』


 そんな。つい先ほどまで、僕は稚魚だったはずだ。目まぐるしく移り変わる状況に、目眩を起こしそうになる。あれは夢だったのか? だが、全身を包んだ水の感触や、あの親魚に飲み込まれたときの恐怖は、確かに残っている。


 混乱する僕に、隣の草が不思議そうな声で話しかけてくる。


『あら、草として生きるのは嫌?』

『嫌とかそういう問題じゃなくて……』

『いいわよ、草としての生は。私、あの太陽目指して、ぐんぐんと大きくなってみせるわ』


 将来の目標を強く誓う、隣の草。いや、だから、そういう問題ではなくて……。


 その直後。


「あー、また雑草が生えてる」

「この時期はよく生えるな。畑の作物に栄養がいかなくなるから、ちゃんと抜いておけよ」

「うん、分かったー」


 いくつかの声が聞こえてきたかと思うと、太陽が巨大な影によって覆い隠される。どうやら人間の手のようだ。一寸法師に襲いかかる鬼のような、圧倒的な威圧感。まさか今の声も、この手の主なのか?


『きゃぁぁぁっ、やめて!』


 僕達の声は、人間には聞こえないらしい。隣の草が簡単に引き抜かれる。


「もうっ、面倒くさいなー」

『ちょっと待て!』


 続いて、僕も容赦なく根の先から引き抜かれた。そのまま隣の草と一緒に、軽々と持ち運ばれる。僕らは抵抗できない。


『ど、どこへ連れていくつもりかしら?』


 隣の草の声が震えている。人間だったなら、血の気が引いていることだろう。それは僕も同様だ。どこか遠くへ捨てるのだろうか。もしもそうなら、そこで再び根を這わせればいいだけの話だ。どうか、そうであってほしい。


 しかし、願いは残酷な形で裏切られることになる。


『まずいわ、ここは焼却炉よ!』


 ぐつぐつと茹でられる、地獄の釜。そこへ、ゴミ虫のように放りこまれる。中では、新たな獲物を待ち受ける炎獄が広がっていた。細胞の一つ一つまで消し炭にされていく。生きたまま身を焼かれるのは、こんな感覚なのか。為すすべもなく、僕は焼死した。







 ……そして、また虹の世界に戻ってきた。


「何だよ、今のは一体なんだったんだよ!」


 立て続けに経験した死。それらの苦痛と絶望が、まだ身体にきつく巻きついている。恐怖のあまり、手足が震えていた。死とは、これほどまでに恐ろしいものだったのか。


「くそっ、夢なら早く醒めてくれ!」


 そんな僕の叫びなど、聞いてくれる者は現れない。その代わりに、また黒い塊がやってくる。それから必死に逃げていった先では、天から降り注ぐ無数の光の腕に捕まった。まるで、録画された映像を巻き戻して、何度も見ているかのようだ。


 もしかして、これは僕に対する罰なのだろうか? そんなことを考えながら、僕は拷問部屋ともいうべき世界に連行される……

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