第16話 さらなる記憶

 ……そして、また「彼女」が出て来る。


(信太)


 濡れるような眼差しと、淡い色の髪。互いを繋ぐ、『魂の絆』。間違いない、雅美姉さんだ。そして、「ぼく」は信太。今度は、はっきりとそれを自覚できる。


 姉さんが「ぼく」の想いを受け入れてくれた、あの日。「ぼく」にとって、夢のようだった。もちろん、両親に明かすことなどできず、二人だけの秘密の交際が始まった。


(人前では私は、お姉ちゃんだからね。いい?)

(うん。でも、今はいいでしょう?)

(ふふっ、甘えん坊だね、信太は。そういうところ、小さなころから全然変わっていない)


 あのときの「ぼく達」は、幸せに溺れていた。だが、秘密はいつか誰かに知られてしまうものだ。問題は、その相手がまずかったということで。


(実験に協力せんかったら、お前達の秘密を世間に公表する。そうなったら、お前達だけやなく、お前達の家族まで追い込まれるやろなぁ?)


 ひょろ長の若い男。この男も知っている。白鷺幸太郎。姉さんの幼馴染で、昔から前世の記憶がどうのこうのと、難しい書物を読みあさっていた。そうして、いつの頃からか怪しげな実験を行うようになり、誰も彼の近くに寄りつかなくなった。よりにもよって、そんな男に秘密を知られてしまったのだ。


 実験と称して、「ぼく達」は怪しげな薬を飲まされたり、インチキくさい催眠術をかけられたりした。そのうちに、「ぼく達」は体調を崩すようになった。「ぼく」を庇っていた姉さんは、特に身体が弱っていった。


(姉さん、血を吐いているじゃないか!)

(……大丈夫だよ、これくらい)

(大丈夫なものか、これ以上の無理はだめだ!)


 弱弱しく微笑む姉さんを見るのが、「ぼく」には耐えられなかった。


(やめて下さい。姉さんはもう限界なんです)

(何を言っとるんや。秘密を守るためなら、その身を捧げるのが道理ってもんやろが)


 いくら頭を下げても、男は譲らなかった。ようやく見つけた被験者を、そう易々と手放すはずがないからだ。この男の妄執に巻き込まれた時点で、「ぼく達」の運命は狂ってしまった。いや、あの日姉さんに告白したときから、歯車がおかしくなってしまったのかもしれない。「ぼく」がこの想いを胸に秘めていれば、こんなことにならなかったのに。後悔と絶望が、四肢を縛りつけていた。


(信太、包丁を持ってどこへ行くの?)

(……あの男を殺すんだ)

(そんなことをしてはダメ! 信太の手が血で汚れちゃう。お父さんやお母さんも――)

(じゃあ、どうすればいいんだ。あの男は、ぼく達が逃げたらぼく達の秘密をみんなにバラすって言っているんだよ!?)


 このときの「ぼく」はあの男への殺意と、姉さんへの想いで摩耗する精神を繋ぎとめていた。しかし、それも長くは続かず。「ぼく達」は、とうとう限界を迎えた。最後に涙を流しながら、キスを交わし。


(信太……生まれ変わっても、また一緒にいようね)

(うん。必ず会おう)


 自室で首を吊り、心中した。


 ◆◆◆


「がはぁぁぁっ!」


 脳が焼けつくような感覚と共に僕、「白鷺朝斗」は現世へと蘇る。膨大な記憶の海に溺れ、息も絶え絶えだった。


 あれが、信太の記憶。あんな哀れな人生の終わりを迎えたのが、前世の僕だったというのか。彼の狂おしいまでの愛情が血となり、体中に広がっていくのが自覚できた。


 あれほどまでに鮮明な記憶を追体験させられると、もう疑うことができない。

 幻覚や催眠術なんかではなく、本物の前世の記憶だ。

 そうなると、本当に僕と夕奈は前世で姉弟、同時に恋人同士だったことになる。あいつと、恋人? たとえ前世であっても、その禁忌の味に背筋がゾクリとする。


「かかかかかっ、ええぞ、ええぞ。前回なんて比較にならんほどの記憶量やないかっ。これは素晴らしいでえっ!」


 気付くと、父さんがディスプレイに向かいながら、奇怪な笑い声をあげている。その姿が、記憶の中のあの若い男と重なった。父さんは、前世の僕らについて知っているようだった。あの記憶が正しければ、前世の信太達が死んだ原因は。


「父さんが……『僕ら』を追い詰めたのか」


 歯ぎしりをしながら、殺意を込めて睨みつける。だが、父さんにはビクともしない。


「あん? ああ、守岡の姉弟のことか。追い詰めた、なんて聞き耳の悪いことを言うな。少しばかり、研究に協力してもらっただけや。あいつらが勝手にくたばったに過ぎへん。まったく、迷惑を被ったんは、貴重なモルモットを失ったワシの方なんやぞ。やけどその結果、こうしてワシの子に生まれたんやからな。お前は、ワシのモルモットとなる運命にあるわけや」


 運命。そう笑う父さんの口からは、粘着質で甘ったるい匂いが漂ってくる。僕らと同じく皮肉げに釣り上がったその目が、今は憎くてたまらなかった。


 死んだ守岡信太も、その気持ちでいっぱいだったのだ。彼の無念は、僕の中で渦巻いている。彼は死という手段を使って、父さんから逃げ出した。だが、残された家族はどうなったのか。今でも生きているのだろうか。


 もしもそうであるのなら、会う責務が僕にはある。

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