第15話 自己犠牲かエゴか

 午後の休み時間になっても、夕奈は僕に話しかけて来ようとはしなかった。自分の席から僕の方をチラチラと見て来たが、クラスメイト達が夕奈に声をかけ、そちらに気を向けざるを得なかったようだ。もちろん、僕の方から近づきはしない。


 放課後になると、僕は一人で下校した。隣に夕奈はいない。僕が逃げたからだ。先週までの夕奈なら、どんな手を使ってでも追って来ていただろう。だが、今日は友人達と一緒に帰ったようだ。それでいい。


 とぼとぼと帰宅すると、自宅の玄関から数人の男達が出て来るのが見えた。どれも知らない顔ばかりだ。マスコミだろうかと思ったが、どうも違うようだった。


「白鷺教授、どうかお願いします。我々にご協力を」

「研究費については、問題ありません。設備投資も惜しみませんし」

「分かった、分かった。お前らがワシの研究の邪魔をせぇへんのなら、条件を飲んだるわ」


 家の奥から、面倒臭そうな声が聞こえてくる。間違いない、父さんだ。話を聞く限りでは、この男達は大学か何かの研究施設の人間、といったところか。全員、汚れ一つない真っ白なスーツを着ている。統一感があるのが、何となく不気味さを感じさせられた。


「ワシはもう研究に戻る。これ以上邪魔をすんな」

「分かりました。今日のところは、これで失礼します」


 男達が深々と頭を下げ、丁寧に玄関の扉を閉める。


「どうやら、脈はあるようだな」

「ええ。あの方なら、我々の望みを叶えて下さるでしょう。我々の来世へ向けて、大きな前進となります」


 来世? 父さんの研究は、前世の記憶のはずだ。まあ、関係がないとは言い切れないが。


 そこでようやく男達は、後ろに立つ僕の存在に気付いたようだった。警戒心を剥き出しにして、こちらを睨みつけて来る。


「誰だ、お前は」


 いきなり誰だ、って。相手のあまりに剣呑な態度に、こちらも顔をしかめる。


「僕は、ここに住んでいる人間だ」


 我ながら、つっけんどんな返答。敬語が苦手な僕だが、こんな失礼な相手には礼で返す義理もないだろう。


「ここに住んでいる。ということは白鷺教授のご家族、か?」

「ああ、そうだ」


 僕の言葉に対して、白スーツの大人達は一斉に顔色を変える。


「申し訳ございませんっ。我々は怪しい者ではありませんよ。白鷺教授の研究に興味を引かれ、こうしてご自宅に参ったのです」


 スイッチを切り替え、背筋を伸ばして頭を下げる男達。顔には、露骨に取り入ろうとする笑みが張り替えられた。馬鹿丁寧な態度が、ますます信用できない。その媚びる様が、醜い本性を表しているように見える。


「そうだ、あなたも入信しませんか? 我々『螺旋の会』は、素晴らしい来世を手に入れるために活動しています」


 要するに、新興宗教か。素晴らしい来世と言われても、どうもピンと来ないな。

 と、熱心に入信を薦めてくる男達の後ろから、ボソボソと声が降ってくる。


「俺達の目的は……あくまでも、白鷺博士から協力を……得ることだろう。直接関係のない息子にまで……媚びへつらう必要は……ないはずだ」

「も、守岡君!」


 慌てる男達の背後から、山のごとき巨漢がぬっと現れた。歳は、五十代に差し掛かったくらいだろうか。歴戦の古兵を思わせるほどの精悍な顔立ち。加えて、頬には本物の刀傷らしき痕が刻まれていた。他の連中と同じく白スーツを着ているが、胸のボタンがはちきれそうなほどに、筋肉が自己主張をしている。

 それに何よりも目立つのは、その眼。海底よりも暗く濁った、慙愧の眼だ。その禍々しく陰鬱な圧力に、僕まで飲み込まれそうになる。


「すみませんね、息子さん。この人は少し、堅物というか、人付き合いの苦手な人でして」


 刀傷の男の代わりに、他の白スーツの男達が揃って、何度も頭を下げる。僕もけっこうな無愛想だが、ここまで他人を緊張させる根暗と会うのは初めてだった。


「……俺が『螺旋の会』に入信したのは、死んだ家族に会えると言われたからだ……そのためなら荷物持ちや汚れ仕事はいくらでもやるが……関係のないガキに下げる頭は持っていない」

「ちょ、ちょっと、君は黙っていてよ。もうっ、普段は寡黙なくせに、どうして大事なときに余計なことをしゃべるかなあ!」


 汚れ仕事? やはり胡散臭い集団だな。関わり合わない方が良さそうだぞ。

 だが、妙に気になる。刀傷の男を見ていると、何だか魂が震える気がするのだ。

 あの顔を、どこかで見た覚えがある。それに、とても懐かしく感じられる声。なぜだろうか、同時にひどい罪悪感が胸の奥から湧き上がってくる。まるで、僕がこの男の家族を殺したかのような感覚だった。


 もう少しで思い出せそうなところで、白スーツの男が話を締めくくろうとする。


「では、我々はこれで失礼いたします。また後日、訪問させていただきますので、白鷺教授にもお伝え下さい。入信をご希望なさる場合は、そのときにお聞きしますので」


 白スーツの男達が去っていくのを眺めながら、僕は底知れない胸騒ぎに襲われた。父さんの研究は、あんな怪しい連中まで引き寄せている。このままでは、さらに大きな事態に発展していきそうな気がした。


「ただいま」

「おう、いつまで待たせんのや。とっとと帰って来んかい」


 玄関の扉を開けると、居間から父さんが迎えに来る。相変わらずのボサボサ髪に、よれよれの白衣。ろくに休んでいないようだが、その顔は疲れを見せるどころか、喜色で満ちていた。口調はいつも通り喧嘩腰だが。


「さあ、研究室へ来い。実験の再開や」


 やはりか。父さんの頭の中には、自分の研究のことしか入っていないらしい。その実験によって、長瀬は気が狂いかけているのだ。これまでのように父さんに従うのは、けっして良い選択肢ではなかった。


「何や、その反抗的な目は。実験に参加したくないっつぅ態度やな」


 僕の心の迷いが顔に出ていたらしく、父さんは粘つく笑みを浮かべた。それから、僕の予想外の言葉を吐く。


「おい、朝斗。お前、夕奈と今でも連絡取っとるな?」


 突然、夕奈の名前を出され、僕は思わず顔を強張らせる。


「お前と双子のあいつなら、実験体として申し分ないやろ。かかかっ」


 僕は、夕奈と同じ学校に通っていることを、父さんには言っていない。父さんがこの考えに行きつくことを恐れたからだ。それに僕は、夕奈との『魂の絆』について教えていない。おそらく、父さんが感じ取ることもできないのだろう。だから、夕奈が「雅美姉さん」であることを知らないと思われる。もちろん、僕が教えるつもりは絶対にない。


「家の電話機には、あいつの携帯番号が登録されとったな。電話でお前の名前を出せば、すぐにでもこの家へ押し掛けてくるやろ。あいつは、お前にかなり懐いとったからな」


 父さんの視線が、僕の身体を嬲る。これは、明らかな脅しだ。夕奈をいつでも生贄にできるという、父さんにとって有利な状況である。


 今朝の長瀬の怯えた姿が、脳裏を過ぎった。彼女がああなった原因の一端は、僕にある。

 ここは、父さんの脅迫を撥ね退けるべきだ。良心はそう叫ぶ、それなのに……


(どうしたんだい、そんなに不機嫌そうな顔をして)


 呆れ混じりにため息を吐く夕奈、


(嘘だね。君の嘘なんて、妹のボクにはお見通しなんだから)


 子どもっぽく拗ねてみせる夕奈、


(ボクも、もっと強くなるよ。朝斗が心配しなくても大丈夫なくらいに、強くなる。だから、とりあえず。……また会おうね、朝斗)


 思わずこちらが見惚れてしまうほどの笑みを浮かべる夕奈。そんなあいつの表情の数々が脳裏を過ぎ、僕は喉まで出てきた言葉を飲み込んでしまう。


 そして、違う決断をせざるを得なかった。


「……します」

「あん? 聞こえへんなぁ」

「お願いします、僕を実験に使って下さい」


 唇を噛みしめ、僕は頭を下げる。血と共に屈辱の味が、口の中にじんわりと広がった。それに対し、勝ち誇った父さんの嘲笑が、家の中を反響する。


「かかかっ、それでええんや。さあ、研究室へ行くで」


 意気揚々と家の奥へと向かう父さんの後を、僕はのろのろと追う。僕は自分のエゴのために、さらに多くの人々を犠牲にしようとしているのではないか。……それでも、この選択肢しかない。夕奈に害を及ばせたくないから。


「さあ、とっとと入らんかい、グズグズすんな」


 研究室は、ここ数日の間でさらに陰鬱さが増していた。魔女が怪しげな儀式をする部屋、と言った方が納得できそうだ。この甘ったるくも淀んだ空気に、思わず鼻を覆いたくなる。

 机上に置かれたヘルメットとゴーグルを、嫌々ながら装着する。そんな僕を横目にしながら、父さんはパソコンのキーボードを、何やら操作していく。


「かかかかっ。三日前に大学で、大量の被験体を相手に実験をしたからな。サンプルがたっぷりとできた。それをもとに、今日の実験は一歩進む。実践を糧に、研究は飛躍する。やけど、まだや。ワシの理想にはまだ届かへん。もっと、もっともっと!」


 その目は血走り、もう僕を見ていなかった。実験のことしか見えていないのだ。何がそこまで父さんを駆り立てるのだろうか。


「父さんは、どうして、そこまでして前世のことを調べるんだ」


 問いを投げかけると、父さんは取るに足らないゴミ屑を見るかのような目を、こちらに向けて来る。


「ふん、なら聞くけどな。お前は、『自分の前世は何者だったんや』と、一度も考えたことがないと言えるか? 『自分は、生まれ変わったら、次は何者になるんか』と、考えたことがないと言えるか? ワシは知りたいで。自分の魂がどこから来て、どこへ行くんか。その魂の軌跡が知りたくて、ガキのころから我慢できんかった」


 父さんが顔を醜く歪ませて笑う。見るだけで反吐が出る笑みだ。


「魂とは何や。ワシが死んだら、その魂はどこへ行くんや? 誰に尋ねても答えは得られへんかった。仏教、ヒンドゥー教、古代ギリシャやエジプトの哲学に至るまで、とにかく調べ漁った。やけど、答えは得られなんかった。おのれの魂の軌跡がどうなっていくのか、それが知りたい。知りとうて、知りとうて、夜も眠れへんかった。

 そうして、気づいたんや。答えは己自身で導き出さへんかったら、何も得られへんことをな。宗教も、古代哲学も、クソ食らえや。たとえ何年、何十年かかっても、この世の理は、全てワシが暴いたる。前世も来世も、全部この手で掴んでみせるわい!」


 父さんは自分の言葉で興奮し、顔中を紅潮させていく。口からだらしなく涎をこぼし、恍惚とした笑みを広げている。もはや、妄執に支配された狂人だ。危険なクスリに溺れ、心が壊れてしまった者と変わらない。


 前世と来世、と父さんは言った。遠い過去とまだ見ぬ未来。そんな見えない何かに取り憑かれている。今の現実なんて、どうでもいいのだ。だから、こんな怪しい研究にのめり込むことができるに違いない。


 それだけなら、まだいい。問題は、他人の「今」すらも簡単に犠牲にすることだった。


「分かったら、早ぅベッドに寝ろや。いくでっ」


 父さんは話を打ち切り、キーボードのエンターキーを押す。すると三日前と同じく、ヘルメットから頭を伝って全身に、強力な電気が流れて来た。全身の体毛に、炎が走ったかのように焼かれる。


「ぐぅぅっ!」


 痛みを堪えようとするが、無駄な足掻きだった。こないだと同じく、脳がかき混ぜられ、溶けていくような感覚。視界がブラックアウトし、代わりに頭の中に直接映像が飛び込んで来る。一年前の記憶、五年前、十年前……

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