第17話 弱さと因果応報

 翌朝、六時ちょうど。目覚まし時計の音で、僕は目覚めた。


 二階の自室を出て、階段を下りる。昨日、父さんに瓶で散々殴られたせいで、体中が痛む。どうやら痣になっているようだ。学校では制服を着て隠せるから、まあ大丈夫か。


 一階の居間でテレビをつけると、一つのニュースが飛び込んで来た。


『こちらは長瀬さんの自宅前です。長瀬さんは昨晩、十時ごろに自室で首を吊り自殺をしたとのことです』

『周りの友人の方の話によりますと、長瀬さんは数日前、大学のゼミでとある実験に参加していました。その後から、精神を病むようになったとのことです』


 え……嘘、だろ?


『その実験とは、最近注目を集めている、「前世の記憶を思い出す実験」です。長瀬さんは、そこで思い出したとされる記憶と、今の記憶が混ざり、錯乱したと思われます』

『脳に多大な負担をかける実験として、大学内では反対の声もあります。ですが、研究の中心人物である白鷺幸太郎教授は、それらの意見を一蹴しています』


 テレビ画面に、自殺した人物の写真が映る。見たところ、二十歳前後の男。その顔には見覚えがあった。金色の髪、猛禽類のような笑み。間違いない。長瀬のお兄さんだ。


『しかし、先週行なわれた実験の後、精神に異常を訴える方が続々と現れています。亡くなった長瀬さんの妹さんも、今は病院の精神科に通っているとのことです』


 死んだ? あの長瀬のお兄さんが? 妹思いの、あの人が?


 昨日、保健室で自らに起こった異常を語っていた、長瀬の顔が蘇る。彼女はあの後、精神科に行ったのか。あんな錯乱状態に陥っていたのだから、無理もない。僕は、全身が締め上げられるような悪寒を覚えた。やはり、あの実験は危険なのだ。だが、僕が実験に加担しなければ、このような事態にはならなかったはず。


「そんな」


 気がつくと、テレビのリモコンを床に落としていた。


 僕のせいで、多くの人の心を狂わせてしまった。僕が、実験に協力してしまったせいで、長瀬のお兄さんが自殺してしまった。僕が殺したも同然だ。

 長瀬のお兄さんの怨念が、床から這い出て来て僕の足を掴んだ気がした。僕は思わず短い悲鳴をあげ、その場から足を引く。どこからか恨みを叫ぶ声がいくつも重なって聞こえて来る。


(お前が、俺を殺した)

(お前が、皆を不幸にした)

(お前がっ!)


「ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」


 いつかの長瀬のように、僕は誰もいないはずの虚空に向かって謝り続けた。







 重い足を引きずって登校すると、教室中の目が一斉に僕に向けられる。こんなに一度に視線を浴びたことは、これまでの人生にはなかった。どれもこれも、腐った生ゴミを見るかのような目だ。


「……あの変な研究をしているのって、白鷺君のお父さんなんだって」

「……え、昨日、長瀬がおかしくなったのも、そのせいなの?」

「……長瀬だけじゃないよ。うちのお姉ちゃんもその大学に通っているんだけどさ、その変な実験に参加したのは大学内で二十人以上いたらしいよ」


 噂を囁き合うクラスメイト達。話題は、早くも今朝のニュースらしい。


「おはよう、皆」


 遅れて教室に入って来たのは、夕奈だ。昨日のことを引きずっているのか、その表情はどことなく浮かないものだった。自ずと、僕に集まっていた視線が夕奈へと移る。


「……待てよ、白鷺君と神楽崎さんって、兄妹なんだよね」

「……つまり、世の中を混乱させている人間の子どもが、二人ともこのクラスにいるのか」


 心ない言葉の数々に、夕奈の顔が固まった。それでも彼女は自分の席へと向かおうとするが、クラスメイト達の囁き声は止まない。


「……近寄らない方がいいぞ。俺達まで仲間だと思われるぞ」

「……やべ、目を合わすなよ」


 男子達はつい先日まで夕奈を口説いていたくせに、今日は夕奈に対して余所余所しい。空気を読んで、自己防衛か? 見ているこちらの方が腹立たしくなるが、それは利口というしかない。一方の女子は、露骨なまでに冷然とした態度だった。


「こんなに騒がれてるのに、よく学校に来られるわね」

「図々しい。神経図太すぎでしょ」


 対する夕奈は肩をわずかに震わせながら、僕の席を通り過ぎようとする。

 そうしているうちに女子達のうちの一人が、教室の隅にある掃除用ロッカーから薄汚れた雑巾を出してきて、ゴミ箱の中に入れてかき混ぜた。それからもう一度取り出し、泥の塊でもぶつけるような調子で、夕奈に向かって投げつける。


 見ていられない。震える足に渇を入れ、僕は夕奈の前に飛び出す。驚いた夕奈は、すぐに僕の身体をどかせようとするが、雑巾が僕の肩にぶつかる方が速かった。


「何あれ、麗しい兄妹愛ってやつ? キモ」

「白鷺。あんただって同類なんだからね」


 僕の行為に対して、女子達は嗜虐心がすっかり冷めてしまったようだ。わざとらしく鼻を鳴らしたり、僕の席の椅子を蹴飛ばしたりしながら、彼女達は散らばっていく。男子達はとばっちりを受けないためにか、慌ててテキトーな世間話をし始める。入学して早々、正義漢ぶって余計な敵を作りたがる者などいまい。


 残された僕と夕奈を、沈黙が包み込む。小学生のころ、苛められている夕奈のもとへ駆け付けたときには、こんなジメッとした空気は流れなかった。一体、何と声をかけてあげればよいのだろうか。


 そんな中、先に口を開いたのは夕奈だった。


「朝斗……ありがとう。それと、ごめんね」


 夕奈の髪を見やると、髪飾りの銀猫までしょんぼりと身を丸くしていた。昨日までの夕奈の元気の良さが、まるで無理をして作った張りぼてであったかのように。その奥から出てきた今の彼女の顔と、昔の内気な彼女が重なって見えた。


「気にするな」


 自分の方こそ何も気にしていない風を装いながら、僕はそう言う。床に落ちた雑巾を拾い上げ、掃除用ロッカーに仕舞いに行く。足はまだ震えていた。


 夕奈の小さな声が、そっと僕の背中に触れる。


「やっぱり、朝斗はボクなんかより、ずっと、ずっと強いよ」


 どう答えて良いか分からず、僕は聞こえないフリをすることしかできなかった。


「……ちょっと、トイレに行ってくるね」


 そう言って夕奈は、教室を出て行く。その後ろ姿から、泣きそうな顔を僕に見られたくない、という彼女の心がはっきりと見えた。


 すると残された僕の目の前に突然、分厚い壁が立ち塞がる。恐る恐る見上げた先にあったのは、あの坊主頭の厳つい顔だった。


「よう、白鷺。ちょっと顔貸せよ」


 坊主頭は自分の引き締まった腕で、僕の首を締め付ける。同時に、僕の口を手で塞いだ。


「お前には、こないだの昼休みのことで、ちょっと話があるんだよ」


 僕を引きずりながら、坊主頭はニタリと笑みを広げる。小動物を苛めるかのような声。話って何だ。昼休み? まさか、夕奈を紹介しろなどと脅してきた件か。あのときは夕奈が間に入り、事無きことを得た。そのせいで、恥をかかされたとでも思ったのか? 


 僕はどうにかして逃走しようともがくが、坊主頭の腕はびくともしない。何しろ、相手は柔道部の期待のホープだ。ひ弱な僕では話にならない。ならばと視線で周囲に助けを求めても、先ほどと同じく皆に無視をされた。





 

 その後、体育館倉庫へと連れて来られた僕は、坊主頭やその仲間達によって散々いたぶられた。顔を殴って痣になると後々面倒になる、という理由により、殴り蹴られるのは、ほとんどが胴体だ。ようやく解放されたころには心身ともにボロボロとなり、昼食もろくに喉を通らなくなってしまった。


 ……僕は、強くなんてない。強いはずがない。

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