第13話 異変

 土日の休日が明け、月曜日。学校へ続く道を歩いていると、校門の前で人だかりができている。どうしたのだろうか、喧嘩でもあったのか。


 原因が気になり、僕は人ごみをかき分けていく。騒ぎの中心にいたのは、長瀬だった。


「うぅ……」


 長瀬はその場に座り込み、頭を押さえながら唸っている。どうやら、周りに人が集まっていることに気付いていないようだ。顔色は血の気が引くほど真っ青で、ハッと顔を上げたかと思うと、


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 と虚空の誰かに懺悔する。その細い目は焦点が合っておらず、涙をいっぱいに溜めていた。どう見ても、尋常ではない。


「朝斗」

「う。夕奈か」


 後ろから夕奈の吐息が首筋に当たり、思わずこちらの身体が固まってしまう。だが遅れて現れた彼女も、長瀬の異常に気付いたようだ。不気味がって誰も近寄ろうとしない中、長瀬の傍に駆け寄り、そっと声をかける。


「長瀬さん、顔色が悪いようだね。ここではゆっくり休めないだろう。保健室へ行こう」


 夕奈が長瀬に肩を貸そうとする。だが、長瀬はその手を振り払った。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 寒そうに震え、長瀬は見えない何かに向かってひたすら謝り続ける。まるで幽霊か何かに取り憑かれたかのような、不可思議な姿。つい三日前は穏やかに笑っていたのに。この土日で何があったというのだろうか。


 ともあれ、これでは埒があかない。僕は長瀬を後ろから抱えて持ち上げた。失礼ながら長身からは想像できないが、羽のように軽い。


「あー、あーっ!」

「すまん」


 一言詫びを入れ、僕は長瀬の身体を抱きかかえる。彼女が暴れるので、こちらも多少は手荒な真似をするしかない。女性の身体に許可なくベタベタと触るのは、気が引けるのだが。さすがに、そうも言っていられない。


「夕奈、鞄を頼む」

「うん、了解した。すみません、通して下さい!」


 夕奈の先導で、僕らは保健室へと向かった。







 保健室は開いていたが、保健の先生はいない。もしかすると、職員室にいるのかもしれないな。とりあえず、長瀬を清潔なベッドの上に下ろす。長瀬は暴れ疲れたのか、先ほどまでに比べて幾分か落ち着いている。メガネの奥の瞳はまだ虚ろだが、この分だと会話もできるだろう。


「はい、長瀬さん。冷たい水だよ」


 夕奈が水の入ったコップを、長瀬に差し出す。長瀬はしばらくの間ぼうっとしていたが、どうにか受け取ってくれた。


「……すみません、ご迷惑をおかけして」

「気にしなくていいよ。ボクらはクラスメイトじゃないか」


 手を薄い胸に置き、舞台役者のように大げさな口調で夕奈が言う。落ち込む長瀬を見て、わざと明るく振る舞っているのだろう。その意思を汲んで、僕も頷いた。


 長瀬は、コップに入った水をゆっくりと飲み干す。目眩でも起こしているのか、小さな額に手を弱弱しく置いた。夕奈は、そんな長瀬の背中を優しく摩る。


「横になるといい。朝斗、保健の先生を呼んで来てくれないかな」

「ああ、分かった」


 夕奈の指示に従い、僕は保健室を出ようとする。それを、長瀬が呼びとめた。


「少し、待って下さい。私の話を聞いていただけませんか」

「うん? それはかまわないけれど」


 長瀬はベッドに横たわりながら、天井を見上げた。


「三日前から、ずっとこの調子なんです。私が兄と一緒に大学へ行って。そこで実験を受けたその帰りから、おかしな夢を見るようになったんです」


 確か、父さんが大学で行なった実験だ。それで精神に異常が……って、え、まさか!? 目を見開く僕をよそに、長瀬の話は続く。


「今まで体験した覚えのない記憶が、頭の中でフラッシュバックするんです。私が見たのは、遠い外国で、私は軍服を着て銃を持っていました。上官の人の指示に従い、磔にされた人を撃ちました……戦争映画を見ているかのような光景でしたけれど、でも手には確かに、銃の引き金を引いた感触があるんです。人を殺した感触が。しかも私、引き金を引きながら笑っていました。人を殺しながら、心の底から楽しそうに笑って……そんな体験なんてあるはずがないのに!」

「長瀬さん。もういい。無理して思い出すことはないよ」


 夕奈は、長瀬の三つ編みの黒髪をそっと撫でた。長瀬は両手で顔を押さえ、泣きわめく。それを見ながら、僕は背筋がぞっと凍りつくような感覚に襲われていた。


 長瀬が見た、体験したはずのない記憶。それと似たものを、僕も持っている。信太と、雅美姉さんの睦み事の記憶を。映像だけでなく、感触まで身体にしみ込むように覚えているのだ。僕以外の成功例が現れた、とテレビで報道するたびに、認めたくない自分がいた。だが、こうして長瀬まで本当に、あの実験で僕と似たような状態に陥っている。


 彼女が語る体験も、側頭葉を刺激したことによる幻覚なのか? あるいは、潜在記憶によって生まれた偽の記憶? 分からない。僕以外の体験者が目の前に現れたら、完全に否定をすることができなくなってしまった。


 長瀬がこの状態であるということは、三日前の大学での実験に関わった人間のうち何人かは、同じような状態に陥っている可能性がある。長瀬が精神に異常を起こしてしまうほどの、危険な研究に僕は手を貸してしまったのだ。夕奈を守りたいという、僕の個人的なワガママのせいで。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 長瀬はここにいない相手に、謝罪を繰り返す。その嘆きが刃となって、僕の醜い心を貫いた。

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