錯乱の甘い記憶
第03話 妄執の研究
僕達の両親が離婚した原因は、父さんにある。
父さんは大学の教授だ。講義以外の時間のほとんどを自分の研究に注ぎ、家族のことなんてほとんど無視していた。おかげで、僕ら兄妹が父さんの顔をまともに見る機会は、月に一度あるかどうか。その数少ない時間を作ることでさえ、父さんは不満のようだった。学校であった話をしようとする僕達に対して、邪険にあしらって何やら難しい書物に集中していたものだ。
母さんはそれがとても嫌だったらしい。「子ども達との時間を、もっと大切にしてあげてほしい」と、父さんと顔を合わせればいつも訴えていた。父さんは聞く耳を持たない様子だったが。
そんな生活が十年以上も続けられ、ついに母さんの堪忍袋の緒が切れた。父さんがいる大学にまで赴いて、離婚届を突き付けたのだ。父さんは反対するどころか、面倒臭そうに判を押したという。
残った問題は、僕達兄妹をどちらが引き取るか。母さんは二人とも引き取るつもりだったそうなのだが、問題が生じた。父さんが、僕達のうちどちらかを引き取ると言いだしたのだ。あんなに我が子に無関心だった父なのに、何の気まぐれなのかと母さんは首を捻っていた。そうして離婚調停の末に、僕が父さんに引き取られることになった。
「……気まぐれ、ね」
そう毒づきながら、僕は我が家の敷地に踏み込んだ。
我が家の造りは、広くもなければ狭くもない。二階建てで、洗濯物を干せるだけの広さの庭もある。そんな普通の洋風一軒家のはずなのに、住んでいる人間のせいで黒くねっとりとした雰囲気に覆われている。今にも悪霊が「ようこそ」と言って、顔を出してきそうだ。
牢屋の鉄格子を思わせる玄関の扉を開けると、男のしゃがれた喚き声が聞こえてきた。相変わらず耳障りな声だ。
「何ぃっ、大学でワシが逃げ回っとるやと? アホぬかすな、お前らと話する時間がもったいないだけや。ワシは研究で忙しいからな。……期限? あと一週間やと? そんなにポンポンと研究に花が咲くか! ……何やとっ、できなければ除籍? ふざけんなっ」
電話越しに、何やら喧嘩腰の男。最後には、受話器を叩きつけるようにして、電話を切った。ろくに手入れをしていないボサボサの髪と、顎に生えた無精ひげを掻き毟る。年齢がまだ四十代に差し掛かったばかりなのに、二回りは老けて見えた。
この男こそ僕の父、白鷺幸太郎(しらさぎこうたろう)だ。その右手には、乳酸菌飲料入りのガラスコップを持っている。神経質で粘着的なオーラを醸し出している様子から、性質の悪い酔っ払いのようにも見えた。我が家を覆う陰湿なオーラの源だ。
「おのれ、あくまでもワシの研究を邪魔するつもりかい。ええやろ、望み通りに成果とやらを出してやるわい!」
苛立ちを隠そうともせず、父さんは歯ぎしりをする。まるで痴呆症の老人が意固地になっているかのようだ。電話の相手は、また大学の職員だったのだろう。週に最低一度はかかってくるのである。父さんの言葉から察するにその内容は、父さんが教授の座から除籍されるかどうか、というものだったのだろう。
父さんは、大学で輪廻転生について教鞭を取っている。はっきり言って受講者は少ない。ゼミにおいても同じテーマを取り扱っているそうだが、研究に加わる学生は数える程度。おかげで大学側から研究費をもらうのにも一苦労、という現状だ。肝心の研究成果についても芳しくなかった。そんな人間がいつまでも教授の地位を維持できるほど、大学は甘くない。
しかし、現在の我が家の収入は、父さんの給料のみ。一応、多少は蓄えがあるが(離婚後は、僕が「主夫」をしているのだ)、父さんが失職すれば貯金など、あっという間になくなってしまうだろう。
完全に追い込まれてしまったが、それで折れる父さんではないようだ。玄関で立つ僕を見るや否や、口が裂けんばかりの笑みを浮かべた。
「さあ、朝斗。実験やっ。研究室へ行くで!」
仕方なく僕は靴を脱ぎ、父さんの後に続いて廊下を進む。その先にあるのは、我が家の一番奥にある部屋。父さんの研究室だ。胸焼けしそうなほどに甘ったるい空気が、廊下に漏れてきていた。
躊躇う己に活を入れ、僕は中に入る。すると、部屋を覆い尽くさんとばかりに積み上げられた書物の数々が目に入った。日本語で書かれた物だけでなく、英語からドイツ語、フランス語など、一介の高校生には読めないような書物ばかりだ。難解なのは文字だけでなく、記された内容の方である。日本語で記された本だけでも、怪しいものばかりだ。
『輪廻の向こう』
『前世への旅立ち』
『あなたが生まれる過去の記憶』
どれもオカルトめいたタイトルばかりだが、所有している当人にとっては真面目なものであるらしい。
「早ぅそこへ寝ろや」
父さんが指差した先にあるのは、古いベッドだ。敷布団は僕が定期的に干しているし、シーツも洗っているので、不潔さはない。寝転がり、何十本ものケーブルが繋がったヘルメットと、両目を覆う暗視ゴーグルのような機械を父さんから受け取る。これらが実験に必要不可欠な装置なのだそうだが。
さらに、パソコンが置かれた机の下から、乳酸菌飲料の瓶が数本、空となって転がっているのが見えた。
「それ、今日だけで何杯目だ」
「ああ? 数えとらへんが、だいたい二十杯くらいか」
それだけでも呆れてしまうが、父さんの飲む乳酸菌飲料は一滴も水で薄められていない。完全な原液のロックだ。かき氷のシロップにも使用されるほどの濃厚な甘さが凝縮されており、常人ならば飲めば飲むほど喉が渇くはずである。それを毎日、浴びるように飲む父さんの舌の機能は、壊れているとしか思えない。
「毎日毎日、そんなものばかり飲んでいたら、近い将来病気になるぞ」
「やかましいわ、この味の良さが分からへんガキに、説教される筋合いはあらへん」
まあ、身体を悪くするのは父さん自身だからな。僕にも飲むように強要しないだけマシか。原液入りの瓶の買い置きがないと、手がつけられないほどに怒るのが厄介だが。
父さんは机上に置かれたパソコンに向かって、何やらキーボードを打ち込む。そのパソコンは、僕が持つヘルメットやゴーグルと、それぞれケーブルで繋がっていた。さらにパソコンの隣には、僕の身体と同じくらいの大きさを持った、黒い箱型の機械が置かれている。
「さあ、早ぅ準備せえ!」
「また失敗するんじゃないか?」
偉そうに命令を飛ばす父さん。ヘルメットとゴーグルを装着しながら、僕は思わず水を差してしまう。だが、キーボードを操作する父さんの耳には入っていないようだ。
「今日こそ成功させたる。理論上では、これで前世の記憶が蘇るはずなんや!」
前世の記憶ねえ。そんなものが、本当にあるものなのだろうか。
怪しさ極まりない研究だが、実は海外でも広く行われている分野なのだという。心理学の一環で、研究者は世界中に存在するらしい。彼らの一部は、その秘密が大脳皮質にあるのではないか、という推論を立てていた。大脳皮質は、記憶の倉庫ともいうべき場所である。その倉庫から普段、意識の表に出ている記憶は、氷山の一角に過ぎない。水面下には膨大な記憶が眠っており、その中に前世の記憶が眠っているのだとか。
「この間、ネットで偶然見たけど、前世の記憶の正体って、大半がデジャヴなんだろ」
デジャヴとは、誰でも体験したことがあるであろう、「この出来事は以前、確かに体験したことがあるんだけど。いつ、どこでのことだったっけ」というアレである。
そのデジャヴを意図的に誘発させる実験を、二十世紀中盤にカナダのある学者が行った。開頭手術の際に側頭葉に直接、電気刺激を与える、という実に荒っぽい手段だ。その結果、全体の八パーセントの被験者がデジャヴらしきものを見た、と回答した。その学者は、デジャヴを「脳が忘れた過去の記憶」と位置付けている。脳科学分野の研究では、かなり有名な話らしい。
僕の指摘に対し、父さんは侮蔑たっぷりに鼻で笑った。
「マスコミなんて聞きかじりの知識しか語らん連中ばっかりやから、どうせその記事も中身がないんやろ」
「それは、父さんが昔、週刊誌で研究をボロクソに叩かれたから、恨んでるだけなんじゃないのか」
「やかましいわ! あの週刊誌めが、ワシをペテン師扱いしよってからにっ」
あのときの怒りが蘇ってきたのか、父さんは忌々しげに歯ぎしりをする。
事の発端は五年ほど前、ある出版社が父さんを取材したことだ。その数週間後に発売された雑誌で、「科学文明の発達した現代における化石」とか、「オカルトに支配された哀れな学者」、あるいは「こんな役に立たない研究に金を出す大学は、頭がおかしい」などと痛烈に批判した。おかげで父さんは、近所でも大学でも笑いものとなったのだ。他人の視線などどうでも良いと考えている父さんだが、大学から援助される研究費に大きく響いたことだけは、さすがに無視できなかったらしい。
「ワシら前世研究者から見たら、デジャヴっつうのは前世の記憶の断片や。あらゆる生物は生まれ変わったら、新しい人格が生まれる。その代わりに前世やさらに前の人格達は、記憶倉庫の中に収納され、普段は表に出てこーへん。やけど時折、その記憶倉庫の扉から記憶が漏れ、デジャヴという形で顔を出す、っつうこっちゃ」
その自信がどこから湧いてくるのか分からないが、父さんの理論には大きな問題がある。先述の開頭手術で電気ショックを与えられた被験者達は、本物のデジャヴを見たのか、あるいはただの幻覚を見ていたに過ぎないのか。現在の学会では、後者に信憑性が高いと見なすのが多数派らしい。側頭葉は人間の感情を生み出すために重要な部分なので、そこを刺激すれば幻覚の一つや二つ見てしまうだろう、ということだ。また一説では、デジャヴをよく見るのは、てんかんの病気の前兆とも言われている。
それでも断固として、父さんは前世研究の肯定派だった。それ自体は別に良いのだが、問題はカナダの学者を真似た実験が、僕を被験者にして行なわれることだ。実験で使用する電気刺激の量は、尋常ではないほどの高い数値である。脳はとてもデリケートな部分であり、父さんの手法は素手で内臓をかき回すようなもの。そんな危ない実験に大学側が許可を出すはずがない。それを知っているからこそ、わざわざ僕を引き取ったのだった。
無駄だと分かっていても、僕は一応の進言をしてみる。
「やっぱり父さん、やめた方がいい。危ないから」
「あん?」
不機嫌を隠そうともせず、父さんが睨みつけてくる。
「今さら何を言い出すんや。泣きごとなんぞ、聞きたくないわ」
「泣きごとの一つも言いたくもなるさ。自分の身体のことなんだからな」
僕の反論に対して、父さんは苛立ちを隠そうともせず、机を強く叩く。机上のキーボードが軽くはねた。
「誰がお前の生活費を払っとると思っとるんや。ここに住まわせてやっとるんも、誰のおかげや!」
「誰のおかげだ、って父さんが無理やり僕を引き取ったんだろ」
「黙れ黙れぇっ!」
父さんは椅子から立ち上がり、傍にあった空の瓶で僕を殴りつけた。たまらず僕は腕でガードするが、父さんの攻撃は止まらない。瓶が割れないのが不思議なくらいだ。
「ええか、お前はワシの所有物や! お前をどう扱おうとワシの自由なんや!」
わめき、殴り、いたぶる。まるで駄々っ子だ。だが、その駄々っ子に僕は逆らうことができない。
児童相談所に相談しようと思ったことは、何度となくある。だが、あと一歩のところで踏みとどまっていた。もしも世間の明るみに出れば、父さんは警察に連れて行かれる。実験と称して虐待を繰り返していた、なんて週刊誌が黙っていないはず。大学教授という父さんの肩書は、マスコミ連中にとって格好の餌だ。そうなると離婚したとはいえ、ここにいない夕奈や母さんにも風評被害が及ぶだろう。母さんは父さん以上に社会的地位のある人なので、そういったマイナスイメージは職を失わせるための、致命的な原因となりかねなかった。
だから、何としても二人を、夕奈を守りたい。それがこの家に留まる唯一の理由だ。
弱虫の僕にできる、たった一つの戦い。
そうでなければ、誰がこんな怪しげな臭いに満ちた実験に協力するものか。父さんは大学や学会で相手にされていないらしいから、幸いにも現時点で僕以外に被害者がいない。僕がこのまま外部に漏らさなければ、大事にならずに済むだろう。
体中が痣だらけになった僕は、仕方なく降参する。
「分かった、分かったからっ」
そうして、ようやく父さんは棒を握る手の動きを止めた。
「ったく、手間をかけさせよって。ワシには時間がないんや。さっさと実験を開始するで」
打撲の痛みに耐えつつ、僕はよろよろとベッドに横になった。
どうせ、今日も失敗に終わるさ。
そんな諦めの念が、脳裏を過ぎる。父さんがこの研究を始めてから二十年以上が経つらしいが、僕の知る限りでは一度も成功したことがないのだ。だが、父さんは全く挫けた様子を見せない。そのために、わざわざ最新の機械を入手した。それが、父さんのパソコンの隣に置かれた、大きな箱型の代物である。
その機械には、機能的磁気共鳴画像――通称fMRIという技術が備わっている。父さんの尊大な説明によると、fMRIとは脳やせき髄の血流の変化などをもとに、活動量を計測するものらしい。数年前に日本の脳情報研究所が、この技術を用いた発明を成功させ、話題を呼んだことがあった。その発明を一言で表すなら、夢の内容を読み取るという代物だ。夢を見ているときの脳活動を記録し、実際の画像を見ているときの脳活動パターンと照らし合わせることによって、夢の内容を大まかではあるが解読できるのだという。
それをさらに発展させ、映像までも解読できるようになったのが、この大きな機械だ。
「これや、これこそ、最新鋭の技術の結晶やで! お前が脳で思い描いた光景がゴーグルを通じて、ワシのパソコンのディスプレイに映し出される仕組みなんや。手に入れるのに、えらく苦労したんやぞ」
「……耳にタコができるくらい聞かされたよ」
まるで、新しい玩具を自慢する子どものように、父さんは嬉々とした笑みを広げる。僕はもう、小声で呆れるしかなかった。堂々と文句を言って、また叩かれるのは嫌だしな。
最新鋭といっても現時点では、開発元のドイツで試作段階とされている代物だ。おかげで、映像はモノクロで画質が粗く、音声もない。つまり未完成品を父さんはわざわざ取り寄せたのだが、その代金を聞いて僕は思わず卒倒しそうになった。いくら父さんが大学教授で、その権限を使ったとしても限界がある。父さんはあくまでも「大学側に払わせた」と言っているが、本当に大丈夫なのだろうか。まさか、サラ金に手を出しているのだろうか?
「かかかっ、これでお前が前世の記憶を見れたら、実験は成功っちゅーわけや」
そんなハイテク極まりないゴーグルだが、ヘルメットの方はハイテクというよりも危険物そのものである。何しろヘルメットに電気を流し、それを通じて側頭葉に電気ショックを与えるためのものなのだ。これでデジャヴを意図的に発生させようとするらしい。……まあ、開頭して脳に直接電気ショックを与えるよりは、まだ少しマシといえる。父さんはあらゆる知り合いの伝手や手段を用いて、この機械の改良に燃えていた。改良のたびに付き合わされる、こちらの身にもなってほしいのだが。
父さんは自信に満ちた表情で、枯れ木を連想させる細い拳を力強く握った。
「しかもやな、今日は今までとは一味違うで。ヘルメットにさらなる調整を加えたからな。送電する力も、これまでに比べて段違いに強くすることに、ようやく成功したんや。肉体の限界の一歩手前まで強めてある。これなら、実験は成功するに決まっとるようなもんや」
それって、かなりヤバいのではないだろうか。身体に悪影響があるどころか、運が悪かったら死んでしまうのでは。だが、父さんが被験者である僕を心配する素振りなど、微塵も見せるはずがない。ただでさえ崖っぷちなのだ。ここで引き下がる父さんではなかった。
「今日こそ、今日こそ成功させたる!」
父さんは天に己を認めさせようとするかのように、喚き叫ぶ。キーボードのエンターキーを、勢いよく押した。すると。
「おっ、おおおおっ!?」
ヘルメットを通じて、頭に強力な電気が流れてくる。確かに、いつもよりも凄い威力だ。身体中が焼かれ、体毛の焦げた臭いが鼻を刺す。まるで、巨大な焼き肉用の鉄板の上に転がされたかのようだ。全身に襲いかかる痛みに対し、僕は歯を食いしばってひたすら耐える。
いつも通りの実験ならばここまでであり、実験が失敗に終わるはずだ。だが、今日はその先があった。
脳がミキサーの中に入れられたように、掻きまわされる。形をなくし、溶けていく感覚。目の前の景色がねじ曲がっていく。
映写機のごとく、頭の中に映像が映し出される。これは、中学生のときの記憶? いや、今度は、離婚で別れる寸前の夕奈との思い出だ。小学生、幼稚園、とどんどん記憶が巻き戻っていく。暗く、温かい空間。この安心感は、まるで母の胎内にいるかのようだ。そのまま記憶はさらに逆再生される。さらにさらに!
◆◆◆
そうして行きついた先には、一人の女性がいた。
歳は十六、七ほどだろうか。淡い栗色の髪は、毛先だけカールしている。大きな結晶のような瞳。細身で手足が長く、抱きしめたら折れてしまいそうだ。
(信太)
その女性は優しく微笑み、こちらに語りかけて来る。え、信太(しんた)とは誰だ? 知らない名前のはずなのに、まるで僕が直接呼びかけられたかのような感慨に襲われる。
(雅美姉さん)
戸惑う僕の意思を無視して、僕の口が女性の名前を呼ぶ。互いに深い愛情の込められた呼び声に聞こえた。何だろうか、この懐かしさ。生まれたときから、いや生まれる前から知っていたかのように、不思議と耳に馴染む。
いや、ちょっと待て。この女性と、強い『糸』で繋がっているのを感じるぞ。これは「白鷺朝斗」と夕奈を繋ぐ『魂の絆』だ。いや、まさか、そんなはずがない。この女性と夕奈では、名前が全然違うし第一、顔や声も違う。だが、このあたたかな繋がりを、今までに夕奈以外から一度も感じたことがなかった。
では一体、この女は何者なんだ?
(姉さん)
(ふふ。信太、おいで)
僕の肉体は僕の意思を無視し、手を伸ばす。牝豹のような裸身を晒す「雅美姉さん」を、優しく抱きしめた。柔らかくて安心する感触。
そのまま互いの顔を近づけ、唇を合わせ――
◆◆◆
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
これ以上見るのは耐えられず、僕は、白鷺朝斗は無理やりヘルメットとゴーグルを脱ぎ捨てた。制服のワイシャツが、汗を大量に吸って肌に張り付いている。
脳が揺さぶられたような不快感のせいで、目の前が歪んで見える。酸素がほしい。
「何だったんだ、今のは……」
「かっかかかっかかかかっ、成功、成功や!」
呆然とする僕をよそに、父さんは高笑いをあげた。こんなに心の底から嬉しそうな声を上げる父さんを、僕は知らない。
「今の映像、ばっちりと記録に残したで。まさか、あの女の映像を拾うことになるなんて、思いもよらんかったがな。てことは、お前が見たんは、あの男の記憶か」
「……今のは、夢なのか?」
「お前があの男を知っているはずがないやろ。あの男と女は、十七年も前に自殺したんやからな。つまり、夢やない!」
父さんは、あの映像の人物について何か知っているようだ。あの映像は夢ではなく、現実のものだというのか?
「信太……それに雅美(まさみ)姉さん。父さんは、あの二人について知っているのか?」
「知っとるとも! ちょっとした昔馴染みでな。二人は恋人同士だったんや。つまり朝斗、お前の前世はあの男ってことかっ!」
傑作だ、とばかりに父さんはさらに爆笑する。
あれが前世の記憶? いや、そんな非現実的なことがあり得るはずがないだろ。だが、あのキスの感触を、つい先ほどあった出来事のように思い出すことができる。
「前世の記憶は蘇る。確かに証明したで!」
祝杯とばかりに、父さんは乳酸菌飲料を一気飲みした。
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