第14話 遺されたメモ

 泣き崩れてしばらく身動きが取れなかった明人を、ずっとそばに寄り添って介抱したのは朝美であった。遅れて平刃がやってくると、警察が来る前に退散しよう。と明人を無理矢理抱きかかえ、除細動器は朝美が持ってショッピングモールを出た。

 夜も遅く、この時間に大学を出入りすると怪しまれると思った平刃は、明人宅で一夜を明かすことを提案した。朝美はそれを承諾し、除細動器を助手席に置き、明人の原付に乗って明人宅を目指した。

 平刃はアパート付近の有料駐車場に車を止め、明人を抱えて少し歩いた。明人は泣き疲れて眠ってしまったようであった。

 アパートの共有階段を上がると、既に朝美が待っていた。平刃は明人が握りしめている鍵を手から奪い、鍵を開けた。そして中に入ると明人を寝かせ、平刃と朝美はテーブルを挟んで座った。


「私、今日はここに泊まります」

「……そうか。実は私もそう思っていた。丁度いい、先ほどショッピングモールであったことを話してくれるか?」

「はい……」


 朝美は明人の方を一度見ると、何回か呼吸をした後に平刃に向き直った。


「ショッピングモールには二体の変異体がいました。その内一体は先日話を聞いた木浦って人でしたよ」

「……それで戦闘はどうなったんだ?」

「一体は明人が倒しました。でも……成田さんが……」


 朝美は涙を堪えながら話を続けていたが、成田。と言う名前を出した瞬間に涙が零れた。


「そうか、彼は……」


 リビングには朝美のすすり泣く声のみが満たされていた。そんな中平刃は、朝美にかける言葉が見つからず、自分の気持ちと場の空気を誤魔化すために推察をしていた。恐らく明人が倒したのはロージョンで、意志を持つ木浦は逃げただろう。と。

 平刃は徐に立ち上がり、冷蔵庫を開けた。中には最低限の物しか入っておらず、空腹を満たすものや喉を満たすものは無かった。なので平刃は夜食と飲み物を買いに少し家を出ることにした。


「何か必要なものはあるか?」

「……ぐすっ。鮭おにぎりと緑茶で」


 朝美は泣きながらもちゃっかりと注文をし、平刃はそれに頷くと、車のキーを持って外出した。

 残された朝美はテーブルに放置されているノートパソコンに気が付いた。何度か悩んだ果てに、明人宅で見たことの無いそのノートパソコンを朝美はそれを開いてみることにした。


「パスワードはないみたいね……」


 ノートパソコンにはパスワードが設定されていなかった。まるで誰かに発見されるのを望んでいるように。

 朝美がスリープ状態になっていたノートパソコンを立ち上げると、数個のフォルダーが目に入った。特に名前も付けられておらず、朝美は一つ一つそのフォルダーを開けていった。

 フォルダーは左端の縦に三個あり、一番上と真ん中には希望の会社の面接日や応募条件やらが記載されたメモが入っていた。朝美はそれを流し見し、成田がこれからの人生をどうやって生きていこうか考えていたことを知り、再び静かに涙をこぼした。

 そして一番下のフォルダーを開いた。メモが何個にも分けられている。それらの見出しにはここ数日の日付が書かれており、朝美は一番上にあるメモを開いた。


〈明人君はぐうたらしている僕に何も言わず、アルバイトに行き、ニュースを見たら変異体を撃退しに家を出て。そんな明人君の生活を見ていたら、僕も出来る限りのことをしてみようと思い立ち、こうして日記を書き始めた。今日もニュースを見て飛び出した明人君だが、どうやら逃げられてしまったらしい。早く撃退してほしい。僕がそう思うよりも強く、明人君はみんなを守りたいと思っているのかな……?〉


 最初のメモはここで終わっていた。

 それから朝美は短く丁寧に書かれた日記を読み進めていった。ある日は変異体のニュースも無く、こんな日々が続けばいいのにな。という願望を綴ったメモだったり、ある日は明人が怪我をして帰ってきて、もっと僕も頑張らなくちゃ。という自らの意志を語るメモだったり。そんな日記を読み進め、ついに今日の日記にたどり着いた。


〈今日は早めに日記をつけようと思う。今朝から明人君は変異体にニュースを見て市内を走り回っている。僕はそんな中日記を付け、そして就職するために数社の応募要件や面接日を調べ、それをフォルダーにまとめた。今日もきっと明人君は頑張ってる。だから僕も頑張ろう。一日でも多く人間でいられるように……〉


 朝美は明人に悟られないよう、静かに泣いていた。そして本日の日記の下にもう一つのメモを発見した。


〈これは遺書になるのかな……。僕が変異体になってしまったり、変異体に殺されてしまったり。そんなことが起きたら誰かに読んでもらいたい。だからパソコンのパスワードも解除しておこう。

 と、まぁそれは置いといて、恐らくこれを読んでくれるのは明人君になると僕は思っている。だから正直に全てを書こうと思う。

 まず、染色雨を浴びる浴びない関係なく、僕がずっとニートだったこと。僕に居場所何て一生出来ないと思っていたよ。家も苦しく、学校も苦しく。かと言って公園やショッピングモールに行ったって、僕の気持ちはずっと狭苦しかった。でもそんな僕に明人君は優しくしてくれた。本当に感謝しています。その他にも僕が変異しないように見張っていてくれたり、逆に僕が殺されないように守ってくれたり。そしてそんな僕と関係を持ってくれた戸木田さんと平刃教授にも感謝しています。

 なので僕が知っている限りのことをここに綴ろうと思います。変異に関しての。僕の体には恐らく悪い寄生体が住み着いています。なぜなら明人君を殺そうと何度も体が勝手に動きそうになったからです。何とか理性で押さえましたが、明人君といるとなぜか殺意が湧いてくるんです。だから僕が自殺する可能性が高いという事もあり、こうして遺書を書いています。

 あまり力にはなれませんが、僕の体には明人君を狙う何かが住み着いていると思います。という事に加えて、明人君。君も気を付けて下さい。もし僕に住み着いている寄生体と一緒なら、意志が少しでも弱った瞬間に体を乗っ取ろうとしてくるはずです。なので絶対に負けないでください。強く意志を持ってください。自分の信念を……。って、僕が言う必要ないですかね。

 ――心の友。になれていたらいいな。成田類〉


 遺書らしきものはここで終わっていた。何度か改稿した形跡があり、毎日死に追われていたのがありありと伝わってきた。

 朝美がその遺書を読んで明人に読ませるべきか悩んでいると、丁度平刃が帰宅した。


「落ち着いたか?」

「は、はい」


 朝美は今しがた流していた涙を拭い、笑顔を見せた。


「それは君のか?」


 平刃はテーブルにおにぎりや緑茶を置きながらそう聞いた。


「いえ、成田さんのです」

「そうか……。何か書いてあったのか?」

「ちょっと悪趣味かと思ったんですけど、日記を読みました。その最後には遺書みたいなものがあって……」


 朝美はそう言って平刃の顔を見た。


「なんだ、何か重要なことが書いてあったのか?」

「私には分かりません。だから――」


 朝美がそう言い切る前に、平刃はノートパソコンを反転させて画面に映し出されている文字を読み始めた。


「神馬といると殺意が……。気を緩めると乗っ取られそうになる……。か」


 平刃は読みながらそう呟き、缶コーヒーを開けて一口飲んだ。


「見せるつもりかね?」

「い、いえ、今悩んでいたところで」

「そうか。なら少しの間私が預かってもいいか?」

「……」

「すまない。君が答えられる問いでは無かったな。……こうしよう。私が預かっておく」


 平刃はそう言うと、ノートパソコンを閉じて自分の車に持って行ってしまった。朝美はそれを止めることも出来た。なぜなら平刃は猶予を与えるようにゆっくりと動作したからである。しかし朝美は平刃を止めなかった。ここで初めて思ったのだ。私はとんでもないことに首を突っ込んでしまったわ。と。

 ノートパソコンを車に置いて戻って来た平刃は何も言わなかった。「あの遺書のようなメモから何か気付いたんですよね?」と朝美は聞きたかった。しかしそれ以上に恐怖が勝っていた。目の前で幼馴染が知人を殺さなくてはいけない世界にいるという事に。


 ……すっかり記者精神を喪失してしまった朝美は、その後平刃から何かを聞き出そうとすることも無く、夜が明けてしまった。

 早朝五時に平刃は目覚めた。明人と朝美はまだ眠っている。平刃は昨夜奪ったと言っても過言ではない成田のノートパソコンに書いてあった真意を調べるため、いち早く研究室に帰る必要があった。

 静かに明人宅を去ると、近場に停めている車に乗って大学に戻った。

 それから数時間後、明人と朝美はほとんど同じ時間帯に目覚めた。


「うぅ~ん。あれ、俺の家……」


 あれからすぐに眠ってしまった明人には、当然昨晩の記憶が無かった。


「あ、起きたのね?」


 朝美は冷蔵庫にあった卵を使って目玉焼きを焼いていた。


「昨日は悪かったな」


 明人はそう言いながら席に着いた。


「良いのよ。あんなことがあったら……」

「……あれは現実だったんだよな」


 明人と朝美は昨晩のあの光景を思い出し、そして数秒の沈黙が生まれた。


「……やっぱ許せねぇよ。あいつら。戦いたくない人を無理矢理変異体にするなんて」

「そうよね。私もそう思う。だけど明人、無理しないでね?」

「おう。もうあんな思いもしたくないし、誰にもさせたくないからな」


 目玉焼きが出来上がった。それに続いてトーストも焼き上がり、朝美はそれらをテーブルに並べると明人の正面に座り、二人は焼き立ての目玉焼きとトーストを食べた。


「なかなか美味かったよ」

「でしょ? 伊達に一人暮らししてないわよ」


 食事を終えた明人は皿洗いをしながら朝美にそう言った。


「もう帰るよな?」

「そうね。……仕事は無いけど、ここに用事も無いし」

「だよね」


 二人の間にはどこか余所余所しさが生まれていた。二人はそれが分かっていてもどうにも出来ず、皿を洗い終えた明人は朝美を見送った。


「もう……いないんだよな……」


 明人は誰も居なくなったテーブルを見て、そう呟いた。ここ数週間ずっと誰かといた明人は、急に孤独を感じていた。

 休日という事もあり、明人は何もすることが無かった。となると変異体の情報を得ることしか出来ない明人は、テレビを点けてニュース番組に切り替えた。


「昨晩火澄町にある大型ショッピングモールで変異体が三体現れました。一体は先日の月刊誌で名づけられたアーデス。それに対するは先月警視庁によって名づけられた黒い変異体ロージョンが一体。それと謎の変異体が一体。この写真からはここまでが確実に読み取れることだと思われます」

「見た感じだと、アーデス対ロージョン、謎の変異体。って構図に見えますね~。まあ僕的にですけど」

「そうですね。確かにアーデスの背後には一般市民だと思われる人が数名映っていますね」


 ワイドショーのやり取りはその後も続けられた。特に進展のない会話で、明人は自分の評価が世間的に少し上がったことを知ってテレビを消した。

 するとタイミングよく平刃からメッセージが届いた。何やら伝えたいことがあるようで、大学前にバスで来い。今日は少し違う所で話そう。とだけ書かれていた。明人はあまり外出する気になれなかったが、平刃に返信して外出の準備を始めた。

 珍しく近所のバス停が混んでいた。成田と並んだときは他の乗客は少なかったな。何て事を考えながら明人はその列の最後尾に並んだ。

 バスはすぐに来た。明人はそれに乗って大学前に向かった。何事もなく大学前に着くと思われた直前、急にバスが停止した。すると運転手が悲鳴を上げてバスを降りていく。車内はすぐにざわつき、開いている中扉から数名の乗客が逃げ出す。その中の一人が叫んだ。


「変異体だ! 早く逃げろ!」


 その一声で車内は騒然とし、我先に我先にと客が降り始めた。そんな中明人は慌てずに乗客全員が降りるのを待っていた。皆を守りたいという思いと、客がいなくなれば変異できる。という二点から。

 乗客全員が慌てふためいているだろう。と明人は思っていた。しかし明人同様、腕を組んで乗客全員が降りるのを待っている青年がもう一人いた……。

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