第15話 鼓動の主
彼はバスの最後尾に座っており、眠っているわけでもなかった。明人は彼に気が付くと、席から立ち上がって声をかけた。
「おい、変異体が出たぞ! 早く降りろ!」
明人は一般人を装って、何とか最後尾の彼を降ろそうとした。しかし彼は返事もせず、欠伸をして頭を掻いた。
「おい、降りないのか?」
頑張って一般人を装おうとする明人だが、微動だにしない青年を見て、まさか彼も変異出来るのか? と少し疑いを含んだ声でそう聞いた。
「お前こそ降りないのか?」
「え、お、降りるよ」
急に喋った青年に驚き、明人はどもりながらそう言った。
「降りろよ」
青年が鋭い眼差しでそう言うので、明人は頭を何度か浅く下げてバスを降りた。
「何だったんだ、あいつ……?」
明人はバスを降りてすぐに窓越しに青年の顔を見た。青年は尚も座っており、全く立ち上がろうとしない。
「クソ、なんだよ……どっか隠れられないかな?」
明人が辺りを見回していると、向こう側の車線に平刃の車を発見した。明人はそれを見つけると、立ち往生している車の間を抜けて向こう側の車線に停まる平刃の車を覗いた。
「来たか。どうやら変異体も来たようだが」
「はい、俺、戦います」
明人はそう言うと辺りを確認し、平刃の車を利用して変異することにした。
両手を前に出し、そして構えた。
「バイタルチェンジ!」
明人の周囲に血が舞う。しかしその血が明人を纏うことが無い。そして明人は膝から崩れ落ち、倒れこんでしまう。
「おい! 神馬!」
平刃はすぐに体外式除細動器を後部座席から取り、明人の蘇生に入る。
「戻って来い! 神馬!」
そう言うとともに電気ショックを流し、明人の体が少し浮いた。すると明人は何度か咳き込み、薄く目を開けた。
「あれ……俺、どうしたんだ?」
「……失敗した」
「失敗……?」
明人は状況が掴めていないようで、意識も視界もぼんやりとする中で辺りを見回した。すると先ほどバスに乗っていた青年が車の間を抜けて道路の真ん中に向かう。そして暴れる変異体を見つけると、そっと右手を左胸に添えた。
「ビートチェンジ」
明人と平刃がいる位置からはよく見えなかったが、青年はそう呟くと、左胸に添えた右手で何かをし、手のひらをナイフで素早く切った。すると流れ始めた血が全身を覆い。明人と酷似しているが、色が真っ青なスーツ形態に変異した。
「なに? 変異したぞ?」
平刃もそれを見ており、目を大きくしてそう言った。
「やっぱり……な……」
明人の疑惑が確信に変わった時、明人の意識はなくなった。
「おい、神馬!」
平刃はすぐに明人を後部座席に乗せ、謎の青年を残して病院に向かった。
……明人が意識を戻したのは、それから数時間後のことであった。心臓もしっかり動いており、体調も順調に回復していた。
「うぅん……。びょう、いん。か?」
明人はぼやける視界で今自分がいる場所を確かめた。
「……意識が戻ったか?」
平刃は明人が眠るベッドの傍に座って雑誌を読んでいたようであった。平刃はそれを近くのテーブルに置くと明人の方を見た。
「教授?」
「あぁ、そうだ」
「俺、なんでここに?」
「覚えていないのか?」
「えっと、何となくですけど。……変異、失敗したんですか?」
「……あぁ、それについて丁度話があったんだ」
「変異について。ですか?」
「そうだ。ちょっとした情報を得てな」
「どんな情報なんですか?」
明人は興味を示すように体を持ち上げると、怠い体を枕の方に寄せて背中を預けた。
「変異が気持ちに関わっているかもしれないという事だ」
「気持ち?」
「あぁ、君が戦いたくないと思っていれば、変異は出来ない。逆に君が誰かを守りたい。助けたい。そう強く思えばスーツ形態になるのではないか。と私は考えている。どうだ?」
「えっと……確かにそうかもしれませんね。初めてスーツ形態になった時は朝美を助けたいって強く思っていたし。鎧形態になるときは時間稼ぎが出来ればいいって思っていることが多かったと思います。逆に今は……ちょっと戦いに拒絶が生まれてました……」
「……君が悪いわけでは無い。しかししばらくは変異することは避けた方が良いかもな。得た情報にもそう書いてあった。『意志が少しでも弱った瞬間に体を乗っ取ろうとしてくるはずです。なので絶対に負けないでください。強く意志を持ってください』とな」
「……強い意志か。そうですね。確かに今のぐらついた気持ちで変異するのは危険かもしれませんね」
「今は心身ともにゆっくり療養してくれ」
「はい」
その後平刃は気を利かせ、明人に間食を持ってくると言って病室を出て行った。明人は何個か注文して、平刃が帰って来るまで寝て待つことにした。
……数十分で平刃は戻って来た。手に持っていたビニール袋をベッドに装着されているテーブルに置き、おにぎりを一つ一つ取り出した。
「君も見たか?」
平刃は不意にそう言った。一瞬何のことか分からなかった明人は問い返した。
「えーっと、何のことですか?」
「そうだな……。さっきなんとなく変異が失敗したか聞いたな?」
「はい、聞きましたけど」
「その後は覚えているか?」
「その後……」
明人は咀嚼も止め、おにぎりを口に運ぶ手も止め、そして昼間あった出来事を一つ一つ順を追って思い出していった。
起きたら朝美がいて、二人で朝食を摂って、朝美が帰って、テレビを点けてワイドショーを見て、テレビを消すと平刃からメッセージが届いて、家を出た。明人はそこまで思い出すと、静止していた体を動かして緑茶を一口飲んで口内を潤した。
「バスに乗って、もう少しで大学ってところで変異体が現れて、それで確か乗客が降りるのを待ってたんだけど……」
バスに乗ってからの流れを口に出しながら思い出していると、明人はすべての行動を制止して、確かにあの時バスの最後尾で腕を組んで座っていた青年を思い出した。
「あ、一人変な奴がいました!」
「覚えていたようだな。その後はどうだ?」
「仕方なく先にバスを降りて変異しようとしたんですけど、そこで俺は倒れちゃって、そしたらバスに乗ってたやつが降りてきて、目の前で変異した……ような気がします」
「なんだ、完璧じゃないか。それなら話を続けるぞ」
「は、はい」
平刃が座り直したのを見て、明人も少し姿勢を正した。
「まず彼の変異がロージョンや木浦と少し違うところだ。それは君も見ただろう?」
「はい、確か真っ青で、俺の変異に少し似ていた気がします」
「私もそう思っていた。彼ももしかすると狙われる立場の人間なのかも知れないな」
「あの岩関連のことですか?」
「そうだ。どうやら黒い変異体たちは君を、あるいは私を含めた一般市民を狙っているらしいのだ。これは憶測だが、黒い寄生体が食物連鎖の頂点に立っていて、君や彼に寄生した生物は食物連鎖の下にいるのかもしれない。となると君に劣る私たち一般市民、地球人は恰好の的というわけだ」
「だからロージョンは無差別に一般市民を襲うってことですか?」
「明確には言えないが、奴らは自らの欲求を満たすためだけに行動していると私は考えている」
話し続けていた二人は一旦口を休め、買ってきたお茶を口に含んでゆっくりと飲み込んだ。
「じゃあ次の目標は決まりましたね」
明人はそう言うと、ペットボトルをテーブルに置いておにぎりを掴んだ。そしてわずかに残っていたおにぎりを一気に頬張って、それを食べ終えると平刃の方を向いた。
「謎の彼を探しましょう!」
「ふっ、そうだな」
調子が戻ってきた明人を見て、平刃は安心したように笑って答えた。明人も何かわだかまりを感じてはいるものの、ここで止まっていてはいけない。と心の中で自分を励まして、新たな目標を設定した。
その日一日は病院で療養することになった明人は、静かに床に就いた。平刃はそれを聞くと、流石に終日明人に付きっ切りというわけにもいかないので、別れを告げて都合のいい日に大学に来てくれ。と言って病室を出て行った。
……翌日、朝早くに起きた明人は退院するために手荷物を纏めて階下に下った。受付に行くと代金は全て平刃が出してくれたようで、明人は簡単な手続きを済ませて病院を後にした。
「もう病院に世話になりたくないな~」
明人は病院から少し離れると、肩を回しながらその荘厳に聳え立つ真っ白い病院に一瞥を投げた。
病院前から出ているバスに乗り、明人は一時帰宅すると風呂に入って軽い食事を摂り、新しい服に着替えると早速謎の青年を探すために再び家を出た。
……明人が謎の青年探しに精を出しているとき、不安や恐怖で心を支配されそうになっていた朝美は牧田に相談しようと電話をかけていた。
「あ、もしもし戸木田です。ちょっと変異体の記事について話したいことがありまして……。はい、はい、分かりました。そちらに向かいます」
朝美は通話を終えるとスマートフォンを鞄にしまった。そしてバスに乗って駅に向かうと、電車に乗り換えて牧田がいる
海林社は電車で二駅行った火澄町の中心部にあり、アーデスこと明人の変異体を追う企画を載せている月刊海林を出版している会社である。朝美はその月刊海林の編集長をしている牧田に気に入られており、そのおかげで今回の企画も難無く通ったのであった。しかし今日朝美が電話をしたのは、その企画の存続についての話であった。
火澄町の中心部、
毎度朝美が企画を持って行っている月刊海林の編集部は、ビルの八階に設けられていた。朝美は鞄から入社許可証を取り出して、ビルの入り口に設置されている改札のような機械に入社許可証をタッチした。すると行く手を阻んでいたフラップドアが開き、朝美はそれを確認すると改札を抜けてエレベーターに向かった。
八階に着くとエレベーターを降りて月刊海林編集部の扉を開けた。そして一人一人丁寧に挨拶をしながら最奥に座っている牧田のもとに向かった。
「こんにちは。突然電話してすみません」
朝美は牧田の前に立つと、そう言って頭を下げた。
「良いのよ、気にしなくて。それより話って何かしら?」
牧田は声に感情を乗せず、フラットな調子でそう言うと作業していた手を止めて朝美の方を見た。
「少し二人きりになってもいいでしょうか?」
「えぇ、それじゃあ会議室に行きましょうか」
牧田がそう言って立ち上がったので、朝美は感謝を込めて一度頭を下げ、自分の横を抜けて行った牧田の後を追って二人は会議室に向かった。
会議室に着くと、牧田は入り口から少し歩いた場所にあるオフィスチェアを引き、そして静かに腰を下ろした。
「あなたも座りなさい」
牧田はそう言って目の前のオフィスチェアを引き出し、朝美を招いた。朝美は軽く会釈すると牧田が出したオフィスチェアに座った。
「いつでもどうぞ?」
牧田は少し首を傾げて微笑んだ。それを見た朝美は硬くなっていた姿勢を解し、ゆっくりと話し始めた。
「実は、変異体についての、アーデスの記事を辞めようかな。と思っていまして……」
「変異体の記事を辞める? 本当にそれでいいの?」
牧田は静かに、しかし激しく朝美にそう言った。牧田に何度か強く物を言われたことのある朝美だったが、今回は少し恐怖を感じた。
「あ、えっと……。ちょっと取材が上手くいっていなくて」
「ネタが無いなら来月は休載でも良いわ。でもね、私はやるべきだと思うのよ。変異体アーデスの企画」
牧田は冷ややかな瞳で朝美の顔を射すように見た。朝美が答えを探している間に牧田は話しを続ける。
「読者も増えたのよ。あなたの企画で。みんな気になるものね、街で暴れる変異体を倒す変異体。人類の味方なのか、敵なのか。それにアーデスの写真をあんなに間近で撮って、恐れず記事を書いているあなたにも称賛の声が寄せられているのよ?」
アーデスの正体が明人だと知っている朝美は、恐れずアーデスに接近できることが当たり前だと思っていた。むしろ明人の近くにいれば変異体をやっつけてくれる。朝美はそうとまで思っていた。そんな明人のためでもあるこの企画を、自分は投げ出そうとしていたのか……。と、朝美は黙って少し考え込んだ。
「……答えは後日で良いわ。でもこれだけは言っておく、数少ないチャンスを水の泡にしないように」
牧田はそう言うと、朝美の答えも待たずして席を立ちあがり、会議室を出て行った。
一人取り残された朝美は鞄から取材用のメモ帳を取り出すと、アーデスの情報が書かれたそれをめくり始めた。
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