第10話 三つの条件
右手はポケットで何かを掴み、ゆっくりとそれを抜き出した。
「良かったね。二個目の質問の答えは見れるよ?」
ポケットから右手が抜ける。その手には小型の注射が握られていた。
木浦はそれを構えると、左手首に針を刺し、右手で押し子を力強く最大まで押し込んだ。
「うあっ! ぐっ、来たぞ……。来た来た来た!」
空になった注射を雑に引き抜くと、それを地面に投げつけた。
すると針を刺した場所から黒い液体が溢れ出し、忽ち木浦を包み込んでしまった。それは紛れもなく交差点で見た変異体であった。
「絶対にここで止めてやる! はあ!」
木浦はまだ動き出しておらず、明人は先手を打つために拳を振り上げて走り出した。
「そう焦るなよな」
木浦は明人の攻撃を易々と避け、反撃の蹴りを入れる。
「うあ!」
攻撃を受けた明人は少し吹き飛ばされ、受け身を取ってダメージを半減させた。
「やっぱり鎧の時よりは痛いな……」
耐久面では鎧に劣っているスーツ形態なので、明人としてはなるべく敵の攻撃は当たりたくないところであった。
「なんだ、早く立てよ?」
木浦は余裕をかましてゆっくりと明人に近付いてきた。
「くそ、こんなところで負けられないんだ!」
明人は拳を地面に着き、木浦を睨んで立ち上がった。
「何だその眼は。やれるもんならかかって来い」
「うおぉ!」
立ち上がった明人は悠然と歩く木浦を思い切り殴った。すると木浦は噴水の手前まで吹っ飛び、顔を抑えながら立ち上がった。
「やるじゃん。でも知ってるんだよ、お前の急所」
「なに!?」
「お前の急所は右胸だろ。って言っても分からないか。要するに寄生された場所だ」
「そ、それが何だって言うんだ!」
それが図星であったため、明人は話を逸らすために攻撃に転じた。それを見た木浦は鼻で笑うと、真っ向から明人に立ち向かい、二人は武器も使わず肉弾戦を始めた。
「おりゃあ!」
「よっ! そんなパンチ当たらないって」
明人のパンチは受け止められ、木浦が反撃してこようとしたとき、明人はすかさず蹴りを腹に入れた。
「うおら!」
「ぐっ。蹴りだと」
明人はパンチを囮にして、最初から蹴りを狙っていたのだ。
木浦が手を放さないので、明人は手を放すまで木浦の腹を蹴り続けた。そして四回ほど蹴りを入れると、木浦は腹を抑えて膝を地面についた。
「よし、今だ」
それを見た明人は走り出し、そして踏み切ると木浦目掛けて飛び蹴りをかました。
「うあぁ!」
一発目が見事ヒットすると、明人は華麗に着地を決め、木浦の光っている場所を探した。すると木浦の左腕が真っ赤に光っているのがすぐに分かった。
そしてもう一度飛び蹴りを浴びせるせるために構えたその時、明人の脳内に交差点で爆散した変異体の姿が浮かんだ。それを思い出した明人は、木浦も絶対にそうなってしまう。と思い、走り出せずにいた。
「なんだぁ! かかって来いよ!」
「俺は……人殺しをするために……」
「はぁはぁ、来ないならこっちから行ってやる!」
木浦は右手で腹を抑えながら、左手を明人にかざした。すると掌から黒い球が数個飛び出し、明人に直撃すると同時に爆発した。
「うわぁ!」
「迷ってるからそうなるんだ……。今楽にしてやる!」
木浦がもう一度左手をかざした瞬間、明人の変異が解け始めた。
「ここまでなのか……?」
明人が死を覚悟して木浦を見ると、突然木浦が倒れた。
「ぐあぁぁぁ! 痛い! 熱い! 左手がぁ!」
木浦はそう言いながら何度も左手を地面に叩きつけた。
「はぁはぁ、決着はまた今度だ……。すぐ殺してやるから待ってろ……」
こちらも同じく変異が解け始めた木浦は、そう言い残すと走ってどこかに行ってしまった。
「神馬! 大丈夫か!」
木浦が消えるとすぐ、平刃が走って明人のもとに寄って来た。
「すまない。何も出来なくて……。下手に出ても囮にされるだけだと思ってしまってな……」
「良いんですよ。教授は十分俺をサポートしてくれてますから。それに、教授だって守りたい人の一人なんです。だから俺に守らせてください」
「神馬……。肩を貸す。車に行こう」
「ありがとうございます」
二人はゆっくりと駐車場に向かい、そして平刃の車の助手席に明人を座らせた。
「怪我は無いか?」
「かすり傷が数か所くらいなんで、大丈夫です。それに、最初に変異した時よりも全然変異後の負担が少ないです」
「そうか、それなら良かった」
「変異に慣れてきたのかもしれないですね」
「……」
平刃は返す言葉が見つからず、黙って頷いた。しかしそれに対して明人は明るい笑顔で答えた。
「それで何ですけど」
明人が気を利かせて先に話し出した。
「今日聞きたいこと三つ。全部聞いてきました」
「そうか、それでどうだった?」
「分かったのは、注射で変異していることと、あいつらが世界征服を目論んでいることです」
「注射……。それに世界征服……か。そしてあと一個は?」
「それが……。変装してたのになぜ分かったんだ? って聞いたんですけど。『鏡を見れば分かる』って言われて……」
「鏡を見れば。か……」
平刃は少し考えると、明人の全身をゆっくり見始めた。
「な、何ですか?」
「鏡を見ろと言われたんだな?」
「そうですけど?」
「だったらパッと見で分かる変化が体のどこかに現れている。としか考えられない」
「あぁ~。だからいきなり俺のことをジロジロと」
「その言い方はやめろ」
「はい、すみませんした」
足からゆっくり明人を見ていき、腹部、胸部、腕、首、そして顔。それらを見て最後に残ったのは頭であった。
「どうしたんですか?」
「いや、少し気になった点があってな」
「どこですかどこですか!?」
「君、前髪の一部を白染めなんかしていたか?」
「前髪? 白染め? そんなことした覚え無いですよ。そもそも髪を染めたことが無いですから」
「そうか、なら髪の毛だ」
「え、髪の毛が脱色してきてるってことですか?」
「あぁ、一部が徐々にな。この調子だとこの一部はすぐに真っ白だ」
「えぇ~、マジですか」
明人の前髪の一部のみが半分白くなっており、もう少しでそれは毛先まで真っ白に染まろうとしていた。しかしこれが木浦の言っていた通りであるのなら、このままこの一部を白くしていると敵にバレてしまうということになる。そこで平刃は提案した。「白くなるくらいなら他の色に染めろ」と。
「まぁそうですよね。バレるのを防げるなら防いだ方が良いですもんね。はいはい染めますよ」
「君のためだからな。嫌なら染めなくてもいいんだぞ」
「嫌ですよ! 敵に狙われる方が!」
明人はそう言うと助手席から立ち上がり、自分の原チャリで帰ります。と言って歩いて行ってしまった。もう体力は回復したらしかった。それは明人が本当に変異に慣れ始めていた証拠であった。そんな後ろ姿を見て、平刃は少し胸を締め付けられた。
明人は公園の帰りにドラッグストアへ寄り、赤いカラーリング剤を買って帰宅した。そして後日朝美に手伝ってもらおうとメールを入れた後、その日はスマートフォンに触れず眠った。
……翌朝朝美から返信が来ていた。
〈いいよ~。その代わり、平刃教授抜きでいろいろと話したいことあるからあんたの家で良い?〉
との内容であった。勿論明人はオーケーして、その後数回のやり取りを経て、本日の午後朝美が家に来ることになった。
……数時間暇をつぶすと、朝美からメールが届いた。仕事の仕上げに時間がかかっているようで、少し遅れるとのことであった。それに加え、昼食も買っていくとのことだったので、明人は買ってきてほしい弁当をメールで送った。
約束の時間は午後の一時であったが、やはり仕事が押しているようで朝美から再びメールが来たのは午後二時前であった。そのメールを見てから明人は少し部屋の掃除をした。
ピンポーン。インターホンが鳴った。そしてすぐに朝美の声が明人を呼んだ。
「明人~。来たよ~」
「はいはい、分かってますよ~」
明人は掃除の手を止めて玄関に向かった。
「はいよ、おまたせ」
「はい、お弁当。それじゃ、お邪魔しま~す」
朝美はコンビニのビニール袋を明人に押し付けると、靴を脱いでリビングにある椅子に座った。
明人は渡された弁当を電子レンジに入れ、スイッチを押した。
「いただきま~す」
朝美は弁当を買っておらず、おにぎりとサンドイッチ、それに緑茶のペットボトルをテーブルに出し、おにぎりの封を開けた。
「それでさ、教授無しで話したいことって?」
弁当が温まるまで暇を持て余していた明人は、単刀直入にそう聞いた。
「ん? もう話した方が良いの?」
朝美は緑茶で口を潤した後にそう言った。
「そりゃ、気になるからな」
「ま、そっか。じゃあまずこれね」
朝美はおにぎりを咥えると、足元に置いていた鞄に手を伸ばし、そして一冊の雑誌をテーブルに置いた。
「なんだ。雑誌?」
「そうよ。今さっき出来上がったの。それをちょっと拝借してきたってわけ」
「お前、盗んだか?」
「嫌だな~。人聞き悪いこと言わないでよ」
朝美はそう言ってはぐらかすと、雑誌を開いて目的のページを見つけると指でトントンと叩いた。
「ここ読めってのか?」
明人がそう問いかけると、朝美はおにぎりを咥えながらうんうんと頷いた。
それを明人が読もうとしたとき、電子レンジが鳴った。触りかけていた雑誌を一度テーブルに戻し、明人は電子レンジに入っている弁当を取り出し、テーブルに置いた。そしてビニール袋から割り箸を出し、弁当の蓋を取ってビニール袋に突っ込んだ。
「いただきますっと」
明人は割り箸を手に取り、食事を始めた。その片手間に雑誌を引き寄せ、朝美が指示したページを読み始めた。
「どれどれ、見出しは『第二の変異体アーデス!』か。『原因は不明だが、市民を守る良い変異体?』ねぇ~」
明人はハンバーグ弁当を頬張りながら雑誌の見出しと目に留まった一部を抜粋して読んだ。
「良いでしょその見出し。ちゃんとあんたが支持されるように書いといたから。それも絶妙に記事にできる範囲で」
朝美は得意げにそう言うと、緑茶を一口飲んでサンドイッチの封を開けた。
「でも下手したらさ、お前疑われないか? 変異体の仲間だ。とか言われそうじゃね?」
「へーきへーき」
朝美はそう言うと、再び雑誌の一部をトントンと叩いた。それを見た明人はその示した部分を読み始めた。
「なになに、『されど変異体。未知の生命体に変わりはない。なので我々はアーデスを含めた変異体の動向を追って行こうと思う』か。こりゃ辛辣だな。はは」
明人は苦笑いを浮かべると、雑誌を閉じて弁当を食べることに集中した。
「大丈夫よ。確かに最初はキツイことも書くけど、徐々に良い方に書くからさ」
朝美はにこりと笑い、サンドイッチにかじりついた。
「お前のことだから嘘はつかないと思うけど。まぁ頼んだぜ」
「うん、任せとき」
朝美はテーブルの雑誌を手に取り、鞄に戻した。そして二人は互いに笑い合うと、静かに残りの食事を摂った。
「ごちそうさまでしたっと」
「ごちそうさまでした~」
二人は食事を終え、包み紙やら弁当の容器やらはビニール袋に入れて後片付けを終えた。
そしてようやく本題であるカラーリングの準備に移った。
風呂場に行くとカラーリング剤で服が汚れないようにビニール製のポンチョのようなものを羽織り、バスチェアに腰かけた。
「あのさ、これ……」
「なんだ?」
「全部染めるつもり?」
「そうだけど?」
「これじゃ足りないわよ?」
「えぇ!? マジかよ……」
容量が少ないボトルを買ってしまったようで、この量では微妙に明人の髪全てを染めることは出来そうに無かった。そこで色が落ちてしまっている一部のみを染めることにした。
「色が勝手に落ちちゃうんでしょ? それならまた色が落ちたら使えばいいわ」
「あぁ~確かに。じゃあ逆にコスパ良かったのかな?」
「どうかな~。何とも言えないけど」
朝美はそう言うと、パッケージに書かれている手順通りに準備を進め、明人の前髪一部にハケを当て、そこを赤く染めた。
「少しじっとしててね。すぐに染まるはずだから」
「おう、ありがとな」
「良いの良いの。それとさ……やっぱりいいや。ごめんね」
朝美はなにか言いたそうに話し出したのだが、自分で会話を遮ってしまった。
「どうかしたのか?」
「ううん。いいの。それじゃあ私少し用があるから」
「おう、そっか」
「うん。それじゃあね」
朝美はそう言うと風呂場を出てリビングに戻り、鞄を手に持って靴を履いた。そして玄関のドアを開けて少し足早に出て行ってしまった。
「……え、ちょっと。これあと何分だよ!」
しかし答える声は無く、明人はその後数時間座りっぱなしで夜を迎えた。
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