第9話 博士と教授

 明人の帰りが遅く、平刃が再び山に踏み入ろうとした時であった。フラフラと体を左右に揺らし、腕を全く振らずぶら下げている明人が目に入った。平刃はすぐに駆け寄ると、明人に肩を貸して車まで一緒に歩いた。


「大丈夫か、神馬?」


 平刃は助手席のドアを開けて明人を座らせると、ドアを開けたままにして俯く明人の顔を覗き込んだ。


「はい、怪我とかは大丈夫なんですけど……」

「じゃあなんだ?」

「その、俺以外にもいたんです。変異出来る奴が」

「……交差点で見た奴か?」

「え? なんで知って……」

「詳しく話そう」


 平刃はそう言うとドアを閉め、反対側に回って運転席に座った。そしてハンドルに手をかけたのだが、平刃は車を発進させず一度柴神山のてっぺん辺りをぼんやりと眺めて話し始めた。


「やはり君にはすぐ話しておくべきだった」

「今日俺が会った奴のことですか?」

「そいつも含めてだ」

「じゃあ他にも変異する奴が!?」

「違う。早とちるな。例えるなら、私と同じ立ち位置の奴がいる。という事だ」

「教授と同じ立ち位置。ってことは……サポート役ってことですか?」

「そうだ。つまりは変異のサポートをしている人物がいるという事だ」

「口ぶりからして、教授はそのサポートしてる人物を知っているという事ですか?」

「あぁ、そう言うことだ。奴の名前は郷間隆太。かつて私と共に研究をしていた男だ。郷間は先日の交差点での戦闘時、遠くから私と君を見ていた。私が気づくとすぐに姿を消してしまったがな」

「郷間隆太……。教授と共に研究していたってことは、教授と近しい考え方の人ってことで認識していいんですか?」

「大体はな。だが結局、私も奴も人間だ。些細なすれ違いで奴は出て行ってしまったよ。そして私が教授になった」

「……そうだったんですか。という事は、その郷間って人も今回の染色雨に興味があり、秘密裏に研究している。ってことなんですかね?」

「研究をしていたのは確かだろう。しかし自由に変異させるという案は無かったかもしれない」

「それはなぜですか?」

「まず一つ目は、奴は自分の研究のためになら誰でも踏み台にする。という事、そして二つ目は、君と私がメディアに撮影されているという事。公園での戦闘だ。そして三つ目、ジャーナリスト二人の存在だ」

「え、ちょっと、朝美を疑ってるんですか?」


 明人は半笑いしたのち真顔になり、平刃の方を見た。


「そうとは言っていない。しかし彼女が言ったんだ。『郷間隆太博士も今回の件に興味があると言っていました』とな」

「朝美が……ですか」

「私の予測だと、郷間は染色雨を浴びた木浦翔に出会い、そしてすぐにそいつを犠牲に人体実験を始めた。そんな時、自我を持つ変異体。そう、君の存在が目に映った。そして郷間は何らかの発見をし、器具の発明に成功した。とまぁこんなところだな」


 平刃は淡々と推測を述べた。郷間と言う人物を少しでも知っている分、平刃の推測は現実味が深かった。それに木浦本人と出会っている明人からしても、何故だが郷間という人間が、今平刃が言った通りのことをして、木浦と言う人間の人生を歪ませてしまったのではないかと思われた。


「俺、二人を止めたいです。悪いことを企んでいるなら尚更」

「そうだな。私もそう考えていたところだ。それに、郷間だけが何かに気付いていると言うのは腹が立って仕方ない」


 平刃はそう言うとエンジンをかけ、車を発進させた。

 火澄町に帰る途中、明人は木浦に誘われたことを平刃に打ち明けることにした。


「実は俺、木浦に誘われたんです。『落ち着いたら原笠公園に顔出せ』って」

「そうか、そいつに会えば何か分かるかもしれないな」

「はい、俺もそう思ってました。それにどうやって変異しているのかも気になりますし、奴らの目的も気になりますし。色々聞いてみようかと思って」

「よし、私も付いて行こう。岩の観察は後回しにして、明日は公園に行くぞ」

「はい、そう言ってもらえると心強いです」


 その後明人と平刃はそれぞれ考え事をしていたせいで、火澄町に着くまでの車内にはエンジンの音だけが溜まっていった。

 明人が我に返った時、車は既に火澄町に入っていた。そしてつい昨日変異体騒動があった大学前の交差点に差し掛かると、そこは少しの破壊跡を残していただけで、何事も無かったように日常を取り戻していた。


「昨日ここで……」

「君がいなかったら、この交差点は無くなっていたかもな……」


 明人にはそんな考えが無かった。自分が及ばないせいでこうなったとばかり思っていた明人は、自分がいたから被害がこれで収まった。という考えが出来なかったのだ。なので平刃の言葉を聞いてようやく自分が何かを守っていることに気が付けたのであった。


「着いたぞ」

「はい、ありがとうございました」


 車は交差点を過ぎて大学に着いていた。明人と平刃は車を降り、平刃がケースを持って研究室に向かった。

 部屋に戻ってケースを実験台に置くと、平刃は早速それを開いた。


「これはまだ仮説なのだが聞いてくれ」

「はい?」

「今日柴神山で新しい変異体が現れたとき、この岩が黒く光ったんだ。そこで私は気付いたのだ。この岩はなぜか君に反応せず、現れた変異体にだけ反応したことに」

「確かに、俺には反応を示していなかったな……」

「だが、ここからも重要だ」

「何でしょうか?」

「ここに来るまで君に持たせなかった。という事だ」

「あ、そうですよ! すみません!」

「良いんだ、気にするな。なぜなら君が近づけば近づくほど岩が小刻みに震えているからな」

「岩が震えて?」

「そうだ、試しにここに立ってみろ」


 平刃はそう言ってケースの前からどいた。そしてその空いたスペースに明人を促すと、明人はそれに従ってケースの前に立った。するとケースに入っている黒い岩が震えだし、岩の他に入っていた調査器具とぶつかり合い、カタカタと音を立てた。


「本当だ。震えてますね」

「君が近づくと震え、黒い変異体が近づくと黒く光る……。何か関係がありそうだな……」


 平刃ケースに入っている黒い岩と明人を交互に見た。

 そんなことをしていると、黒い岩が独りでに立ち上がり、そして鋭い先端を明人の右胸に向けて静止した。


「神馬明人、ゆっくり下がれ」


 平刃はそう言いながら分厚い手袋を装着した。

 明人は言われた通りゆっくりと後退した。一歩、そしてもう一歩。続いて三歩目という時だった。黒い岩は明人に向かって飛んだ。平刃はそれを予知していたかのように岩に飛びつくと、がっちりキャッチして岩を抑え込んだ。


「ケースだ! ケースを私の前に!」

「はい!」


 明人は丸まっている平刃を避け、実験台に置かれていたケースを平刃の目の前に置いた。それを見た平刃は岩を逃がさないようにケースに入れ、施錠した。


「……危なかったですね」

「あぁ、君は岩に近付かない方が良いな」

「はい、そうします」


 平刃はケースを実験台に置き、ソファに座った。明人もケースから離れようといつものソファに腰かけた。


「やれやれ、まさか君に飛びつくとは」

「俺の右胸を狙ってましたよね?」

「もしかすると……いや、明日の実験を終えてから伝えよう」

「え、気になりますよー」

「ダメだ。明日話す」

「分かりましたよ。絶対明日話してくださいね?」

「あぁもちろん。だがその前に、明日は変装して公園に行ってくれ。それが実験の内容だ」

「変装。ですか?」

「そうだ。それが終れば自ずと分かる」

「はぁ、そうですか……」


 その後何度か平刃を問い質したが、結局その硬い口は割らず、明人は諦めて帰ることにした。


「それじゃ、また明日ここに寄ります」

「あぁ、よろしく頼む」


 研究室のドアを閉め、明人は旧館の軋む廊下を歩き出した。


「変装ね~。それで何が分かるのやら」


 そんな文句を垂れながら、明人は大学を後にした。


 そして翌日、明人は出かける前に麻酔の補充を行い、昼食を済ませ、そして昼過ぎに家を出た。今日も昼過ぎなら平刃の都合がいいようで、二時前に来てくれとのことであった。

 大学に着くと研究室にいる平刃に声をかけた。すると平刃は、先に行っていてくれ。と、黒い岩をじっと見つめながらそう言った。観察は後日にするとか言っていたのにな。と思いながら明人は研究室を出て行くと、原チャリに乗って原笠公園に向かった。

 原チャリを駐輪スペースに停めると、明人はサングラスとマスク。それに着慣れない服とダサい靴を履いて公園内に立ち入った。

 少し歩くとすぐ、公園のシンボルマークである噴水のところに座っている木浦を発見した。するとそれとほとんど同タイミングで電話がかかってきた。電話は平刃からであった。


「もしもし、神馬か?」

「はい、そうです」

「今そっちに向かっている。君は公園のベンチに座って待っていろ」

「分かりました」

「出来るだけ駐車場に近く、木浦からは離れた場所のベンチだ」

「は、はい。了解です」


 平刃は手短にそれだけ伝えると、電話を切った。

 明人は指示された通り駐車場に一番近く、木浦から一番遠いベンチに腰かけた。そしてそれからは平刃が来るまでやることが無く、明人は待ち惚けるだけであった。

 その間ずっと木浦を見張っているのもバレそうだったので、明人は何度か目を外して平刃を待っていたのだが、回数にして三、四回目。木浦の姿を見失ってしまった。勢いよく立ち上がりたい気持ちをぐっと堪え、明人はサングラス越しに目を泳がせた。しかし木浦は見つからない。

 ――すると突然明人の両肩に誰かの手が乗った。


「うおっ!」

「こんなところで何してんの?」


 明人は驚いて立ち上がろうとしたのだが、とても強い力で抑えられ、大きな声を上げることしか出来なかった。


「お前……木浦!」


 急いで後ろを向くと、そこには先ほどまで噴水近くに座っていた木浦が立っていた。


「そんな顔すんなよ。横座るから」


 木浦はそう言うと明人の肩から手を離し、明人の右横に座った。


「なに、もう答え出たの?」

「いや、その前に数個質問したくて来たんだ」

「答えられる範囲なら答えてやる。ただし、それでお前がこっちに来ないなら、分かるよな?」


 木浦はそう言いながらズボンのポケットに手を突っ込んだ。変異するための何かがそこに入っているのか。それとも護身用の武器なのか。ポケットに入っているためそれの正体は不明であった。


「分かった。……じゃあまず一つ、何故俺だって分かった?」

「見分け方は簡単。家帰って鏡見てみな?」

「え、それだけかよ?」

「答えられる範囲」

「はぁ、分かったよ」


 交渉で不利な立場にいる明人は、なるべく相手を刺激しないように多くの情報を引き出すため、丁寧にことを進めようと考えた。


「じゃあ二つ目、どうやって変異を?」

「そうだな~。お前がこっちに来ないって言ったらすぐに分かるかもな?」

「……答えになってないだろ。それ」


 明人は相手に聞こえないようにそう呟いた。


「はぁ、じゃあ三つ目、あんたたちの目的は?」

「それは軽く言ってやるか。これを聞いてうちに来るって言うかも知れないしな。耳貸せ」


 木浦は小さく手招きをした。明人は罠かもしれないがそれに乗るしか他無く、頭を木浦に傾けた。


「俺たちはな、この力を使って、世界を征服しようとしてるんだ」


 その言葉を聞いて明人は固まった。何故なら一番聞きたくなかった答えだったからである。そして今、それと同時に彼らとの決別を覚悟した。例え染色雨を浴びた全員が敵になろうとも、彼らの計画を阻止しなくては。こんな得体の知れない力、いつ人間が飲み込まれるか分からない膨大な力。そんなもので世界を包んではいけない。明人はそう思ったのである。


「なに、どうしちゃったの? あ、感銘しすぎて動けなくなっちゃった?」


 木浦は固まっている明人の顔を覗き込み、笑いながらそう言った。


「俺、決めましたよ……」


 明人はそう言いながらゆっくりと立ち上がった。まるで生き返った死者のように、ゆっくりと。


「すぅー。みんなー! 変異体だ! 逃げろ!」


 大きく息を吸い込んだ明人は、大きな声を出して嘘の情報を流した。公園にいる人々は、ここ数日の事件で変異体に敏感になっているせいか、周りもよく見ずすぐ避難した。そして公園には明人と木浦だけが残った。


「何のつもり?」


 木浦は明人を睨みながらそう言った。


「決めたんだよ。あんたらと戦うことを」


 明人はそう言うと両手を前に出して構えた。


「征服なんてさせはしない……。臨むところだ! バイタルチェンジ!」


 構えていた両手を引き、明人はスーツ形態に変異した。


「く、くっくっくっ。そう来ると思ってたよ」


 木浦はそう言うと、笑いながら右手をズボンのポケットに伸ばした。

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