第4話 バイタルチェンジ!

 事故と変異が起こってから、明人は塞ぎこんでいた。アルバイトもせず、平刃の前にも表れず、ただ自宅に籠って日々を消化していた。

 そんな時、枕元に置いていたスマートフォンの画面がぼんやりと辺りを明るませた。どうやら電話が来たようで、着信音は出ていなくとも鬱陶しいバイブレーションが続き、それが明人をイライラさせた。

 明人は荒々しくスマートフォンを手に取ると、着信拒否の方向に指をスライドさせてバイブレーションを止めた。

 徐々に苛立ちは収まり始めていたのだが、再びその熱を刺激するように今度はインターホンが鳴った。それも連続で。これには明人も出ざるを得ない。と思い布団を出て玄関に向かった。


「はい、何でしょうか……?」


 ドアチェーンが開く限界のところまでドアを押すと、目の下に黒いくまを作った明人は顔を覗かせて外を見た。するとそこには平刃が立っていた。それもスマートフォンを耳に当てながら。


「やぁ、元気していたかね? いや、言わなくていい。電話にも出ないのだから、それはそれは消沈していたのだろう。上がらせてもらうよ」


 平刃はそう言うと、ドアチェーンがかかっているにも関わらず、無理矢理ドアをこじ開けようとする。


「ちょ、ちょっと待ってください。開けますから」


 気乗りはしなかったが、平刃のことだからしつこくインターホンを押すに違いない。と思った明人は素直にドアチェーンを外して平刃を家に招き入れた。


「ザ・一人暮らし。という感じだな。まぁいい、座らせてもらうよ」


 そう言いながら平刃はすでにリビングの木椅子に座っていた。明人はそれに続くようにして対面の椅子に着いた。


「さて、まずはここ一週間のことだが……。君はそこに置いてある黒い箱を点けたかね?」


 そう言って平刃が指差ししていたのはテレビであった。明人は声に出さず首を横に振った。


「そうか。まぁ、そんなことだとは思っていた。なぜなら、点けているのだとしたら君は今ここにいるはずが無いからな」

「どういう事ですか?」


 口を閉ざそうと思っていた明人だが、平刃のその言葉にまんまと口を開いてしまった。


「まぁこれを見てみろ」


 平刃は徐にリモコンを取り上げると、テレビの電源を入れた。丁度昼のワイドショーがやっており、平刃はリモコンを置くと、見ろと言わんばかりに画面に指をさした。それを見た明人は渋々体を捻って背後にあるテレビを見た。


「今朝未明。再び変異体による殺傷事件が起きました。事件はここ一週間続いており、既に重傷者五名。軽傷者十二名。死者二名。と一週間でこれだけの被害がもたらされています。警察が必死に食い止めようとするものの、『変異体ロージョン』の暴走は止まりません」


 そのニュースを見て明人は固まってしまった。テレビを一点に見つめているが、内容はもうほとんど耳に入っていないだろう。


「聞いたか? 見たか? これがお前が塞ぎこんでた一週間だ」

「……」

「奴は人間の力じゃ到底太刀打ち出来ない。止められるのは同じ力を持つ者だけだと私は思っている。もちろん、無理強いはしないがな」

「……前は運よく戻れただけかも知れないじゃないですか」


 明人は平刃に背を向けながら話し始めた。


「俺、怖いんです。俺もああなるんじゃないかって」


 テレビの画面には変異体が公園で暴れまわっている映像が流れていた。


「そりゃみんなを守れるのが俺しかいないなら頑張りますよ。でも、俺がみんなを傷つける立場になったら元も子も無いじゃないですか」

「確かにそうだな。私も怖い。あんなことを元生徒にさらっと言ってしまう私がな。だがな、それと同時に君にしか出来ないと思っている。だから私は開発した。君が自由に変異出来る物を」


 平刃はそう言うと白衣のポケットに手を突っ込み、テーブルの上にリストバンドを二つ置いた。それは特殊な形をしており、明らかに普通のリストバンドでは無かった。


「教授、俺、ヒーローになれますかね?」

「……それは君の選択次第さ。確かに自分を守ることは大事だ。だが、自分だけを守っている奴はいつまで経ってもヒーローにはなれない。ヒーローになれる奴って言うのは、身を粉にして弱い他人を守れる奴のことだと私は思う」


 平刃がそう言ってしばらく、明人はリモコンを持ってテレビの電源を消した。そして平刃がいる方に向き直り、リストバンドに手を伸ばした。


「教授、これどうやって使うんですか」

「よし、説明するからよく聞いておけよ」


 平刃は持参したリストバンドを「バイタルリミッター」と呼称していた。リストバンドには少量の麻酔が内蔵されており、平刃曰く、その少量の麻酔で心臓を止め、明人の右胸に寄生した地球外生命体を呼び覚まそう。というものであった。


「な、なるほど……。でも失敗したら俺は死ぬことになりますよね?」

「そこは大丈夫だ。私が実験体になって一度使った」

「えぇ!? だ、大丈夫だったんですか?」

「でなければ今ここにいないだろう?」

「いや、そうですけど。そうじゃなくて」

「言いたいことは分かる。心臓が止まったのになぜここにいるのか。だろう?」

「はい」

「私の場合はすぐに自動体外式除細動器を使ったから助かった。だから今日も持ってきてある」


 平刃が指し示す方を見ると、玄関には大きな鞄が置かれており、そこに自動体外式除細動器が入っていると言う。


「もし君が変異する。と決心し、心臓を止めたとする。それで右の心臓がもしも稼働しなかった場合、私がすぐさま君を救う」


 おふざけでそう言っているような目つきでは無かった。明人はその瞳を信じてバイタルリミッターを手に取った。


「俺、やりますよ」


 その返事に平刃は力強く頷いた。そしてテレビの電源を点け、現在変異体がどこにいるかの情報集めが始まった。


「現在、変異体ロージョンは原笠公園にて暴走を続けているようです。原笠公園付近の住民は速やかに避難してください」

「教授……!」


 キャスターが変異体の現在地を告げた。明人は振り返って平刃の方を見ると、平刃は既に準備を始めており、明人は覚悟を決めてリストバンドを装着した。


「行くぞ、原笠公園に」

「はい!」


 外に出ると平刃の車が路駐されていた。平刃は後部座席に自動体外式除細動器を置き、明人は車の助手席に乗って原笠公園に向かって走り出した。


「教授、ところでこれの使い方は?」

「簡単だ。両手首の内側にあるリミッターを外せばいい」

「これですか……?」


 両手首をじっくりと見ながら明人はそう言った。確かに留め具のようなものが付いており、上に向かって力を入れればリミッターは外れそうであった。興味を持った明人はリミッターに触れてみた。


「痛っ!」


 するとリミッターの下部には刃がついており、親指からは静かに血が垂れた。


「私が見た限りでは、血が君を覆って変異したように見えたのでな、リミッター解除とともに血が出るように設計したのだ」

「なるほど」


 明人は親指から出た血を吸いながらそう言った。


「もう着くぞ。覚悟はいいか?」

「はい!」


 バイタルリミッターの説明をしているうちに、車は原笠公園に着こうとしていた。明人は既に覚悟を決めた眼差しをしており、それを見た平刃はどことなく安心した。いつもの神馬明人に戻ったような気がして。


「ところで」


 到着寸前、明人が口を開いた。


「なんで変異体ロージョン何ですか?」

「あぁ、あれか。あれは英語の侵食、『Erosion』から取ったらしいぞ」

「そうだったんですか……。じゃあ俺にも名前が付くのかな~。かっこいいのがいいな~」

「ふっ、それは後でゆっくり考えるんだな。さぁ、行くぞ」

「はい!」


 公園の駐車スペースに車を停めると、明人と平刃は勢いよく扉を閉めた。


「神馬明人。先に行っていろ。私はこれを持ってすぐに追いつく」

「はい。俺、信じてます。平刃さんのことも、こいつのことも」


 右の胸に手を当てながら、明人は平刃を見てそう言った。平刃は軽く二回頷くと、明人はそれに力強く頷いて公園内に入っていった。

 公園中央部には大きな噴水があった。そしてそれと同時に見晴らしが良い場所にもなっているその場所に、明人は走って来た。


「はぁはぁ、奴はどこだ?」


 噴水近くであたりを見回すが、それらしい影は見当たらない。


「あんな目立つ奴、すぐに見つかるはず――」


 そう言いながら噴水に目を移した時、吹き上がる水のベールの向こう側に黒く刺々しい影を認めた。


「おい! 豊橋……。変異体! 俺が相手だ!」


 そう言って挑発すると、変異体は噴水をお構いなしに突っ切って明人がいる方に飛んできた。


「うぉ!」


 飛びついてきた変異体の攻撃を、間一髪で躱した明人は少し体勢に余裕が生まれた。今しかない。明人はそう思い、顔の前で腕を交差して構えた。右掌は顔に向け、左掌は対面する変異体に向くようにして。


「バイタルチェンジ!」


 そう言うと勢いよく両腕を引き、両手首についているリミッターを外した。それと同時に平刃の説明通りに指の先端が切れ、親指を除いた四本の指から血が滴った。


「ぐっ! 頼む……。変異……してくれよ……」

「神馬明人!」


 すると丁度そこに平刃が到着した。


「失敗したのか……? いや、どうやら順調らしいな」


 先ほどまで滴っていた指の血が空中で止まった。

 ドクン。明人の右胸が静かに動き始める。

 ドクン。空中で静止していた血は明人に付着していき。

 ドクン。静かに、そして迅速に明人の全身を包み込む。

 ドクン。そして血は真っ赤な鎧と鉄仮面に変異した。


「臨むところだ!」


 変異を終えた明人は、一歩、また一歩と変異体に近付いて行く。変異体は身を守ろうと明人を殴るが、鎧にすら傷一つつかない。


「お返しだぁ!」


 固く握った右拳を思い切り振った。拳は変異体の顔面を捉え、変異体はそのまま背後にある噴水まで吹っ飛んだ。

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