singer.
「メル、ちょっと来て」
ひそひそ声でメルに耳打ちしたシャノは、言うなり手を取って走り出してしまった。
連れて行かれたのは誰もいない空き教室。
窓からは夕陽が差して、机も椅子もすべてが橙に染まっている。
何もしたくないメルの荒んだ胸の内などお構いなしに、シャノは窓際の机に腰掛けると――脇に立て掛けてあったアコースティックギターを抱えて見せた。
「……シャノ、何をしているの?」
メルの問いを待ってましたと言わんばかりに、シャノは白い歯を見せて分かりやすく笑う。
「私ね、歌手になるの! それで、いつか凄い人になって、〈王子様〉にぜったい後悔させてやるんだ。……でも、まだ、皆にはないしょにしてね?」
途中で急に自信を無くしたのか、シャノは照れくさそうに微笑む。
でも、メルはそんな「願い」を、素直に受け止めることができないでいた。
……願いなんて。シャノに、泣き顔よりも悲しい笑顔を作らせてしまうだけだ。
「願いなんて、持たない方がいいわ」
だから、メルは友達を傷付けてしまう覚悟で、はっきりと言い切った。
シャノは一度、驚いたように瞳を開く。
それでも、すぐに頬を緩めて、だらしない顔でメルを見つめた。
「変なところ現実的だよね、メルは。……でもね、私は弱いからさ、……お願い事でもしてないと、生きてけないんだよ」
まあ、とりあえず聴いてよ。
そう続けたシャノの双眸は熱を帯びていて、真っすぐで、メルは目が逸らせなくなる。
はじめの音が響く。
それは簡単なコードを継ぎ接ぎしたような、不格好なイントロ。
思わずハラハラしてしまうようなぎこちない手の運び。
それでも彼女の歌は、ただ、ひたすらに美しかった。
何よりもシャノらしかった。
大嫌いって吠えたところで
変わらぬ世界と変わらぬ愛
コロッケ片手にちょっと泣いて
早くおうちに帰りましょ
まーいーやで諦めつけば
どれほど気持ちがいいだろなぁ
それがダメならしょうがないね
悩み事して夜を更かそう
気がすむまでさ
メルはギターの余韻を耳で追いながら、主張する心臓に両手を当てる。
願いなんて、捨てた方がいい。
……そう、説得したいのに。
私が、突き放すべきなのに。
止まらなかった。
ブルーの瞳から感情が溢れて、メルの白い頬を静かに濡らす。
メルは、精一杯顔をしかめた。
それを見て、シャノは可笑しそうにけらけら笑った。
「私ね、歌手になるんだ」
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