五
茂平とお絹は、龕灯の灯りを頼りに屋敷内を進んでいく。すると、廊下の一角から白装束の侍が四人、茂平たちの前に躍り出た。
「曲者じゃ、捕らえろ!」
「茂平、貴様の悪行もこれまでじゃ!」
茂平は隣を歩いていたお絹の肩に手を掛け、そのまま彼女の前に躍り出た。侍たちは、手に持った大刀を茂平目掛けて一斉に振り下ろす。
幾筋もの刃が、ほぼ同時に眼前に降りかかる。しかし茂平は怯む様子もなく、すべての太刀筋を見切るやいなや素早く身を
茂平は体勢を低くしたまま、侍たちへ駆け寄る。手近にいた侍の一人の袖口を掴むと、茂平は彼の身体を侍たち目がけて思い切り放り投げた。袖口を掴まれた男と、投げられた先にいた男とが、短い呻き声を上げてその場で気絶する。残りの侍たちは一瞬動揺した表情を見せるも、すぐに意を決して茂平へと斬りかかった。茂平は降りかかる二筋の刃を避け、侍の一人の前に躍り出る。右手でそのまま彼の袖口を掴むとともに、近くにいた侍へ音もなく放り投げた。残った侍二人もまた、短い呻き声を上げて気絶する。
「もう大丈夫じゃ。先を急ぐぞ」
お絹は両手で口を押さえながら、泡を吹いて倒れている侍たちを注視していた。そんな彼女の様子を目にした茂平は、小さく溜息を吐いてお絹の元へ歩み寄る。
「心配ない、こいつらはただ気絶しちょるだけじゃ。じきに気がつくろう」
俺は無益な殺生はせん。ぽつりとそう呟いた茂平は、お絹の身体を素早く自身の背に乗せた。お絹が驚きの声を上げるのも構わず、茂平は屋敷の廊下を駆け出した。昼間と同様、目にも止まらぬ速さで進む。
夜闇で覆われた障子が眼前を流れていくのを見ながら、お絹は茂平に声をかける。
「モ、モヘジさん」
「俺の名はモヘジじゃない、茂平じゃ。誰と勘違いしちょるのか知らんが、俺はモヘジと言う奴に頼まれて、お前を助け出したにすぎん」
「えっ、けんど」
「俺の背中でべらべら喋りなや。舌噛むぞ」
嘆息交じりにそう告げる茂平の背に揺られながら、お絹は静かに確信する。彼は、間違いなく昼間自分を助けてくれたモヘジその人だ。口では否定しているが、姿や口調、態度は昼間と変わらない。お絹は、茂平の背で小さく笑った。
「どういたが、急に
「だって、有名な盗賊の茂平が、まさかこれほど無愛想で、お人好しとは思わんかったき。ねえ、モヘジさん」
「だから俺はモヘジじゃのうて――」
そう口で否定する茂平の前に、突如茶色の忍装束が現れる。茂平が足を止めると、眼前に市之丞が立っていた。険しい表情を浮かべた市之丞は、しわがれた低い声で茂平に語りかける。
「何しゆうがじゃ、茂平。お前、忍としての己の使命を忘れたがか。たかが女一人に
「勝手なことをしたとは思うちゅう。すまん。けんど、この女子に何かあってはいかんかったがじゃ」
茂平が淡々とした口調で告げる。彼の言葉を聞いたお絹の胸が、少しだけ高鳴る。対する市之丞は、険しい表情を崩さないまま、懐から小さな黒色の包みを取り出した。
「まあいい。そんなことよりも、奴が賄賂と身売りをしていた証拠を掴んだ。さっさとここから出よう」
「すまん、市之丞。この借りは、必ず――」
「見つけたぞ! 曲者じゃ!」
刹那、どこからか男の声が上がった。茂平と市之丞は顔を合わせると、互いに小さく頷く。
いろいろ言いたいことはあるけんど、まずはここを出てからじゃ。市之丞がそう呟くのを聞きながら、茂平たちは屋敷の出口に向かって駆け出した。細長い廊下の前方と後方に、白装束の侍が集まる。眼前に立つ侍を次々に蹴散らしながら、茂平たちは屋敷から抜け出した。
屋敷と外とを繋ぐ橋にやって来たところで、お絹は短い悲鳴を上げる。茂平と市之丞が眼前を注視すると、そこには沼島が立っていた。二十人はいるであろう侍たちを
「儂の屋敷から黙って出て来られると思いなや、忍風情が。茂平に市之丞、二人もおるとは思わんかったが、構わん。この場で一網打尽にしちゃる。かかれ!」
沼島の号令を合図に、侍たちが
「心配ない。お前は、俺が必ず助け出しちゃる。いいか、しっかり俺の肩を掴んじょけ。離すなよ」
茂平の言葉をお絹が吞み込むより先に、二人の忍は空高くに舞い上がる。突然のことに驚いたお絹が思わず眼下を見ると、下にいた沼島たちも同じように驚愕した面持ちで茂平たちを見つめていた。
茂平と市之丞の身体が、ゆっくりと地面へと降りて行く。屋敷の対岸に両足を下ろした彼らは、背後の橋に目を向ける。先程の出来事に侍たちはみな呆然としていたが、沼島だけが顔全体を紅潮させながら甲高い声で叫んでいた。
「おのれ、奇怪な技を使いおって。何しゆう、お前ら! 早う奴らを捕らえろ! 斬れ、斬れえ!」
沼島の言葉で、次第に侍たちは平静を取り戻す。やがて大刀を構え直した彼らは、再び鬨の声を上げて茂平たちの元へ走っていく。茂平と市之丞は、事前に足元に置いていた目に見えない糸を掴んだ。やって来る侍たちの姿を前に、茂平がぽつりと口にする。
「捕らえられるものなら、捕らえてみいや。まずはその汚い沼から出られたら、な」
二人は、手に持った糸を手前へ思い切り引っ張った。刹那、沼島たちが立っていた橋の
沼島や侍たちは全員、屋敷を取り囲う沼へと落ちていった。侍たちは沼で溺れつつも、ゆっくりと泳ぎ出し、手近な石垣に身を委ねた。唯一泳げない沼島は、ぷくぷくと泡を出して沈んでいたところを、侍二人に抱えられながら助けられた。
彼らの様子を遠目に見ながら、茂平はお絹を背中から降ろした。後はもう自分で帰れるろう。その言葉を耳にしたお絹がふと目をやると、茂平と市之丞の姿は忽然と消えていた。
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