手長エビの素揚げ


「忠宏兄ちゃん、指は大丈夫?」


 保冷剤を持った俺を見てか、七海が心配そうな声音で尋ねてくる。


「ああ、父さんのように火傷したわけじゃないし、念のために冷やしているだけだから大丈夫だよ」


 幸いにも唐揚げは少し熱かっただけだ。今は後になって痛くならないように冷やしていただけ。軽傷なので、これだけ冷やせば十分だろう。別に痛くもなんともない。


「そっか。ならよかった」

「これから揚げ物をするけど、七海も火傷には気をつけろよ?」

「大丈夫! あたしはつまみ食いしないから!」


 年上ぶって注意してみたけれど、そう返されると何も言えなくなるな。

 間抜けなことをしてしまったので、今日はもうあまり偉そうなことは言わないようにしよう。


「唐揚げも終わったから、後は手長エビを頼むわね」


 唐揚げは作り終えたのだろう。母さんが揚げたての唐揚げを持って場所を移動する。

 いくら台所が広かろうと、油が飛び散る揚げ物を二か所でやるのは無謀だからな。

 母さんがいなくなったところで、端っこに置かれているクーラーボックスを確認。

 しかし、中身が空であるので、どこか違う場所で泥吐きさせていたのだろう。


「手長エビはどこかな?」

「ここ!」


 尋ねると、七海が台所の上を指さした。

 そこを覗いてみると、ザルで蓋をされたボウルが置いてある。

  時折、水が跳ねる音がするから、まだ元気に生きているのだろう。


「よし、まずは水で綺麗にだな」


 蛇口をひねって水を出す。そして、ザルを下に置いて、そこにボウルの中身を一気に入れた。

 すると、わらわらと手長エビがボウルから出てくる。

 大量に出てくる手長エビの光景はとてもインパクトが強い。出す時に何匹かが腕に当たって、一瞬寒気が出た。


「水、少しだけ濁ってるね」

「でも、最初よりも大分マシだな。もう、大体吐き終えて汚れもとれたんだろう」


 釣りをしてる時はもっと水が濁っていたからな。

 時刻は十九時。約三時間も泥吐きをさせていたというのに、この濁り具合だ。もう体内に残っている泥はほとんどないのだろう。

 このまま、エビやボウルを洗ってしまおうと思ったが、七海がうずうずとしながらこちらを眺めているのに気が付いた。


「軽くエビを洗ってくれるか?」

「うん!」


 やはり、作業をやりたかったようだ。

 場所を交代すると、七海はザルに残った手長エビやボウルに水をかけて洗ってくれる。

 ザリガニや手長エビにまったく物怖じしないからわかっていたが、やはり七海は生き物にそれ程物怖じしないようだ。

 今時の女子にしては珍しく逞しい。

 手長エビを逃がすことなく洗う七海を見て安心すると、俺は次の準備のための料理酒を取り出した。


「手長エビは洗えたか?」

「うん! でも、お酒なんか取り出してどうするの?」

「これでエビの臭みをとるんだ。それに酒で酔うから動きも鈍くなる」


 洗い終わったボウルに手長エビを入れて、そこに料理酒を注いでいく。

 すると、エビが跳ねるのでザルを蓋代わりにして逃亡を阻止。


「わー、お酒の匂い」

「そりゃ、お酒だからな」


 お酒を呑んだことがない七海には、匂いが強烈に思えるだろうな。

 俺も小さな頃は、料理酒や日本酒独特のアルコール臭が苦手だった。

 今では日本酒なんかは大好物だけどな。

 お酒を注いでしばらく待つと、ボウルの中で水が跳ねる音はしなくなってきた。


「エビさんの動きが鈍くなったね」

「お酒に酔っちゃっているからしょうがない」

「ヘロヘロだ」


 十分ほど浸けていると、七海の言う通り手長エビはヘロヘロになってしまった。

 体が動かなくなり、色が白くなる。

 完全に絞めることができた証だ。

 それが終わると塩を振りかけて、汚れを取りながら殺菌。

 水で綺麗に洗い流して、キッチンペーパーで水気をとると下ごしらえは完了だ。


「よし、これから手長エビを揚げていくぞ! 半分はそのまま揚げて、半分は片栗粉にまぶす!」

「片栗粉で揚げるとどうなるの?」

「いい感じの衣がついて、二種類の食感を楽しめる」

「おお、それはいいね!」


 これだけあるのであればそういう楽しみ方もできる。


「じゃあ、まずは普通の素揚げからな」


 俺は七海に見本を見せるために、菜箸でキチンペーパーの上に横たわっている手長エビを掴む。

 水気が余分についてないことを確認。

 この時に水気が多いと揚げた時に油が跳ねてしまうからな。

 手長エビを掴んだら、そのまま温めてあった油に満たされた鍋に投入。

 すると、ジュワアァと油が弾けるような音が響き渡る。


「わあっ! すぐに赤くなった!」


 高温で熱を通されたエビは、見事にその身を赤く染め上げた。


「手長エビから出てくる泡が減ったら、十分に火が通った証拠だ」


 出てくる泡が減ったタイミングで俺は鍋から手長エビを取り出して、キッチンペーパーを乗せた皿の上へ。


「すごーい! 美味しそう! ちゃんとエビになったね!」


 からりと揚がった手長エビを見て、七海が喜びの声を上げる。


 これでこそ俺達の想像するべきエビの色。

 やっぱり、エビは赤くなってこそだな。火を通す前の色よりも、俄然と食欲が湧いてくる。


「まあ、こんな感じだ。跳ねる油に注意しながらやってみ」

「うん!」


 少し場所をずれて、菜箸を渡す。

 すると、七海は手長エビを掴んで、慎重に油の中に入れた。

 ジュワアアという油の音が広がる。

 それと共に微かにシャッター音が聞こえる。

 ふと視線をやると、近くにスマホを構えた母さんがいた。

 真剣な様子であちこちの角度から七海を撮っている。

 

「……何してんだよ」

「七海ちゃんの成長記録」

「そんなこと昔からしてたっけ?」

「だって、七海ちゃんは可愛いもの」


 俺が呆れ気味に言うと、母さんは『七海ちゃんは』と強調するように言って答えた。

 それじゃ、俺が可愛くなかったみたいだな。

 帰ってきたばかりはもっと優しかった気がするが、七海が来てから俺の扱いが随分とぞんざいになっている気がする。


「すごーい! 赤くなった! 油で揚げるの楽しいね!」

「おう、エビはたくさんあるからドンドン揚げていけ」

「うん!」


 楽しそうな笑みで頷いた七海は、皿に乗っている手長エビを追加で鍋に入れていく。

 その度に油の弾ける音が何重にも響き渡った。


 まあ、これは仕方がないな。こんな可愛くて純粋な従妹がくれば、そちらに夢中になってしまうのも仕方があるまい。

 俺が母さんだとしても間違いなくこんなむさい息子よりも、七海を可愛がるわ。

 七海の邪魔にならないように後ろを通って、片栗粉を取り出してボウルに入れる。

 そして、十匹の手長エビをそこにまぶし、同じように七海に揚げてもらう。


「あっ、片栗粉の方はシュワァッてしてて上品!」


 だとしたら、何もつけずに揚げた素揚げの音は下品なのだろうか? そんな突っ込みが心の中で湧いたが、七海の言いたい事は何となく伝わる。

 片栗粉をつけて油に入れると、油の音が軽くて滑らかなのだ。

 上品という言い方は十分に合っているし、面白い例え方だ。

 にしても、こうやって揚げ物なんて久し振りにしたな。

 一人暮らしだと、どうしても揚げ物っていうのは面倒臭いのでやっていなかった。

 こうやってやるのは四、五年振りくらいだな。

 一人でやるよりも、二人、三人で。

 自分のためだけよりも、誰かのために作る方がやる気も出るし、断然に楽しいな。

 感慨深くそんな事を思っていると、七海が最後のエビを揚げ終わった。


「これで終わり!」

「それじゃあ、席に着きましょうか」


 手長エビが盛り付けられた皿を持っていく。

 テーブルの上には唐揚げ、キャベツの千切り、スライスされたキュウリやトマト。ご飯、味噌汁といった唐揚げ定食のようなメニューになっていた。

 ここにさらに揚げたての手長エビの唐揚げが追加される。


「これはビールが必要だな」

「忠宏、俺の分も頼む」

「じゃあ、私も一つ」


 俺がビールを取りに冷蔵庫に向かうと、父さんと母さんからも声が上がる。

 これだけ酒のつまみがあるのだから仕方がないな。


「えっ、じゃあ、あたしも麦茶じゃなくてカルピスがいい!」


 普段は夕食の時は麦茶が多いが、別にジュースを飲んでもいいだろう。

 というか大人だけビールを飲んでいるので却下なんてできるはずがない。

 俺は缶ビールをテーブルの上に置いて、それからコップを取り出してカルピスを入 れてやる。


「ほい、カルピス」

「ありがとう」

「じゃあ、食うか」


 父さんの一声により、俺達はいただきますをする。

 大人達は缶ビールを開けて、まずは一口とばかりにビールを飲む。

 ああ、キンキンに冷えたビールが美味しい。このほろ苦さと後味の良さが堪らないな。


「おお、カルピス美味しい! 忠宏兄ちゃん、わかってるね!」

「ふふ、水を少なめにした甘めが好きなのは把握済みだ」


 七海のカルピスの味の好みはバッチリと把握してある。とはいっても、俺からすればかなり甘いのだけれど、七海はそれくらいが好きなようだ。


「さて、早速手長エビだな」

「うん!」


 そう言うと、七海が早速手長エビへと箸を伸ばした。

 最初に掴んだのは片栗粉のついていない、ただの素揚げ。少し大き目のやつを掴むと、七海はそれを口の中へ入れた。

 サクサクと軽快な音が七海の口の中から聞こえてくる。食べていないこちらからでも、サクサク感が伝わってくる。


「美味しい! エビだ!」


 七海は手長エビを呑み込むと、目を見開いて興奮したように言った。

 

 まあ、手長エビとはいえ味はエビだ。そのような感想が漏れてしまうのも仕方がない。

 今度は片栗粉のついた手長エビに手を出す七海をしり目に、俺は素揚げの手長エビへと箸を伸ばす。

 カラリと揚がった手長エビを掴んで、口の中へ。

 噛みしめるとサクッと殻を噛み砕く音が響き、エビの風味が一気に広がる。

 噛めば噛むほどエビの味が強くにじみ出てきてとても美味しい。

 刺身のように体の部分だけでなく頭の部分までも食べるので、ミソの濃い旨味と苦みがより美味しさを際立たせていた。


 いかん。これはすぐにビールを飲まないと……!


 俺は急いで缶ビールを傾けて、手長エビと一緒に呑み込んだ。

 ビールと手長エビの素揚げがまたよく合う。


「「ああ~」」


 ビールの美味しさから思わずうめき声が漏れてしまう。目の前では父さんも同じような声を出していた。


「父さんはまだしも、忠宏までオヤジ臭いわよ?」

「……ぐっ」


 自覚があるだけに言い返せない。だけど、ビールの美味しさから思わず、オヤジ臭い声が漏れてしまうのだ。


「ビールってそんなに美味しいの?」

「美味いぞ。七海ちゃんも後十年もすればわかるようになるさ」


 好奇心で尋ねてきた七海に、どこか偉ぶった様子で語る父さん。

 十年後となると、七海も二十歳か……。

 うーん、今の無邪気な様子を見ると、同じようにビールを飲んでいる姿をまったく想像できないな。

 大人になってもビールとか飲まずに、カルピスとかチューハイを呑んでそうなイメージだ。


「なんだか大人だけ美味しそうに飲んでいていいなー」


 羨ましそうに言う七海を見て思わず苦笑する。

 昔も俺も同じようなことを思っていたなぁ。父さんや母さん、または親戚が集まった時は決まって大人達が美味しそうにお酒を呑んで楽しそうにしていた。

 その中で子供の俺は、お酒を呑む事ができずにどこか疎外感を感じていた。

 今の七海も同じような頃を感じているのだろう。


「だったら、七海のカルピスも炭酸にしてみるか?」

「え? もしかして、カルピスソーダがあるの?」


 カルピスソーダに興味を示していることから、炭酸を飲んだことがないとか、飲めないというわけではないようだ。


「ないけど、炭酸水を入れればできるよ」

「本当! やってやって!」


 七海にコップを渡されて、俺は台所へ移動。

 下の棚に入っている梅酒や焼酎瓶の隣に、割用の炭酸水が置いてある。

 それを開けて、七海のカルピスの中へ。

 あまり入れ過ぎると炭酸が強すぎるし、カルピスが薄くなるので適量。


「ほれ、少し大人のカルピスだ」


 テーブルの上に置いてやると、七海は早速口をつけた。


「おおお! カルピスソーダだ! しかも、スーパーで売っているものよりもこっちの方が好き! ……あたし、もうスーパーのカルピスソーダじゃ満足できなくなった」


 七海の言い方がおかしくて俺達は笑ってしまう。

 七海は俺達が笑った理由がよくわからないが、釣られるようにして笑っていた。

 さすがに子供なのでビールを呑ますことはできないが、ジュースを炭酸にしてやって少しでも同じ気分を味わえてもらえたなら嬉しいな。


「それより忠宏兄ちゃん、片栗粉のついた手長エビも美味しいよ!」

「おお、次はそっちも食べないとな!」


 七海に勧められて、片栗粉で揚げた手長エビを食べる。

 こちらは衣が付いているお陰か、普通の素揚げよりもサクサク感が強くて食べやすい。


「ああ、こっちもいいな」

「私は衣がついている方が食べやすくて好きよ」


 衣によって少しふわりとした仕上がりになっているので、人によっては母さんのようにこちらを好む人もいるかもしれないな。

 俺の場合は甲乙つけがたいな。どちらもそれぞれの良さの美味しさがあるし。

 とにかく美味しいな。同じ食材でも違った食感や味を楽しめるのはいいことだ。


 そうやって、俺達はたくさんの手長エビや唐揚げをあっという間に食べつくし、あれほどたくさんあった揚げ物はあっという間に無くなってしまった。

 お腹のふくれた俺と七海は、リビングのカーペットの上に仰向けで転がっていた。


「ふぅー、お腹いっぱいだ」

「今日は唐揚げに手長エビの素揚げと豪華だったからな」

「また今度手長エビを釣ったら、揚げ物パーティーになるかな?」

「ああ、多分そうなるだろうな。今度は手長エビのかき揚げとか作ってくれるかもしれない」


 俺が思いつくままに言うと、七海は起き上がって目を輝かせた。


「手長エビのかき揚げ……っ! 忠宏兄ちゃん、明日も釣りに行こう!」

「さすがにそれは勘弁してくれ。でも、また今度釣りに行こうな」

「うん!」




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