持ちつ持たれつつ
「……ふう、面白かった」
積んでいた漫画を一冊読み終わり、俺は満足感から思わず声を出す。
社会人になる前までずっと買って追いかけていた少年漫画。それを追いかけているのだが、久し振りに読むとこれがまた面白い。
主人公やその仲間達が力を合わせて、試練を乗り越え、絆を深めて、協力して勝利する。
それのなんと素晴らしいことだろうか。
いい漫画を読み終わった後の読後感は最高だな。
だが、また次の巻を読みたい。俺は無意識に手を摘んであった漫画の場所に伸ばす。
しかし、そこには何もない。周りを見ると、自分が読み終わった本が高く積み上がている。
まさか、もう全部読み終わってしまったというのか!
俺は急いで今読み終わった漫画の裏を見る。
これが発売したのは四年前。これは週刊連載だったから、一年で四冊から六冊は単行本になっているはずだ。
となると、四年経った今では、最低十六冊は単行本で発売している計算になる。
「むむむむ、ネットで買うべきか、今すぐ買いに行くべきか」
残念ながらこの村に書店などというものは存在しない。そんなものを開いても絶対に潰れてしまうからだ。
ここから近くの書店に向かうとなると、車で一時間かけて街に出て、そこにある大型ショッピングモールに向かうことになる。
正直、漫画を買うためにそこまで行くのは面倒くさい。
ネットで頼めばそのような苦労をせずとも自宅に届くはずだ。そうだ、ネットで注文すればいい。
そう思って試しにネットを覗いてみると、どこも売り切れだった。
どうやらアニメ化が決定したらしくて、品薄の様子。
なんてことだ。俺が社畜になっている間に大きな成長をして……。
お陰で注文しても発送されるのは一週間後とか。
しかし、続きが気になる俺は今すぐに読みたい。ちょうどこれからの展開が楽しみなところで終わっているのだ。そんな一週間以上も待てない。
だけど、車で一時間かけてそこまで向かうのは面倒で……。
漫画をすぐに買いに行って読みたい気持ちと、そこまで労力をかけるのは面倒くさいと叫んでいる自分がいる。
これが物語によくある葛藤というやつだろうか。今のなら主人公の気持ちがよくわかる気がする。
「んー、ひとまず喉が渇いたし、落ち着いて考えよう」
夢中で漫画を読み続けていたせいで、飲み物をまったく飲んでなかった。
冷静になると喉の渇きを覚えた。
まだ時刻は朝の九時半だし、どちらにせよ急いで結論を出すものでもない。
俺は飲み物を飲むために、自分の部屋を出て一階へと降りる。
リビングに入ると、母さんと七海が仲良くソファーで並んでテレビを見ていた。
『今回は渋谷にある有名なパンケーキのお店にやってきました~』
画面をチラ見すると、ギャル風の可愛い女性リポーターが、お洒落なパンケーキ屋さんに入ってリポートしているようだ。
女性って、ああいうお洒落な店とかパンケーキとか好きだよなぁ。
そんな呑気な事を思いながら、冷蔵庫の前に移動して麦茶を取り出して飲む。
冷たい麦茶が乾いた喉を通り抜けて気持ちいい。
やはり夏は麦茶が一番だな。
『ふわぁ~、見てくださいこれ! お皿を揺らすとパンケーキが揺れますよ! プルプルです!』
などと感慨深く思っていたら、リポーターの女性の声が聞こえる。
独特のイントネーションで声が高いせいか妙に耳に入ってくるな。
「すごいね、あれ。プリンみたい!」
「本当ね。パンケーキとは思えないわ」
二人が言う通り、確かにパンケーキとは思えない程に揺れているな。
一体どうやって作ったら、あのようなものができるのだろうな。
『いただきま~す! んん~! トロトロのふわふわ! 甘くて口の中でとろけちゃいます~』
ん? 口の中に入れてそこまで時間が経たずに、味の感想が出た気がするが気のせいだろうか?
とはいえ、可愛い女の子が美味しそうに食べているのを見ると、こっちまで幸せな気分になるな。言葉で無理に語らなくても十分なのだな。
「忠宏兄ちゃん、あのパンケーキが食べたい!」
なんて思っていたら、ソファーに座っていた七海がこちらを向いて、突然そんなことを言った。
ビックリした。一応、俺の存在には気付いていたんだな。
「食べたいって、あれをか?」
「うん! ふわふわで美味しそう!」
戸惑いながら尋ねると、七海は画面を指さしながら笑顔で言った。
小さくても女の子。甘いものには目がないらしい。
でも、あのパンケーキが食べたいって言われても、ここから行くと六時間はかかるぞ。
さすがに、パンケーキを食べるためにそこまで行きたくない。それに仕事を辞めたばかりであまり東京の方には出たくないな。
「うーん、家でホットケーキを作るのじゃダメなのか?」
「おばさん、あれ作れる?」
母さん、できると言ってくれ。さすがに可愛い七海の頼みでも、六時間かけて渋谷は無理だ。
俺が視線でそう訴えかけると、母さん頬に手を置きながら、
「んー、さすがにそれは無理ね。やろうとしたらできるかもだけど、きっと七海ちゃんが満足するような出来にはならないと思うわ。ああいうのはお店じゃないと」
おい、母さん!
「だよね! お店がいい!」
無邪気な笑顔でパンケーキ食べたいコールをする七海。
これがもうちょっと低ランクの願いであれば、即座に応えてあげるんだけどなぁ。
「さすがに今の店は無理だよ。渋谷まで新幹線乗り継いだりしても六時間かかるし」
「えー!? そんなに遠いの!?」
七海もそこまで遠いとは思っていなかったのだろう。
あちこちを転々とする七海でも、どこにどれくらいの時間がかかるまでは把握していないようだ。
六時間と聞いて、さすがの七海もテンションが下がる。
新幹線を乗り継いで六時間かけて、パンケーキだけを食べに行くという人は中々いないと思う。
「だったら、近くの街にあるショッピングモールはどう? そこにパンケーキのお
店があるわよ?」
しばらく無言になっていると、母さんが新聞紙の中から一枚の広告を広げる。
それは一面カラーで、テレビでやっているようなふわふわのパンケーキが載っていた。
「パンケーキだ!」
これには七海も驚き、食い入るように広告を眺めている。
「そんな店、いつ入ったの?」
「二か月前くらいかしら? というか、あのモール内で忠宏の知っている店は、トレザラスとエオン、フードコートくらいだと思うわよ? それ以外は全部変わったわ」
「……マジか」
この村から車で一時間かけて移動した先にある街。そこにある大型ショッピングモールには小さな頃から俺もお世話になっていた。
何せ近所には小さなスーパーしかないからな。電化製品や玩具、本などの欲しいものがあった時は、いつもそこに行っていたのだ。
最後に言ったのが大学の夏休みの時だから、五年くらいは経過している。
店の入れ替わりが激しいモール内なら、それくらいの年月が経てば大抵入れ替わるか。
妙なところで時間の経過を感じるな。
「あたし、ここに行きたい! ここがいい!」
広告を見て気に入ったのか、七海がこちらを見上げながら言う。
「そこなら車で一時間だし、いいんじゃないの? ちょうど買って来てほしいものもあるし」
「買ってきてほしいものって?」
「扇風機。何年も使っているせいか調子が悪くなってきちゃったのよね」
リビングに置いてある扇風機の電源を入れる母さん。
扇風機が回り出して涼しい風が放出される……が、キュルキュルと何かが擦れ合わさるような音がする。
「……なにこの音?」
ちょっと本当に大丈夫なのか? そう思ってしまう。
「わからないわ。どこかのパーツかプロペラが擦れてるんでしょ。それに風量も調整できないし」
そう言って母さんが調節ボタンを押す。
しかし、風量は変わらずに強風を送り出すだけだ。
風量がまだ中であれば、まだ我慢もできただろうがずっと強いというのは鬱陶しいな。
「これはダメだよね?」
扇風機を買いに行く=パンケーキを食べに行けるなので、どことなく七海が嬉しそうに言ってくる。
ちょうど漫画の続きも気になっていたし、こうなったなら買いに行こう。
パンケーキに漫画、扇風機と理由などいくつもの理由があれば、十分買いに行くに値する。
「そうだな。じゃあ、街に行くか」
「やったー!」
街に行けることになり、七海が喜びを表すかのように両腕を突き上げる。
街に行くことが決まったので、俺と七海は早速外に向かう。
すると、母さんが俺達を呼び止めた。
「ちょっと待って。近所の人にも入用のものがないか聞いてくるから」
「あー、わかった。だけど、あんまりたくさん請け負ったりしないでよ?」
ここはお年寄りの多い田舎なので、遠くまでの買い物に不自由している人もたくさんいる。なので、若くて元気のある者が遠方に出る時は、ついでとして何か頼まれることが多いのだ。
まあ、近所の田中さんや樋口さん、奥山さんなどからは、いつも畑の野菜とか果物、山菜などを頂いているので、そのお礼だな。
人間関係は持ちつ持たれつつでないと。
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