親子揃って
鉄橋の下で釣りを楽しんだ俺達は、夕方前に解散して家に帰る。
「ただいまー!」
疲れをまったく感じさせない声を上げながら七海が、玄関の扉を開けて入っていく。
釣り道具一式を持って後ろにいる俺は、既に疲労困憊だ。
クーラーボックスなどを持ちながら七海と鉄橋の下までダッシュ。その後はずっと立ちんぼで釣りをしていた。
今日は半日くらい外にいていたという計算になる。
働いていた時は、半日外に出ていることなんて当たり前。一日中外にいることもあり、それが終わってからも会社で仕事をしていたこともある。
しかし、そのような社畜生活をやめて、最近は家にいることが多くなったせいか、すっかりと身体が鈍ってしまったようだ。
人間の身体は本当に怠けてしまうのが早いな。
「あら、お帰りなさい。手長エビはいっぱい釣れたかしら?」
なんて思いながら七海と一緒に靴を脱いでいると、リビングから母さんが出てきた。
ここまでくるなんてよっぽど本日の釣果が気になっているらしい。
「いっぱい釣れたよ! ね!」
「ああ」
七海に促されて、俺は床に置いたクーラーボックスを開ける。
すると、その中には大量の手長エビが入っている。
「あら、いっぱいね。何匹くらいいるのかしら?」
「全部で二十五匹! あたし、十二匹も釣った!」
「そんなに!? 初めてにしてはすごいわね!」
自信満々に答える七海の言葉を聞いて、母さんがお世辞抜きで驚いているのが伝わった。
「えへへ、忠宏兄ちゃんがコツを教えてくれたんだ! でも、定晴は二匹しか釣れなかったの」
照れながらさり気なく定晴の株を下げにかかる七海。
比較して自慢したい気持ちはわからなくもないが、むごいことをする。
でも、定晴だしいいか。
というか、いくらコツを教えたといっても、初心者がこれだけ釣れることは本当に珍しい。
手長エビの数が今年は多かったということもあるが、純粋に七海の勘が冴えているということなのだろう。
「そうなの。負けず嫌いの定晴君はきっと悔しがっていたでしょうね」
「うん、キーキー怒ってた! いつもあたしをからかってくるから倒せてスカッとした!」
爽やかな表情で言い切る七海。
いつもじゃれ合っているように見えていたが、一応フラストレーション的なものは溜まっていたようだな。
無いとは思うが、今後も二人が険悪な関係にならないように注意して見守っておこう。
というか、十歳の子供と張り合う、二十六歳というのは如何なものなのだろうか?
そう考えていると、クーラーボックスの中から水の音が鳴った。
突然の音に、七海や母さんが驚きの声を上げる。
「わっ! ……ビックリしたー」
「どうやら手長エビさんは元気がいっぱいみたいね」
ボックスの中にいる手長エビが跳ねただけのようだ。特にジャンプして逃げ出しものはいない。
綺麗な水を入れて、水槽用ポンプでしっかりと空気を入れてあげただけにとても元気だな。
ボックスの中では接続されたポンプがブクブクと空気を吐き出しており、その中を手長エビがうじゃうじゃと蠢いていた。
マジマジと見つめていると少しだけ気持ち悪く感じてしまうな。
普通に一匹だけを見る分には問題ないんだけどな。
食べる前に食欲が失せてしまいそうなので深くは考えないようにしよう。
「さて、夕食の前に泥吐きをしてしまいましょうか」
「釣っている最中からある程度吐かせているから、少しはマシなはずだよ」
「わかったわ」
母さんはそう答えると、クーラーボックスを持ち上げてリビングへと入っていった。
ボックスの中の水を入れ替えて、また泥吐きをさせるのであろう。
ああ、この夕食の下処理を自分でやらなくてもいいことの何て楽なことだろう。外にいて手長エビを釣ってきたとはいえ、誰かがやってくれるというのは幸せなことだ。
小さな幸せを噛みしめながらリビングに入り、壁にかけられている時計を確認。
時刻は十六時を過ぎたところ。早めに晩ご飯を食べるにしろ早い時間だし、手長 エビの泥吐きをさせるために今日は少し遅めになるだろう。夕食までは二時間から三時間はある。
ここはゆっくりと休憩して、体力の回復を――
「忠宏兄ちゃん、二階でゲームしよ!」
しかし、七海はそんなものはお構いなし。
疲れを感じさせない元気な声音で誘ってくる。
身体の方は七海の方が遥かに小さいというのに、どうしてそこまでのエネルギーがあるのか不思議でしょうがない。
俺としてはその期待に応えてやりたいが、如何せん心と身体が言う事を聞かなかった。
「……いや、俺はもうダメだ。全力で走って疲れたのでお昼寝をする」
俺はリビングに隣接されてある、畳部屋に倒れ込むようにして寝転がる。
すると、七海が近付いてきて身体を揺すり始める。
「えー!? ちょっと走って釣りしただけじゃん!」
「その『ちょっと』が大人には深刻なダメージを与えるのだよ」
「忠宏兄ちゃん、お爺ちゃんみたい」
本当にそうだよな。半日外で遊んだだけでここまで疲れるとは。
一体、俺はいつの間にこれほど老け込んでしまったのやら。
「すまんな、俺が二年程若ければ付き合ってやれたんだけどな」
「んー、疲れたんならしょうがない。ゆっくり休んで!」
俺の疲労具合を察してくれたのか、七海はあっさりと諦めてくれた。
子供にしては妙に理解がいいけど、今はそれがありがたかった。
でも、ちょっと自分が情けないと思った。
今度は半日遊んでも、ゲームに付き合えるように頑張ろう。
◆
「忠宏兄ちゃん、起きて!」
聞き覚えのある高い声と身体に伝わる振動により、暗闇の中にいた意識が浮上した。
瞼を開けると、視界には和室の天井とこちらを見下ろす七海の姿が見える。
室内が暗いせいか、リビングから差し込む光が眩しかった。
「ん、んん……?」
「忠宏兄ちゃん、もう晩ご飯だよ!」
なるほど、もうそんな時間か。道理で部屋が暗くなっているわけだ。
むくりと上体を起こすと、はらりとタオルケットが落ちた。
「……これ、七海がかけてくれたのか?」
「うん、そのままだと風邪引いちゃうから!」
にっこりと笑いながら言う七海。
逆光だからとかではなく、その心遣いが無性に眩しかった。
なんて優しい子なのだろうか。徹夜して会社のオフィスの床で寝てしまった時なんて、邪魔だからといって蹴られたくらいなのに。
これが社畜扱いではなく、人間扱いされるということなのだろう。
「……ありがとな、七海」
「ええ? うん、どういたしまして」
あまりに心にこもり過ぎたお礼だったせいか、七海が戸惑い気味だ。
……七海、社会には人間扱いするというのが当たり前じゃない場所が、たくさん存在するんだよ。
そう言ってあげたかったが、そんな台詞を言ってもドン引きされるだけなので黙っておこう。
立ち上がると不意に香ばしい匂いがする。
「唐揚げか?」
「うん、おばさんが揚げてくれたの!」
なるほど、だから妙に七海のテンションが高いのか。
どうせ素揚げにして油を使うなら、唐揚げをやってしまえという母さんの魂胆が透けて見える。
だけど、大変喜ばしい。いくつになっても揚げ物は大好きだ。
母さん、ありがとうございます。
「後は手長エビだけだから、一緒に素揚げ作ろう?」
「わかった」
七海に腕を引っ張られて台所へ向かう。
リビングにあるテーブルを見ると、大きな皿にたくさんの唐揚げが積まれていた。
これほど美味しそうなものを前にすると、どうしてお腹が空いてしまう。一つ頂いておこう。
「あつっ!」
さりげなくつまみ食いをしようと手を伸ばしたが、想像以上に熱かった。
「忠宏兄ちゃん、つまみ食いしようとした~」
「まったく、父さんも忠宏も同じことするんだから」
慌てて手を引っ込めるも漏れ出た言葉は消えることはない。
お陰でこちらに気付いた七海からは非難の視線、母さんからは呆れのため息を貰ってしまった。
「父さんと同じだって?」
椅子に座る父さんの姿を見ると、保冷剤で指を冷やしていた。
「……やっちまったぜ」
バツが悪そうな表情で呟く父さん。
父さんなら先に一杯を始めているものだと思ったが、指を火傷したせいか妙に大人しくしていた。
いい年した四十八歳の大人が、唐揚げのつまみ食いで指を火傷。ダサすぎる。
だが、一歩間違えば俺もこうなるところだったのだろう。
「父さんは揚げたてをすぐに食べようとしたからね。少し冷めたからマシだと思うけど、忠宏も指は冷やしておきなさい」
「……はい」
俺は母さんの言葉に素直に頷いた。
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