釣り上手と釣り下手


「簡単にコツを言うとエビが餌を持っていって二十秒。軽く竿を上げてビンビンって反応があれば、ゆっくり上げればいい」

「本当に?」


 俺がコツを教えてあげると、七海が少し懐疑的な視線を向けてくる。

 先程、大人げなくからかったせいか、俺達の言葉に懐疑的になったようだ。

 七海に疑われると少し悲しい。


「本当だよ」

「ほんとほんと、それだけで釣れっから」


 軽い口調の礼司が言うと、なんとなく胡散臭く聞こえてしまうな。


「わかった! エビが餌を持っていって二十秒。軽く竿を上げてビンビンだね!」


 最終的には俺達の言葉を信じることにしたのか、七海が笑顔で復唱しながら餌を放り投げた。

 それを見守りながら俺と礼司も、各自のポイントを見つけて餌を投入。

 

しばらくの間、誰の針にもかからない静かな時間が流れる。

 

 風が吹き込み、遠くにある木々が葉音上げて、川の水面にさざ波が広がった。通り過ぎるような風が気持ちいい。


「あっ、ウキが動いた」

「いや、これは風だよ」


 これは手長エビによるものではなく、鉄橋の下に吹き込んだ風によるものだ。

 現に風が吹きやむと、俺達のウキが動かなくなった。

 目の前プカプカと浮いているウキを見ていると、どことなく気持ち良さそうに思えるな。


こんな暑い日は、こうやって水の中で浮いていたら心地良いに違いない。


 とはいっても、目の前の川は水深が一メートルといったくらいなので、子供の七海が入っても物足りないものだろうけどな。


 水中やウキをゆっくりと見つめるだけの時間。だけど、このゆったりとした時間がいい。

 働いている時は、いつも仕事のことが頭の中にあって、出かける気にもならなかったしな。

 出かけても、明日は仕事などと憂鬱な考えが頭のどこかにあった気がする。

それがなくなり心から遊べる今は、間違いなく幸せだ。


「ここって電車とか通っていないの?」


 そんな風に思いながら水面を眺めていると、何となく気になったのか七海が頭上を見ながら尋ねてきた。


「とっくの昔に廃線になったからね。今では何も使われていないよ」

「そうなんだ。なくなっちゃったんだね」


 田舎であればよくあること。利用する人が減り、燃料が高騰すればそうなりもする。

 だが、こうも立派な鉄橋が既に使われなくなったという事実は悲しい。昔はこの上を列車や汽車が走り抜けていたのだろうか。


「でも、お陰でレールの上を歩くことはできるぞ」

「本当!? 今度歩いてみたい!」


 しょんぼりした空気を振り払う礼司の言葉で、七海が表情を輝かせる。


「ああ、また今度な。今日は手長エビを釣らないと」

「うん! ……あっ、手長エビが出てきた!」


 なんて会話をしていると、七海の竿に当たりが出たようだ。

 七海の垂らした糸の先を見てみると、手長エビが出てきていた。

 最初に見つけた異様な大きさの奴だ。こいつが餌を掴みにくるのは三回目なのだが、七海の餌はカモと見られているのだろう。

 警戒することなく遠慮なくハサミで餌を掴んでいる。

 だが、今回はそうはいかないぞ?

 俺達が見守る中、手長エビは餌をブロックの隙間に持っていくと、見えない所で食事を始めた。


「いーち、にー、さーん……」


 俺の言っていたアドバイス通りに七海は、数を数える。

 そして、数が二十秒近くになると動いていたウキが止まった。


「じゅうきゅ、にじゅう! ここで軽く上げるんだよね?」

「ああ、やってみな」

「わっ! ビンビンってきた!」


 七海が竿を軽く上げると、見事に針が手長エビの口に引っ掛かったようだ。

 竿が力強く引っ張られてしなっている。傍から見ても、これはかかったとわかる程。


「よし、ゆっくり上げるんだぞ? 急に上げたら針が外れるから」

「う、うん」


 七海は強くしなる竿をゆっくりと持ち上げる。

 すると、針先には見事な大きさの手長エビがかかっていた。


「釣れた!」


 獲物が釣れたことを喜び、七海が糸を手繰り寄せる。


「見て見て! 忠宏兄ちゃん、手長エビが釣れた――」


 ポチャリ。


 七海がこちらに自慢しようと振り返った瞬間、何かが水中に落ちる音がした。

 おそるおそる針先を確認してみると、そこには獲物である手長エビがいない。

 恐らく、振り返った反動で糸が大きく揺れて、針にかかっていた手長エビが外れてしまったのだろう。


「「…………」」


 目の前には針を見つめて固まる七海。

 非常に面白いが笑っては可哀想。

 俺は湧き上がる笑みを必死に隠したが、礼司は堪え切れなかったようで……。


「ぶふふ、わーっはっはっは! 七海ちゃん、手長エビに逃げられた時の顔よ!」

「むー! ちゃんと釣ったのに! 何で逃げたの!?」


 手長エビに逃げられ、礼司に笑われて顔を赤くし、地団太を踏む七海。

 まあ、ようやく釣り上げたと思ったら、あれだもんな。

 七海には悪いと思うけど、すごく面白かったな。

 とはいえ、俺までそんな風にからかっては、七海が拗ねてしまう。


「まあまあ、釣れるコツはわかったんだから、またすぐに釣れるよ。ほら、ここに手長エビがいるぞ」


 手長エビが見えるポイントを指さすと、七海はすぐにやってきた餌をつける。


「次こそ、ちゃんと釣り上げる!」





「どうだ、釣れているか?」


 七海が大きな手長エビに逃げられてからしばらく。遅れて定晴がやってきた。


「釣れてるよ」


 定晴に釣果を示すようにクーラーボックスを開いて見せてやる。その中には既に十匹もの手長エビが入っていた。


「ほお、それ程時間が経っていない割に、結構釣れているな」

「ここにはいっぱいいるみたいだからね。今日はいっぱい釣れるよ」


 既に母さんから言われている目標の半分は釣れた。このまま行けば、ノルマを十分に達成……何だろう、ノルマという言葉を思い浮かべたら頭痛がしてきた。

 

 目標という言葉に言い換えよう。うん、これなら頭痛はしない。


「それはいいことだな。それで、チビの様子はどうだ? あいつの事だから無駄に餌を消費しているのではないか?」

「ああ、それなら――」

「釣れたー! 五匹目!」


 ちょうど状況を説明しようとしたら、七海の嬉しそうな声が響いた。

 ふと、声の方に視線を向ければ手長エビを釣り上げる七海がいた。

 あれだけ嬉しそうにはしゃいでいるのだ。言葉での説明は不要だろう。

 七海は手慣れた様子で糸を手繰り寄せると器用に針を外して、手長エビをこちらのクーラーボックスに入れた。

 ボックスの中で、ビチビチとエビが動き回るので即座に蓋を閉める。


「あ、定晴だ!」

「……フン、一応釣ることはできているようだな」

「へへーん、礼司と忠宏兄ちゃんにコツを教えてもらったもんね」


 胸を張って自慢するように言う七海。

 それを見た定晴は少しつまらなさそうだ。

 もっと七海が苦戦していると思っていたのだろう。

 もう少し前にこれば、その姿を見る事ができただろうにな。


「フン、基本を抑えた程度で満足とは甘いな。問題は釣果。世の中は数字が全てだからな。小説と同じだ」


 おいおい、小説家が数字とか夢のないことを言うなよ。


「へー、じゃあ、定晴今からあたしと勝負ね!」

「いいだろう、格の違いというものを見せてやる」


 七海がそう言うと。定晴は不敵な笑みを浮かべて釣り竿の準備をし始める。

 大丈夫だろうか。定晴って昔から釣りとかそれ程得意ではなかったようだが……。

 いや、それは昔の話。大人になった今では違うかもしれないな。

 七海と定晴、どちらが勝つか見守らせてもらおう。






「バカな!?」


 鉄橋の下で、定晴の甲高い悲鳴が響いた。

 驚愕の表情を浮かべる定晴の目の前には、綺麗に餌だけを取られた針がぶら下がっていた。


「ははははは! 相変わらず定晴は釣りが下手だなぁ。竿上げるのが遅すぎるんだよ」


 それを見た礼司が、遠慮なく定晴を指さして笑う。


「黙れ! というか、さっき早すぎるといったのはお前だろう!」

「だからって待ち過ぎだろ。もっとエビの気持ちになれって。小説家ならできるだろ?」

「手長エビの気持ちを書くことなどあるわけないだろ」


 どうやら定晴は昔と同じで釣りが下手なようだ。

 小説家だけで食っていける程大成している定晴であるが、やはり不得意なものは不得意なままのようだ。


「あはは、定晴は下手だね! あたしなんて、もう七匹も釣ったよ?」


 それに比べて七海は、小一時間で七匹もの手長エビを釣り上げている。

 最初の方はタイミングがわからないので中々釣るのが難しいように感じるが、タイミングさえわかってしまえば非常に簡単に釣ることが出来る。

 瞬く間にコツを掴んだ七海は、今一番勢いに乗っていた。


「ぐぬぬぬ、調子に乗りよって。まだだ、まだ勝負は終わっていない!」


 悔しそうな表情を浮かべながらカニカマをつけて、新しく餌を投入する定晴。

 そして、しばらくするとブロックの隙間から一匹の手長エビが出てきた。


「ふっ、ノコノコと間抜けにも出てきよったな。さあ、僕のぶら下げた餌に食いつくといい!」


 定晴が高笑いする中、手長エビはハサミを動かしてカニカマを突く。


「おい、ちょっと待て。いつまで餌を食べているのだ。早く素に持って帰ってだな……」


 しかし、手長エビはそのまま餌を掴んで巣に持っていくことなく、その場で器用に餌だけを食べていた。

 餌を掴んで巣に持ち帰るような素振りは微塵もない。

 まあ、たまにこういう変わった行動をする個体もいるものだろう。そう思っていたのだが、よく見ると定晴のつけたカニカマのつけ方が甘いことに気付いた。

 水に入れた衝撃か、水流のせいかは知らないけど、既に餌が針から外れかかっている。


「定晴、お前餌をもっと針に刺さないとダメだろう。餌が針から外れているぞ」

「なに!?」


 定晴がそれに気づいて引き上げると、針の先には餌も手長エビもおらず。

 水中を見つめると、今さらのように手長エビが餌を持って巣穴へと持ち帰っていた。


「……間抜けはお前だったな」

「うるさい!」


 結果として、勝負をはじめてから釣り上げた手長エビは七海が七匹。定晴は二匹。

 言うまでもまく、七海の圧勝だった。

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