チャラ男

「忠宏、ちょっと買い物に行ってきて」


 続きが気になる漫画を我慢しながら、今度こそ荷物整理を進めることしばらく。

 母さんが部屋に入ってくるなりそう言った。


「買い物? なに買うの?」

「それはここに書いてあるわ」


 母さんが差し出してきたメモを受け取る。

 牛肉、じゃがいも、ニンジン、タマネギなどなど。そこから導かれるメニューは……。


「今晩はカレー?」

「ええ、私お手製のカレーよ」

「肉じゃがあるから、そのままルー入れればできるんじゃないの?」


 朝食と昼食には肉じゃがが出ていた。具材はほとんど同じなので、そこにカレーのルーを足して調整するだけでカレーがすぐに作れると思うのだが。


「どこかの誰かが思った以上に食べるから具材が足りなくなったのよ」

「母上の肉じゃがが予想以上に美味しいのが悪いんです」


 久し振りの母さんの肉じゃがが美味しくて、一人で何杯もお代わりしたのは俺だったな。

 道理で具材が足りなくなるわけだ。


「ほら、行ってきてちょうだい。ゆっくりしてると日が暮れるわ」

「はいはい、わかったよ」


 母さんに急かされた俺は、パンツ一丁だったので、ジーンズを履いて家を出る。

 ここら辺で買い物となると、少し離れたところにある小さなスーパーに向かうしかない。

 歩くと三十分くらいかかってしまうので、車かバイク、自転車で向かうのが一番だろう。


「久し振りに景色を見たいし、自転車で行くか」


 昨日は大荷物と暑さのコンボにやられてロクに景色を堪能することができなかったからな。ここは母さんのママチャリで優雅に堪能するとしよう。

 それに東京に行ってから自転車なんて一度も乗っていないので、ちょっと楽しみだし。


 少し低いサドルを上げて、スタンドを蹴り上げて自転車に乗る。

 長年乗っていなかったことや、運動不足も合ってこけたりしないだろうか? そんな不安がよぎったが、身体というのはしっかりと感覚を覚えているらしく、しっかりとバランスをとってこいでくれた。


 家の周りの土道から、舗装されたアスファルトへ。


「うおー、自転車に乗るこの感覚が懐かしい」


 足を回す度に、グンと前に進み、吹き込んでくる風を身体で切るような感覚が心地よい。

 道の両脇では、ひたすらに田んぼが広がっており、風が吹く度に青々とした稲がサーッと潮騒のような音を奏でる。

 空はとても青く、雲一つない快晴。

 遠くではいくつもの山々が延々と続いている。

 見晴らしのいい道の先には、人が一人として見えない。

 どこか土臭いこの匂いも、風の音も、澄み渡る景色も。そのどれもがひたすらに懐かしかった。

 通行人に気を遣う必要もなく、蛇行しながらのんびりと自転車を進めると、昨日通り過ぎた駄菓子屋が目に入った。


『きくら駄菓子』


 どこか色あせた赤い屋根をした駄菓子屋。

 そこは俺の同級生であり、友人でもある木倉家が経営するもの。

 この村に住む者であれば、ほぼ全員が行ったことがあるだろう。

というか、ここに駄菓子屋は一つしかないのだから当然だ。

 スーパーにもお菓子は置いてあるが、住民の区画から離れているし、あまり品揃えは良くないからな。必然的に子供から大人まであの駄菓子屋に通うことになる。


「木倉の奴は何をしてるんだろうな……」

 

 ノリのいい友人の事を考えがら、駄菓子屋を眺める。

 すると、不意にガラリと扉が開いて、金髪にサングラス、アロハシャツを着込んだヤンキーみたいな男が出てきた。


 なんだ? いつの間にあんなチャラチャラした男が住み始めたのだろうか。


 訝しんでいるとチャラ男もこちらに気付いたのか、顔をこちらに向けてくる。

 無理もない。見渡す限り人がほとんど見えない辺境の地だ。人間がいれば自ずと気になりもする。

 とはいえ、チャラ男に絡まれでもしたら怖いな。

 さっさと逃げようと思い、サドルに足をかけるとチャラ男が声をかけてきた。


「あれっ? お前もしかして忠宏か?」

「えっ?」


 どうしてチャラ男が俺の名前を知っているのだろうか? でも、この馴れ馴れしい喋り方はどこかで聞いたことがある。


「おいおい、俺のこと覚えてねえのかよ」


 俺が戸惑っている間に、チャラ男はサンダルをペタペタと鳴らしてこちらに近付いてくる。

 そして、サングラスをくいっと上げた。

 どこか眠たそうにも見える細い目にはとても見覚えがある。


「……もしかして、礼司?」

「んだよ、覚えてるなら最初から反応しろよ」


 恐る恐る尋ねると、チャラ男――いや、礼司は嬉しそうに笑ってこちらの背中を叩いた。


「いやいや、そんなお前、高校の時はそんなチャラチャラしてなかっただろ! わかるか!」

「ああ? ただ髪を染めただけじゃねえか大袈裟だなぁ」


 本人はへらへらと笑いながら、そのように供述しているがどう見ても変わり過ぎだ。

 昔は黒髪だったし、服装も大人しいものだった。

 俺が知っている礼司は、その時のものなので今の礼司を見て一発でわかるのは難しいだろう。


「それより久し振りだな。前に会ったのは大学の時に里帰りした時だっけか?」

「そうだなぁ。五年前くらいになるか」


 大学四回の夏では、東京の企業に就職するのを反対されて、意地になっていたので里帰りはしていない。

 なので、最後にあったのは三回の夏くらいだ。

 あれからほとんど連絡はしていないので、少し気まずい気持ちもある。


「中々休みがとれねえって聞いてたけど長期休暇でもとれたのか?」

「あ、ああ、まあそんなところ」


 俺はこの時、何故か仕事を辞めて帰ってきたとは言えなかった。

 咄嗟に出たのは誤魔化すような曖昧な返事。

 同い年の友人に言うのが恥ずかしかったのか。情けないと思われるのが嫌だったのか。本当の気持ちはわからない。

 ただ俺は後ろめたいと思ってしまった。

 しばらくはここで暮らしていく以上、礼司とは頻繁に顔を合わせることになるだろう。

 俺が長期休暇などではなく、明らかに仕事を辞めているということはすぐにわかることなのにな。

 礼司はこちらの微妙な返事に疑問を抱きはしたが「ふーん、そっか」と言うだけで深くは踏み込んでこなかった。

それがどこか有難いような、心苦しいような。


「自転車乗ってるけど、どっか行くのか?」

「ああ、ちょっと母さんに買い物頼まれて……」

「それじゃあ、先に買い物終わらせてからうち来いよ。どうせ時間はあるんだろ?」

「……わかった」


 俺が頷くと、礼司はにっかりと笑う。


「菓子用意して待ってるから、早く来いよ!」

「おう」


 見た目はチャラチャラした感じになってしまったが、本人の性格や表情は五年前そのものだな。

 その事にどこかホッとしながら、俺はスーパーへと向かった。

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