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タクシー → おやじ → くうそうタクシー 。

・・・そしてみんなふたたびあつまった。


かんこうタクシー


昔の田舎の、観光地の、観光タクシー 観光の、黄金時代。

いろいろな運転手がいたようだ。おやじは、修善寺の寺山自動車にいた。

その前ははたの自動車、そののち、はたの自動車は寺山に買い取られ、寺山自動車になった。はたのさんの末っ子はオレと同級生だ。小さい頃、ほんぎょうじの、こうじくん、同じ部落の、しのぶくん。よく、ロープウェイの山に登った。

オレはいつも、泣き虫で、アメリカ映画、スタンドバイミーに出てくる、泣き虫の、一番最後に待ってよ、オレも、いっしょにいくよと、ひっついていく子だった。あのころ、おやじは仕事をしながら、オレの友達をたくさん作ってくれた。

オヤジは仕事で、旅館や、飲み屋、店に出入りしていて、仕事先の旅館や、飲み屋、酒屋には同級生がたくさんいた。

仕事をしながら、お得意さんの家の子供に、うちのこと一緒だこんど、うちの子と仲良くなってくれないか。遊んでやってくれ。よろしくたのむね、と声をかけ。友達を作ってくれた。

むろんそのあとともだちが家に遊びに行くよと、オフクロは、全部、病的に追い払ってくれて、友達がいなくなった。でもオレは友達に泣きながらみんなにひっついていった思いがある。

友達を、作れるようにしてくれたオヤジだった。




昔の運転手はオシャレだった


オヤジの、はたのさん時代の写真を見るとみんなオシャレだ!

蝶ネクタイをしている人もいる。大昔、日本車はまだ、できが悪く、アメ車をつかっていたという当時のアメ車の写真もアルバムに載っていた。

フォードの車だった。テールフィンでシボレーでいうと、210のような、車の写真ものっていた。オヤジの話だとその後、日本車もよくなり、観音開きのクラウン、タテ目のグロリア等ものっていたという。

兄貴の話だと、おじいちゃんの見舞いに行くために、会社から、タテ目のベンツ(S45 ジュネーブ仕様)をかりてきて、兄ちゃん、乗せてもらったことあるよといっていた。日本車の黄金時代を、オヤジは走り抜け、生涯を終えた人だった。とうとう、はたのさんの、昔のダットサンの写真も残っていた。

昔の写真を見るとオヤジの同期の人たちはみんなオシャレでインテリで、遊び心を持ち、仕事もバリバリやる人たちがたくさんいたようだ。




オヤジの仲間の伝説(5.30~54.0年代)


みさきの走り屋(へだとうげ)


修善寺から、へだとうげを10分で飛ばし抜ける人がいたという。

当時の車は、イタバネで、アイツはとうげをくだりにいくと、かならずイタバネを壊して帰ってくるんだよな、それも当時は、砂利道だったという。

ふつうに走ると、20分から30分はかかる。10分は早すぎる。アイツはとばすんだよなとよく語っていた。

今でも昔でも飛ばす人はいるようだ。

今のこぞうさんが、レビン(86ダルマ)でドリフトはそれにくらべると、あかんぼうみたいなものだ。




クレイマー クレイマーなオヤジ


オヤジは、オレは小さいとき、幼稚園の送りも、毎朝、タクシーの営業車で、修善寺の寺の幼稚園まで、送りをしてくれた。幼稚園から、中学、高校までお弁当も毎日作ってくれた。毎朝、朝ご飯を作り学校を送り出してから自分は会社に出かけていた。いつも仕事をしながら子供のことを手を出さず、見守ってくれることもあった。町の中、どこに行っても、かならず、どこかにオヤジがいた。仕事から帰ってくると、晩ご飯を作りながら洗濯をして、干して、それからほっとするとオヤジは毎日、1日が終わると野球を独占して見ていた。

オヤジの特権だった。

遅番、夜勤の時は家に帰ってきてごはんと次の日の朝ご飯を作り、一緒にご飯を食べてから、仕事に出かけていた。

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