第2話 秋雨前線
その街角のカフェテリアの窓から眺める、石畳の街路にも、やっぱり雨が降っていました。
雨は辛抱強い農夫のように単調に、長い時間降り続いていました。
彼と彼女は言葉もなく、その雨を見つめるほかはありませんでした。
沈黙さえも、楽しむことができたあの南の島は、遠い昔の記憶になってしまいました。
今では話題を探すことさえ、難しいふたりなのですから。
カフェは満員でした。
このカフェは、都会の華やかな街角に建つ百貨店の一階に作られたお店で、百貨店の店内に面した入り口の向こうには、お化粧品売り場が見えました。
彼は窓の外の雨を眺め、彼女はくるくると、ティースプーンでお茶を混ぜていました。
しかし彼らの沈黙は、あるひとつの理由によって必要以上の苛立ちを生まなかったのです。
それは何でしょうか。
実は、カフェの入り口のレジの脇で、ひとりの男の子が泣いていたのです。
ウェイトレスのお姉さんのスカートを片手でつかみ、しゃくりあげ、えずき、激しく男の子は泣いていました。
お母さんやお父さんとはぐれてしまったのでしょうか。男の子は、人にこの世の終わりを想像させるほど悲しく、そして力強く泣いていました。
上品な雰囲気を売り物にするカフェの誰もが、その男の子を恨めしく思いながら、持ち前の上品さを発揮して誰も文句をいうことができない。そんな手詰まりな空気が、カフェのなかに充ちていました。
その泣き声を聞くだけで、彼と彼女の沈んだ気持ちは瞬間冷凍されたようになり、しばらく無言の時間を持たざるを得なくなったのでした。
彼と彼女は、本当は、同じ仕事場で働く同僚なのでした。
あるプロジェクトでチームを組んだメンバーの中の一人として出会い、そのままそのチームで長い時間大きな案件を運営していたのです。
チームの他のメンバーには全く内緒で、彼と彼女は恋に落ち、そして交際を始めました。
彼らが自分たちのことを内緒にしたのは、ひとつには仕事とプライベートを分けたかったからでした。
そしてもうひとつは、彼も彼女も、配偶者がいたからです。
そこだけを切り取れば、とても陳腐な物語りでした。
どこにでもある、ありふれた、手垢にまみれたようなお話でした。
しかし他の恋人たちの物語と決定的に異なっていたのは、彼らが良く似ていたからです。もちろん見かけのことではありません。こころのことです。
彼らは、非常にしばしば、自分たちの趣向に共通項があることを発見しました。誰にもわかってもらえないだろう思っていた些細で瑣末なことに、驚くほど多く、気があったのです。
たとえば雨の日が大好きなこととか。
それも雨の日の憂鬱を、上手に楽しむすべを知っていることとか。
自分にこんなにも似た人にめぐり合えた奇跡を、彼らはあの南の島で知りました。透明な通り雨に打たれた東シナ海のさんご礁のリーフで、彼らはその奇跡を身をもって体感したのです。配偶者に巧みな嘘をついて出かけた、ふたりだけの小旅行でした。
それがどうしたことでしょう。
こんなにふたりの間が沈んでしまうなんて。
あの半年前の奇跡はいったいどこへ行ってしまったのでしょうか?
それはまた、次のお話で…。
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