第18話 二人

「さて…と、何か飲む?」


「いや、…あー、いや、コーヒーでいい」


「砂糖?ミルク?」


「いらん」


 灯りもろくに点けずに真っ暗い、整った部屋で二人だけの時間。静かに、ただただ静かにカップを持ってくる妹はテーブルに二人分のコーヒーを置いた。多忙を極めるはずのこの妹の部屋はまるで無人の物置部屋のよう。無機質で、静かで、使われた形跡が無い、生活感のかけらもない部屋。手入れだけはされていていつでもこの部屋は主人を待っている。


「妙なことがいくつかある」


「まずは…そうね、この間の軍勢」


「突如現れた上に数が中途半端だ」


 56万という、地平線を埋め尽くし帝国のあと一歩というところで阻止された。放浪者二人とその従者二人。クリーチャーが突如現れることは毎度のことだが今回は規模が違い過ぎる。たった一匹でも殺すのに苦労するクリーチャーが56万。明らかに国をまるごと潰しにきている。


「しかしなんだこの半端な数字は」


「あれが最後だった?」


「残りを一気に投入してきたのか?なら何故帝国に向けた?やりやすいのはこっちだろうに」


 実際のところ、帝国も不測の事態だったらしく初動からして遅れていた。自分達が狙われるとは夢にも思ってなかったんだろう。正規部隊が到着する頃には既に戦闘の真っ最中で、放浪者二人によって制止されている。これについては帝国内外で大顰蹙を買った。制止はどうあれ到着が遅すぎる。戦闘開始から30分も過ぎていたのだ。超の付く軍勢相手に何が出来たのかと問われれば何にも出来ませんでしたになる結果は見えていても遅すぎる。


「帝国の平和ボケにも困ったものね」


「あそこの姫は何してたんだ」


 過ぎたことは気にしても仕方ない。


「いくらランカーでも一人だけではどうにもならないわよ」


「それはそうだが……、アヅキ達が来る前は五本指の一人だったんだぞ?警報くらい出てたろうに顔も見せんとは」


 ランカー。魔力腺の密度によって付けられる序列でもトップの十人がランカーと呼ばれる。魔力腺の密度は魔力保有量、質、魔力のコントロールに影響し、密度が高いほど膨大で質の良い魔力を自在に操ることができる。トップの十人は公表されている。つまり世界最強と謳われる十人。帝国に一人いる。


「あの小娘そのうちシメてやるか」


「また問題になるからやめて」


 なんの資料もなく、二人だけで話す。表で話せないことをヒソヒソやっているのだ。


「もしクリーチャーがあれで最後というには雑魚が多すぎる。恐らくアヅキも気付いているかもしれないが、奴らは生命体じゃない」


「雑兵…。雑兵と呼んでいい強さではないけれどね。アレらはどこかで製造されて送られてくる」


「雑魚が故に大量生産か?」


「安物の粗悪品だったり?」


 戦線が押されている現状でアレが安物の粗悪品とは思いたくない。ただでさえ手を焼いているというのにそれが粗悪品とは。なら万全の製品だったら一体どんな強さになるというのか。


「別に数字がゼロのぴったりでなければならないなんてルールはないが」


「歩兵と騎兵だけの構成で56万」


「この数を軍隊として持ったことがないから違和感としか説明できないな」


「単純にやはり歩兵と騎兵がそれだけだったのではないの?」


「そうだな。もしくは……予備戦力に何万か割いたか」


「予備戦力……」


 無い話では無い。が、現実的な話でもない。未だにクリーチャーがどの程度の勢力なのか皆目見当もつかないのだから。予備として何万かがまだ出ていないにしても、それは本当に予備なのか。


「いつ、どこで、どうやって、どうしてこの世界に来るのか。そもそもクリーチャーと呼ぶのも仮称でしかない。アレが生命体じゃないことだけは確かだが、それ以外は分かっていない」


「この10年、何体かが生け捕りにできたけどどの個体もまともな計測は出来なかった…。唯一出来たのは身長だけね」


「仮に製造物だったとして、誰が、なんのために、どういう目的で侵略させているのか…」


 まるで皆目見当もつかない。一方的に侵略され、日を追うごとに少しずつ軍を削られ、いずれは国ごと削られる。国家間の戦争と違い相手の領地に攻め入ることが出来ない。一匹一匹がやたらめったらな強さのクリーチャーに曖昧な侵入経路。考えれば考えるほどこの10年どうして潰されずにいるのか不思議なくらいだ。あまりにも打つ手がない。確かな敵意を持つ未知の何か。


「ランカー総出で潰しに掛かってもいいんだろうがなあ」


「他国のランカーは、というより他国政府が首を縦に振るとは思えないわよ」


「うちは私とお前で二人いるからどちらか抜けても困りはしないがなー」


「あら、私が抜けたら姉さん仕事するの?」


「……今の話ナシナシ!」


 誰が仕事なんかするか馬鹿馬鹿しい。なんで他人より腕が立つだけで祭り上げられなけりゃならんのだ。


「まさかランカー総出で黒い泉に飛び込んで、皆死んじゃいましたじゃ話にならんしな」


 いつどこで現れるか分からないクリーチャー達。現れるときは必ず黒い泉から湧いて出てくる。この10年で分かった数少ない情報のうちの一つ。何にもないところにずぶずぶと真っ黒い泉が湧き上がり、その中からこれまたずぶずぶと湧いて出てくるところを映像に収めたことがある。警戒中のドラゴンライダーが偶然にも通りかかったのだ。初めて見たときは己の目を疑ったものだ。2万、3万のクリーチャーがボコボコ湧いているのだから反則もいいところ。


「あれがどこに繋がってるのかなんて分からないからなあ……」


「どこに繋がってるのか、も問題だけど、直接湧いている、可能性もなきにしもあらずね」


「まったくもってくそったれだな」


「口が悪いわよ」


「うるせえ」


 すっかり生ぬるくなったコーヒーを一気に飲んでカップを妹に突き出す。


「ん!」


「はいはいおかわりね」


 反則といえばもう一人反則野郎がいる。アヅキだ。


「そういえばアヅキのやつ、まだボケーっとしてんのか?」


「そうみたいね」


 新しく淹れてきたカップを置いて椅子に座り直す妹はさらりと流した。ヤツは大事な戦力だ。私や妹よりも強く、それでいて現場指揮官や下っ端からの印象は良好。顔を見せるだけで士気が挙がり、少しヤツが前に出るだけでその日の戦死者はゼロになる。


「アイツの体、中身が核ってのは絶対嘘だろ」


「私もそう思う」


 本人曰く、心臓が核でそれを無効化する器官も備えているという。その上、魔力腺の密度はぶっちぎりの一位。現時点で歴代を含めても世界最強の男。この数万年、ツートップを張っていた私と妹がどこの馬の骨とも分からんヤツにあっさりとその座を降ろされた。人外にも程がある。


「例のレリック、あれを体に取り込んでもアイツの体が放射能物質になっとらんということは事実だが、やはり何回考えても信じられん」


「サイトーさんの言う神通力かもしれないわよ」


「クリーチャーじゃあるまいし、出どころ不明の力をほいほい信じてたまるか。だいたいアイツは貰ってないだろ」


「それもそうね。なんでも引きこもりの女神を無理矢理引きずり出して囲んで喉元に日本刀とやらを突き付けて貰ったらしいわ」


「サイトーは星を救ったって言ってなかったか?」


「そうね」


「どこのマフィアだよまったく……、?」


 端末が鳴った。赤色の点滅が真っ暗い部屋を照らし早く応答しろと急かす。まさかこんな深夜にか!


「私だ。……分かった、迎撃は任せるからすぐに行くと伝えろ」


「出たの?」


 クリーチャーだった。昼間の軍勢は56万だったがあくまでもそれは捕捉したものと撃滅したものを照合して確認しただけだった。…魔導反応も無ければ熱源反応も無ければ、目視で見逃せば見つけることは出来ない。黒い泉は現れれば僅かに起こった世界の歪(ひず)みが魔導反応に出る。今回はそれが無かった。


「アヅキの部屋に寄って私が出る、お前はここに居ろ」


「彼は今は……」


「アイツが使い物にならなければ私一人でやるさ」


「要塞から援護するわ」


「今すぐにだ!迎撃部隊じゃ皆殺しにされるだけだ!」


 私は部屋を飛び出て妹はすぐに電話を取る。城から飛び出て女子寮にあるヤツの部屋に飛び込むと深夜だというのに窓際に椅子を置いて空を眺めていた。今日は曇っていて何も見えない、真っ暗闇だっていうのに一体何を見てるんだろうか。すぐ後ろに同じく椅子を置いてブリジットが付いているが明らかに疲弊している。カートに乗っている食事が手つかずのままだ。まさかコイツら部屋に戻ってきてから飲まず食わずでずっとこのままで居たのか?


「女王様……」


「すまんな、ありがとう」


「いえ、もったいないお言葉を……」


「だがお前もまだ若いんだ、体は労れよ」


 軽く肩を叩いて通り過ぎると窓際に寄ってアヅキの隣に立つ。顔を見ると酷いクマだ。飲まず、食わず、寝ずにずっとこのまま座っていてうわの空か。……私には人間という種族の悩みなど分かりかねる。だが、言えることはある。


「何しにきた」


 枯れた声で、小さく囁くほどの声で、こんな深夜でないと聞こえないか細い声で力なく邪険にされた。


「出たぞ、行くぞ」


「…………」


 答えなかった。この間のことをまだそんなに気にしているのか?もう二週間も経つんだぞ。少しは敵を見習ったらどうなんだ?潜み隠れて息を殺し二週間も掛けて地道に浸透し、わざわざすぐそばまで殺しに来てる。


「サイトーのことなら気にするな。ヤツもたいして凹んでなかった」


「見捨てた世界からわざわざ礼を言いに来た見ず知らずの女の子にお前は殺し屋だって言ったんだぞ、俺は」


「アイツは相変わらず寝てんのか起きてんのか分からないくらいの良く言えばクールビューティー、悪く言えば南極みたいなままだよ。時間がもったいないから早く行くぞ」


「俺には世界なんか救えない……」


「人は救えるだろ」


「ふざけるなよ!!!!」


 突然椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。急な怒鳴り声にブリジットが肩を跳ね上げて驚いた。なんだ、元気じゃないか。


「俺に人が救えるだと?! 自分の世界を捨ててのうのうと生きている俺がか?! 俺がこの世界に来て本当は何て思ってたか教えてやろうか?! 『あんなクソッタレの世界から逃れられてラッキーだぜ言われるがままにしていればいいなんてなんて楽なんだろう』!!!!」


「お前が見捨てたくて見捨てたんじゃないだろ」


「変わんねーんだよ!!! 何度ほっぽり出そうと思ったことか!!!! 俺はあの世界に戻るつもりなんかねーんだよ!!! そうだよ捨てたんだよ俺は!! あんなクソッタレの世界も!! あんなクソッタレな世界にいる奴も!! 助けを必要としている奴らも!! 助けが必要だった奴らも!! 助けて置いてきた奴らも!! 俺が殺した奴らも!! これから俺が殺すはずだった奴らも!! 全部ぜんぶぜぇーんぶだ!!!」


 怒りに任せて一気にまくし立ててぜえぜえと息も絶え絶えとしながらいい加減フラフラしている。これは疲れもあるが恐らく貧血も起こしているな。顔が真っ青で血の気が引いている。食欲がなくても空腹なら飯は食っといた方が良い。


「そんなにクソッタレに思う世界だったらどうしてさっさと見切りをつけなかった?」


「………あの世界は本当にクソッタレだった。昼も夜も悲鳴が絶えない世界だった。人が人を殺して、化け物が人を殺して、人が殺されたから殺し返す。そんな世界だ。いや、今は『だった』というべきか。環境が激変すればそこに生きる動物も激変する。それは植物や動物に限らず人間だって同じことだ。人格も、肉体も、生態も混沌が支配する世界では正常じゃいられなかったんだ。酷いことにその引き金が俺なんだぜ……」


「ならなんで人助けなんかした? 見捨てたくなるほど辛かったんだろう?」


「……たまらなく嫌だったんだ。あんなクソッタレな世界でも、俺が、俺の細胞が、世界の混沌の原因だって知っても、俺に優しくしてくれた人達が、何にも悪くない人達が死んでいくのが。正義感でもなんでもない。ただ自分が嫌だから助けただけなんだ」


「………………」


「だけど俺は自分勝手で…、わがままで…、無責任だ…。中途半端にやるだけやって見捨てたんだ……。まだ助けが必要な人達を、これから助けが必要になるはずの人達を、切り捨てて、自分だけ救われた………。こんなヤツに今さら人助けなんか出来るか……」


「ならなんで、涙を流している?」


「っ」


 言っている途中から、にじみ出て、溢れて、頬を伝って床に滴(しずく)となって落ちた涙は一滴やニ滴ではない。まばたきをするたびにぼろぼろとこぼれ落ちて床を濡らしている。落ちても落ちても止まない涙でもうろくに前も見えないだろう。この野郎、見捨てただ切り捨てただ言ってるクセにまだ他人の心配をしてやがる。たとえ生きる世界を違(たが)えても、今このとき助けを必要としている人を助けられない。そういうツラをしている。このお人好しが。


「…確かにお前はもう、お前が見捨てたにしろ切り捨てたにしろ、お前の居た世界の人間は助けられないかもしれない。いくら人助けでも血を見るなんて嫌なのかもしれない」


「ああ…」


「お前はもう疲れたかもしれない。斬った張ったの世界に生きるのは」


「ああ…」


「だがお前は同時に無力で無辜の人々が血を流して倒れていくのも嫌だと思ってる。人が死ぬのが嫌だから、自分が汚れてでも助けるんだって思ったんだろ?」


「ああ…」


「この世界でも助けを必要としている連中がたくさんいる。お前はまだ人助けできるし、人はお前に助けてもらえる。助かる命はたくさんある」


「ああ…」


「助けを求める声があるのに力を振るわないなんて出来ない。助けを求められたら体が勝手に反応するだろ?」


「ああ…!」


「お前はそんだけ誰かのために涙を流せるんだ、お前の心はまだ死んじゃいないな」


「ああ…!」


「なあアヅキ……、お前の言い訳も、使命も、責任も、これからの人生も、全て私達が負ってやる。やりたいことも、やんなきゃいけないことも全て私達が作ってやる。お前が幸せなときも辛いときも必ず私達がそばにいてやる。だからアヅキ……、」


 言いかけたところでようやく曇っていた空は星空を見せてくれた。まるで誰かが意図してそうしたのかと疑いたくなるタイミングで月の明かりがまばゆく差し込み、私とアヅキだけをくり抜いて照らした。


「もう一度、魂を燃やしてみないか?」


「ああ…!!」

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