第11話 変異

「それで、お体の具合はよろしいのですの?」


今週の土日はまるで休みにならず、日曜の夜になってようやく休んでいる。隣にはいつものようにですわですの口調のお嬢が、もう片方にはたまたま居合わせた女子が代わる代わるしている。湯気に包まれた広い浴場は、上流階級にあるという彼女らからしてみて共用というのは疑問を持たないのだろうか。てっきりこういう階級には一人ひとりにバカでかいバスタブでもあるのかと思いこんでいたが。


「なんともない、いや、ちょっとおでこに痕がついたけど、それ以外は」


おでこ、というより眉間のど真ん中。あの紅い球体が出てきたところだけは火傷の痕みたいになっている。自分では気にならないが、これを見られる視線が気になる。指で擦ってみてもなんともない。紅い球体はあれから付かず離れずだったがうざったいので部屋に置いてきた。


「お痛わしい、癒やして差し上げ」


「やめれ、おめーは金曜の夜に発砲されたのにまだ懲りねーのか」


「ブリジット様……、あれほどセイ様のお部屋に忍び込むことはなきよう寮母様から言いつけられていたというのに、またやらかしたのはあなただったのですね」


顔に向かって伸びてくる手を払いのけた。この痴女に触られたが最後、癒やされるどころか最後の一滴まで搾り取られるに違いない。今だって、きっと痕を撫でるフリして顔を掴んでくるに違いない。そうなったらところ構わず衆目があろうがなかろうが濃厚なディープキスが待っている。そう、『また』ということは『二度目』であり『前』があるのだ。


「特殊な訓練でも受けてんのかってくらい、見事な身のこなしで1カートリッジ使い切っても一発たりともかすりもせんかったがな!」


俺はこの世界に来て体が慣れてから、持ち前の身体能力は考慮に入れず護身術のうちとして射撃訓練を受けた。膂力は確かに驚異的なものであり徒手空拳の武術をマスターしているとあれば、さらに身体の頑丈さはゴーレム族や機械族が唸るほど、とはいえそれとこれとの利便さは違うものでこれも勉強のうちだと叩き込まれたのだ。そして訓練はすぐに活用されることとなったのだが、まるで成果は出せなかったのだ。


「この下手くそ!って言われたときは思わずハンドガンを握りつぶしたぜ」


「枕から取って1カートリッジ撃ち切って拳銃を投げ捨て手刀で私の首に迫った瞬そこまでの、あの瞬発力のある判断は評価出来ましてよ」


「そりゃどーも」


もっとも、この世界に来てから初めて実弾射撃を始めた人間からしてみれば下手くそでもサッと対応できただけ訓練の成果というものだが、うちの狂犬の方のメイドはそうは見てくれない。これから毎週末は予定や急な出撃がない限りはみっちり射撃訓練だそうだ。まず俺が急な出撃に駆り出されるという前提について小一時間。


「ところでセイ様は本当に魔力持ってないんですか?最近免疫耐性も持ったばかりで、いきなり爆発寸前の魔力を使って敵陣中突破しながら救出って、尋常じゃないですよ」


「それについては女王様にも言われた、お前アホなんじゃないかって。まあ帰りは偽装も体力もないから必死こいて逃げてきたんだけど。つーかそうだよ、クリーチャーが偽装で簡単に騙せるってなんで教えといてくれないんだよ」


とてもじゃないが信じられない、といった彼女の態度。自分が思っているよりも相当にクリーチャーの存在というものは重くみられているらしい。今回の軍魔導師から選りすぐりの魔導師で編成される特殊部隊による強行偵察任務。空を飛べば撃ち落とされるはずなのに空を飛ぶ連中で任務という時点で矛盾していたのだが、なぜ気が付かなかったのか。今回は強く警戒心を持ち過ぎたがために超長距離航行を敢行、結果として帰ってくる途中で魔力が底を尽き姿を露呈するという、軍隊としてはありえない失態となった。まるで素人のミスだ。即座に撃墜されずに済んだのは、クリーチャーの軍勢は、というよりクリーチャー達自身が光学迷彩に対応していないという不幸中の幸いからくるものだった。欺瞞で時間を稼ぎ、SOSを発信するも姿を露呈し厳しい追撃を受け、俺が見つけたときには自爆寸前だったとか。もし間違ってそばで自爆されていたら厄介だった。


「誰かがどこかで伝えただろうと、皆で思い込みをしていたのですわ」


「ありがちだな。それよっかお嬢、あの身のこなしなんなんだよ」


金曜の夜、寝静まった寮。廊下の常夜灯以外に明かり一つない丑三つ時。下着にガーターストッキング、ガーターベルトというほとんど裸に近い格好で部屋に忍び込みあと数センチというところで俺が感づいた。たまたま一人で寝ている夜だったにしても危なかった。身体能力に関しては俺の感覚の方がズレているのかもしれない。そのつもりはなくとも未だに心のどこかで普通の人間を相手にしていると、傲っているのかもしれない。しかし訓練を受けてみるとあの身のこなしようが単純に身体を振り回しているようには見えなかった。要人の娘が護身術……にしては度が過ぎている。


「あと数センチ、あと数センチというところで失敗とは私もまだまだですわ」


「セイ様の初仕事成功のお祝いにあれだけ騒ぎ尽くしたというのにまだ足りないのですか」


「そうそう俺の初仕事の打ち上げに…ってちょっと待った、あの海の王国だか共和国だかのをなんで仕事だって知ってんの?」


実はあのわざと誘拐されて始まった話。あれは向こうから接触があれば乗っかるように、と密かに女王様から命令されていたことだった。もちろん密かにやっていたのだから他人が知るはずもない。なのに目の前の少女はさらりと仕事と言っている。事件ではなく、仕事だと。公には俺が誘拐され後手に回ったものの自力で連絡を取り脱出に成功した、その際に大規模な戦闘が生じたということになっている。なぜ外部に秘密を知っている者がいて、隣でお嬢がうんうんと頷いているのか。さんざん乱交騒ぎしてまだ足りんというのか。


「私達が上流階級ということは既にご存知かと思います、先日その上流階級を集めての報告会という名の会食があったのですが、女王様が最初の御挨拶で『ヤツの初物は私が頂いた!既に乱交騒ぎも知って通りであるからして、なに、何回襲っても減るもんじゃないんだ。各々好きなときに相手してもらえ!』と声高に宣言致しましたのですわ」


「いや、そうじゃなくて、いやそれも十分おかしいけど!まさか『ついで』で喋ったのかあの引きこもり女は!!」


「『仕事でクタクタになるときを待ってたんだ、振っといて正解だった。おかげで簡単に押し倒せた』と御自慢なさっていましたよ。そのとき皆様察しましたわ、セイ様の初物を奪うためにクタクタにさせたのだと」


「なんなんだこの亜人の国は?変態痴女しかいないのか?」


今さら何を言っているんだろう?と不思議な顔をして首を傾げる二人、ついでに周囲の女子達も。違う、間違ってない、俺が正常なんだと言い聞かせる。こと武術で鍛えた精神は己でも強靭だと言い切れるほど厳しい鍛錬を積んだ。この程度では揺るがないのだ。それに自分以外にも正常な者に心当たりがあるのだ。自分に仕えているメイド、エルフの姉妹。あの二人は夜這いに襲い掛かってくることもなく、今現在狙われてまさぐられている股間に熱視線を与えることもなく、いわゆる普通の付き合いをしている。毎晩ではないがよく3人で一つのベッドに就寝することもあるが肩を持ったりお互いの腰に手を回す程度。朝、起床する際もどちらかが我が息子を手や口で犯す程度でそれ以上は……、


「んっ?あれっ?」


「どうかなさいましたか?」


「いや、なんでもない。ちょっと浸かり過ぎたみたいだから、もう一回体洗って上がるわ」


「お供いたしますわ」


「いらん」


またきっと何かセクハラを受けるに違いない、確信する俺はお嬢の申し出を断ってとりあえずでも言うことを聞いてくれて普通に身体を洗ってくれる女子の申し出を受けた。一通り洗い終えて流してくれた女子に礼を言って立ち上がる。心なしか視界がブレている気がする。無意識に自分の目の前で自分の手をひらひらさせる。視点がズレている。なんだこれは。


「…?」


「セイ様…?」


次の瞬間、吐き気を覚えてパッと塞いだ手を押しのけて猛烈な勢いで吐血した。勢いは口からだけにとどまらず、鼻からも噴き出した。途端に震えが止まらない、身体に力が入らない、ぐにゃぐにゃ目が回る、熱い、寒い、気持ち悪い、立っていられない。どうにかこらえてゆっくり床に手をつくもまるで力が入らずそのまま崩れ落ち、倒れ伏した。血まみれの口と、手と、真っ赤に染まった床と、まるで自分のものじゃなくなった身体と、誰かの悲鳴。急速に薄れゆく意識、見えなくなっていく視界。人間不思議なもので、こんなになってもなぜか耳は生きていて、誰かの悲鳴とか、もはや悲鳴とばかりに叫び倒す声は聞こえていた。


「あ………」


「あ、起きました。ナースコール!」


次に目を開けたときはベッドの上だった。何が起きたのか、なぜここにいるのか、そんな簡単なことにも思考は動かない。身体を動かそうとしてもまったく動かない。まぶたを動かすことすら、まばたきすらおぼつかない。かろうじて動いた首がわずかに捉えた視界に、自分の身体にぎょっとした。一体何本あるのかと言うほどチューブに繋がれていた。気が付けば呼吸器まで付けられているではないか。なんだこれは、いったいどうしたと言うんだ、なにしたんだ、俺は。


「気が付きましたか?御主人様」


「ソフィア……」


「御主人様、ようやく名前で呼んでくれましたね。ということはそれほど重症なのでしょう」


朦朧とする意識で自分の身に何が起きたのか理解できない。まるで頭が働かない。物事を判断するに足るだけの情報が入ってこない。医師と看護師と思われる、白い服を着た何人かが、表情から驚愕を隠さずに激しい足音とともに駆けつけてきた。いつもであれば、なんだ騒がしいな、くらいにしか思わないものでも今は耳元でラッパを全力演奏されている気分だ。意識は朦朧としているのに反して元気な感覚器官がひどく恨めしい。


「もう意識が戻ったのか?!驚異的だな、人間という生き物は」


驚嘆しながらも己が成すべきことを成していく医師。それをサポートする看護師。見事な連係プレーだが、医療行為についての知見は無い。それより俺が驚くべきは腕が4本あるアンタだよ。


「ああ、この国では基本的にエルフやその亜種のみの亜人系国家ですが、病院などではその限りではありません。家庭教師から教わったと思いますが」


「ああ……」


本来従者が主人に物を言うのは出すぎた真似だとされたりするが、そんなことはどうでもよくて実は寝てたとか聞いてなかったと言ったら怒られるに決まってるから、素知らぬ顔で得心がいったという顔で生返事をする。意識が戻ったばかりでついてこないという風を装って。ここまでで、既に異変に気が付いた。それは、何本ものチューブが繋がれている我が身体のことではなく、いや正確に言うのなら身体のことなのだが、これは症状と繋がるところでもある。手を開いたり、閉じたりしてみる。右手、左手。続いて右足、左足。動く、確かに動く。


「まだ動いてはいけません、安静にしていてください」


看護師が手をそっと握ってきた。あの騎士メイドならぬ鬼神メイドのシルフィに爪の垢を煎じて飲ませたいところだ。が、俺は左手に掴まされたそれを「はい」とそのまま右手のソフィアに渡した。


「……己の人生に一生懸命であることはよいことですが、これはいただけませんね。後で訓告処分の申請を出しておきます」


「あう…」


病人(と思われる)に放浪者に連絡先を書いた紙を渡すのかよ。ようやく追いついてきた思考でそんなことを思いながら、ビニールのカーテンの上から注ぐ太陽の光に安堵していた。ビニールのカーテンの上から注ぐ、とはいっても窓からはある程度離れていて、恐らく普通のカーテンもしてある。それでも主張する光にわずかに判断しているだけだ。暖かい陽の光から察するに、今の時間はまだ明るい時間。意識を失ってからどのくらいが経ったのだろう。


「ではまた、明日になるまで様子を見て、お加減が良さそうなら詳しく検査しましょう」


「ありがとうございます」


一通りの処置を終えて医師と看護師が病室を後にした。ソフィアが一礼してそれを見送り、自分も一時的に席を外した。


「報告ついでにお手洗いに行ってきます。ゆっくりおやすみください」


優しく気を遣われることの素晴らしいことと来たら。ソフィアの爪の垢を煎じてシルフィに飲ませよう。少しは角が短くなるかもしれない。下らない妄想に浸っているとうとうととし始め、いつの間にか眠ってしまっていた。目を開けると最初に意識を取り戻した時ほどの気怠さは感じられず、幾分か素直にまぶたが動いてくれる。そばには誰もいない。寝ていたのはほんの昼寝程度の時間だったのか、窓があるであろう光の方へ首を向けると真っ赤に染まっていた。夕暮れか…、と寝ぼけた頭ながら時間の経過を感じていると悲鳴のすぐ後に衝突音が聞こえた。一瞬で目が醒めた。


「誰か、誰か!誰か助けて!」


女性の悲鳴染みた、助けを求める声が病室の中にまで聞こえる。病室に、心停止を知らせる心電計の音が響いた。


「御主人様っ?!」


飛び込んできたソフィアには信じられない光景があった。ベッドに、いない。チューブと外された心電計の電極だけが残されて。モニターしていた別室に知らせる容態急変のアラートで駆け込んできて、その光景に唖然とした。容態急変のアラートは心電計の電極が外されたことによるとすぐに察したが、あんな体でどこへ消えたというのか。


「!」


窓が空いている。まさか、自殺?ここは地上5階の要人用病室。他の患者からは隔離されている。とはいえ、待てよ、と。はたと思考が止まる。あの重体を引きずって地上5階程度から飛び降りたところで彼が死ぬのか、という疑問が浮かぶ。素足でクリーチャーの首を斬り落とし、目からビームを発する彼が。窓際に寄って下を見ると、衝突した車を持ち上げて、下に挟まれた子どもを助けていた。既に他の要救助者は運ばれて行っている。


「きっ、キミ!!!患者は?!放浪者様は?!!!」


「あそこですよ」


一足遅れて駆け込んできた医師たちに呆れながら答えた。指差す方で、お姫さま抱っこで運ばれる少女。溜息が出た。


「私だってまだしてもらったことないのに」

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