第8話 ある日の休日。

異世界に来て早くも二ヶ月が経とうとしている。最初の一ヶ月はほとんど身体の適応に使ってしまったからまともに動けているのは最近だけだ。


(医者からはまだ薬を勧められているけどメンドクセ)


朝起きてまず薬を飲むこと、と処方されていた。というのも魔力元素によって引き起こされる炎症は皮膚だけではなく身体の内側にも発生している。呼吸をするだけで気管が爛れていたのだ。症状はすぐには現れず来た翌日から出始め即座に入院するハメになった。


(事故のとき以来入院したことはなかったけどやっぱり自由に動けないのは窮屈)


今はエルフのメイド騎士二人をお使いにやって、俺は一人優雅にコーヒー(正確にはコーヒーのようなもの)を飲みながら本を読んでいる。この異世界を学ぶためにはまるでついていけない学園の授業以外にも取り入れる必要がある。


(しっかし会話から読み書き全て、俺はいったい何語を話しているんだろう)


そう、未だに何語を話しているのか分からない。正確にはこの世界の言葉であることは間違いないのだが、頭では日本語として理解している。話すにも日本語を話しているはずなのにこの世界の言葉で話していると言われるし、字を書くと何故かこの世界の字をすらすらと手が動く。まるでこの世界に生まれて育ったかのよう。


(それにしても暇だなあ……)


あくびをして本を閉じた。残念なことにこの世界の趣味と俺の趣味は合わない。もはや違う部分を見つけることは困難を極めるほど違和感のないこの異世界での唯一のエラー。


「将軍のところでも行くか」


だいたいの方角は覚えている。もし戦闘が起きているのなら勝手に散らかせば向こうから人を寄越してくれるだろう。膳は急げ。


「それでよくたどり着いたな、少年」


「まあね」


野営地に入り司令部のテントでまたコーヒーを飲む。今度はミルクと砂糖を入れてカフェオレにして糖分を補給する。椅子はなくともコレがあれば十分だ。


「おかげでまた前線を押し奴らの勢いを削ぐことができた、礼を言う」


「カタいのはナシにしようぜ将軍」


「この東に位置する平原のさらに向こうにある砂漠から無限に湧いてくる。後ろに街こそ作って補給も休暇も住まいもあるが、その分負担も増えた。兵の精神的疲労は日に日に溜まっていくばかりなんだ」


俺を迎えて柔らかくなっていた将軍の表情は思い出したようにしかめっ面になった。いつまでも延々と続く戦いに神経が持たないというのだろう。兵の神経も兵の数も擦り減る一方だと。正直この将軍には感心するとともに同情する。負けることはあっても勝つことはなく、もちろん負けることなど許されない、しかして終わりもない戦いの指揮を任命され、幾度となく勝利と敗走を繰り返し、一人、また一人とあの世へ旅立っていく者達を見送り、補充された人員をまた死地へと向けなければならない。俺が将軍ならとっくに投げ出してよその国へ亡命するなあ。


「例の旧王国で回収された物については何か聞いてる?」


「……正体だけは」


「あれは消費してやるしか救えないんだそうだ。ということで俺の持ち物になる。女王様はアレを使いこなせるよう一日も早く魔力に適応し、新型の機動兵器を備えた試作部隊を選別・編成し率いろと俺に命ぜられた」


「大人の都合に子どもを巻き込むのは気が進まないな」


「まあまあこれも人助けと言い訳するしかない」


「と言いたいところだが」


「ん?」


「少年はオッサン臭いな、精神年齢はいくつだ?実は年齢を偽っていないか?」


「現役のおっさんにオッサン臭いなんて言われたくないわっ!」


「はっはっはっ」


もう少し話して人の動かし方について教わり、国立図書館のどの辺りを探すと参考になるのかメモをもらって帰った。早速国立図書館に寄って本を借りて読もうと思ったが、俺は部屋のドアが見える廊下の曲がり角に隠れている。勝手に黙って出掛けたのがよろしくなかったのか、メイド騎士(姉)が般若のツラをして仁王立ちしている。ツノも生えている。アイツはエルフじゃなかったのか?


「セイ様、こんなところでどうかなさいましたか?」


「アレだよアレ」


通りかかった女子に後ろから声を掛けられる。仁王立ちを決めている鬼を指差す。心なしか牙も生えたように見える。いつの間にか、どこからか持ってきたのか日本刀を舌なめずりしている。


「まあ恐ろしい、私が説得してきて差し上げましょう」


「マジで?!」


今この通りかかった女子が女神に見える。やった、これで怒られなくて済む!というか俺はアイツのご主人様なんだから勝手に出掛けたって怒られる筋合いなんか無いじゃないか!


「セイ様が怯えてらっしゃいますよ、どうかお鎮まりになって……」


「寝顔の写真」


「ありがとうございます」


「おおい買収されてんじゃねえ!つーかそんなのいつ撮った!」


「きぃ〜たぁ〜なぁ〜?」


「……あ」


結局正座させられこってり絞られてしまいにはゲンコツを食らった。ちくしょう。


「妹癒やして」


「よしよし可哀相なご主人様、お姉ちゃんは恐いですねえ」


「そこ!甘やかさない!」


メイド騎士(妹)の胸に抱きつくと頭を撫でてくれた。日本じゃ甘えさせてくれるヤツなんかいなかったからこういう優しさが身に沁みる。そしてこの妹は着やせしていると感じた。目に見える視覚情報より顔に伝わる柔らかな感触がそれを確信させる。つまりデカい、見えているよりもデカい。


「それにしても最前線は相変わらず酷い状態だった。長続きし過ぎなんじゃないか?」


「女の子の胸に抱き着いて撫でられたまま真面目な話をしてもまるで説得力ないわよ」


「あそこは常に押し上げるくらいでないとって女王様のご命令なんです」


「あの人も無茶言うなあ」


「ちょっと無視?!」


「そうだな、俺が撫でられてばっかは良くないな。交代しよう」


「やったー、えへへ」


座っている椅子を交代して妹を膝に座らせて今度は俺が頭を撫でる。気持ち良さそうに撫でられている。ウサギかコイツは?そのうちバニーガールでもさせるか。


「そろそろお昼作ってよ、お腹空いた」


「あんたはなんなの?子どもなの?」


言いつつも準備をし始める。このエルフの姉は口こそ悪いものの面倒見がいい。なんだかんだやってくれる。慣れた手つきで冷蔵庫から材料を選んで出し、動作に迷いなくきれいに包丁を扱い、フライパンやらなんやらは材料を彼女の意のままに調理していく。


「そういえば、あんた核についてどれだけ知ってるの?」


「え?めっちゃ危ない?」


「ざっくり過ぎる」


お昼のあと、至福のときに満たされた腹を休めるお茶の最中に不意打ちを食らった。例の核融合炉と増殖炉の複合型とかいう例の物に関しての質問だろうが、残念な頭の持ち主にそういうものの詳しいことを説明させようという方が間違っている。


「俺のいた世界じゃそれ使って事故ったり戦争起こしたりしててさ、人が住めない地域とか気候が狂ったとかやってたから」


「失望しましたか?」


「え?」


「この世界でも同じようなことを起こそうとしていた人達がいて、失望しましたか?」


「……うーん、まあ、してないっつったら嘘になるかな」


正直に言った。あんなもののせいでテレビでニュースを見るのも嫌になった。毎日毎日その手の事件事故の続報は絶えることを知らない。あまりにも続け様に流れるときはテレビを消して目を背ける。


「人類の輝かしい未来を夢見て作ったんだろうけど、なんの利益も生み出さなかったどころか人類の半数を消し飛ばして終わったんだよ、俺の世界は。あとはもう増えない人口と先行きの見えない不景気ともうすぐやってくる暗い未来に恐怖しながら今日を誤魔化すだけだった」


誰もが一度は夢見る明るい未来、順風満帆の人生、豊かな生活、何一つ不自由ない環境、望まれた幸せいっぱいの家庭。そんな幸せが二度とやってくることはない。一昔前にあった人並みの幸せが手に入らない。


「俺は向こうにいるより二人といる方が幸せだよ」


「ものすごく返しに困るんですけど……」


「可哀相なご主人様、大丈夫ですか?おっぱい揉みますか?」


完全に哀れんでいる、哀れまれている。元々の境遇、元々の環境からしてある程度の同情は昔から慣れたものでもはや自然な日常会話ではあるがあんまり露骨にされるのもどうなのだろう。同情と言っても得てしてたいていが可哀相、大変だったね、何かあれば助けてあげるよという型にはまった無味無臭を極めるものだ。というか何かあったからこうなっとるんじゃボケ!と叫びたい。


「それにしても女王様は俺に部隊を好きなようにしていいと言ったけど俺は軍人じゃないからそっちの知識も経験もない。いきなり新編しろって言われてもなあ……」


「そのために東方の将軍を訪ねたんじゃない?」


「まあね」


国立図書館。一言で言ってしまうと実にあっけなくあっさりした響きだが建物は重厚かつ緻密、それでいて美術を忘れないでいる外観だ。内装は外観とは裏腹に必要十分な装飾に留まり、図書館という存在が欲する設備をこれでもかと充実させている。踏み入れて思うに何故絨毯なのか。無意識に下を見た視線に気付いたのか説明してくれた。


「蔵書を落としても痛まないようにされているのよ、同時に足音も消しているの」


「ああ、なるほど」


静かな空間に配慮された声に納得。それだけ本というものを重要にみているのだろう。少なくとも軽視している扱いではない。が、俺の声は僅かなものだったにも関わらず一瞬にして恐ろしいまでの視線がこちらに向かってきた。そういえばパレードかなにかをやって挨拶もしたようなしないような覚えがあるが環境適応に必死で記憶が曖昧だ。つまりなんだというと自分がいかに注目の的であるかを再認識することとなったのだ。個人識別証を作成し目的の本を書架から借りると早足ですぐさま図書館を出た。途端に安堵のため息が遠慮なく吹き出る。


「あー、びびった」


くすくす笑う両脇のメイド騎士を睨んで窘めると自室に戻った。早速コーヒーを片手に本を開くのだ。しかしまあ、なんというのか、この国、この世界の歴史の1ミリ、いや小学生レベルも理解していない俺にとって専門書を紹介した将軍に恨みの念を発するにいたるまでさほどの時間も要しなかった。今までに読んだ本といえば、教科書、小説しかない。幼い頃は児童書なんかもあったと思う。年齢相応ではあるがそれはあくまでも元の世界での話。今の俺は幼稚園児に等しいオツムである。


「将軍に部隊新編についての手順書でも作ってもらった方が早ーんじゃねーかな」


「現場の指揮官にそんな余裕ありませんよ、ご主人様」


ですよねー、とため息と表情で答える。今朝もおそらく話している余裕があったとは言えず、一人が前線を追いやったから生まれた若干の休息だっただろうことは将軍の目の下を支配するクマによって察することができる。いくらこの世界の男性が女性に比べて劣っているとしても絶えぬ心労に同情の念を抱いてやまない。さっきの恨みは忘れよう、そこまで頭が回らなくなるほど追い込まれた精神かもしれない。ともかく専門用語が土砂降りの紙の束にはそれを正しく理解し幼稚園児にも分かるよう噛み砕いて解説できる者が必要だ。


「私達に言っても無駄ですよ?」


「私達はあなたに仕え、守り、慈しみを持って接するとしか訓練されてこなかったから」


「あそう、俺に黙れとか言ったの族長にチクッとこ」


直接は言えんでも女王様なら伝えてくれるだろと支給された通信端末を取り出しショートメッセージを送ろうとしたところサバイバルナイフが画面中央から突き刺さった。


「おおっと手が滑ったぁー!!!!」


「長いメイドのスカートを捲りあげて太ももからサバイバルナイフを取り出しスマホに突き刺すことをお前の手は滑ったと言うんかーい!!!」


「世の中広いんだから何があるか分からないわよ」


「ドヤってんじゃねえ」


どーすんだよこれ、とサバイバルナイフを引き抜かれ破片と残骸が散らかる床を指差すと慈しみを持っている妹が魔法で浮かせ全ての破片を回収すると再生させ始めた。そもそもメイドがサバイバルナイフってどういうことなのか問い詰めたい、小一時間では足らない。そもそも教育が間違っていたのではと提言したい。すんでのところで手を離せたからいいもののそうでなかったら今ごろ破片とともに俺の血が散っていたに違いない。俺を鍛えてくれた恩師には感謝の気持ちでいっぱいだ。


「はあ……、先に兵器開発部だっけ?そっちを訪ねるか」


「何しに行くの?」


「俺達の主兵装となるだろう新兵器を見に行くんだよ。開発者に会っとけって話だし」


これ以上進展のないことを話していても仕方ないとし、山積するやるべき課題を一つずつ出来るところから崩していこうと思う。出来ないことにいつまでも時間を取られてはいたずらに浪費するばかりか1ミリの前進もない。締切こそ切られていないが直に戦場を見ているだけになるべく早く、試験的にでもいいから部隊と兵器を実戦投入し現場の負担を和らげてあげたいと思う。同時に自分にこんな人間臭さがまだ残っていることに甘さを感じる。軍人でも一般人でもない自分が、単に異物でしかない自分がそこまでする義理はない。保護されたことについては彼らは己の義務に忠実に働いたに過ぎない。その義務に過度な恩を感じることはない。ましてや首を突っ込もうなどとはおせっかいである。現にこの国にいて子沢山になってくれればそれでいいとも言われていた。勝手なことをしたあとでこんなことを思ってもなんの説得力もないが。なんのために鍛えたのか、その答えはとうの昔に出したはずなのに、決意したはずなのに。


「突然そんな思いつめた顔をされるとこっちまで不安になるわ」


「む……すまん」


「しかし、ただ抱かれるだけのお仕えかと思っていましたけど、なかなかやりがいはありそうですね」


「取り敢えずサバイバルナイフは禁止な」


「えー」


「えー、じゃない!」


三人でこみ上げてきた笑いを喉を鳴らしてこらえると兵器開発部があるという軍の施設に向かった。

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