非常勤の先生
私には、好きな人がいる。
それは今の状態じゃ絶対に届かない人で、でもとても魅力的な人だった。
非常勤教師の、園山先生。
彼は月に二度、私の通っている学校に来る。
教科担当は古典。でも残念な事に、私は彼の授業を受けたことがない。
だから学校ですれ違う時に、話をするぐらいしか接点がなかった。
それでも幸せで、好きになるには充分だった。
「園山先生!」
「ああ、江崎さんか。今日も相変わらず、元気だね」
今日も、校庭で先生の後ろ姿を見つけて、私はダッシュで近寄った。
先生は私に気がつくと、立ち止まって笑ってくれる。
私はそれを確認して、持っていたカバンから包装された箱を取り出した。
「先生に会えたら、いつでも元気いっぱいです! あと、あのこれ! 昨日、家で作りすぎちゃって。良かったら食べてください!」
その箱には、昨日先生のために一生懸命作ったクッキーが入っていた。
先生が甘いものを好きだと聞いていたから、私でも作れそうなものを選んだのだ。
欠片を食べてみたら美味しかったのを確認して、包装も気合いを入れた。
全ては、先生に喜んでもらうために。
「えっと、美味しくないかもしれないけど。食べてくれたら嬉しいです。……迷惑だったら、ごめんなさい」
最初は勢いで渡そうとしたけど、何だか段々と自信がなくなってきた。
私は先生に向けていた腕を、下ろそうとする。
しかし、その前に先生が掴んだ。
「先生?」
「私のために作ってくれたんだろう? それなら、ありがたくいただくよ」
「……先生、ありがとう! 大好き!」
そして持っていた箱を受け取ると、私の頭を優しく撫でてくれる。
まさかそんな事までしてくれるとは思わなくて、私は先生が撫でた後の頭をおさえて照れた。
抱きつくのは出来ないけど、精一杯の愛情を込めて言う。
「あんまり、先生をからかうもんじゃないよ」
そうすれば先生は苦笑いをしながらも、もう一度頭を撫でてくれた。
こんな感じで、先生はとても優しい。
でも、どこか私とは一線を引いているような気がして、それはすごく寂しかった。
分かっている。
先生と私の間には、どうしても先生と生徒という大きな壁があって、乗り越えたとしても先生に迷惑がかかるだけだと。
それでも、この気持ちは止められないし、先生がはっきりと迷惑だと言うまでは止める気もなかった。
「えっと、食べたら感想くださいね! 今度会うの楽しみにしてますから! それじゃあ、さよーならー!」
私は少し心臓がキュッと痛むのを感じながら、無理やり笑顔を作る。
でも先生にはバレバレで、心配そうな顔をされたけど、これ以上この場にいるにはメンタルが弱くなっていて。
空元気に叫びながら、大きく手を振って先生から離れた。
先生が私に手を伸ばしていたのは見えたけど、あんまり期待しすぎても後が辛い。
私はくるりと回ると、振り返ることなく走った。
先生と会える時間は限られているのに、なんてもったいないことをしたんだろう。
家に帰ってから、私はそう後悔してしばらくへこんでいた。
それから先生が来る日でも、姿を見つける事が出来なくて、ものすごく焦った。
いつもよく会う校庭や、裏庭、学校中を隅々探したはずなのに、どこにもいない。
真っ先に浮かんだのは、避けられているという可能性。
でも奇跡的にすれ違っているかもしれないから、すぐにその考えを頭の中から消去した。
「先生……どこ?」
私は廊下を走りながら、小さく先生の名前を呼ぶ。
それでも返事はなくて、私はさらに焦る。
今日会えなかったら、今度はいつになるだろう。
非常勤だから、いつかいなくなってしまうかもしれないのに。
だから時間は、大事にしたいのに。
今日も会えなかったら、私は次まで待っていられない。
「園山先生!」
「どうしたの? そんなに大きな声を出して」
「うわあっ!? 出たあっ!」
祈るように叫んだ。
そうしたら、すぐ後ろからのんびりとした声が聞こえてきて、飛び上がってしまう。
後ろを見れば、先生が苦笑しながら立っていて。
私は顔を真っ赤にさせて、小さく手を上げた。
「先生、いつから後ろにいたの……?」
「んー? ずっとだよ。なんか探しているのかと思って見てたんだけど、もしかして僕のこと探してたのかな?」
先生も同じように、手を上げてくれたけど笑いが止まらないみたいだ。
私は先生に近づいて、ポカポカと体を軽く殴る。
「痛いよー。女の子が、そんなに乱暴な事しないの」
「うるさいうるさい! 気づいていたのなら、早く言ってよ! 先生の馬鹿!」
本当は嬉しい気持ちでいっぱいだったけど、照れ隠しで殴り続ける。
先生は痛いと言いながらも、楽しそうに笑っていたから、私と会えて嬉しいと思っていたら嬉しいのに。
まあ、ありえないけど。
「私ね。今日、先生に会えないのかと思ってた! だから会えて嬉しい! でも意地悪したから、そこは嫌い!」
「ごめんごめんって。……ああ、そうだ。会えたら、言おうと思ってたんだ。この前くれたクッキー美味しかったよ。ありがとうね」
「へっ!? あ、ああ。……ありがとうございます?」
そう思っていたら、急にこの前のクッキーのお礼を言われて、私は頭がパニックになりながらもなんとかお礼を言った。
まさか、クッキーを食べていてくれていたなんて。
お世辞だとしても、おいしいと言ってくれたから嬉しさがとんでもない事になっている。
頭がお礼の言葉を理解し始めると、顔が急に赤くなってきてしまう。
私は顔を手で仰いで、先生から視線をそらす。
そして、口をとがらせた。
「本当に美味しかった? お世辞なんじゃないの? 先生優しいから……」
少し拗ねていれば、先生は慌てた様子で私の頬を手で挟んで、こちらに向かせてくる。
「嘘じゃないよっ! 本当に美味しかったし、また食べたいと思った!」
先生の真剣な顔。
でもそれよりも私は、距離が近すぎてパニックになっていた。
こんなにも近づいたことは、今まで無かった。
先生が私に触らないように、気をつけていたからだと思っていたけど。
こんな風に触れてくるということは、私の考えが違ったのかもしれない。
どちらにせよ、こんなふうに触れてくれるのは嬉しい。
私は顔をだらしなく緩ませて、先生の肩の辺りを叩いた。
「本当にー? そんな事言ったら、私調子に乗っちゃうよー。また作って持ってくるから!」
「うん。楽しみにしてる」
先生は、私をどうしたいんだろうか。
褒められすぎて、今日は私の命日なんじゃないかと思ってしまう。
こんなにも先生を供給過多したら、どんどん欲張りになる。
次に素っ気ない態度を取られた時に、悲しくなるからいつも通りでいて欲しい。
幸せな気持ちと、それを素直に喜べない気持ちで、私は先生から少し距離をとるために、未だに挟まれている頬を外そうとした。
「……先生? どうしたの? 恥ずかしいから、離して?」
でも先生の力は強くて、全く動かない。
私は恥ずかしさもあったけど、少しだけ怖くもなった。
顔は笑っているのに、目が全然笑っていない。
それでも、とても楽しそうなのだ。
得体の知れない恐ろしさがあって、私はさらにもがく。
「いやっ、先生っ!」
「……ねえ、良かったらさ……」
先生はそんな私を見て何を思ったのか、笑顔のまま顔を近づけてきた。
そして耳に口元を寄せると、囁いてくる。
私はその小さな声の意味を理解して、信じられない気持ちで先生の方に顔を向けた。
「ほ、ほん……」
「あんた、うちの生徒に何をやっているんだ!」
先生の言葉に返事をしようとした。
その時、別の人の怒鳴り声がそれを遮った。
驚いてそっちを見ると、学年主任が走ってくる姿が見える。
焦ったような怒ったような顔をしているから、そんな顔をしてどうしたんだろうかと不思議になった。
でも、理由が分からなかったのは私だけだったみたいだ。
「やばっ! それじゃあ、またね!」
「あっ! 園山先生?」
パッとあっさり手が外され、園山先生は私に手を振って、どこかに走って消えた。
残された私は、先生に向かって手を伸ばす。
でもその前に、急いできた学年主任が私の腕を掴んだ。
「大丈夫だったか!? 何もされていないか?」
心配されている理由が、私には分からなかった。
だから私は、先生が消えていった方向を見続けた。
園山先生は、実際は非常勤の先生でも何でもなくて、ただの不審者だったらしい。
そう言われてみると、確かに先生と会うのは校庭や裏庭とかで、校舎内で会ったことがない。
それに、いつも周りに誰もいなくて私一人の時だった。
冷静に考えれば分かりそうな事だったのに、恋をしていた私は考えようともしていなかった。
次の日、全校生徒が体育館に集められて、校長の長い話でその事を伝えられた。
注意するようにとの言葉を、私はぼんやりと聞きながら内心でくすぶっている怒りをおさえる。
あの時、園山先生は言った。
『ねえ、良かったらさ。俺と一緒に逃げない?』
その言葉は私にとって、とてつもなく嬉しい誘いで、すぐに了承の返事をしようとしたのに。学年主任に邪魔をされた。
その事に、私は怒っていた。
でも私は信じている。
だって、園山先生は言ってくれたから。
またね、と。
それはお別れの挨拶じゃなくて、次に会うための約束だ。
だから私は、先生が迎えに来てくれるのを信じて、待っていようと思う。
『非常勤の先生』
・定期的に、学校に来る先生。
・授業を受けていなければ、あまり接点は無い。
・だからこそ、本当に先生なのかどうかも怪しい。
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